99話 軍靴
闇の帳が下り、人々が夕食を取り終える時刻。
村の中央に建つサトゥン教会、その一室にて住人たちが食後のひと時であるティータイムを楽しみながら雑談に興じていた。
「クラリーネさん、今日は鍛錬に付き合って頂きありがとうございました。蛇剣のクラリーネ、レーヴェレーラにその人ありと謳われたあなたの力を堪能させて頂きました」
「ふふっ、私をあっけなく一蹴しておいてよく言う。だが、私こそ感謝する。メーグアクラス最強の騎士、天才メイア・シュレッツァと剣を合わせることは私の夢だったのだから」
「メイアと剣を合わせるのが夢なんてどれだけマゾなのよ。メイアはね、十歳くらいの私を本気で叩き潰すくらい容赦のないサディストなのよ? しかも剣を振るたびにすこぶる嬉しそうに恍惚して笑っているのね。どれだけ戦闘狂なのよってレベル」
「もう、またマリーヴェルはそういうことを……」
首を振って呆れるマリーヴェルと、それを嗜めるミレイア。
しかし、当のメイアは嬉しそうに微笑んでいるあたり、彼女は自分が戦闘狂だと完全に認めてしまっているらしい。どこまでも強者と剣を切り結びたい、そんな戦乙女であった。
ミレイアを除く女性三人が戦いについて盛り上がって話す様子はとても年頃の乙女の会話とは思えないが、この教会ではこれが日常であった。
そんな盛り上がりの中、ふとマリーヴェルはある女性の話題を提起する。
「そういえば、カルヴィヌのことなんだけど。ここにきて一週間たつけど、どんな感じ?」
マリーヴェルの言葉に、ミレイアはびくりと肩を跳ねさせる。
そんなミレイアを置いて、カルヴィヌについての話題は進んでいく。
「そうですね、彼女は実に素晴らしいですね。とても柔らかで穏やか、巨大な力を身にしながら驕る姿も他者を見下すこともなく、同じ目線で触れようとする。人間としてかなり魅力的な女性だと言えるのではないでしょうか」
「いや、メイア、カルヴィヌは人間じゃないから。でもまあ、私もほぼ同意見かな。サトゥンの友人なんていうから、どんなトンデモ魔人が来るか恐々としてたんだけど……良い奴よね、カルヴィヌ」
「鍛錬にも協力してくれますしね。『炎の幻影』でしたか、彼女の生み出した影は実に戦い甲斐のある相手でした。また是非とも戦いたいものです」
「あれを同時に八体打倒して『上位魔人級』なんて評価もらったメイアとグレンフォードは半分くらい人間辞めてると思うのよね。私とリアンでも五体で厳しいっていうのに」
メイア、マリーヴェルのカルヴィヌ評は実に上々だ。
それも当然で、カルヴィヌは二人の鍛錬に気軽に力を貸してくれていたりする。
鍛錬に協力し、休憩の合間に雑談を交わしていれば、仲良くなるのにそう時間はかからない。魔神にも関わらず常識人、人間のできた人物という時点で特にマリーヴェルの評価はうなぎのぼりである。普段サトゥンに散々振り回されている彼女らしいともいえるのだが。
「私は……すまないが、彼女は少し苦手だ」
対して、カルヴィヌに対して正反対の評価を下したのはクラリーネだ。
誰に対しても誠実で、真っ直ぐな女性である彼女がこんな風に言葉を濁すのは珍しい。まじまじと彼女を見つめながら、首を傾げてマリーヴェルは問いかける。
「アンタがそんな風に人を見るなんて珍しいわね。カルヴィヌと何かあったの?」
「いや、そんなことはない。彼女はとても物腰が柔らかく、穏やかで素晴らしい女性だと思う。実力もありながら、傲慢に身を溺れさせることもない、優れた戦士であることも理解している。だが、それでも私は苦手なんだ」
一度言葉を切り、下を向いたままクラリーネはぽつりと言葉を漏らした。
それは彼女のトラウマ、心の傷から生じた言葉だ。
「彼女は、カルヴィヌは――巫女シスハとあまりに『近過ぎる』」
「……いや、言ってる意味が全然分かんないんだけど。カルヴィヌがあの鬼畜女と近いって、どこが?」
首を傾げるマリーヴェルに、メイアもまた不思議そうな表情を浮かべている。
彼女たちにはカルヴィヌとシスハに似ている部分など微塵も見いだせないのだ。敢えて言うなら、サトゥンに並ぶほどの実力といったくらいか。
そんな彼女たちに、クラリーネは軽く首を振って説明をする。
「私にもよく分からないんだ。彼女は巫女シスハとは姿、形、在り方の何もかもが違うはずなのに……それなのに、私の中の『魔』が彼女を認識してしまう。魔神カルヴィヌは、巫女シスハと同じ存在だと同一視し、心が屈しそうになってしまう。すまない、自分でもうまく言えないんだが……」
「クラリーネ、あなたもしかして女性恐怖症にでもなってるんじゃないの? 強い女を前にしたら、トラウマが甦って呼吸が乱れたりとかしない?」
「それはない。もしそうなっていたら、メイアやお前と鍛錬すらできないはずだろう。私は時間の許す限りマリーヴェルやメイアと剣を交わし続けていたいぞ」
「うわ、ここにも戦闘馬鹿が一人。そういうのはメイアだけで間に合ってますのでご遠慮くださーい」
「そう言うな。メイアと剣を交わすのは夢であったが、やはり私はお前がいい。実力を磨きなおし、戦士としてマリーヴェルに借りを返すことが私の当面の目標だからな」
「うげ……ノウァの奴に付きまとわれるリアンの気持ちがちょっと分かっちゃったかも」
茶化すマリーヴェルと静かに笑うクラリーネ。
彼女の言葉の意味するところは結局理解できなかったが、クラリーネはやはりどうしてもカルヴィヌへの苦手意識は払拭できないようだ。
だが、クラリーネも大人の女性だ。カルヴィヌを前にしてそんな態度は見せることは絶対にないし、時間をかければ自然と苦手が克服できるだろうとマリーヴェルもメイアも考えている。
それよりも重症なのはもう一人の方だ。そう考えているマリーヴェルは目を細めて残る一人へと視線を向ける。
突き刺さるような視線を向けられた少女――ミレイアはびくりと肩を震わせながら、恐る恐るマリーヴェルに問いかける。
「な、何ですのマリーヴェル」
「いや、誰かさんはいつまでカルヴィヌのことから逃げ回るのかなって。サトゥン城で集まったりするときも視線すら合わせられないみたいだし?」
「う……そ、そんなこと……」
言葉に詰まるミレイアに、マリーヴェルは大きく息を吐く。
カルヴィヌが召喚されてからというもの、仲間の中で唯一ミレイアだけが彼女とうまく接せずにいた。
苦手を感じているクラリーネでも当たり障りのない挨拶ができたのに、ミレイアに至っては未だ言葉すら交わせていない。
カルヴィヌが何度か彼女と接するために歩み寄っても、ミレイアは色々と理由をつけて逃げてしまう始末。それは誰にでも優しく、面倒見のいいミレイアが初めてみせる一面かもしれない。
マリーヴェルもメイアもミレイアがカルヴィヌを避ける理由などとうに理解している。その理由は召喚されたあの日、サトゥンがカルヴィヌとキスを交わしたことにあるのだろう。
だが、その理由をミレイアが自覚していない以上、指摘することもできない。彼女が抱いている感情の正体は人に教えられるものではなく、自分で気づくべきものだから。
「まあ、強く言うつもりはないけどさ。少しずつでもいいからカルヴィヌと話せるようになりなさいよ。サトゥン助けてもらうんだし、これから先も村に滞在し続けるかもしれないんだから」
「はい……」
だからこそ、マリーヴェルから強く言うことはない。
こうしてカルヴィヌとの接触をそれとなく促すだけ。ただ、マリーヴェルとて彼女の気持ちが痛いほどに分かるのだ。
もし、自分がミレイアの立場だったら。サトゥンがリアンだったとして、ぽっと出てきた女性に彼の唇が奪われたりしたら。
「……やばいわね、これ。考えるだけでイライラ止まんない。ごめんミレイア、偉そうなこと言ったけど、カルヴィヌと仲良くなるのはゆっくりでいいから」
「よ、よく分かりませんけれど、別に私はあの方を嫌ってるわけでは……」
胸のもやもやが晴れぬまま、今日もミレイアの夜は更けていく。
少女たちが雑談に華を開かせている同時刻。
村外れに存在する大木に背を預け、ノウァは一人目を閉ざして時を過ごしていた。
彼はキロンの村に来てから、どの家にも厄介になることなくこうして日々野宿を行っている。
英雄たちをはじめ、何人もの村人が彼に滞在しても構わないと告げたのだが、その全てをノウァは断っていた。
瞳を閉じ、夜山の音に耳を傾けていたノウァだが、山風にそよぐ草木の葉音に混じる闖入者に気づき、ゆっくりとその瞳を開いていく。
大木に背を預けたまま、彼は立ち上がることなく視線だけを近づく足音へと向け、愛想のあの字もなく問いかける。
「――何の用だ、女魔神」
ノウァの視線の先には、長い金色の髪を風に揺らす美女――カルヴィヌの姿が在った。
柔らかな表情を浮かべたままカルヴィヌはノウァへ近づき、彼の前で足を止めて口を開く。
「少しお話しできないかと思ってね。お時間、少し頂いてもいいかしら?」
「くだらん。話し相手がほしいならサトゥンを当たれ」
「サトゥンに話し相手になってほしいなんて言ったら、夜が明けても語り続けちゃうわね。彼と過ごすそんな時間も悪くないのだけど……今はあなたが優先かしら。『ガノート』と『ラクティエ』の間に生まれたあなたの、ね」
「……やはり貴様は『奴ら』の関係者か。どおりで似通っているわけだ。雰囲気も纏う空気も、何もかもを見透かしたような態度も奴らそのものだ」
二人の人物の名が出たことで、ノウァはゆっくりとその場から腰を上げる。
そして、剣に立てかけていた大剣に手を伸ばしたところで、カルヴィヌから声がかかる。
「戦いをしに来たわけではないわよ。二人に勝てないからといって、私に癇癪をされては困るわ。そういう家庭の問題は自分で解決して頂戴な」
「……フン、言われずとも。俺様は奴らを叩き潰し、乗り越え、この世界の魔王として君臨する男だからな」
「物わかりの良い子は好きよ。大きな夢に勇往邁進する人は更に格別」
「ちっ、だから貴様とは接触したくなかったんだ。貴様は奴らに似過ぎている。それこそ反吐が出そうになるほどに」
「それは仕方ないわ。私と『ガノート』と『ラクティエ』、そして『彼女』は原初にして終端、『かの方』によって生み出された、全てを同にする一なのだから」
カルヴィヌの話に興味を失い、ノウァは剣を捨てて腰を下ろした。
そして体勢を元に戻し、瞳を閉じる。話は終わりだと態度で示すように。
だが、カルヴィヌは気にすることなくノウァへ話を続けていく。
「あなたと話をしたかった理由の一つに、二人の現状を教えてほしかったのだけれど、あなたの様子から見て探る必要もないみたいね。里帰りの時はよろしくと伝えておいて頂戴ね」
「さっさと村に帰れ。それと、ミレイアを何とかしろ。貴様が来てからミレイアが不安定だ」
「意外ね。あなたにそういう機微が分かるだなんて。ミレイアが好きなの?」
「俺様がそんな下等な感情など持つはずがなかろう。ましてや相手は人間だ」
「愛があれば種族なんて関係ないと思わない? この世には神を愛し、『世界』を超えてなお傍に在ることを願った人間なんてのもいるのだから」
「もはや喜劇だな。神は人間になど興味はない、あるのは己が都合による始まりと終わりだけだ。分かったら帰れ」
「はいはい、それでは失礼するわ。ミレイアに関しては善処するわ。どうにかしないととは思っているのだけど、私が下手に手を出すことでミレイアが『目覚め』るかもしれないって危惧しているのよ、『あの娘』。相変わらずミレイアのことになると過保護なのよね。その頑固さは何千年経っても変わらないわ」
肩を竦めながら、カルヴィヌはノウァから遠ざかろうとする。
そんな彼女の背に、ノウァが最後とばかりにぽつりと言葉を送る。
「貴様は確か魔人界とやらで戦場に立ち続けていたらしいな」
「望んでやっていたわけではないけどね。降りかかる火の粉は払わないとこっちが火傷しても馬鹿馬鹿しいでしょう?」
「そうか。なら貴様なら判断がつくだろう。この肌に纏わりつく不愉快な風の正体を」
そう告げてノウァは空を見上げる。
漆黒の闇に包まれた天は暗く、雲に包まれ星は見えない。
あるのは心地よさを伴わない、不自然なまでに温い風と虫たちのさざめき。
そんなノウァの問いに答えるように、カルヴィヌは振り返らないまま言葉を返した。
「ええ、よく知っているわ。この風、この空気の纏わりつき方、酷く癇に障る。まさか人間界にきて再びこんな空気を味わうことになるなんてね」
そう言い切り、カルヴィヌは視線を山下に続く遥か彼方へと向けた。
この距離では何も見えない。だが、カルヴィヌとノウァにはハッキリとその先にある『悪意』が見えていた。
夥しいほどの殺気と気配を撒き散らし、整然としてこちらに向かってくる人間たちの軍勢が。
「――前触れを感じるわ。悪意と殺意に溺れ、他を蹂躙しようという『戦場』の始まりを告げる空気をね」
彼らの視線のはるか先、そこにはレーヴェレーラ軍がまっすぐにキロンの村を目指し進軍し続けていた。
我らが神を愚弄し、傷つけた愚者へ虐殺という名の罰を与えるために。
次の更新は2月14日(日) 夜22時ごろになります




