98話 予兆
カルヴィヌがキロンの村に召喚されてから五日が過ぎた。
彼女はそのままキロンの村に滞在することを選び、現在はサトゥン城の一室を居城にして生活を送っていた。
サトゥンの経過を見たり、村を楽しそうに歩いて回っては村人と交流をしたり、英雄たちの鍛錬を興味深そうに眺めたり、ラージュと魔法談義を行ったりと自由気ままな生活だ。
人当たりの柔らかいカルヴィヌに対し、英雄たちは打ち解けるのにそう時間はかからなかった。
サトゥンと並ぶほどの実力者であり、リアンやマリーヴェル、グレンフォードやメイアといった面々は真っ先に彼女を認めた。そもそも、サトゥンの友人の時点かつサトゥンの力となることを約束してくれた時点でクリアしていたようなものだが。
ロベルトなんかは日々カルヴィヌに見惚れて鼻の下を伸ばしてはライティに折檻されるという男として悲しいサイクルを送る始末。カルヴィヌの容貌が年上のお姉さん、それも絶世の美女であるのだから仕方のないことといえば仕方のないことなのだが。
太陽が昇り始める時刻。リアンは一人槍を手に村の外れにある広場で素振りを行っていた。
ただ闇雲に奮うではなく、敵を想定し、丁寧に攻めの手を踏み、恐ろしく重い一撃を幾度と重ねていく。
サトゥンから槍を授けられてからというもの、この早朝の訓練はリアンにとって欠かすことのできない日常となっていた。
槍を大薙ぎに一閃、二閃と繰り返し、最後にピタリと制止する。
ゆっくりと瞳を開き、リアンは少し落ち込むように下を向く。先ほどまで『幻視』していた戦いで、リアンは物の見事に敗北したからだ。
思い描く相手――巫女シスハはあまりに強大であり、今のリアンでは数分と太刀打ちできない。その現実が彼の心に重くのしかかる。
もし、このまま弱いままだったら、またサトゥン様にあのような表情をさせてしまう。
また、何もできないまま倒れてしまえば、サトゥン様を悲しませてしまう。
次々に頭の中に浮かんでしまう弱き心を振り払い、鍛錬を続けるべくリアンは再び槍を握る。
そして、再び演武を続けんと足を踏み出したとき、視界に映った女性の存在に気付くのだった。
「カルヴィヌ、さん?」
リアンの視線の先には、木に背を預けた女性――カルヴィヌの姿があった。
いつの間に現れたのだろう、全く気配が読めなかった。そう驚くリアンに、カルヴィヌは優しく微笑みながら口を開く。
「お邪魔したかしら? 妨げにならないよう、気配を消して観察していたつもりなのだけれど」
「あ、いえ、そんなことありません。それに、カルヴィヌさんが現れたことに、全く気づきませんでしたから」
「ふふ、集中していたものね。確かな鍛錬に裏打ちされた、実に素晴らしい槍捌きだったわ。その槍がサトゥンに授けられた『英雄の武器』かしら?」
「はい。神槍レーディバル……サトゥン様に頂いた、僕の誇りです」
槍を握り、真っ直ぐな瞳を向けて言い切るリアンに、カルヴィヌは満足そうに手を伸ばす。
そして、リアンの頭にそっと触れ。優しく撫でていく。突然のことに驚くリアンだが、彼女は気にすることなく言葉を続けていく。
「……強い子ね。どこまでも強く、優しい子。永き時を経て、絶望の死を迎えてもなお、あなたはこうして彼の傍に立ってくれているのね。それはなんて嬉しいことで、悲しいことなのかしら。あなたは英雄の中でも特筆して魂に『面影』を残し過ぎている」
「カルヴィヌ、様……?」
「リアン、お願いよ。彼を、サトゥンを離さないであげてね。あなたたちと共に歩み続けられる今こそが、彼にとって世界の終わりを迎えてもなお夢見ずにはいられなかった未来なのだから。もし、全てを知ってしまっても、彼を守ってあげて。お願いよ――『勇者』リアン」
それだけを告げて、カルヴィヌは微笑んでリアンのもとを去っていった。
その後ろ姿を眺めながら、リアンはカルヴィヌの言葉を想う。何一つ理解できないことばだけれど、たった一つだけ断言できることがある。
「離れませんよ……僕はサトゥン様の傍に居続けます。サトゥン様を今度こそ僕が守るんです。もう二度と、『私』はサトゥン様を――彼を失うわけにはいかないんだ」
そこまで口にして、リアンはハッと意識を取り戻す。
一瞬、本当に一瞬であるが彼の意識は遠くなってしまっていた。まるで自分が自分ではないように、勝手に口が動いていた。
「おかしいな……サトゥン様を失ったことなんてないし、サトゥン様を彼なんて呼んだりしないのに……疲れてるのかな。でも、鍛錬はちゃんとしないと」
首を強く振り、意識を強く持ち直して、リアンは槍を振りなおす。
朝食までの時間、いびきをかいて眠りこけるサトゥンを起こすまでにはまだ猶予がある。
その時間までの間、リアンは自分が納得するまでひたすら槍を振り続けるのだった。
村の住人たちが目覚め、朝食をとりおえて一日が始まりだす時刻。
キロンの村から少し離れた山奥にて、今日も勇者の笑いが木霊する。
「むははははは! いいか! 容赦も手加減も必要ない! 全力だ、お前たちの全力を以ってしてかかってくるのだぞ!」
腕を組み、胸を張ってふんぞり返るサトゥンの前に立つライティとラターニャは互いに目を合わせ、困ったように微笑みあう。少し離れたところでは、ミレイアがリーヴェを抱いて心配そうに三人を見守っていた。
迷ったものの、ラターニャは恐る恐るサトゥンに今一度確認の言葉を投げかける。
「あの~、サトゥン様、本当に全力ですか? 私のブレスは危ないから使っちゃ駄目だって色んな人にきつく言われてるんですけど……」
「サトゥンなら大丈夫かもしれないけど、やっぱり心配。人に対して本気で魔法を撃ったことないから」
彼女たちの言葉通り、サトゥンが二人に要求しているのは彼に全力で魔法とブレスをぶつけることだった。
早朝からサトゥンに連れ出され、何用かと思えば自分を撃てなどという。二人でなくとも驚いて当たり前である。
そんな二人に、サトゥンは胸をドンと叩いて問題ない意思を示している。
「構わん、何も気にすることはない! 私は最強にして無敵の勇者だからな! ライティは勿論のこと、ラターニャも見事なまでの魔力を使いこなすと聞いているぞ! その魔力を受け、強い衝撃を与えることで我が体内の魔力を躍動させ、それをきっかけとして我が力の復活とするのだ!」
サトゥンがやろうとしていること、つまるところショック療法による魔力復活だった。
カルヴィヌによって処置を終え、あとは時が来れば自ずと魔力は回復すると診断されたサトゥンだが、せっかちかつ我慢知らずの彼がそんなものを待てるはずもない。
ラージュが『強い魔力を受けたりしたら体内の魔力が反応して呼び戻されたりするかもしれないね』なんて推測を聞いたが即実行、というわけである。
強い魔力をぶつける協力者として彼が選んだのはライティとラターニャだった。
英雄で随一の巨大魔力を使いこなす魔法使いのライティは当然ながら、ラターニャが選ばれたのは当然かもしれない。彼女は村人の中で突き抜けたポテンシャルを持つ半竜だ。
彼女が英雄に引けをとらないほど強い理由は、彼女の素体が伝説の魔竜レーグレッドだからである。人間界にサトゥンが現れたとき、キロンの村を救う際にぷちっと殺してしまい、最後までただのトカゲとサトゥンに勘違いされたかわいそうな伝説竜なのだった。
そんな人間界最強クラスの存在を元に再生されたラターニャが弱くないはずがない。
彼女のブレスは山をも砕き、巨大池を凍てつかせ、巨大樹木すら薙ぎ倒す。当人の彼女はのほほんとした元気系天然美少女なのだが。
「悩みなど不要だ! 私が傷つくことなど決してありえぬのだが、万が一、億が一に備えてミレイアを連れてきてあるのだからな! むふん、ミレイアの心配性にも困ったものである!」
「あ、当り前ですわ! ライティさんにラターニャの本気を魔力なしで受け止めるなんて、誰が聞いたって心配します! お願いですから、今からでも中止に……」
「ふははははは! 愛を、深い愛を感じるではないか! ミレイアよ、我が身を案じるお前の愛情、このサトゥンしかと受け取った!」
「あ、愛とかそういうのではありませんわっ! 私はただっ」
必死に食い下がろうとするミレイアを制止するように掌を突き出し、サトゥンは口元を釣り上げて笑う。
それはどこまでも大胆不敵に。絶対の自信を胸に抱いてサトゥンは彼女に告げるのだ。
「安心しろ、ミレイア。私はもうエセトレアの時のような無様な姿を二度とお前に見せるつもりはない」
「サトゥン様……でも……」
「私を信じて私の全てを視界に焼き付けるのだ、ミレイア。これより先、お前の目に映る私は常に最高であり続けるだろう。お前が悲しむことなく、いつも笑って見守っていられるように――私は常に最強の勇者で在り続けるのだ」
苛烈に、そして誰よりも優しく笑い、サトゥンはミレイアに背を向けた。
そんなサトゥンの背に、ミレイアは魅入ってしまう。その背中は、エセトレアで彼女を守ってくれた強き男の背中だった。
腕の中のリーヴェをぎゅっと抱きしめ、顔をうずめてミレイアは愚痴るしかない。
卑怯だ。そんな風に言われて、自分が引き下がれる訳なんてないのに。本当にずるいくらいおバカで、格好つけで、でも、どうしようもないくらい温かくて、優しくて――
「むふん。さあ、ミレイアも納得してくれたようだし、始めようではないか! ライティにラターニャよ、遠慮せずに魔法とブレスを放つがいい! 私は一切防御をせんからな!」
「分かりました! それじゃあ久しぶりに全力全開でいきます! せーのっ」
「フルパワーで撃つから、死なないでね、サトゥン――暗き闇に白き雷鳴は道を創る」
大きく息を吸い込み始めるラターニャに呪文詠唱を始めるライティ。
高まる二人の力に、やがて周囲の空気が張りつめていく。木々が騒めき、葉が散っていく。だが、そんな強大な力を前にしてもサトゥンは微塵も動じない。
腕を組み、仁王立ちしたまま攻撃を待つ。彼の頭に防御の二文字はない、本気の魔法を正面から受け切るつもりなのだから。
そして、強大な力はサトゥンへ向けて放たれる。
「ふーっ!」
「――神撃雷鳴」
ラターニャの口から放たれるは黄金の槍。
山をも貫き破壊する威力を秘めた魔竜の一撃がサトゥンの腹部へ突き刺さる。
そしてライティが解き放ったのは神をも超越する怒りの雷撃。
杖の先から放たれた一筋の雷光がサトゥンの胸部に直撃する。
「さ、サトゥン様っ!」
光に包まれるサトゥンに、ミレイアは悲鳴じみた声をあげる。
彼に放たれた魔法はそれほどまでに重く強烈な一撃だ。並の魔獣であれば、それだけで数百という数を屠れるほどに。
だが、光に包まれたサトゥンは決して膝をつかない。依然として腕を組んだまま、魔法を正面から受け止め、そして――
「くははっ、やるではないか、ライティ、ラターニャ! 恐ろしきほどの密度を誇る高魔力にブレスよ! その力は魔人界にはびこる並の上級魔人や幻竜をも超越するだろう! だがな、其を以ってしても私の鋼の肉体を貫くことはできぬのだ! ふぬううううううううううう!」
咆哮とともにサトゥンは拳を天へと強く突き上げる。
その瞬間、彼の身を包んでいた光と雷撃は彼の体を這うように天へ向け疾走し、空へ昇る龍がごとく駆けあがっていった。
巨大な魔力を全て天へと弾き返し、サトゥンは腕を突き上げたまま口を開く。
「――いかな強大な力であろうとも、この肉体を傷つけることは叶わぬ。どうだ、ミレイア、安心したか。たとえ魔力がなくとも、勇者サトゥンは最高にして最強。お前たちが信じる限り、私は何者にも負けぬのだ」
「あ、あああっ」
「……ぬ? どうした、ミレイアよ。安心して力が抜けたか? ふはは! 随分と心配をかけてしまったようだが、何、これで私に心配など不要だと理解できたであろう! 私は――」
「い、いやあああああ! いいから早く服を着てくださいましっ!」
「……ぬ?」
リーヴェに顔を埋めたまま必死に指摘するミレイア。
その彼女の言葉で、サトゥンはようやく自分の状況を理解した。ライティとラターニャの強烈な攻撃は、サトゥンの肉体こそ貫けなかったが、確かな傷跡をそこに残していたのだ。
具体的に言うと服がない。完全に燃え尽きて燃えカス一つすら残っていない。そこにあるのは、全裸で腕を突き上げ、ぶらんぶらんと巨大な何かをぶら下げた勇者サトゥンの姿だけ。
「おお! いつの間にか服が消失しておるわ! どおりで風が心地よいわけである!」
「ほえええ、凄いですね! おじいちゃんのとは全然違うんですね! びっくりです!」
「ぶらぶら」
「ふはははは! まあ、こうして肉体を晒すのも勇者の務めか! 近い将来、私は勇者として世界に名を残し、ありとあらゆる国に勇者を讃えるためのサトゥン裸像を設置する予定であるからな! 何、その予行練習として今日一日このまま裸で過ごしても構うまい! 我が肉体のあまりの美しさに村人たちもキャーキャーとちやほやしてくれるに違いないわ!」
「か、構うに決まってるでしょう! いいから早く何かで前を隠してくださいっ!」
ミレイアの必死の説得で、サトゥンは渋々前を彼女の上着で隠すこととなる。
彼の服が消失したことで魔力復活の実験は中止になるのだが、結局今回のことで彼の魔力は当然ながら復活することもなく、ただただサトゥンが全裸を披露しただけに終わるのだった。
朝っぱらから面倒事を引き起こしやがって――それがローナン王ベルゼレッドの正直な胸のうちであろう。
早朝のこと、家族との朝食の時間を楽しんでいた彼のもとに国境沿いより緊急の報告が入ってくる。
その内容に、ベルゼレッドは苦虫を噛むように表情を拉げさせた。
――ローナン王国の国境付近に大規模なレーヴェレーラ聖騎士軍が配備。その数は二万強。
国境付近の砦から寄せられた報告に、ベルゼレッドは迷うことなく戦闘を切って軍を率いて城を出陣した。
レーヴェレーラといえば、つい先日エセトレアで大事を起こしてくれた神聖国だ。宰相と結託し、七国会議を汚し、各国の王を亡き者にしようとしたことは記憶に新しい。
その件についてローナンは、クシャリエやメーグアクラスと手を結び、レーヴェレーラに揺さぶりをかけつつ政治的に詰めの作業に入ろうかという段階だったのだが、まさか先に軍を出されるとは思ってもいなかった。
軍馬を駆り、誰よりも早く砦にたどり着いたベルゼレッドは、砦に滞在していた隊長に状況報告を要求する。
「状況を知らせろ! レーヴェレーラの聖騎士どもからの要求は何かあったか!?」
「ベルゼレッド王!? 御身自ら戦場に現れるなど、何かあっては……」
「そんな諫言は後でいい! 国境沿いに軍を敷いた馬鹿どもは何と言っている!?」
「は、ははっ! それが不思議なことに、レーヴェレーラ軍は国境沿いに軍を展開しているものの、攻める素振りはおろか、何一つ使者を送ってくることもなく」
砦の隊長の報告に、ベルゼレッドは眉を顰める。怪訝そうな顔を部下に見せなかっただけ賞賛に値するかもしれない。
軍を率いて展開するも、そこから先に動きはないという。わざわざ遠い国から遠征し、軍を用いるという手段に出た以上、何かしらの目的があるはずだ。
七国会議で完全に敵対したローナンを攻めることも当然考えられるのだが、その素振りすら見せないという。
相手の意図するところが読めず、ベルゼレッドは顎に手をあてながら思考する。
「……使者は送ったのか?」
「はい。状況説明を要求するために使者を送ったのですが、言葉を交わすことなく追い返される有様でして……」
「つまり、連中は俺たちと交渉するつもりはないということか。だが、攻めることもしていない。もし、戦争目的であり、この砦を攻めるなら俺たち本軍が来る前にケリをつけるはずだ。だが、それもない……連中、何が目的だ?」
「宣戦布告をしていない、こちらに剣を向けていないのでは手の出しようもなく。我ら国境軍は連中を観察するしかない状況です」
「観察、まさに張り付け状態か……それが目的か? 俺たちを国境沿いに留めることが目的だとして、連中の意図するところはなんだ……? 奴ら、何を考えてやがる?」
何もせずとも、ローナン軍は『まだ』レーヴェレーラに軍事行動を起こす予定などなかった。ゆえに、相手が軍さえ連れてこなければ、城から動くこともなかった。
だが、相手は敢えて国境沿いに軍を展開している。挑発行為、こちらから先に攻撃をさせて開戦の火蓋を切って落とすつもりにしても、いささか中途半端だ。
観察、張り付け。そう、彼らの行動を表すならばこれほどしっくりくる言葉はないだろう。
ゆえに、ベルゼレッドは敵の目的を自分たちの足止めだと読む。だが、その理由が見えない。自分たちの何に対し足止めをしている。彼らが望まぬ、封じているこちらの一手とはなんだ。
「……一部の兵を民に紛れさせて国境外へ出せ。そして国外の情報を調べろ。他国……メーグアクラスやクシャリエがローナン同様の状況になっていないかをな」
「は、はいっ!」
ベルゼレッドの指示を受け、部下たちは慌ただしく駆けていく。
その後ろ姿を眺めながら、ベルゼレッドは溜息を一つついてぽつりと呟く。
「ったく、エセトレアの問題が片付いたかと思えばこれか。グレンフォード、お前ならレーヴェレーラをどう読む? 俺たちの動きを止め、こいつらは何を得る……?」
その呟きに答える親友は今、ここにいない。
遠く離れた山村にいる唯一無二の親友に、ベルゼレッドは返らぬ疑問を投げかけるのだった。
水木が不在となりますので、次回更新は2月12日(金) 22時ごろとなります。




