94話 誇り
ここで黙って見ていても埒があかない。それどころかクラリーネが今にも抜剣しそうな勢いだ。
疲れ切った表情で、マリーヴェルは大きく溜息をつきながら、二人の方へ近づき、大きく息を吸って一喝した。
「ウチの前で延々と頭痛くなるような馬鹿会話繰り広げてんじゃないわよ! 村の外にまとめて放り出すわよ!」
「ま、マリーヴェル! 聞いてくれ、この最悪最低を自称する超一流の変態が……」
「超一流の変態ではない。どうしても変態と呼びたいのなら、超一流の悪の変態と呼べ」
「あ、あれ……どうしてかしら、その言い方に酷く既知感が……」
ノウァの言葉にミレイアの脳内に白い歯を見せて笑うムキムキ勇者の笑顔が映し出されていた。
ちなみに、当人は現在山の中ではしゃぎまわってリアンと共に岩を切りだしている最中である。勇者サトゥン、夏休みの子供の如くはしゃぎまわっていた。
そして、ミレイアたちの姿に気付いたノウァは、ふっと笑って少しばかり優しげな口調でミレイアに話しかけた。
「久しいな、ミレイア。元気にしていたようだな」
「あ、おかげさまで……ノウァさんも元気そうで何よりですわ」
「駄目だミレイア! こいつはお前を攫うつもりなんだ! ミレイアを攫おうとするなんて本当に最低なことを考える奴だぞ!」
「ねえ、突っ込み待ちなの? それって突っ込み待ちなのよね?」
フカーと猫が威嚇するように叫ぶクラリーネに、横からマリーヴェルが冷たいジト目を送っていた。クラリーネ、ミレイア誘拐未遂前科一犯である。
馬鹿は相手にしてられないとばかりに肩をすくめながら、しっかり釘を刺すことは忘れない。
不機嫌そうな表情を浮かべたまま、柔らかな笑顔を浮かべるノウァに対してマリーヴェルは口を開く。
「私たちもいるんだけど、ミレイアだけに挨拶するってどうなの?」
「優先順位の問題だ。俺様の中でミレイアは優先すべき人間、ただそれだけのこと。ちなみにリアンは別格だ。奴は俺様の運命、言うなれば決して断ち切れない絆で結ばれた宿命の男なのだからな」
「アンタもいい加減そのリアンリアン言うの止めなさいよっ! こっちはサトゥンだけで持て余してんのよ!?」
「サトゥンにリアンは渡さん。リアンは俺様のものだ」
「ここまで言い切ると、逆に清々しいと思えてきますね。私もそれくらいの勇気が持てればいいのですが……」
「メイアも見習おうとしない! こいつはただのアホよ! ていうかアンタ、何しに村にきたのよ?」
「無論、俺様の進化した力によってサトゥンに勝つ為にきた。このままリアンの中で俺様の存在がサトゥンより格下扱いとなっているのは、将来魔の王として君臨する俺様には受け入れ難いことだ。リアンの前にてサトゥンを叩き潰し、俺様が如何に強く素晴らしいかをリアンに教えるつもりだ。リアンの心を縛るのは奴ではない、俺様だ」
「帰れ! 今すぐ帰れ!」
「そ、そうだ帰れ! リアン少年に手を出そうなど、何て不埒な! 確かにリアン少年は女顔だが、その、そういうのはよくないだろう! 立ち去れ!」
リアンリアンとあまりにうるさいところがどこぞの勇者様とダブって見えたらしく、マリーヴェルの激怒スイッチがオンとなる。
怒りに狂うマリーヴェルと彼女同様ノウァに悪印象を抱くクラリーネの帰れの大合唱。
しかし、サトゥンと同等かそれ以上に空気の読めないノウァがそんなことを気にするはずもない。彼女たちに肩をすくめながら、ノウァはミレイアに視線を向けて訊ねかける。
「それではミレイアよ、サトゥンとリアンのもとに案内してもらおうか。二人はどこにいる?」
「ええと、村の近くの山で遊んでますけど……たぶん帰りは夜になると思いますけれど」
「近くにいるのか? それにしてはサトゥンの魔力が感じられんが。てっきり遠くに出ているのかと思ったのだがな」
「う……そ、それでどうしましょう? サトゥン様を探しに向かいます?」
「待たせてもらおう。そうだな、奴が帰ってくるまでの間、お前の話が聞きたい」
「え、ええええ……私ですか?」
「そうだ。この数ヶ月間、俺様が修行していた間にお前たちがどのような冒険に出ていたのかをな。お前の口から聞かせてくれ、ミレイア」
優しく笑うノウァ。人の頼みごとにノーと言えない押しの弱いミレイア。
強引過ぎる男に連れられ、ミレイアは教会内へと引っ張られてしまう。それはまるで売られていく子牛のようだ。
哀れな聖少女の姿を見つめながら、その場に残された三人はやがて口を開きあう。
「……なんでリアンとミレイアはああいうのに好かれるのよ。私もう突っ込むの放棄したいんだけど」
「と、とりあえず中で夕食にしませんか? そうすればサトゥン様やリアンも戻ってくると思いますし」
「あ、ああああっ! しまった、鍋に魔法石の炎を着火しなければ! 待っててくれ、私の鍋っ!」
慌てて教会内に駆けだすクラリーネと彼女を追うマリーヴェルとメイア。
今日もキロンの村は平和な日常らしい。
太陽の日が落ちた時刻。山から二人並んで帰路につくサトゥンとリアン。
サトゥンはいつものように満面の笑みで笑いながら意気揚々と足を進める。そんな彼と並んで歩きながら、リアンはサトゥンに訊ねかけた。
「サトゥン様、本当に重くないんですか?」
「ふははははっ! この程度で重いなどと弱音を吐いては勇者失格であろう! 余裕である!」
平然と言い切るサトゥンに対し、リアンは目を輝かせて『流石サトゥン様』と感動している。
リアンが感動する理由、それはサトゥンが両腕で抱えた巨大な岩にある。岩と言うよりも水晶と言うべきだろうか。
透き通る紅色の水晶石、大きさにしてサトゥン三十人分の高さはあるだろうか。それほど巨大な岩をサトゥンは平然と抱えているのだ。
山奥でこの岩を見つけたサトゥンは余裕綽々に抱え、剣を切りだす為に家まで運んでいるという状況である。
魔力を失ってもこのパワー。相変わらず常識の外の存在であるサトゥンに、リアンは感動と共に再度誓うのだ。何があっても、サトゥン様についていこう、と。リアン・ネスティ、お馬鹿な勇者に忠誠が止まらない年頃であった。
そんなリアンの心を余所に、サトゥンの頭の中は新しい剣を作ることでいっぱいだった。工作を楽しむ子どものように笑顔を輝かせながら、リアンに案を話し始めるのだ。
「これだけの材料があれば、さぞや素晴らしい剣ができるに違いない! 岩剣グレンシア、間違いなく最強の一振りである!」
「ですが、岩からどうやって切り出しましょう? この岩、凄く固いみたいですから、木剣のときのようには簡単にいきそうにないですよね」
「ふはははは! 問題ないわ! この程度の岩など、私が手刀で叩き切ってくれようではないか!」
「なるほど! 流石はサトゥン様です!」
突っ込み不在とはかくも恐ろしい。リアンという加速装置はどこまでもサトゥンを調子づかせて上機嫌にさせてしまう。
幸せそうに笑いあう二人だが、家への帰路の途中で見知った二人に会う。ロベルトとライティだ。
サトゥンとリアンに手を振る二人に近づいて、リアンは言葉を紡いだ。
「ロベルトさんにライティさん、どうしたんですか?」
「マリーヴェルの嬢ちゃんから教会に集まるように言われたんだよ。んで、ライティならリアンや旦那の居場所を感知する魔法が使えるから、ついでに探してこようと思ってな」
「そうなんですか。ありがとうございます……でも教会に集合って、何かあったのかな?」
「さっきちらっと行ってみたんだが、あの男が来てるみたいだぜ。黒髪の魔族の」
「ノウァさんが来られてるんですか?」
「なに、ノウァだと!?」
リアンの呟いた名前にサトゥンの表情がつりあがる。どうやらサトゥン的にはあまりノウァは好きではないらしい。
完全な同族嫌悪じゃないのか、などとロベルトは思うものの決して口には出さない。正義と悪、逆ベクトルではあるが、本質は同じ存在だった。
「何でもノウァがサトゥンの旦那とリアンに面会希望らしいぜ。まあ、十中八九物騒な方向だろうけどなあ」
「ノウァ、やる気満々だった。今度は勝つって言ってた」
「ふ……あれだけコテンパンにされても再び立ち向かってくるのは良い度胸だが、相手が悪すぎたな! いいだろう! この私、勇者サトゥンの力を改めて奴に教えてやらねばなるまい! 教会に急がねばならぬ!」
「あ、ま、待って下さいサトゥン様ー!」
巨大な岩を担いだまま恐ろしい速度で加速するサトゥンと、それを必死に追いかけるリアン。
そんな二人の姿を眺めながら、ロベルトは隣で眠そうな顔をしているライティにぽつりとつぶやくのだ
「旦那、魔力が使えなくなっちまったけど……別に何の問題もねえ気がしてきたのは俺だけか?」
「サトゥン、魔力無くても一番強いよ」
「だよなあ……」
断言するライティの言葉に納得しながら、ロベルトたちも教会へと向かうのだった。
教会に辿り着いたサトゥンとリアン。教会内でミレイアと向き合って話をしていたノウァの姿を見つけ、リアンはノウァの名を呼ぶ。
「ノウァさん! お久しぶりです!」
「リアンか。フッ……また一段と力強くなっているな。お前は月日を重ねる度に恐ろしい速度で成長していく。それでいい、それでこそ勇者というもの」
「勇者ではないですが……ありがとうございますっ」
強者に成長を認められて嬉しくない訳がない。素直に喜ぶリアンと満足そうに笑うノウァ。
だが、そんな空気が面白くない男がここに一人。二人の間に割り込み、自分を見よとばかりにポージングをとってアピールを始めたお子様勇者サトゥンであったが。
「勇者とは日々成長するもの! みよ! この私の恐ろしきまでの強靭な力を!」
「……サトゥン、貴様、見違えるほどに脆弱になっているぞ。貴様、ふざけているのか?」
「ふざけてなどおらぬわ! 魔力の多寡だけで敵の強さを計るなど、実に三流魔王の貴様らしいではないか! 例え魔力がなくとも勇者の強さ素晴らしさ格好良さは何一つ揺るがぬ!」
「む……確かに一理ある。魔力量だけで強さは決定されるものではない。だが、俺様を三流魔王と呼んだこと、冗談として流せるものではないな――叩き潰すぞ、魔人」
「くはははっ! 殺気を叩きつければ私が怯えると思っているのか! 一万年も生きておらぬひよっこ風情が吼えよるわ! 私に敗北など存在しない! 勇者は最強にして無敵だからな!」
「その割にはエセトレアで随分と醜態を晒したようだがな。ミレイアから聞いたぞ。貴様、リリーシャの手先ごときに一度後れを取ったらしいな」
「ぬううううう!?」
痛いところを突かれてサトゥンは苦虫をかみつぶしたような顔になる。
ちなみにミレイアはリーヴェを抱きしめて絶賛机の下に避難中だ。余計なことを色々とノウァに語ってしまったことがサトゥンにばれたら間違いなくお仕置きと言う名の勇者談議が始まってしまう。ミレイアも我が身が可愛いのである。
形勢逆転に口元を歪めながらノウァはサトゥンをちくちくといじめ始めた。
「リリーシャの手先に敗走し、あげくの果てにはリアンに庇って貰う始末。無様だな、サトゥンよ。その様でよく大口が叩けるものだ」
「ぬ、ぬうう……」
「最強の勇者などと笑わせる。貴様の愚かな行動によってリアンたちは傷ついたのだろう。エセトレアでリアンたちが追いこまれた責任、その全ては貴様に――」
それ以上ノウァが言葉を続けることはなかった。
ノウァがサトゥンを貶めるよりも早く、彼を取り囲むように英雄たちが険しい表情で武器を抜いたからだ。
神槍、星剣月剣、烈斧、冥刃、煌刀。少し離れたところからは虹杖、流弓もノウァへと向けられている。
動きを止めたノウァに、仲間たちを代表してマリーヴェルが溜息をつきながら警告を告げる。
「それ以上言うと流石に怒るわよ? たしかにサトゥンはどうしようもないアホで普段私たちを振り回してばかりだけど――サトゥンはいつだって私たちを全力で救ってくれたのよ。それこそ、自分の力すら犠牲にしてまで……ね」
「ほう……」
「だからそれ以上は無しよ。私たちの『勇者』を本気で愚弄するつもりなら、相応の覚悟で口にしなさい――本気で潰すわよ」
マリーヴェルの本気の瞳に、ノウァは感心したように見入りながら、軽く周囲を一望する。
その英雄たちの誰もがサトゥンの行動を虚仮にされたことに怒りを見せている。なるほど、とノウァは納得せざるを得ない。
ここに集う人々はみな、サトゥンに救ってもらった者ばかりだ。彼がいたからこそ、今の自分が在る。今の自分の命が在る。
普段は彼の馬鹿な行動に呆れ笑ったりはすれど、サトゥンが勇者として、英雄として人を救った行動、努力を馬鹿にされることだけは断じて許さない。その誓いはこの場の誰もが胸に抱いている感情だった。
そんな英雄たちに、ノウァは表情を緩めて言葉を紡ぐ。
「確かに失言だった。許せ」
「ふんっ」
ノウァの謝罪にマリーヴェルたちは武器を下ろす。だが、それだけでは済まない男が一人。
英雄たちの行動に、酷く心を打たれたサトゥンが大変な状態だ。喜びが天を貫き、暗雲を払う。一言で言うと、漢泣き。
顔面崩壊を起こしながら、サトゥンは咽び泣いてマリーヴェルに抱きつくのだった。
「うおおおおお! お前たちはそこまで私のこと、私のことを愛してくれていたのか!」
「ぎゃああああああああああ! 気持ち悪っ!」
「私もお前たちのことを心から愛しているぞおおおお! リアン、マリーヴェル、ミレイア、メイア、グレンフォード、ロベルト、ライティ、ラージュ、お前たちは我が子同然! 例えこの命を投げ出してもお前たちを守る為なら惜しくはないわっ! むぐんっ!」
服に鼻水をつけられたところがマリーヴェルの限界だった。星剣を抜きとり、容赦ない一撃をサトゥンの頭上に叩き込んだ。
哀れ大地に転がったサトゥンだが、マリーヴェルの怒りは収まらない。サトゥンの無駄に鍛え抜かれた背中にゲシゲシと追い打ちの蹴りを放ち、これでもかと溜まった鬱憤を晴らしていた。
必死にリアンとメイアが宥めてなんとか怒りを収め、軽く息を吐きだしたマリーヴェルがサトゥンを足蹴にしながらノウァに告げるのだった。
「こんなのでも一応サトゥンは私たちの『誇り』だから。言葉は選んでもらえると有難いわ」
「善処する。だが、お前たちの『誇り』とやらは床に無様に転がって足蹴にされているが構わんのか」
「信賞必罰、悪いことをやったらしっかり怒らないと学ばないのよ。この村はサトゥンに甘い人間が多過ぎるわ」
「ふはははっ! どうだノウァ、これが私の愛しい仲間たちだ! こやつらは皆、私のことを心から愛し私を何よりも大切に想っているのだ!」
「床に転がされ踏みつけられたままの姿で言われてもな。だが、お前たちの絆は理解した」
むくりと起き上がるサトゥンを見つめながら、ノウァは納得したと言葉を紡ぐ。
そして、改めてサトゥンに向き合い、用件を告げるのだ。
「俺様が村を訪れた理由は分かっているだろう」
「むふん、私にリベンジを果たしにきたそうではないか。ふはは! あれだけやられても懲りぬとは健気な奴よ!」
「あれから俺様は自分を磨く旅に出た。そして旅先でとうとう新たな力を得た。『闇の戦鎧』とでも呼ぼうか。私の新たな力でサトゥン、貴様に勝つ」
「や、闇の戦鎧だと!? ぬううう、こやつ、いつの間にそんな新しい技を……! これは負けていられぬ! 私も今すぐ新たな格好良い必殺技を考え、それでノウァを打ち破る必要がある!」
「今から考えるのかよ!?」
「さあ、俺様と戦えサトゥン。剣を取るがいい」
「がはははははは! よかろう! 私の聖剣グレンシアで貴様に再び敗北という名の現実を教えてくれるわ! ノウァよ、大海の広さを知れい!」
「さ、サトゥン様」
「む、どうしたリアンよ? 心配なら不要、私は必ずお前のために勝利を――」
「あの、聖剣グレンシア、ありませんよ?」
リアンの指摘に、サトゥンは高らかな笑い声をぴたりと止めた。
周囲を見渡し、どうしようという視線を向けるサトゥン。諦めろという視線を向け返す英雄たち。
やがて、崩れ落ちるように教会の床に再び沈む勇者サトゥン。サトゥン対ノウァ、初めての敗北――不戦敗の瞬間であった。




