10話 興味
何故、目の前の少年の口から自分の本当の名前が出たのか。当然ながら微塵も理解出来ないマリーヴェルを置き去りにし、少年と受付の会話は進んでいく。
「マリーヴェルって、第三王女のマリーヴェル様か?」
「そうです。こちらの紙面全ての依頼者が王族の方でしたので、彼女の依頼もないかと思いまして」
「そうか、随分と情報が遅れてるな。兄ちゃん、どこからきた?」
「え、えっと……と、トントの街からです」
「トントか。随分遠くから来たもんだな。なら情報が遅れてても仕方ねえ。
いいか兄ちゃん、マリーヴェル様は今回の依頼にゃ参加しねえ。自分から王位継承権を破棄して城を飛び出したって話だからな」
「王位継承権?」
「この依頼はな、次の王様を決める為の試練、その王族様を護衛する為の依頼なんだよ。
つまり、紙面に名前が載ってる方々は我こそは次の王にと名を挙げた方々ってわけだ。そこに王位継承権を破棄したマリーヴェル様の名前が在る訳が無いだろう?」
「え、えええ……それでは、城にいっても、マリーヴェル様は」
「いねえよ。王位継承争いに参加しないってことは、王家との縁も切ったってことだ。
世間知らずのお姫様が城の外に出たところで、何が出来るんだか。変な男に騙されて、娼館にでも売られたんじゃあがっ!」
下種びた想像を膨らませようとする受付の額に、銅貨一枚を遠くから叩きつける。その余りの速度に、受付は言葉を続けることも出来ず悶絶するしかない。
ただ、マリーヴェルが見ていたのはそこではない。彼女は確かに受付の額を狙って銅貨を弾いたのだが、その軌道は背中を向けていた少年の頬を掠める筈であった。
獲物を捕らえるように背後から疾走する銅貨を、彼は小さく頭を横にずらして避けてみせたのだ。まるで背中に目でもついているかのように、ごく自然に、だ。
少年は突如倒れた受付におろおろとしながらも、ゆっくりと顔をマリーヴェルの方へと向ける。そして、初めて少年とマリーヴェルの視線がこの時交わったのだ。
彼の表情には困惑の色が隠せない。その様子から、銅貨を当てた犯人がマリーヴェルだと理解してるのだろう。
当のマリーヴェルは少年の瞳をじっと見つめ続けるだけだ。彼女の青く澄んだ瞳には、自分と同じくらいの歳の少年だけを映し出している。
時間にして十秒くらいだろうか。考えをまとめたのか、マリーヴェルはまるで獲物を見つけた猫のように瞳を輝かせ、少年に近づき言葉を紡ぐ。
「ちょっと私につきあいなさい。無論、貴方に拒否する権利なんてないけれど」
マリーヴェルが宿泊している宿屋ラージェン。この店の一階部は、受付と同時に食堂としても機能している。
もうすぐ夕食時ということもあり、冒険者や商人などで人がそこそこ賑わっているこの一室の隅に、彼女と少年はいた。
互いに向き合うように机を挟んで椅子に座っている状態だが、少年がそわそわと落ち着かない様子なのは誰が見ても分かる程だ。
それも無理のないことだった。なんせ彼は、マリーヴェルに付き合えと言われて有無を言わさずここに連れられ、席に座らされるなり、マリーヴェルが無言で睨みつけてるのだ。彼にしてみれば落ち着ける方がおかしいのだ。
また、睨んでいるとはマリーヴェル以外の誰もがそう認識することなのだが、当人は別に睨んでいるつもりはない。ただ観察しているだけだ。
やがて無言に耐えられなくなったのか、少年がマリーヴェルに口を開こうとしたその時だった。マリーヴェルが少年の方へ掌を突きだしたのだ。
「槍」
「へ?」
「貴方のその槍、ちょっと貸して。興味があるのよ」
淡々と自分の要求をつきつけるマリーヴェルに、少年は少しばかり困った表情をしたものの、どうぞと槍を手渡しする。
少年から槍を受け取った彼女だが、片手だけを差し出したことをすぐさま後悔する。その槍は当然ながら、その外見相応に重いのだ。
重さに耐えきれないマリーヴェルは、机にたてかけるように槍を置き、その槍を観察しながら口を開いていく。
「この槍、とんでもない重さね。まあ、これだけの長さと太さがあるのだから、当たり前と言えば当たり前だけど。
これが貴方の獲物だとしたら、貴方、よくもまあこんなモノを振り回せるわね」
「うーん、僕にとっては重さは感じないんだけど。その槍はちょっと特殊で」
「特殊?魔法でも付与しているの?確かに変な感じはするけれど、魔法具には見えないわよ?」
「僕は馬鹿だから、あまり詳しいことは分からないんだけど……何でもその槍は、自分の意志を持ってるらしくて。
自分が認めた使い手以外には、使えないようになってるみたいなんだよ」
「自分の意志って……貴方、そんな馬鹿げた夢話を本当に信じてるの?武器が自分の意志なんて持つ訳無いじゃない」
マリーヴェルの鋭過ぎる発言の数々に、少年はただただ困ったように笑うしかない。
だが、彼女の言っていることは尤もでもある。この世界において、意志を持つ武器など存在したこともなければ、聞いたことも無い。
故に、少年の発言をきかされれば、マリーヴェルのような反応を見せるのはごく当たり前の反応なのかもしれない。
槍をくるくると回しながらじっくりと観察し、彼女はこの槍が相当の業物であることを見抜く。これだけの槍は、騎士団にも所持している者はいなかった。
剣を獲物とする彼女ですら、威圧感を感じさせるほどの槍なのだ。目利きとは言わないが、それでも一戦士として感じ入るものはあるのだろう。
「この槍、銘は何ていうの?」
「し、神槍レーディバル」
「はぁ?」
「だ、だから神槍レーディバルだよ」
「神槍レーディバルって、『リエンティの勇者』に出てくる神槍アトスに与えられた神々の聖具のことじゃない。
あなた、ひょっとして私のこと馬鹿にしてる?」
「してない!してないよ!でも、この槍の名前は本当にレーディバルなんだよ。作った方がそう名付けられたんだから」
「ふーん……この槍作った奴って、よっぽどあの御伽噺が好きなのかしら」
「好きというか、自分は勇者だって言ってるよ」
「ただの馬鹿じゃないのよ、そいつ」
「馬鹿じゃないよ!ちょっと変わってはいるけれど」
興味を失ったかのように、マリーヴェルは槍から手を離し、机の側面上を転がして槍を彼に返却する。
槍にも少しばかり興味はあったものの、彼をこんな場所に連れ込んだのは、それが一番の理由ではない。
マリーヴェルは、何故この少年が自分を探しているのか、そのことが知りたかったのだ。
「今更だけど、貴方名前は何て言うのよ」
「そういえば自己紹介もしてなかったね。僕はリアン、リアン・ネスティ。君の名前は?」
「ミークよ。家名は無いわ。ところで貴方、さっきはギルドの受付で変なことを言っていたわね。
この依頼書の中に、マリーヴェル王女の名前はないのかって」
「ああ、そのこと。うん、紙面をみると、この国の王族の方々の名前が依頼者名にあったから、あわよくばって思ったんだけど……
はあ、やっぱりそんな簡単にうまくいかないよ。どうしようかなあ……」
「何、貴方やけにマリーヴェル王女に拘るわね。何か用でもあるの?」
「うん、彼女に会わなきゃいけないんだよ。ちょっとお願いしたいことがあって」
「へえ、仮にも一国の王女相手に貴方は何を頼む訳?変なことを言っちゃうと下手すれば首飛ぶわよ?一応相手は王女様なんだから」
「あはは、えっとね――僕と一緒に、この世界の英雄になってくれないかって。英雄になって、一緒に勇者様を支えてくれないかって」
少年――リアンの口からごく自然に紡がれた言葉に、マリーヴェルは目を見開く。
目を丸くして見つめるマリーヴェルに、リアンは少しも揺らぐことなく、穏やかな瞳で見つめ返していて。
その瞳から読み取れるのは、彼がどこまでも大真面目に、先程の言葉を吐いているという意志で。
二人の間を包む静寂。そして、それが数秒後にマリーヴェルによって打ち砕かれることになる。そう――彼女の笑い声によって。
「あは、あははははは!あはははははははは!
やだ、ちょっと何、貴方面白過ぎでしょ!何、英雄になろうって!何、勇者を支えるって!貴方、もう成人してるんでしょ?それなのに勇者ごっこって、ちょっと待って、あははははは!」
「や、やっぱりおかしいかな……」
「おかしいもなにも、え、何?貴方それ、この国の王女様に、それをそのまま伝える気?
あはははははっ!いい、とてもいい、貴方最高よ、リアン!王女に向かって英雄になりましょうって、駄目、ちょっと、駄目、無理」
笑いのツボにどはまりしてしまったらしく、マリーヴェルは必死にお腹を押さえて大笑いを抑えようとするが、それは敵わない。
ただ、どうやらこの反応は予期してたらしく、リアンは少しばかり肩を落とすだけで、そこまで気落ちしている訳ではないらしい。
マリーヴェルの笑いが収まるのを待ってくれているらしいので、彼女はリアンの好意に甘えてしまうことにする。
笑うこと数分、ようやく笑いが収まってきたので、涙目になりながら、マリーヴェルはリアンに再度口を開く。
「あー、ごめんね、リアン、面白過ぎて。こんなに笑ったの、本当に何年振りだろう」
「全然構わないよ。ミークの反応も当たり前だもの。逆にマリーヴェル様に会う前に、こうやって聞いてもらえてよかったよ。
もし、何事も無くマリーヴェル様に会えて、さっきの台詞を言っちゃったら、怒られるどころじゃ済まなかったかもしれないし」
「もし私がマリーヴェル王女だったら、笑い過ぎて病に臥せてしまったかもしれないわね。そうなると貴方、お城の牢屋にご案内だったわね」
「怖いこと言わないでよ……ちなみに聞きたいんだけど、マリーヴェル王女に関してミークは詳しい?」
「まあ人並みにはね。何か知りたいの?」
本人であるにも関わらず、マリーヴェルはしれっと言ってのける。実は目の前の少女がマリーヴェル本人であるなど、リアンに分かる訳も無い。
どうやらマリーヴェルはリアン『で』遊ぶことに決めたらしい。こんな面白い玩具を簡単に手放すものかと、楽しげに話の続きを要求する。
「さっきギルドでマリーヴェル王女の居場所を聞いたんだけど、どうやら城から出て行っちゃったみたいなんだ。
つまるところ、お城にいないってことだから、王都に向かって謁見を頼んでも無理ってことだよね」
「無理というか、そもそも貴方が単身で城に向かっても王族の誰にも会えないわよ?みたところ貴方、貴族でもなんでもないでしょう?」
「うん、山奥の村で生まれ育ったよ」
「王族に一般の者がお目通りする為には、多大な功績を上げるか、貴族からの推薦状がないと駄目なのよ。貴方、どちらか当てはあるの?」
「貴族の推薦状って、領主様の推薦状でもいいんだよね?」
「領主となると伯爵以上ね。それなら問題ないわよ」
マリーヴェルの説明に、よかったと安堵の息をはいてリアンは懐から一通の手紙を取り出した。
その手紙を受け取り、マリーヴェルは封筒を裏表と調べ、伯爵の書名をみる。自筆であるサインが書かれており、その名前をみて表情にこそ出さないが驚きに染まる。
――メイア・シュレッツァ。それは彼女にとって馴染みの深い名前であった。
マリーヴェルは、幼い頃から騎士団の鍛錬所に出入りしていたが、そんな彼女に常に保護者のように傍に仕えていた騎士がメイアであったのだ。
メイアの強さは、誰より傍で見ていたマリーヴェルは知っていた。弱冠十五才で上級騎士となり、剣と魔法の複合による戦闘力は国内でも随一の力を持ち、剣の才に溢れるメイアとて彼女との模擬戦で勝利したことなど一度もないのだ。
そんな彼女は、少し前に自身の親に代わり領地を納めることになったと噂で聞いたことがあったが、こんなところで目にするとは。
驚きで心を染め上げながらも、マリーヴェルは一度二度と視線を手紙とリアンとで交差させる。
リアンとメイア、二人のつながりに興味が湧いた為だ。ただの一介の村人相手に書名をするほどメイアは甘くない。では彼女と目の前の少年は何かしらつながりがあるということだ。
「貴方、メイア・シュレッツァと仲が良いの?どういう関係?」
「あ、メイア様のこと知ってるんだ」
「この人、王都ではそれなりに有名よ。風魔法と華麗な剣の使い手、騎士メイアといえば、ね」
「そっか、流石はメイア様だね。えと、実は僕、戦い方についてメイア様に師事してるんだ」
「ふーん、それなら色々と納得出来るわ。けれど、あのメイア・シュレッツァが他人に物を教える、ねえ」
リアンの発言が本当ならば、そうとうメイアが彼に入れ込んでいるのだとマリーヴェルは推測する。
何せ彼女は、普段は淑女を装ってはいるが、戦う者に対して容赦など一切しない。あれは女の皮をかぶった戦闘狂だと、マリーヴェルは自身の経験から知っていたのだ。
マリーヴェル自身、実は彼女に剣をならっていた。そして、日頃鍛錬という名目で、今思えばかなりハードメニューを課せられていたのだ。
その甲斐あって、なんと十二歳の頃に、彼女に一太刀入れる事が出来た。だが、そのことを後日泣くほど後悔した。
マリーヴェルの才能に惚れたメイアは、更に激しくマリーヴェルを扱いてくれたのだ。結局、配属が変わるメイアが十六の時に、師弟関係は解消されたのではあるが。
他の誰でも無い、あのメイア・シュレッツァに毎日鍛えられているのなら、自分の勘が働いたのも頷ける。強い訳だ、強くて当たり前なのだ。あのメイアが寵愛している戦士なのだから。
だが、そんなマリーヴェルの思考を余所に、リアンは止まることなくメイアのことを話している。やれあの人はどれだけ強くて、自分はどれだけお世話になっていて、どれだけ凄い人で。
最初はぼんやりと聞いていたマリーヴェルであったが、止まること無いメイアへの賛辞に、段々と苛立ちが募っていく。
リアンの語るそれは、師匠への純粋な憧れであり、熱のこもった少年の眼差し以外に他意はないのだろう、ないのだろうが――何故かそれが、マリーヴェルは少しばかり苛立ってしまった。
理由は分からないが、なんとなく、自分が強いと認めた少年が、他の人物のことをひたすら褒める光景は、苛立って仕方無かったのだ。
メイアの話はこれまでとばかりに、マリーヴェルは手紙をリアンへと投げ渡し、つまらなさそうに言葉を紡ぐ。
「まあ、城にマリーヴェル王女はいない訳だから、この手紙は何の意味も無い訳だけど。ご愁傷さま」
「そうなんだよね……マリーヴェル王女、どこいっちゃったのかな。お城に帰ってくることなんてあるのかな」
「ないわよ」
「な、ないんだ……断言しちゃうんだね」
「女の勘よ。この勘は当たるわよ」
「そっか……それじゃ王都に向かっても意味無いか。路銀も尽きかけてるし、少しこの街に滞在する事になるかな。
ありがとう、ミーク。ギルドでお金を溜めながら、マリーヴェル王女の目撃情報がないか、もう少し探してみることにするよ」
「諦めてないのね。そもそも貴方、仮にマリーヴェル王女を見つけたとして、さっきの面白過ぎる台詞を言うつもりなの?」
「うーん、どうしよう……でも、サトゥン様からは村まで連れてこいって言われてるし。
とりあえず、とりあえず何とか会ってみるよ。どうするかは、うん、その時考える」
「呆れた。貴方、そんなにマリーヴェル王女と勇者様ごっこしたいの?第三者から見ると、貴方すごく変よ」
「僕もそう思うよ……うん、口にするとすごく馬鹿らしいと思うんだけどさ。でもきっと、サトゥン様に会えば、マリーヴェル王女にも分かって貰える気がするんだ。なんとなくだけど」
「何がどう分かって貰えるのよ。貴方の言うサトゥンって人が、どれだけ変人かが?」
「ううん、サトゥン様というと、凄いんだよ。凄く凄く――楽しいんだ。あの人といると毎日が無茶苦茶で、自分の世界が毎日変わって。
この楽しさを、共有したいんだ。マリーヴェル王女の話は、メイア様からも少しだけ聞いたよ。もし、マリーヴェル王女が、メイア様のおっしゃられた通りの人なら、きっと、サトゥン様のことを気に入る筈だから」
何処までも楽しそうに破顔させて語るリアン。それは年相応の少年の持つ、世界に夢と希望を抱いた熱の入った輝かしいもので。
その笑顔を見ながら、マリーヴェルは何て自分とは対照的なんだろうと胸の中で小さく毒づいてしまう。
自分もそうだった筈なのに。この世界に楽しさの熱を求めて飛び出した筈なのに、どうして変わってしまったんだろう。
否、変わってしまったのではない。何も変わらなかったのだ。世界の退屈さは、城の中でも外でも何一つ変わらなかった、胸を焦がすものが存在しなかった。
だからこそ、マリーヴェルは彼の笑顔を羨ましく思う。思うが故に、自分の正体をリアンには話さない。
それは彼女の小さなプライドだった。夢を掴むのは自分の力で、他人に恩着せがましく譲り受けるものなのでは決してないと、強く否定して。
リアンの見ている景色を、自分の力で掴みとってみせる。そうしなければ、外に出た意味がないのだから、そう自分に強く納得させて。
そう、楽しい景色は自分で掴みとるものなのだ。そして今、目の前には自分の見る風景を楽しさで彩る為の大切な駒が存在しているではないか。
「それじゃ、貴方はしばらくこの街に留まってギルドで依頼をこなすのね」
「うん、そうだね、お金を稼がないといけないから」
「それなら一つ提案があるわ。私にも、貴方にも損が無いとても魅力的な提案」
楽しさを抑えきれず、笑みを浮かべてマリーヴェルはその手をリアンへと差し出した。
そうだ、楽しさは自分の意志で掴みとってみせる。この少年は、つまらない世界に色を灯してくれる切っ掛けになるかもしれない。
だからこそ、利用する。全ては自分の為に、自分の世界を諦めない為に、自分の欲望の為に、リアンをつなぎとめるのだ。
「――リアン、ギルドの依頼をこなす時には、私とパーティーを組みなさい。
貴方は金の為に、私は楽しみの為に、互いの為に力を尽くしあい利用し合う。そんな素敵な関係に私は貴方となりたいわ」
呆然とする少年を、決して離しはするものか。
この色の無い世界を面白おかしく染め上げてくれそうな予感のする、大切な大切なこの獲物を決して。




