93、「すみませんでした」
侍女ジーナが淹れてくれるお茶とお菓子を楽しみながら、学友たちは紅都観光で見たものや買ったものの話をして、やがて家族へ手紙を書くことにした。
「そうそう姫様、アーサー陛下がアルブレヒト陛下と一緒にお妃探しをしているという噂が紅都でささやかれていましたわ」
オリヴィアが教えてくれる。
「なぜアルブレヒト陛下とお妃探しを?」
「ご年齢も近いですし、仲良くなられたのではないかしら」
「なんにせよ、以前の婚約者様への想いが吹っ切れたのならよかったですわね」
フィロシュネーは兄への手紙に書く文面に苦悩した。
(ダーウッドのことや≪輝きのネクロシス≫のこと、……書かないほうがいいのかしら~?)
「姫様はアーサー陛下へのお手紙に何を書きますの?」
「そ、そうね。わたくし、『ミストドラゴンは人の言葉を理解して、音楽を好む生き物みたい』とお兄様に教えて差しあげようかしら」
夜になると、サイラスから手紙が届いた。
サイラスは捕縛された外交官と呪術師が焼死したことと、石にされていた人物の証言についてと、アルメイダ侯爵の企みについて情報を共有してくれた。
「紅国と青国の関係に亀裂を入れたいのかもしれません、ですって。この証言を見て。あなたがリストアップしてくださった五人のうち誰かがあなたの姿に変身して、罪をなすりつけようとしていないかしら?」
ダーウッドはアッサリと自白した。
「証言者を石にしたのは間違いなく私ですな」
「あっ、本人ですの……」
「炎殺犯は私ではありませんぞ」
「そ、そこは、よかったわ」
サイラスの手紙は「歓迎会当日の警備から俺は担当を外されていますが、中立派のエドウィン・インロップ伯爵が指揮を取り、厳重な警備をいたします。安心して勝負におのぞみください。ご武運を祈っております」としめくくられている。
「ご武運を、ですって。わたくし、勝ちたくなってまいりましたが?」
フィロシュネーはやる気になった。
「それも、ズルしないで正々堂々、実力で勝ちたいと思うの。自分で頑張って勝つのと、ズルして勝つのって、全然違うと思うのよ。『わたくし頑張ったのよ、すごいでしょ』って気分になれないもの」
「姫殿下が実力で勝利するのは無理です」
ダーウッドはひんやりとした温度感で告げた。
「努力でなんとかなるものと、どうにもならないものがあります。今から本番までにメアリーに勝利できるほど上達するのは不可能ですので、諦めてください」
「むむむ……」
「姫殿下、王族は教養があることが望ましいですが、別になんでもできる天才である必要はございません。おひとりでなんでもこなそうとなさらず、有能な臣下に仕事を任せるのも大切な王者の資質でございます」
「わたくしは頑張りたい気分だったの」
フィロシュネーはむすりとしてベッドに横になった。
すると、おろおろとした気配が遠慮がちに近づいてくる。
「姫殿下、ご機嫌を悪くなさいましたかな」
そっとベッドの脇から様子を覗き込む気配は、嫌われるのを怖がるようだった。
「いいこと? あなた好みの王者の資質とやらが欠けていてもいいの。わたくし、大切なお友達のセリーナを傷つけたメアリーと自分が対戦したい気持ちがあるの。それに、すごいと言われるなら、自分の実力ですごいと言わせたいの」
フィロシュネーは腕を伸ばしてその身体をベッドに引きずり込んだ。
「わたくしの理想の王様は、正々堂々と頑張る王様ですの。悪だくみをよしとしませんの。真実を闇に葬ろうとしたり、他国の格を下げようと企んだり、他国のおじさまやドラゴンを石にしちゃった詐欺師さんに『めっ』ってしますの」
「姫殿下、正々堂々は素晴らしい理想ですが、それで国は治まりません。現実は……世の中は、正道が邪道に負けることも珍しくないのでございます、結果が全て、勝利のために手段は選んではならぬと……んきゅ」
「おだまり」
むぎゅっと両腕で拘束するようにすれば、ひんやりとした体温が大人しくなる。
「わたくしは、代理の誰かが勝利するなら、褒められるのは実際に能力を発揮した代理人であるべきだと思うの。なにより、わたくしは罠の可能性を考えていますっ。アルメイダ派が提案した上に、女王派のサイラスは警備担当を外されたのでしょう?」
「……罠ならば、なおさら私が……んぅ」
フィロシュネーは手で口を塞いで強制的に黙らせた。
「わたくし、あなたを心配しているのよ、おばかさん。もうわたくしは決めたの。これ以上異論をとなえるなら、お兄様に全部言いつけるわよ! あなたが応援してくれたら心強いって思っていたけど、……――もういいわ……」
フィロシュネーはぎゅっと目を閉じて感情を殺した。
「ひ、姫殿下」
おずおずとした声が、ちいさな子供のよう。ぜんぜん、数百年も生きている人っぽくない。
(お返事なんて、してあげません。わたくし、もう寝ているんだから)
「姫……、フィロシュネー様」
ひんやりとした手が、頬に触れる。
そっと目を開けると、自分とよく似た移り気な空の青が必死にフィロシュネーを見つめていた。
薄い唇がぱくぱくと言葉を探すようにして、ぜんぜん神秘的じゃない声で空気を震わせる。
「すみませんでした」
なんて、弱々しい声。
しおしおとした気配が愛しく思えて、フィロシュネーはコクリと頷いた。
「わたくしも、癇癪を起こして悪かったわ」
抱き枕を抱っこして眠り朝を迎えると、ダーウッドはベッドにはいなかった。ただ、枕もとにはチェスの教本が数冊置かれていた。
「これは、応援してくれるということなのかしら」
その日、フィロシュネーは迎賓館の庭先でなぜか剣を戦わせるシューエンとサイラスを観戦しながら、学友たちとチェス盤とチェスの本を片手に勉強会をした。
「定石を覚えましょう、姫様」
「有名な棋譜を並べてみません?」
「あっ、この本、『この盤面からどう動かす?』っていう問題集みたいですよ」
和気あいあいと勉強する中、サイラスとシューエンの言い合いが聞こえてくる。
「怖がる姫を押さえつけて無体を働こうとしたのでしょう」
「僕は部屋に入る前に退散したのでございます、何を妄想していらっしゃるのですか、このムッツリ成り上がり騎士さんが!」
「部屋に入る前に? ……十二歳ではそんなものか」
「ぼ、僕は十三になりました! そ、そちらこそ、プレゼントで『俺の姫』と仰ったではありませんか。まだあなたの姫ではないのに、厚かましいのでございますよ!」
「お誕生日をお迎えでしたか、おめでとうございます」
「あ、どうもありがとうございます。えへへ」
「参考までに俺は二十七歳になりました」
「あれっ? 以前は二十八歳じゃなかったですっ?」
ギスギスしていたのに、途中から仲良くなっている……。
「あの方々は何をなさっているの?」
「決闘の訓練とおっしゃっていましたが」
学友たちは顔を見合わせて一斉に首をかしげたのだった。




