68、迎賓館『アズールパレス』殺人事件2〜犯人はヤス…
「それでは魔法を発動しましょうかね」
預言者ダーウッドが『足跡の魔法』を発動させると、魔法の光で足跡があらわれる。
足跡はたくさんあった。
「ヤスミール・ブラックタロン嬢は、確かにこの部屋にいらしたようですな」
光の足跡のひとつは、ヤスミールらしい。
「あああ、あのう。し、しかし、足跡だけでは姉さんという証拠になりませんよ」
ルーンフォークがおずおずと正論を挟む。
「あ? お客人は預言者の発言をお疑いになる?」
ダーウッドが眉を跳ね上げて、杖を軽く持ち上げた。
その瞳が凍える湖のように寒々とした色を見せる――魔法は使っていないはずだが、心なしかその瞬間に室内の温度がガクンと冷えた気がして、フィロシュネーはぞくりと背筋を震わせた。
「あ、い、い、いえ。なんでもありません」
ルーンフォークは、滑稽なほどプルプルして後退った。怯えている。
「ダーウッド、遺族の方を威圧してはいけませんわ。疑問はごもっともですもの」
フィロシュネーは慌てて間に入り、「わたくしに考えがございます」と微笑んだ。
「まず、ダーウッドにはどの足跡がどなたのものかわかるのよね? 要するに、足跡魔法の信ぴょう性を高められればいいのですわ。たくさんある足跡を追えば、宿泊されたお客様がいるでしょう。この部屋を出た足跡をひとりずつ追って、そのお客様の昨夜の足取りと一致するか確認してみましょう」
「うむ。では、ひとりずつ部屋を出てから朝までの動きを追ってみましょう」
たくさんの足跡が迎賓館のあちらこちらに散らばっていく。青国の兵士が走り回り、足跡を追いかけてその動きを報告した。だいたいの足跡は、パーティが終わると迎賓館から出て行って馬車に乗り込んで、それきり。あるいは、あてがわれた部屋に入り、そこで一夜を過ごして終わり。
しかし。
「あやしい動きをしている足跡がございますなあ」
あやしい人物がいた。
あやしい人物一号は、一度部屋から出てダンスフロアで踊り、部屋に戻り、浴場にいき、兄たちの部屋にいき、……深夜になってフィロシュネーの部屋の周囲をうろうろしていた。
「シューエン?」
フィロシュネーは訝しむ視線を向けた。そのあやしい人物一号は、シューエンなのだ。
もちろん、シューエンにも青国の秘薬は盛っている。抜かりはない。
シューエンは、あたふたしながら頬を熟れた林檎のように染めた。
「ち、違います! お部屋の前の廊下を磨きたい気分になりまして、廊下を……僕が犯人でございます……夜這い犯でございます……」
学友たちが「きゃっ、夜這いですって!」と色めく中、青王アーサーが殺気めいた気配を全身から溢れさせている。
「夜、這、い?」
声は、深くて暗い地の底から響くかのように、低くて剣呑だ。
眼差しには、ふつふつと滾る溶岩に似た勘気が閃いていた。
従士に促して槍を持ってこさせた青王アーサーの手が槍を握ると、シューエンは仔犬のように震えあがった。
「ひ、ひいい。お許しをっ、僕は昨夜、兄たちに言われたのでございます。負け犬は正攻法ではいけないのだと。お前は情けないな、ぐいぐい迫ってこいよと。ただでさえオチビなのだから、強引に攻めて意識させていけと。そ、それで、うっかり魔が差して夜這いを仕掛けようと思い、フィロシュネー殿下の部屋の前まで行ったのでございます」
ちょっと可哀想な気がする――フィロシュネーは兄の袖を引き、宥めた。
そして、「あのマントは今後は寝室のベッドサイドに敷くべきね」と思うのだった。
ちなみに、続く言葉は予想以上に情けなかった。
「でも、扉の前は厳重に警備が固められていました。それを見て僕は正気にかえり、自分の部屋に戻ったのでございます……」
これには学友たちも顔を見合わせて、感情を持て余している。
「ま、負け犬……」
「へたれ……」
「い、いけませんわ。茶化しては」
「可愛い」
「あっ、ミランダがお姉さん心を刺激されている……」
兄、青王アーサーもこれには脱力した様子で、槍を従士に返している。よかった。
「俺は未遂でも許さんぞ。婚約者候補の資格ははく奪する」
「あっ、そんな」
この瞬間、フィロシュネーの婚約者候補は、ひとり減った。
「では、シューエンは夜這い未遂だったということで、はい。あやしい人物二号、ハルシオン様……」
空国勢が「うちの殿下がやってしまいましたか!?」という表情になっている。ハルシオンに信用はない。
なお、昨夜のハルシオンは部屋から出た後ダンスフロアにいき、中庭にいき、弟の部屋を訪ねてから自分の部屋に一度寄り、おもむろに窓から外に出て庭を散歩し。
「あ、あっちにいったりこっちにいったり。時々止まって……」
ハルシオンは「あれえ? 私は昨夜、大人しく寝たと思ったけど」と首をかしげて記憶を探り、「ああっ、そうそう! 私はそういえば遊んでいたのでしたぁ」と酩酊したような声と気配になった。
「んっふふ。私は夜間のお散歩を楽しんでいましたぁ……。途中で警備に声をかけられたので、お仕事熱心でいい子ですね、と褒めてあげたのですよぅ。お話ししていたら応援を呼ばれて人気者になっちゃいまして、んふふ。彼らは私の様子がおかしいから偽者ではないか、などと言い出しましてねぇ」
空国勢が頭痛をこらえるような顔になっている。
学友たちは、ひそひそと言葉を交わしていた。
「あやしかったのでしょうね」
「今もすごく怪しいですものね」
「夜間にそんなことがあったのか」
「ありました」
青国勢は情報を確かめ合っている。
「そうこうするうちにインスピレーションが湧きました……そこで私はルーンフォークの部屋を訪ね、新商品『ニセモノは許さん像』の開発に取り掛かりました。そして、像を造るはずなのに気づいたら天秤が完成していたのです……」
「ルーンフォーク卿?」
ルーンフォークに視線が注がれると、肯定が返ってきた。
「はい。部屋で趣味のひとりカードゲームに興じていたら殿下がいらっしゃいまして、しかも警備の人たちがゾロゾロついてきてたんですよ。偽者ではないかと問われまして。この方は間違いなくうちの殿下ですって答えましてね……なんかすみません……朝になったら姉さんが……」
「んふふ。楽しかったですよねぇ。ものを作るのって、わくわくしますよねぇ! 気づいたら朝でした。そして弟の性癖が明らかに……」
「うちの殿下がすみません」
ルーンフォークはしみじみとした風情で、スイッチが入ったように語り出す。彼にもまた青国の秘薬が盛られている……。
「俺の兄と姉は元々素行が悪くて、俺も小さい頃からいじめられていたのですが、いざ亡くなると悲しいような……そうでもないような……なんだろうこの気持ち……姉は男嫌いで、ネクロシスとかいうあやしい団体に参加して気に入らない男に嫌がらせ三昧で……なんか安心している自分がいます。家族なのに。俺って人の心がない奴なんだなあ……」
これはちょっと落ち着かせてあげたほうがいいかもしれない。フィロシュネーは本気で心配になった。
「ジーナ、ルーンフォーク卿にお水を……あのう、休ませて差し上げて……?」
「はい、姫様!」
青王アーサーはルーンフォークを同情的な眼差しで見送りつつ、呟いた。
「シュネー、客人たちはお疲れのようだな」
兄は気付いている。秘薬を用いたことに――フィロシュネーはどきりとした。
「ええ。無理もありませんわ」
「しかし、協力的に話してもらえてよかった」
「ええ、ええ。わたくしもそう思います」
――真実は、ひとつだけ闇に葬る。ばれなければ問題ない。
兄妹は視線を交わし、微笑んだ。




