67、迎賓館『アズールパレス』殺人事件1〜麻縄は凶器ではなくプレイの道具です
迎賓館『アズールパレス』で祝宴を楽しんだフィロシュネーは、その夜、迎賓館の一室に宿泊した。
事件は、その翌朝に起きた。
「誰か、誰か! 姉さんが……!」
まだ太陽も昇りきらない早朝、迎賓館に悲鳴が響いたのである。
何事かと人々が集まる先は、建物の外。鑑賞用の池の近くだ。そこに、ルーンフォークとその姉がいた。
ルーンフォークの姉、ヤスミール・ブラックタロン嬢は、全身がぐっしょりと水に濡れ……なんと、死亡していた。遺体の右手の指、右手首、腕、首には、赤黒い痣がある。見るからに他殺だ。
「一体だれがこんなひどいことを……」
「あの、あの痣……」
「これはどう考えても、迎賓館を運営・警備している青国側の責任問題ですよ」
「あの痣……」
「警備は万全でした。青国の魔法使いが施した『外からの侵入を検知する結界』も無反応でしたし、安全と秩序を守るために専門の警備員や騎士団の隊士が巡回・配置されていたのです」
「あの痣……」
もの問いたげな視線が学友たちから向けられている。シューエンのマントで怪我をした令嬢を思い出したのだ。令嬢の怪我はすぐにフィロシュネーに治癒魔法を施され、治っているが。
フィロシュネーは焦った。ただでさえ、二国の関係は微妙な友好状態なのに。
「まずは、深い哀悼の意を表します。ルーンフォーク卿……あなたの大切なお姉様に、こんな……」
「あ、い、い、いえ。あ、いえ、はい。ありがとうございます聖女様」
ざわざわとする人々の中、衛兵隊長からヘルマン・アインベルグ侯爵騎士団長へと責任者が格上げされた。やがて青王アーサーが預言者を連れて現れる。
「俺の預言者ダーウッドによると、犯人はこの中にいる、かもしれない……と」
フィロシュネーはどきどきした。お父様が「シュネーは読まなくていい」と言って遠ざけていた推理小説みたいだ。ただし、たぶんフィロシュネーには犯人がわかる。推理いらずだ。
「陛下、衛兵隊長から報告が……申し上げにくいことですが」
「申せ」
「はっ」
アインベルグ侯爵騎士団長が真剣な顔で報告をする。
「空王アルブレヒト陛下と王妃ラーシャ陛下のお部屋に事情を説明しに参ったところ、なにやらたいそう慌てたご様子で何かを隠そうとなさっておられて……恐れながら確認させていただいたところ、なんと麻縄が出てきたというのです」
アインベルグ侯爵騎士団長はそう告げて、衛兵隊長を呼んだ。衛兵隊長は麻縄を見せた。
青王アーサーがフィロシュネーを見て「このまま現場で話し続けるのはよろしくない。場所を変えよう」と提案した。おそらくは「死体に動揺するだろう」とか「心に傷を負ってしまう」といった配慮。それを感じたので、フィロシュネーは「実はわたくし、意外と凄惨な現場が平気なのです」と囁いて兄を安心させておいた。
「それは、二国の紛争で苦労したせいだな。痛ましい」
「お兄様、わたくし、提案したいことがございますの。任せてくださる?」
「むむ。ひとまず、場所は変えよう。ご遺体は敬意をもって移動させるように」
青国の兵たちがきびきびと仕事をこなす中、フィロシュネーは侍女ジーナに命じて、迎賓館に泊まっていた賓客を集めてハーブティーを提供させた。そして、プレゼント置き場と化している待機・準備部屋に移動した。
空王アルブレヒトの隣に、王妃がいる。
『ラーシャ』という名前の妃は、空国の有力貴族の家柄の出らしい。アルブレヒトより年上で、ミランダと少し似ていた。
「まず、先にお尋ねします。空王陛下と王妃陛下におかれましては、なぜ麻縄をお持ちでしたの? そして、なぜ慌てて隠そうとなさいましたの?」
フィロシュネーが問いかけると、空王アルブレヒトは眉間に険しい皺を寄せて口元を抑えている。しかし、王妃は。
「私たちは、決して麻縄を物騒な用途に用いたりはしていません」
王妃は、ぺらぺらと打ち明けてくれた。
「事の発端はそう、空国が紅国に指導される立ち位置になって預言者ネネイが失踪してからでしたか。元々お悩み事が多くてお疲れだったアルブレヒト空王陛下は、深く自分の至らなさをお嘆きになり、自罰傾向を高めていかれ……私にも、優しくするな、媚びずに罵ってくれ、そうすることで楽になるのだとお求めになるようになられ」
空王アルブレヒトがとても慌てている。
「ままま待て、それ以上言うでない! 麻縄を使って縛ってくれと言ったなどと告白できるか! ……ハッ!?」
全員の視線が空王と王妃、そして麻縄へと向けられる。王妃ラーシャは必死に訴えた。
「陛下、申し訳ございません……皆様っ、この麻縄は凶器ではなくプレイの道具です!!」
「弟の性癖が歪んで……どうしよう」
ハルシオンが兄の顔をして深刻に呟く声が、生々しい。
「どうもしなくていいと思います。ご兄弟といえど、性癖には無干渉で参りましょう?」
ミランダはそんなハルシオンのメンタルを気遣いながら背中を撫でている。
「お二人はそもそも、依存が過ぎるとミランダは思っておりました。そろそろ殿下には兄離れをしていただきたいと。お二人を見ていると私の心がいけない妄想をしてしまって困るのです……あら? 私は何を?」
「ミランダ?」
フィロシュネーは侍女ジーナに目配せして、ミランダに水を差し入れた。
「こ、こほん。ただいまのご発言は、誤りのない真実のご発言です。わたくしの聖女の力で、真実を確認いたしましたの」
神鳥はいないが、フィロシュネーが厳かに告げると全員が「ならば、嘘ではないのだ」と顔を見合わせている。
「うああああ!! そんな目で私を見るなあああ!!」
「陛下、お気を確かに」
空王アルブレヒトは真っ赤になったり真っ青になったりしながら王妃ラーシャに心配されている。
「陛下の恍惚としたお顔が私は好きですわ。ぞくぞくしますの。私も新しい世界の扉を陛下のおかげで開いてしまったようです……」
「だ、だだだ黙れ!? 頼む、黙ってくれ!? 私もとても興奮したし、そんな私を受け入れてくれた王妃には感動したが……はっ!?」
「陛下……!」
フィロシュネーはコッソリと侍女ジーナに目配せして、空王と王妃の二人にも水を差し入れた。
実はフィロシュネーは侍女に命じて、青国秘伝の薬をハーブティに盛ったのだ。
思えば、亡き父青王クラストス(オルーサ)も『夜会で失言する貴族を王女が窘める』というシチュエーションのために使用していたのかもしれない。
兄アーサーに教えられて知ったが、青国秘伝の薬は『思っていることを口に出してしまいやすくなる薬、嘘をつけなくなるお薬』なのだ。
(即効性の中和薬をお水にいれさせていますから、すぐに落ち着きますわ。ごめんあそばせ……)
心の中でこっそり詫びつつ、フィロシュネーは預言者ダーウッドを手招きした。
「わたくしは、ヤスミール・ブラックタロン嬢が夜間にこの部屋に忍び込んで怪我をなさった、という可能性を考えています。なぜなら、彼女のご遺体にあった痣は、わたくしがこの部屋に置いていたマントが作動したときに学友が負った痣と似ていたからです」
学友たちがウンウンと頷いている。
シューエンのマント、やっぱり危険。
けれど、悪意にしか反応しないのなら悪意を持っていた相手が悪いと言えるのかしら。
フィロシュネーは複雑な心境で言葉を続けた。
「我が国の預言者ダーウッドは、こんなこともあろうかとこの部屋の絨毯に『足跡の魔法』を仕掛けていましたの。ですから、わたくしの推理はすぐに裏付けされるのではないかしら。わたくしたちは、ヤスミール・ブラックタロン嬢の足取りを追うことができます……」
そうよね? ダーウッド?




