65、若き新青王は民に「ふんぬっ」と仰せになった
青空がどこまでも広がる、吉日。
高い場所に飾られた鈴がりん、りんと涼やかに音を響かせる。
フィロシュネーが見つめる視界に翻るのは、青国の旗。青地に白星のデザインの旗だ。
旗のデザインの青地は海や空を表している。白い星は、自由や平等、独立を表すシンボルだ。
「自国の旗というのは良いものですな」
ぽつりと耳に届いたのは、預言者ダーウッドの呟きだ。その瞳が嬉しそうに見えたから、フィロシュネーは笑顔を返した。
国王の喪が開けた青国では、王太子アーサーの即位式が執り行われた。派手すぎず、けれど権威を損ねすぎることもない――そんな式典だ。
預言者ダーウッドが王冠をかぶせる隣で、王妹になるフィロシュネーは王家に伝わる『名前のない杖』を手に聖句を唱える。
ベアトップドレスの胸元には大粒の宝石をあしらったネックレスが輝いていて、プリンセスライン・スカートが格式高く気高い気配を感じさせる。聖女の称号も持つ美しい王女が兄青王に祝福を贈ると、歓声が湧いた。
「新青王陛下バンザイ!」
「王妹殿下バンザイ!」
王冠を戴いた新青王アーサーは、背中にまっすぐな板をあてたようにキリリとした姿勢で立ちあがった。王族の特徴である移り気な空の青の瞳を民に向けて語る声には若々しく張りがある。手には槍が握られていた。
「あっ、ちょっと。槍は持たせるなと言ったはずですが?」
預言者ダーウッドが文句を言っている。フィロシュネーは綺麗な王族スマイルをキープしつつ、「なぜ槍を?」と興味津々で見守った。
「青国の民よ、この槍が卿らの未来を切り拓く希望の槍である。堅苦しい長話よりも俺の放つ希望の槍の光を見て飲め、歌え! あと妹の誕生日も祝ってくれ」
新国王青王が大きく一歩を踏み込み、槍を持った腕をぐいっと引いて、勢いよく空へと押し出す。
「ふんぬっ」
ビュンッと空気を切り裂く音を鋭く立てて空高く飛んだ槍は、上空でドーンッと爆発した。派手な爆発音と光に、参列した皆が盛大な拍手を送る。
「新青王陛下はふんぬと仰せになり……」
王室史官が事務的に発言を記録している。青国の歴史書には、新王が何を語り、何をやったのかが後世のために記されるのだ。
「まあ。お兄様、お見事な槍投擲と爆破ですわね」
「我が妹よ。これくらい造作もない」
妹に褒められて、兄は唇をむすりと引き結んだ。頬がぴくぴくしている。
「アーサー青王陛下は、にやけ顔を我慢するのに一苦労なくらい、たいそう喜んでおられますぞ」
預言者ダーウッドが呆れ顔をしている。
「こんな即位式で大丈夫なのですかな、わが国」
「大丈夫だ。まったく問題ない」
「その自信はどこから……やはり脳筋」
「空国の王と違って、俺は預言者に逃げられていないからな」
フィロシュネーはギクリとした。それはうっかり空国勢の耳に入ったら間違いなく関係に亀裂が入る失言なのでは。
「今から逃げてもいいんですよ」
終わり際に預言者の口から本音が漏れていたのは、聞かなかったことにしよう。
――即位式を終えて、数日に渡る祝祭が始まる。
青国の迎賓館『アズールパレス』では、空国や紅国からのお客様をもてなすパーティがひらかれた。
半分仕事のようにパーティに参加するフィロシュネーには、パーティの合間に休息を取ったり着替えたりするための専用の待機・準備部屋がある。
兄である青王アーサーが「祝ってくれ」とのたまった影響もあってか、部屋には誕生日祝いがどんどん届く。広い部屋だが、すでに三分の一ほどが贈り物で埋まりつつある。
フィロシュネーの学友団である令嬢たちは、お互いのプレゼントを見せ合いながら「私は国歌が流れるオルゴールを特注しましたの!」とか「この本は作家を雇ってフィロシュネー殿下のために特別に制作させました当て馬が勝利する本ですのよ」とか声を華やかに響かせている。そんな令嬢たちの空間に遠慮なく入ってくるのが、預言者ダーウッドだった。何か贈り物をくれるのかと期待してみれば、ダーウッドは部屋に防犯魔法を仕掛けたいのだという。
「先ほど占ったところ、どうも防犯魔法をもう少し追加したほうが良さそうに思えましてな」
「まあ占いですって。預言者様、恋愛運を占ってくださる?」
「吉です」
「一秒でわかるの? 今何もしてなかったけど、適当に言ってない?」
令嬢たちを適当にあしらって、預言者ダーウッドは贈り物の山に首をかしげている。
「少し早く来すぎましたかな」
「何を仰っているかわかりませんけど、ダーウッド? あなた、先日わたくしの問いに適当なことを仰いましたわね」
フィロシュネーはついでにクレームをつけた。
「はて。何か?」
「これから読む本のヒーローと当て馬を教えてと言ったのに対して、あなたは当て馬がヒーローだと教えたのよ。おかげでわたくし、ずっと当て馬がヒロインと結ばれると思って読んで心に深いダメージを受けたのですっ」
「思っていたのと違う、という刺激的な体験ができたようでよかったですな!」
「よくなぁい」
「国賓の方々を招いていますし、警備は万全です。ですがこんな時こそ事件は起きるもの……特に空国の呪術師たちは、何をしでかすかわかりません」
預言者ダーウッドは絨毯に杖を向けている。
「預言者様、絨毯に何をなさっているのですか? 爆発します?」
セリーナが興味津々で問いかける。
「爆発はいたしません。足跡の魔法でございますぞ。この絨毯を踏んだものが部屋から出た後、術者が専用の文言を唱えると魔法の光で足跡が可視化されて後を追えるという……」
「そういうのって、祝宴が始まる前にするものではないかしら」
学友たちは絨毯をチラチラみて、気味悪そうに椅子に座った足を浮かせた。
「祝宴前に宮廷魔法使いが防犯の魔法をあちらこちらに施していますが、なにせ空国の呪術師たちがいますからな、あの連中は宮廷魔法使いの魔法を物ともしないで破ってしまいますし、良識もへったくれもない困ったお客様ですから」
預言者ダーウッドは外交官が耳にしたら頭を抱えそうなことを堂々と言いながら、杖をドアノブや窓枠に向けて出ていった。
「事件なんて起こりませんわよ」
「ねーっ」
「あとでダンスフロアに行って踊りましょう!」
学友たちがキャッキャッとはしゃぐ中、部屋に婚約者候補たちが訪ねてくる。シューエンが。そしてハルシオンが、それぞれの贈り物を手に。
従者たちがドアを開けているのでドアノブに触れることはなかったが、二人の靴は絨毯をしっかりと踏んだ。続く彼らの従者騎士たちも、しっかりばっちり絨毯を踏んだ。
学友たちはちょっとだけ刺激を求める眼で婚約者候補たちを視て、「踏みましたわ」「踏みましたね」と囁きを交わすのだった。




