46、もう、言いなりには、なりません
ミランダが紅茶を手配してくれる。
深みのある花や果物のような香りが漂う中、サイラスは青王について教えてくれた。
「青王陛下からお声がかかるようになったのは、俺が紅国から戻ってからでした。青王陛下は、知り合った直後から俺によくしてくださいました。気持ち悪いほどに」
「僕、兄たちから聞いたことがございます。陰間の噂もあるくらいのご寵愛ぶりと」
「まあ」
ミランダが頬に手を当てて目をギラリとさせている。ミランダ?
「そのような事実はありません」
サイラスがゾッとしたような顔で眉を寄せて否定している。
「わたくしが持っている本には出てこない言葉でしたわ、それはなあに」
「フィロシュネー殿下は知らなくていい言葉でございますっ」
シューエンは慌てて首を振った。きっとよろしくない言葉なのだ。
「金払いもよく、俺も助かっていました。しかし、一度取り逃がした呪術師に欺かれて利用されていたと思うと悔しいですね」
言いながら、サイラスが持っていたカップに、ぴしりと亀裂が入る。
「……弁償します」
「い、いいのよ。休憩する? 休憩して?」
わたくしたちには、休憩が必要!
紅茶にミルクを落とすと、透明感のある赤茶の色がまろやかでクリーミーな色合いになって、口あたりがマイルドになる。美味しい。
「あなたたち、ご安心なさって。わたくしには奇跡があるのですもの」
フィロシュネーはスッキリした気分だった。だって、ハルシオンやアルブレヒトを心配していたのだ。でも、呪術師という黒幕がわかったではないか。あとはその真実を明らかにして、終わり。
* * *
外交会談が行われる会場は、女王の居城である紅城クリムゾンフォートの一角にある大広間が予定されていたが、中庭に変更されたらしい。
カラフルな花が爛漫に咲き誇る中庭の四方には、高い壁がぐるりとそびえている。見張り塔があって、塔の上には兵士たちが配置され、厳重な警備が行われている様子がひと目でわかる。
移動中するフィロシュネーの周囲には黒旗派を中心とした護衛団が形成されている。しかし、その中にサイラスの姿は見えなかった。
「あの、わたくしの護衛をご存じない?」
周囲の者は首を振るばかり。
(サ、サイラス。さっきまでいたのに。肝心な時に、どこに行っちゃったの)
フィロシュネーが気にしていると、「護衛は我々にお任せください」と紅国の騎士ノイエスタルと従士ギネスが近寄って話しかけてくる。話すのはギネスばかりだけれど。
従士ギネスは熱心に「紅国の騎士団」について説明してくれている。
「紅国のノーブルクレスト騎士団は、第一師団から第三師団までございます。我々は第二師団。国境や都市の防衛、暴動鎮圧、女王陛下の護衛などの役割を担当しているのですよ。各団は、それぞれ団長と副団長をはじめとする上級騎士たちによって統括されていましてね? 上級騎士としての地位を得るためには、戦闘能力や指揮能力などに加え、女王からの信頼を得る必要があり……」
従士ギネスが言葉を伝える中、騎士ノイエスタルがぎこちなく何かを差し出してくる。
「ノイエスタル卿は、麗しの聖女殿下に個人的な贈り物をお贈りしたいと申し上げております」
無言でカクカクとグレートヘルムが上下する。頷いている。
「まあ。ありがとうございます。スタル卿」
「ノイエスタルが家名です、聖女殿下」
ギネスは察しがいい。
ノイエスタルは家名なのだ。
ではファーストネームは? 名乗られていないわ?
フィロシュネーは半眼になりつつ、贈り物を受け取った。
神秘的に煌めく赤い宝石が埋め込まれたブレスレットだ。
「この宝石は『ラルム・デュ・フェニックス』。『不死鳥の涙』と呼ばれる魔宝石で、一度しか効果を発揮しない条件付きではありますが、有事の際に防御結界を展開してくれます。ノイエスタル卿が、聖女殿下の安全のために手ずから魔法をこめた一品です。ブレスレットをお受け取りいただき、身につけていただけますか?」
フィロシュネーが頷くと、ノイエスタルは篭手で覆われた手で器用にブレスレットをつけてくれた。
威風堂々とした全身鎧の騎士は、一言も喋らない。なんとなく、大型の動物と交流しているみたいな気分になる。たぶん、怖い人ではない。フィロシュネーは、そう思った。
「ノイエスタル卿は、聖女殿下の可憐なお手を自分の贈り物で彩れる栄誉を喜んでおります」
「ふふ、ありがとうございます」
ギネスが通訳のように騎士ノイエスタルの心を伝えてくれる。不思議な交流だ。
緊張していた気持ちが少し和らぐ気がして、フィロシュネーはブレスレットの宝石を撫でた。
そこに使者が駆けてきて、知らせを伝える。
「青王陛下が、フィロシュネー殿下に少し遅れていらしてくださるようお求めです」
「何故かしら」
「陛下の御言葉をそのままお伝えいたしますと『ぎすぎすしている現場は、シュネーには退屈だろう』と」
「そう」
父らしい。
フィロシュネーは微笑んだ。
「ノイエスタル様。わたくしのお父様は、わたくしをとっても甘やかして育てたの。ですから、わたくしは我儘で高慢で、無知で世間知らずで、選民意識の強い、なんでも父の言いなりになるお姫様に育ったのです。……いいえ、父のせいにしては、ダメね」
フィロシュネーは足を速めた。
「わたくし、もう、父の言いなりには、なりません」




