番外編『ジュリオット=ロミュルダー生存録』①
氷漬けにされて長い眠りについていたジュリオットは、これまた長い長い過去の夢を見ていた。
やけにリアルで、当時の記録をそのまま振り返っているかのような奇妙な夢。自らが送ってきた半生を丸ごと見せられているような夢を。
けれど視点は俯瞰、つまり第三者の視点であり、ジュリオットがその夢に対して何か意識をして働きかけることが出来なかった。ただ幽霊のような扱いでその場に居て、過去の自分や周りの人間が動いているのを見つめているだけだった。
――夢の始まりは、現実世界から見ておよそ24年前。ジュリオットが生まれた日まで遡る。
彼、ジュリオット=ロミュルダーは中央大陸の北・『デルガ王国』の小さな農村にて、とある娼婦・レベッカの元に生まれた。
レベッカはおよそ1年前、仕事でいわゆる『間違い』を起こしてジュリオットを孕ってしまい、原因である男性には逃げられたまま、出産を決めたらしい。
本人に言われたわけではないのだが、不本意にデキてしまったという噂はよく広まるものだ。近所の女性陣の井戸端会議をある年偶然耳にしてしまい、ひっそりとジュリオットは自分の出生の真実を知ることになるのだった。
そんな闇深い理由で生まれてしまったジュリオットではあったが、母親であるレベッカとの仲は良好であった。
穏やかで真面目で心優しく、知見に富んでおり何でも知っている。ジュリオットが生まれてからは少し病弱な身体になってしまったが、その弱さを感じさせないほどよく笑って根気よく彼を育ててくれる人だったのだ。
そんなレベッカはジュリオットを産んだ後、娼婦の仕事を辞めて、実家の父母の仕事場である診療所を手伝っていた。
――そこでの、彼女の仕事ぶりを見ていたからだろう。
幼かったジュリオットは薬学に強く惹かれて、10歳の年から無我夢中で勉強をするようになっていた。時には王都の図書館まで行って本を何冊も借り、朝から夜中まで読みふけり、診療所の孫であるのを良いことに実際調合をしてみたりもした。
その頃がきっと、彼の人生で1番の全盛期であった。
ジュリオットが17歳になり、大北大陸の富豪の国『ロイデンハーツ帝国』の帝国病院にて研修を積ませてもらえることが決まった年。
デルガ王国含めた中央大陸の三国で戦争が始まり、ジュリオットが王都の医療学校に通っていた間に診療所周辺が襲撃を受けたのだ。(医師の育成は王国から半ば強制されていたので戦時中でも学校は運営されていた。)
原因は王都から多くの人や物資が、ど田舎である農村に疎開をしに来ていたからであった。あらゆるものが集中してしまったが故に格好の的となり、隣国の銃兵隊がデルガ王国の体制を崩す為に村へ突入。レベッカ含めジュリオットと近しい親族が全員銃殺されてしまったのである。
世界中から暗殺者候補が集められて養成され、お互いの重鎮を暗殺し合ったというこの戦争は後に『不信戦争(互いに暗殺者を忍ばせ合っていたことから)』と呼ばれるようになる大事件であったのだが、
親族を全て殺され、深い悲しみの海に沈められていたジュリオットはその全容を知ることなく、ただ流されるようにして研修先の帝国へ亡命していたのだった。
*
研修場所のロイデンハーツ帝国病院の規模は世界一であった。
医療学校では習わなかったようなことも教えてもらい、当時勉強に没頭することでしかレベッカを失った悲しみを忘れられなかったジュリオットは、寝る間も惜しんで勉強した。寝ては、母の優しい記憶が夢に出てきてしまうから。
そんなジュリオットは研修仲間は心配していたが、休んだらどうかと言われる度に『まだ動ける』と笑っていた。
――けれど、不眠不休の生活を続けて平気なはずがなかった。
ジュリオットは研修2年目の19歳の年に突然倒れ、3ヶ月に及ぶ療養が必要であると言い渡された。原因は当然過労である。
研修担当の医師からも強く言われてしまったので、彼はやむを得ず帝国病院附属の社員寮にて生活の多くを過ごすようになった。
だが、やはり悲しみというのは中々癒えないものだ。暇になることで亡き母を思い返す回数が多くなっていたジュリオットは、研修当初から使用していた独自開発の麻薬を大量摂取するようになり、日に日にその身体を蝕んでいった。
しかしその年、ロイデンハーツ帝国で突然前触れもなしに病が流行した。身体の節々の痛みと高熱から始まり、次第に血流が悪くなり指先と足先から次第に黒く変色していくという、原因不明・発祥不明の悪病『ヘロライカ』である。
あっという間に帝都で広まったその病により混乱に見舞われた帝国は、帝国病院に早急な治療薬の開発を命令。それにより帝国病院のあらゆる医師や医療研修生が総動員され、そこにはやむを得ずジュリオットも含まれた。
当時すっかり弱り切っていた彼ではあったが、薬学に対する研究心は衰えてはいなかった。ジュリオットは、研修生の身ながらその優秀な成績により治療薬の開発グループに抜擢され、付属研究所と出入り出来る立場を獲得。
治療薬は結局開発できなかったものの、発症を防止するワクチンを開発して多くの人々を救ったのである。
そして帝国から勲章を賜ったその次の20歳になった翌年。
未だにヘロライカは地方で猛威を奮っていたが、帝都では発病者が片っ端から死亡した為、ある意味では感染者の居なくなったと言えるようになっていた頃。
変わらず治療薬の開発を続けており、すっかり鬱状態から解放されていたジュリオットは、ある日帝国病院の院長室に1人で呼び出された。
『私に話があるとお聞きしました。何でしょう、院長』
初めて個人で対面する院長とのやりとりは、緊張で頭が真っ白になっていて、後ろで組んでいた手の汗が物凄かったのを覚えている。
『あぁ、ロミュルダー君。君にひとつ、大役が回ってきていてね』
髭が特徴的な院長はそう言って、デスクの引き出しから封筒を取り出した。
『君は、プレアヴィール歌劇団というのを知っているかね』
『プレアヴィール……あぁ、たまに帝国劇場で公演している……?』
『そうだ。ロイデンハーツの地方に住むプレアヴィールという公爵家が運営している歌劇団でな、その団長――レクサス公爵から、こちらから医師を1人寄越して欲しいという旨の手紙が届いた』
『……』
院長が手渡した手紙を受け取りながら、ジュリオットは嫌な予感に息を呑む。ここまで説明されてしまえば後はつまり、そういうことだろう。
『なんでも、公爵令嬢がお倒れになったそうだ。診て欲しいが、あまりに体調が悪くこちらまで来られないそうでね。副院長と話し合った結果、君を行かせてはどうかと話が上がってね。どうだろうか、引き受けてはくれないだろうか』
『嫌です』
『行け』
『はい』
半ば強引な形で与えられた、たった1人で地方の公爵家に向かってその家の娘を診察するという研修生にしてはハードルの高いお役目。薄いはずの封筒がやけに重く感じられて、ジュリオットは指先の震えを自覚する。
思えばこれが全ての原因であった。もしこの時どうにか院長の依頼を断っていれば、自分は戦争屋になることなどなかったのだろう。
この先の未来などつゆ知らず、ジュリオットはぷるぷると震えながら『失礼しました』と院長室を後にするのであった。




