第56話『アイツの兄貴であるがゆえ』
重々しく呟いたジャックの言葉に、ミレーユは唖然として動きを止めた。しかしそんな彼女に構うことなく、彼は己の手のひらを見つめ続けて、
「何でオレ、今まで自分のこと忘れて……そうだ、セレーネとかいうクソアマにやられたんダ! あいつにやられたせいで、自分がよくわからなくなって……」
狂ったように独り言を呟き始めるジャック。彼の様子に恐ろしくなったミレーユが更に後ろへ後退れば、ジャックの独り言はどんどん加速していき、
「オレはなんでここに居る? いつから記憶をなくしてた? ……ドゥラマ兵をやめた後、それだけは確かダ。いや、こんなことしてる場合じゃネェ、オレは兵士時代の貯金で、誰かを助けなきゃいけなくて……」
「ジャ、ジャックさん……!?」
「そうだ、シャルル!! オレはあいつを……ッ!! なのに! あのクソアマにッ! ――いや、違う、オレのせいダ……」
情緒を不安定にさせながら呟きを続けるジャック。その呟きが次第に彼自身を呪う呪詛に聴こえてきて、ミレーユは彼への干渉を躊躇う。
「オレは何年あの家を離れていた? 3年……いや、4年は離れている……ってコトは、あいつは何年間、あの仕打ちを受け続けたことになる!? オレが……オレのせいだ、オレが馬鹿だったカラ、全部オレのせいなんダ……!」
ジャックは強い力で頭を掻きむしり、頬や腕を引っ掻き、肌に赤い引っ掻き傷を残し、それでもなお正常になれずに自身を責め続ける。胸中に渦巻く感情も喉から上がってくる音も、自分自身を呪うどす黒いものになっていた。
しかし、
「――ジャックさんっ!!」
己を叱責し続けるジャックの独り言に、見かねたミレーユが大声を上げる。するとそれに触発されてびくりと震えたジャックが、呪詛のような呟きを溢す口を止めて、ようやくミレーユを視界に認めた。
「……ごめん、ウサ公……オレとしたことが、取り乱しちまっタ」
「ウサ公じゃなくてミレーユです! 【ミレーユ=ヴァレンタイン】!! ……ジャックさん、一体突然どうしてしまわれたんですか……?」
「あぁ……ちょっと、忘れさせられてたことを思い出したんダ。なんでか分かんねーケド、クソアマに取られた記憶がさっき急に返ってきて……」
「アマ……? アマ……女……!?」
「セレーネって奴だヨ。精神干渉系の能力の1つ、『記憶の鍵』っつー相手から特定の記憶を奪って保管する能力者……暗殺に覚えがあるとかで、足音のしない奴でサァ。狙われた理由は知んねーケド、ソイツに記憶を取られたんダ」
確かあれは、1年くらい前のことだっただろうか。あの日18歳のジャックは、ドゥラマ王国にて兵士として稼いだ大金を持って、オルレアス王国の辺境にある実家のリップハート家に帰ろうとしていたのだ。
*
――ただし、帰省したくて帰っていたわけではない。そこで母親に虐待されている弟をひっそり連れ出して、2人で平穏な生活を始めるためだった。
もう実家はかなり前に戦争屋という組織によって壊滅させられ、弟は戦争屋に連れて行かれていた――なんて事実を知るのは相当後になるので今も勘違いしているのだが、とにかく未だに弟が痛めつけられているとジャックは思い込んでいた。
だから必死に貯めてきたお金になるべく手をつけないよう、最低限の路銀だけちまちま使いながらドゥラマからオルレアスへ向かおうとしていたのである。
けれど国境を抜ける際に審査があって、長蛇の列に並びながら自分の番を待っていた時――突然、セレーネに後ろから触られて記憶を抜かれたのだ。それも弟と実家、それからドゥラマ兵士時代に関する記憶だけごっそりと。
つまりそれ以外の僅かな記憶は覚えていたのだが、自分を形成する記憶の9割以上を抜かれたジャックは錯乱し、関所付近の見回りをしていた兵士達に取り押さえられたのだ。
しかし暴走していたジャックは辺り一帯に電撃を撒き散らし、兵士や他の審査待ちの旅客すらも巻き込んで、死傷者を出すこと19名。当然のようにドゥラマ王城の牢屋にぶち込まれて、ジャックは下される刑罰の名前を待っていた。
ジャックは元ドゥラマ兵だったから、未だに兵士を続けていた同期や後輩には当然驚かれた。街中で暴行を働いただけでなく、記憶が抜け落ちて抜け殻のようになったというジャックの姿に。
中でも、1日2食の食事を運んでくる後輩の兵士には、
「先輩、大丈夫ですか……?」
なんて泣きそうな目を向けられたこともあったが、先輩なんて呼ばれる理由もわからず素っ気なく返してしまった覚えがある。
それであらゆる周りの影響をただ無言で、無抵抗で受け入れる道端の小石のような気持ちで生活を続けて早1ヶ月、刑罰を宣告する役目を請け負った兵士から一言告げられた。
『お前は釈放だ』と。
その兵士の話によると、ジャックの関係者を名乗る者から、ジャックの暴走による被害者への示談金諸々の約3000万ペスカが支払われたというのだ。
それで何事かと連れ出されるまま外に出れば、全く知らない熊みたいなおっさんが居た。それで熊のおっさんはジャックに言ったのだ、
「――お前は強ぇ。俺よりも強くならぁ。だから俺の傭兵団に来な、ジャック=リップハート」
これも後から聞いた話なのだが、そのおっさんはあの時暴れ散らしたジャックが手放した荷物をこっそりと預かり(?)、中に入っていた全額2800万ペスカ相当をドゥラマ王国に支払って、ジャックを釈放させたのだという。
では残りの200万ペスカはどうしたのか、と聞けば、熊のおっさんが20万ペスカ、同期や後輩達が10万ペスカずつ出してくれたらしい。
それからジャックはおっさんと共に海を渡り、ロイデンハーツを基地として傭兵稼業をしていた。
およそ80人からなる小さな傭兵団。しかし元から十分な戦力があり、ジャックが加入したことでよりその強さを見せつけ、皇帝に腕を買われながらジャックは帝国の守護者となっていた。
――だが、途中で熊のおっさんがどこかに消えた。
傭兵団総出で探し回ったが見つからず、急遽穴埋め役の団長を誰かにするのかという話し合いがなされた。そしてその場で1番新人だったにも関わらず、1番強いという理由からジャックが団長に抜擢された。
ただし人格がそれなりに取り戻せたとはいえ、記憶がないジャックには組織のトップを務めることなど無理難題であった。
とある戦いにて大きなやらかしをし、皇帝からは見捨てられ、金に余裕のあったはずの傭兵団もみるみる強いだけの貧乏集団に退化。
このままでは飢えてしまうと焦っていたところに、天命のようなタイミングでカジノ『グラン・ノアール』からの依頼が入ったのだ。
1度目は『ギル=クラインの暗殺』。これは達成が不可能な依頼だった。
そしてそれに文句を言いに行ったら告げられた、2度目の依頼内容が『カジノの参加客の抹殺』。こちらには十分な前金が渡されていて、それに従い40人近く殺しながらジャックは個人的に腹の立つバーシーを追っていたわけだが――。
*
「記憶が戻った今、こんなことしてる場合じゃネェ……! さっさとこのカジノから出て、シャルルを助け出さねえと……!」
「そ、そんな危機迫って……な……なんでジャックさんは、そのシャルルさん? を、助けようとしてらっしゃるんですか?」
「だってオレ、アイツの超かっけえスーパーウルトラキュートな兄貴だし……! 良い兄ちゃんは、弟を助ける義務ってモンがあンだろーよ!!」
サムズアップした親指で自分の顔面を指差し、ドヤァという効果音がつきそうな表情を浮かべるジャック。あまりの真っ直ぐさにキラキラと眩しいフィルターまでかけられて、ミレーユは何がなんだかわからないままウッと目を細める。
「そ、そうですか……でも、カジノから出るって言ったって、今は〈呪い〉だか何だかで外の世界と干渉できないようになっているんじゃ……!」
「――っ!? そうだった、くそっ! ッつーことは、ここに参加してる客を全部ぶっ殺さなきゃいけねーじゃねえかヨ……! なぁウサ公、手伝え! この美術館からの出方がワカンネー!!」
未だにウサ公から呼び方を改めず、しかもそれを無意識のうちに呼びながら辺りを見回すジャック。周囲には小麦粉の爆発で焦げた展示品があるばかりだ。ミレーユは名前を訂正するのも早々に面倒臭くなって無視し、
「で、出るっていっても、私だってこの人を置いてはいけませんし……!」
「この人ぉ? ……この氷のやつ、お前の仲間なのカ?」
傍に居た氷像のジュリオットを見て、手持ちの鉄パイプでかんかんと頬のあたりをつつくジャック。一応『形状保存』が作用しているが、あまり乱暴はしないで欲しい……とジャックに言っても無意味そうだ。
「でも、どうしましょう……このことは誰かに伝えた方が良いでしょうし、誰か呼べるなら数人がかりで運んだ方が……」
一か八か、ミレーユは望みをかけて耳の中の無線機に指で触れる。確か叩くタイミングや回数があって、決められた分叩くと対応する無線機と通信できる――と、実は列車の中でペレットから教えてもらっている。
まず最初に、今から突然通信を入れても大丈夫そうな人は――。
「……うん? なんだソレ、耳に入れてるノ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね、今連絡をしようとしてるので」
リズムよく無線機を叩けば、そこで初めて通信が繋がる。しばしノイズが聞こえたあと、シャロが何かを喋っている声が飛んできて、
「シャ、シャロさん……! よかった、通じた……っ!! ……すみません、ジュリオットさんとペレットさんが……!!」
《――ミ、ミレーユちゃん……!? え、ジュリさんとクソに何かあったの!? っていうか、ミレーユちゃん今ドコに居るの!? シャロちゃんは、マオと一緒に外の庭園に居るんだケド……》
「えっと、別館の美術館……だと思います、エリアの東側にあって……! マオラオさんも無事でしたか、よかったです……! それで……」
ミレーユは間近で通信を盗み聞こうとするジャックの熱い視線を感じながら、今まで起きたことを全て端的に話した。といっても、思い返せば思い返すほど混乱しまくりで、ろくにわかりやすい説明など出来なかったのだが、
《そ……そっか、でもその、『親切な男の人が助けてくれた』って……本当に、信用して良い人なの? ……ちょっと不安だからマオ、ミレーユちゃんの居場所探し当てて、そいつがどんな奴なのか見てくれない?》
《え? あ、おん……わかった》
ジャックの話を上辺だけまずし始めた辺りでシャロが訝しみ、傍に居たのであろうマオラオに依頼して『監視者』を発動させる。
《うーん……なんとも言えへんな。しかし……いや、悪意は感じられへんし、深く関わらんのやったらついていってもええと思うで》
「わ、わかりました、ありがとうございます……!」
《じゃあ、今からそっちに行くから、何かあったらまた連絡して……!!》
「はい、ジュリオットさんと、ジャックさんと待っています……!」
マオラオのお墨付きを得て安堵したミレーユは、シャロと簡単な言葉を交わしてから無線機を切る。とにかくジャックなら信頼しても良いそうだし、守ってくれるかは不安だが多少の敵なら蹴散らしてくれるだろう。
現にあんな圧倒的な強さを持っていたバーシーが引いていたくらいだし、ジャックがこのイベントの参加者の中でもトップクラスに強いのは間違いない。ミレーユにとっては今、ここで彼とじっとしているのが1番安全そうだ。
「……で、それは? 何なんだよ、豆みてぇなのはめ込みやがってヨ」
「え? あ、えっと……」
無線機に興味津々のジャックに問い詰められ、シャロ達が到着するまで自分でもよくわからない無線機について説明をさせられたが、内容がぐだついてしまったのでまるっきり割愛した。




