第53話『きっと誰もが救われたがってた』
ミレーユがシャロに救助要請をする、15分ほど前。
丁度、シャロがセレーネによって窓に叩きつけられていた頃だろうか。その頃ジュリオットらは宮殿の別館、美術館のような場所へとやってきていた。
黄金の宮殿とは打って変わって、ベージュと白を基調としている大きな部屋の中には、数多くの美術品が展示されている。壁には識者にしか価値がわからないであろうカオス絵画が並び、通路の真ん中にはガラスの箱に収められた彫刻があった。
「静か、ですね……」
不気味なほど静かな館内の様子に、不安を覚え始めたミレーユがつい溢す。するとその声は、僅かだがほわんと館内に響いた。広過ぎるのと静か過ぎるあまり、音が反響しやすいのである。
「……交戦があった痕もないですね。ここでならしばらくは休めるんじゃないでしょうか」
そう言ってジュリオットが目をやったのは、ミレーユの足だ。動かしにくいのに混戦しているところから逃げ回り、遥々こんなところまで来てしまったので、途中から少し気にかけていたのであった。
「お気遣いありがとうございます、そうですね……少しだけ、休ませてください。5分もしたら、また歩けますから」
「えぇ、敵が来ない限りはどうぞ。そこの壁で良ければ、寄りかかっていると良いでしょう」
「ありがとうございます……」
辛辣なのか親切なのか、よくわからないジュリオットの態度にもそろそろ慣れたらしい。ミレーユは素直に一礼をすると、よたよたと壁の方へ歩いていった。
しかし、そのやりとりがフラグだったのだろうか。ずっと無言で2人の後に従いながら〈とあるもの〉を抱えていたペレットがぴくりと身体を跳ねさせると、即座に背後を振り向いた。
――の、直後。ペレットは彫刻が収められていたガラスケースを蹴り飛ばして壊すと、破片を引ったくって、持っていた袋を破片で切り裂く。
その間僅か2秒。ジュリオットとミレーユが何事かとペレットの方を振り向いた時には、ペレットは破いた袋の中身を遠くへと投げ出していた。
「くそッ」
放り出された袋からは白い粉が空気中へ拡散される。――小麦粉だ。
あの時カジノ裏のキッチンから、ジュリオットが見つけ出したものである。
更に、波を作るように袋から溢れ出たそれを『空間操作』で辺り一帯に散らし、小麦粉が霧を作るように広がったのを確認すると、もう1つ持たされていたものを握りしめ、
「これで、良いんスよねっ、ジュリさんッ!?」
ジュリオットに何かを確かめながらも、それを聞くより先に2つ目のものを小麦粉の霧の中へ投げ出した。――着火した、ガスバーナーだ。
「……!!」
遠くへと飛んでいくガスバーナーを見た瞬間に、ようやくジュリオットらは何が起きたのかを察した。敵襲である。先程キッチンにて、『敵襲の時には小麦粉を空気中へばら撒いて、着火しろ』とジュリオットが説明していたのだ。
何故、小麦粉とガスバーナーなのか。それは説明するよりも、実際に身をもって体験した方が理解が早く、
「ッ!!」
ガスバーナーが小麦粉の霧の中へ飛び込んだ瞬間。着火した場所から順番に燃焼が起きて、それが爆発を作り上げるように連鎖した。そして空間全体を覆う業火となったそれは、壁や天井にも燃え広がって橙色の地獄を作り上げる。
「わっ……!」
塊となって押し寄せた熱風に、ミレーユが襲われて声を上げる。ジュリオットも同様に、ぶわりと顔面を襲う風に目を鋭く細めていた。
しかしその熱も、爆発を喰らった人間によって鎮火され消え失せる。
「……ッ!?」
辺り一帯を巻き込むドライアイスのような白い気体が、距離のあるこちらにまで伸びてくる。期待はまず床を覆い、3人の足元の温度を急激に奪って、
「ッ、逃げてください!!」
ジュリオットが指示を出すと同時、ペレットがミレーユの元へ走り、彼女の腰を抱え上げて颯爽と走った。だが、ジュリオットはその場から微動だにせず、
「……貴方は一体、誰です?」
冷たい白煙の向こうに居る誰かに尋ねれば、白に覆われていた視界が呼応したようにだんだんと晴れていく。
背後では、ペレットがミレーユを抱えながら館内を走り抜ける足音が響く。一定間隔で次第に音が遠ざかっていき、現状逃走には成功していることを把握する。しかし、自分もこの状況から助かるかはわからない。
もしかしたら死ぬかもしれないな、などと嫌な予感をしながら、ジュリオットは霧が晴れてようやく姿が明らかになった人物と対面した。
「……針屋、って言ったら伝わるかな?」
「あぁ……暗殺稼業の方ですか。先程はうちの者が失礼しました」
「別に良いよ、ボク優しいし。ま、気軽に行こうよお兄さん」
軽薄そうな喋り方をしてへらりと笑ったのは、紺色の髪を伸ばして寄せた、片側だけ見せている糸目男だった。黒スーツを慣れたように着こなしており、黙れば礼儀正しい紳士の印象を与える美丈夫だ。ジュリオットに負けず劣らずひょろっとしている。
だが、それなりに危険な人物であることをジュリオットは肌で感じ取った。
いや、実際は驚くほどに殺意などなくて、何も知らない一般人のように雰囲気は穏やかなのだ。きっとミレーユであればころっと騙されていたであろう。
しかしあまりに雰囲気が洗練され過ぎていて、日常の背景に居るエキストラだと言わんばかりに無味無臭で、逆に物凄く〈気持ち悪い〉のだ。
「しっかし、よく気づいたねぇあの子。ボクいちおう暗殺稼業やってんのに、即バレするとかプライド傷ついちゃう。後で泣こ」
「……まぁ、彼も過去には暗殺に縁があったそうですから。仕方のない話かと」
「――へぇ、少年の同業者……ってなると、やっぱりあれかぁ、セレーネちゃんと同じ出身かぁ」
「……セレーネ? 同じ出身?」
不可解な言葉にジュリオットが聞き返せば、針屋の男は『うーんとね』と返し、
「その少年と実際に関係があるかわからないケド、数年前の中央大陸国家がピリピリしてた時代、暗殺者を育成する全寮制のガッコーみたいなのがあってさー?」
「……はぁ。暗殺者を……」
確かに、中央大陸の各国が牽制し合っていた時期はあった。
もう10年前くらいになるだろうか。ジュリオットも13だとか14だとかいう時期で、その頃の世情はあまり詳しくないのだが、そんな期間はあったように思う。歴史にはフィオネほど詳しくないので、暗殺者の云々に関しては全く知らないが。
「そんで、中央に住む才能ありし若人を集めては、その優秀と輩出率を競ってたんだけど、そこに知り合いの女の子が通っててね。もしかしたら同じガッコーに行ってたカモ〜〜? って思ったり?」
「へえ、それは……知りませんでした。興味深いですね」
「まぁ、そのセレーネちゃんってのも多分殺されちゃうんだけどさ。えっと、あれ、お宅の子でしょ? シャロちゃんって」
「――!」
突然仲間の名前を出され、表情には出さないものの指先をぴくりと動かすジュリオット。
「……その、セレーネという少女と、シャロさんが交戦しているのですか?」
「ウン。まぁさっきチラッと見た感じは、セレーネちゃんがめちゃくちゃ優勢だったけど、あの子死に急ぐからなぁ〜〜。ボクの見立てではもうじき死ぬよ。シャロちゃんもきっと死にかけるけど、でもまだ大丈夫、瀕死って感じ」
目尻を下げて、ニタリと笑う針屋。やたらと嫌な予想をぶつけてくるものだ。武器を所持していない彼ならば、本当に死んでしまってもおかしくないというのに。
「そんじゃあ、喋ったところでそろそろ本題に移ろっか。お兄さん、ここに残ってるってことは殺される覚悟があるんだよね? どうやって死ぬ? 今日は銃も針も用意してるし、殺し方はいくつかあるんだけどさ」
腕を振り、見せびらかすようにジャケットの袖口から取り出した3本の銀色の針を、館内の照明にきらめかせる針屋。鋭い先端が光り、ジュリオットは僅かに頬を強張らせた。
しかし彼は、少し考え込むような仕草をとってから嘆息すると、
「そうですね、色々と憧れはありますよ。理想を語っていいのなら……そうですね、仕事をして、趣味の調合をやって、ハーブティーで一息ついて、それから温かいベッドで泥のように眠って死ねたら……それが1番嬉しいです」
「ウーン。それを叶えるのは無理かなぁ……っていうか、お兄さんさ」
針屋は糸のように薄い目を開けると、口角を引いて軽く笑った。
「やたらと理想が明確だな〜と思ったんだけど、本当に今すぐ死にたい人間の目をしてんだねぇ。濁ってて、暗くて、でもとっても綺麗な目。良い目だよ」
「……」
「多分ねぇ、大事な人に先に逝かれた人間の目かな? お兄さんは、その人に会いに行きたくてそんなことを言ったんだよね。仕事があるから死ぬに死ねないけど、本当は全部投げ出して、死にたいんでしょう? 違う?」
笑みを含んで告げられた言葉。それにジュリオットは何の返事もせずに、ただ息を止めて瞬きだけをする。そして数瞬言葉に迷ってから、針屋の人間味を感じない微笑みに対抗するように乾いた笑みを溢し、
「……不思議なことを仰いますね。本業はポエマーでしたか?」
言葉に少々の毒を塗って、迎撃する。微笑を浮かべた男2人、鏡合わせのように向かい合うその様は、第三者から見ればそれはとても奇妙な光景であった。
「でも、お兄さんは確かにボクを怖がってる。自分の本心を曝け出されるのが怖くて、早くボクの口を止めたいと思ってる。でしょ? ――あのさ、お兄さんを現世に縛りつけてる組織のことなんか、全部忘れちゃっていいんじゃない?」
髪の色と同じ紺色が、似たような紺青色をしたジュリオットの瞳を捉える。氷のように冷ややかで、生きていないような人間の眼。愛情に飢え、優しさに飢え、手のひらも心も空っぽな人間の眼だった。
「――確かに、私は死にたい願望があります」
ジュリオットはゆっくり瞑目し、きちんと整理された事実を淡々と述べるように告げる。針屋の元から流れてくる冷たい空気に、頬を撫でられながら。
「けれどそう言う貴方の望みは、私のそれとは非にならないんじゃないでしょうか? 本当に全部投げ出して、死にたいのは貴方でしょう」
「……ボクは死にたいわけじゃないよ、生きたくないだけ。それでも、ここに居れば幸せな気がするから、ボクはここに居るのさ。だからお兄さんもおいでよ、ヘヴンズゲートに」
「ヘヴンズゲート――あぁ、噂には聞いています。あの宗教集団ですね」
イベントが始まる前、別行動をしていたギルから無線機で組織の人間が居るとは聞いていたが、まさか彼がその組織の1人だったとは。
よりによってなんという組織の、なんという奴に勧誘をされているんだと若干頭を痛めながら、ジュリオットは眼鏡の位置を直した。すると、
「そうそう、ボクとお兄さんみたいな救われたい人間の集まりさ。噂じゃカルトだのなんだの言われてるようだけど、みんな幸せになりたいだけ。だからお兄さんとも気の合う人が沢山居るよ、どう?」
「そんな軽々しく言われましても……私は既に中古品です。契約している人間が居る。それを裏切って、どうして神様を崇められましょう?」
「契約……あぁ、フィオなんちゃらって名前の人か」
スーツの両ポケットに手を突っ込んで、怠そうに肩をすくめる針屋の仕草に『よくご存知で』とジュリオットは短く答える。
「私は彼を王にする為に、彼は私を救う為に。命を懸けると互いに約束をしているんです。神様とは手を組みません。それに私のような腐りきった人間に、天国ほど不似合いな場所もありませんよ」
「……そっかあ」
針屋はその白い面に、乱れのない微笑を浮かべた。
「じゃあ――殺さないとね」
「……ッ!?」
針屋の纏う雰囲気が突然、日常に溶け込むような無味無臭のものから鋭く冷たいものに変わった。それに気づいたジュリオットは、頬をぴくりと動かして警戒態勢に入る。だがジュリオットが回避行動を取るよりも先に、針屋が革靴で美術館の床をドンと強く踏み、
「――君もボクも救われたい者同士、仲良く出来ると思ったんだけどなぁ」
針屋が悲しげな色を瞳に乗せたその刹那、彼の足元から再びドライアイスのような煙が噴き出して、空間中をあっという間に白が覆い尽くした。




