第46話『ジャック=リップハート』
跳ねた前髪を押さえつける、ゴーグルを引っ掛けたキャスケット帽。オレンジをベースに黒のアクセントを入れたジャージ上下。片手には鉄パイプを握り、帽子のつばの奥で琥珀色の鋭い瞳が輝く。
目の前の男は間違いなく、ギルの兵士時代の旧友【ジャック=リップハート】であるはずだった。
しかし、ギルのことをまるで知らないと言う。
彼は人を揶揄うのが大層好きな男であったが、『それ』かと思えば、様子を見るに本当に知らないらしい。嘘を吐く時の癖であった、瞼のひくつきが全く伺えないことからそれは確かだった。
だが、それならそれで、何故自分のことを忘れてしまったのか。自分で言うのもアレだが、彼の中でも自分は特に鮮烈な存在として記憶されているはずだ。
それで忘れたというのなら、人間が不完全であるが故の自然的な忘却ではなく、第三者からの悪意ある介入であったり事故であったり、それくらいしか理由が思いつかなかった。なんだか女々しいことを言っている気もするが。
「冗談きついぜジャック……ドゥラマ王国に居ただろ、お前が後から来て、俺がクソ女に濡れ衣着せられて先に退団しちまったけどよォ、それなりに仲良くやってたはずだろ? 2人で兵士長の私室に芋虫入れに行ったの、覚えてねえの?」
「悪いケド、ジャック君には何のことだかサ〜ッパリかなー。もしかして、オレと誰かのこと間違えてたりしない?」
「――!? 俺のことだけじゃなくて、テメェが所属してた場所のことも覚えてねェのかよ……本格的に頭イカれたのか……? お前確かに学力試験も2点とかで、ほぼ武術の才能で受かったって聞いてたけどさぁ……」
戦争の要員として集めた癖に、学も武術の才もなければ兵士見習いにはされず、どこかへ連れていかれるというクソみたいな入団試験。
それで超絶アンバランスな点をとって入団したジャックの話は当時、先輩や同期達の間でよく擦られていたネタであったが、ここまで来るとその頭の悪さももうネタにすら出来ない。
ギルが愕然としていると、ジャックは『つーか』と首の裏を掻きながら溢し、
「さっきからオレを異常者扱いし過ぎじゃネー? 芋虫入れたとか学力2点とか、失礼にも程があるダロ! ……いや、そんな話がしてぇんじゃねーオレは。ふう、落ち着けオレ、今日もカワイイぜオレ、よぉーし」
「その辺はバリバリそのまんまなんだけどなぁ……なんで覚えてねェかなぁ」
自分が濡れ衣を着せられて退団した後、一体何があったのかは全く知らないが、記憶を丸ごと失うような事が彼の身に起きたのだろうか。
などと考えていると、ジャックから鉄パイプの先端がスッと差し向けられ、
「お前に聞くんだけどサァ。お前は、『神の寵愛』の【ギル=クライン】で間違いねーんだよナ?」
「おん。本来はお前、5年くらい前から知ってるはずなんだけどな」
いくらか言葉を交わせば不思議と落ち着いてしまったようで、記憶喪失をしているらしい彼とも平静を保って会話をし始めるギル。しかしジャックはギルに詰め寄ると、下の方からグッと上目遣いに睨み上げ、
「これじゃあ仕事の達成のしようがねーし、約束の金も入らねーんだケド。なんで死んでくれねぇの? ジャック君が今日食べるものに困ってるんだぜ? そこは喜んで命捧げるべきじゃナイ?」
「既視感あるからその喋りやめてくんねェ!? 見た目も喋り方も似てっと怖ぇんだけど、まさかお前の兄弟か親戚か!?」
叫び声を上げながら思い浮かべていたのは、どこぞの可愛らしい少年だ。
好き勝手に振る舞う自己中心的な性格や、そもそもの髪色や目の色の特徴が似ているから、ワンチャン血が繋がっているんじゃないかと疑ったのだが、
「……? ジャック君に兄弟は居ないから、知らねーケド。それよりもさぁ!! 今日食うもん!! ねぇんだケド!! ジャック君のこと知ってんなら何かパスタでも奢れやごるぁ!! 出来れば肉を食わせてくださいゴルァァァァ!!」
「あの、恐喝するよりも前にお前の仲間……今建物の上でめっちゃこっち見ながら仲間の止血作業してっけど、お前は見に行かなくて良いの?」
「大丈夫、アイツらあれでぴんぴんしてっから。足撃たれたくらいかすり傷ヨ! でもっ、今日の飯が……やっと依頼が入ったと思ったのに、不死身の討伐とかどう考えたって無理じゃんカ。流石のジャック君もやる気なくすよナァ!!」
「え、俺を殺す依頼が来たのか、お前んとこに」
ジュリオットとペレットも列車の中で毒を仕掛けられたと言っていたし、この国は戦争屋を殺そうと企む奴が多いのだろうか。
金と血統の国だと聞いていたから良い国ではない気は薄々していたが、立て続けに殺しに来られると一周回って面白い国だ。ただし間者を寄越しに来るのはあまり好ましくはない。出来れば本人から仕掛けてもらいたいのだが。
「そーだよ、1人殺すだけで大金貰えるなんてラッキーとか思ってたのに、死なねーってなんだよ! クソにも程があんだろ! クソがよぉ!! クソがよぉっ!!
「……ワンチャン、お前遊ばれただけなんじゃねえの?」
「ハーッ!? なにそれ、マジだったら意味わかんねー。くそ、怒ったら腹が空いてきた……なぁギル=クライン、オレこれからどうしたら良いと思う?」
「フルネームじゃなくて『ギル』って呼んだら一緒に考えてやるよ、あと初対面だと思ってるなら思ってるでそれなりの対応をしろよ。なんで俺に寄りかかって悩んでんだよ、俺は壁じゃねーぞコラ」
胸に寄りかかってくるジャックを突き離すと、彼は怪訝そうな目を向けてくる。しかし邂逅当初の冷え切った感じはなく、僅かな温かみが顕在していた。
「……なぁ、本当に、お前とオレって仲良かったの? オレの好みとかも知ってんノ? 嫌いなものも? なぁなぁ、性癖は? 性癖性癖。思い出は?」
「あ〜、好きな食いもんはピーナッツバタートーストとミルクココア。嫌いなもんはあんまなかった気がするけど、ちょい苦手そうにしてたのはアボカドだな。胸は大き過ぎず、小さ過ぎないのが理想的だよな〜とは言ってた気がする」
「待って、待って、全部合ってて怖いからやめて、わかったわかった!! ……でも、マジで思い出せねえヨ。くそ、イライラするナァ……」
キャスケット帽を外して、ジャックはがりがりと乱雑に茶髪を掻き回す。ところどころ毛先の跳ねたそれらが盛大に乱されて、更に荒れた地帯と化した。
「今クソ雇用主にも腹立ってんのにヨォ! なーにが『イベントの前に挨拶してこい』だ。カスがヨォ!!」
「――待て、ジャック。イベントってなんだ?」
「……ん? なんか、帝都の方にあるでっかいカジノの催しだヨ。世界中から『人殺しの経験がある奴』らばっかり呼ばれんの。裏の奴らの間だと結構有名なイベントらしーぜ? ……てか、そもそもお前の仲間がそれに招待されてんダロ?」
「え、マジで?? 嘘だろ??」
普通に初めて聞く話だったのだが、ジャックの言い様から察するにジュリオット辺りがその、『悪人だらけのカジノ』に招待されたらしい。
彼が何故招待を受けたのか、と疑問に思ったが、ジャック曰く死の呪いがかかった招待状を渡されてしまったようだ。非常に迷惑な話である。
聞き慣れない『呪い』という言葉には少し引っかかったが、特殊能力の別名なのだろうとギルは勝手に解釈した。
「……お前がどういう人間でどういう状況にあるのかはわからねーケド、なるべく行かねー方が良いぜ。なんか、凄え噂ばっか聞いてるし、帝都の役人とズブズブって話もあるからヨォ」
「帝都の役人と、ズブズブ……?」
「超ズブズブだよ、そのカジノを中心に奴隷商売をやろうって話がロイデンハーツの上層であるらしくてナァ。頭わりいから、詳しい話は知らねーケド……」
『気をつけな』と告げると、ジャックは天を見上げて腹から声を打ち上げる。
「――おいみんなァ! この依頼はクソだ、帰って依頼主ぶん殴るゾォ!!」
「おぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!」
夜中にやるものとは思えない壮大な雄叫びが空から帰ってきて、ギルは驚愕のあまり絶句する。見れば先程脚を確かに撃ったはずの奴らが、ぴんと周囲の建物の屋根上で直立していた。タフにも程があるだろう。
というか、
「てか待て、お前このまま帰んの!? 俺のことまだ思い出せてねーのに!?」
「いや、ぶっちゃけオレにとっちゃ飯の方が重要だしヨォ。お前とくっちゃべってる時間は悪いが欠片もねーノヨ。また新しい契約主を探すか、クソ契約主と交渉して依頼内容を変えてもらわねぇと……」
「――」
薄情野郎だと、戦争屋の中でも有名なギルでさえびっくりするようなジャックの清々しさ。いや、彼の中にはもうギルとの記憶がないので、このさっぱり具合も当然といえば当然なのだが、こんなに辛辣だっただろうか。
いや、そういえば普通に辛辣だった。ジャックは初対面の奴には馴れ馴れしく話しかけるし、ああやってさっきみたいに頬をつねったりしてくるが、内心じゃ滅多に他人を信用をするということがないのだ。
じゃあなんで、超近距離のコミュニケーションをとってくるのかというと、話しかけたそいつの人となりを探る為らしい。昔馬小屋の掃除を一緒にさせられた時に言っていた。その話すらも本当なのかはわからないが。
「……もし」
――もし、ギルが彼ら傭兵団を雇用すると言ったらどうなるのだろうか。
ギルもしょっちゅう遠征をしているし、ぶっ殺した相手の資産はメンバー内で山分けされているから、ギルにも結構な蓄えがある。傭兵の相場がいくらかはわからないが、しばらく傭兵団全員の腹は満たしてやれるだろう。
「……いや」
そんな妄想が一瞬浮かんだが、彼らを意味もなく雇用して傍に置き、ジャックの記憶が戻るまで待つには当然フィオネの許可が要る。飯代はギルの貯金で賄えてやれても、居場所を提供する権利はギルにはないのだ。
「――なんでもねえ、悪いな。俺が殺せない人間だったばっかりに」
「ホントーだぜ全く。けど、お前が言うにはオレら仲良かったらしーから、友人特許で許してやるよ。じゃーな、カジノの件はよく考えて決めろヨ」
「……ん」
引き留めの言葉の1つかけられず、ジャックが再び雷電となって遠い空へ跳ねると同時に、一斉に同じ方向へ屋根を駆けていく黒衣の傭兵達を見送るギル。
彼らの姿が完全に見えなくなったあと、ギルはその場でしゃがみ込み、俯かせた顔の頬肉を両手で覆って、
「マジか――ジャックが、居た……」
再会できた喜びに綻ばせるべきなのか、それとも記憶を喪失していた悲しみに崩すべきなのか、自分でも扱いのわからない表情を複雑に歪めて呟いた。
「……帝都の役人と、奴隷商売、か」
ギルは奴隷の歴史には明るくないのだが、かつて仕えていたドゥラマ王国の同期の兵士と肝試しをした時に、奴隷について少し知ったことがあった。
《――なんでも、そのお屋敷には昔、不良品ばかりの奴隷をコレクションしていた公爵一家が住んでいたらしくてな。男が地下で聞いた泣き声は、右脚を欠損した少女の幽霊の泣き声だったんだ》
いわゆる本当にあった実話らしく、大昔の話ではあるもののリアリティで、やたらと頭の隅に残っていた話。それに出てくる奴隷好き公爵というのが、腕や片目を欠損していたり、重い病気を患っている奴隷が好きという物好きなのだ。
それで、世の中には色んな性癖持ちが居るな――と周りの皆が震撼していたところ、『じゃ、ギルはなんでも治っちまうから公爵には嫌われそうだな』という別の奴の発言で一気に和んだというのが、この話に関するやり取りの末路なのだが、
「……大病を患ってる奴隷って、今も需要あんのかな」
ミレーユの弟が消えた理由が帝都の役人のせいだとして、帝都の役人が闇カジノと絡んでいて、闇カジノでは奴隷商売が計画されている――。
流れ的にも『ミレーユの弟は奴隷商品にされた』という仮説に引っかかる点はない。
10歳前後の兎の獣人族で、大病を患い弱々しくなっている少年の奴隷。それがどれだけの価値を誇るのかはわからないが、例の公爵のような性癖持ちが相当な高値で買うのかもしれない。ならば、
「ミレーユの弟はそのカジノの会場に居て……あ。もしかして『カジノで行われるイベント』って、奴隷オークションのことか……!?」
だとすれば『人殺しの経験がある奴』ばかりを招待するのは、奴隷制度が廃止されているため、大々的にオークションの開催予告が出来ないせいだと推測できる。
公表が出来ない――だから、日陰に住む悪党を集めて、彼らを客の対象として人身売買を行おうとしている可能性が――。
「……じゃあ、弟はジュリさんが招待されたイベントに、その日の商品として出される可能性がある……のか……!?」
それらしい仮説を作り上げたギルは、帰路を辿る両足を止める。そして射出機から糸を噴射すると、宿屋の3階バルコニーに糸を巻きつけて、
「とにかくこれが本当なら……ジュリさんにかかった呪いを解くにせよ、弟を助けるにせよ、そのカジノに行かなきゃいけねーってこった、な!!」
最後の発音と共に地上から弾け飛び、糸が射出機の中で勢いよく巻き取られるのに合わせ、ギルは緑髪を靡かせながら空中を駆け抜けていった。




