第44話『彼を殺すのは一滴以上の白ワイン』
大北大陸のおよそ真ん中に領土を所有する国、『ロイデンハーツ帝国』は、現在世界で唯一『皇帝の治める国』として有名な国だ。
その圧倒的な国家予算の多さから、〈武力〉のオルレアス王国と並んで〈金銭〉の国として『五大大国』の1つに数えられている。
そして最初の皇帝が建国時に莫大な資産を有していたことと、博打をこよなく愛していたことにより目も眩むような黄金色のカジノ街が作られ、今も国のシンボルとして残り続けていた。
そして現在、そんなロイデンハーツの帝都と辺境の中間地点の街、そのキラキラとした光景に圧倒されながら、シャロ達は手頃な宿屋を探していた。
「ど〜〜っこ向いてもキラキラしてんだけど、こんで帝都はもっとキラキラしてんの? 目痛めないかな?」
「もはや黄金を黄金として扱っていなさそうな……その点、こっちの方は床材に黄金を使っていないからまだマシっスね」
赤煉瓦で出来た通りを歩きながら、視界の2%くらいを黄金が占めている景観にペレットは項垂れた。どうやら帝都では、黄金で出来た道を踏んで歩くらしい。もはや黄金を価値のあるものと微塵も思っていなさそうな街だ。
「こんな街の宿なんて、一泊だけでいくらかかるか……この前のウェーデンは一泊7000ペスカでしたけど、正直10万ペスカとか行きそうで怖いっス……」
「ぶっちゃけ、この辺の黄金を盗んで換金すればいくらでも賄えるよ?」
そう平然と窃盗を勧めてくるシャロが隣に連れているのは、死んだように無気力な目をしたミレーユである。シャロが腕を引き、どうにか自力で歩くことだけはしてくれているが、虚ろなその様はまるで廃人のようだった。
村にいた時は混乱のせいでどうにかメンタルを保っていたが、ここまで来る最中に家族や弟のことを考えていたら、軽く鬱になってしまったらしい。
「とりあえず、酒場に行ってみましょう。酒場の主人であれば、この辺り一帯の宿屋で手頃な場所を教えてくれるかもしれません。すぐそこにありますし、ほら」
「おー、めっちゃ良いところにあんじゃん! 丁度お腹も空いてきたしなぁ……。ミレーユちゃん、ちょっとあそこまで行こっか」
ひとまず目的地を宿屋から酒場へと変えた2人は、自我を失っているミレーユを引き連れてすぐ目の前のそれへと向かう。
そこは、今までに訪れてきた『荒くれ者の溜まり場(オルレオ発アンラヴェル行きの渡航船の途中停泊した島参照)』みたいなウエスタン風の酒場ではなく、綺麗で落ち着いた佇まいをした石造りの酒場であった。
一瞬高級な宿屋なんじゃないかと疑ったほど整えられており、割愛はしているが正直店の前でちょっと躊躇って時間を食った。
その無駄な足踏みタイムを経て、ようやっと入店を決意。縦に長い手摺りつきの扉を引いて、皆は内側に広がる光景を全身で迎える。すると3人が目の当たりにしたのは、良い感じに照明が落とされたスナックのような世界だった。
「――あらん、いらっしゃあい」
これまたコテコテでギラギラの格好をした、いわゆる『ママ』らしき男がカウンター席の方から視線をこちらに向ける。
昼間だが客は数名ほどおり、カウンター席やらテーブル席やらに散らばってそれぞれ酒を呑んでいるらしかった。全体的に30歳を超えたくらいの男性が多いだろうか。ペレットらレベルで若い人は当然居ないし、女性の姿もほぼ見えない。
客がみんなして無言なのが、逆に『古い仲の集う穴場』みたいな余所者をはねつけるオーラがある。新参が立ち入るには少し厳しそうな酒場だが――。
「やぁだ、貴方達若々しくて良いわねん! けど、ここは大人の来るところ。坊や達には早いんじゃないかしらぁん?」
「いえ、20歳です。ちょうど20歳です」
「そ〜ぉ? アタシには16、17歳ってとこに見えるけど……まぁ良いわ、しょーじき16歳も20歳もアタシにとっちゃ大差ないし、お金さえ払って飲んでいってくれれば良いもの。好きな席を選んでちょーだい」
『ママ』は手をひらひらと振ると、空いている席を視線で示して歓迎の雰囲気を作り出す。どうやら金さえ払えば法律は犯そうが気にしないようだ。
しかし酒を飲むことを前提にしているとなると、手頃な宿屋を聞き出す為にもせめて一杯は頼まないとダメなのだろうか。
となれば、誰が飲むかという話だが――もちろん、今まで酒の一滴も飲まずに健常にやってきたであろうミレーユには飲ませられない。というか、今の彼女では飲む口すら動かなさそうだ。
ペレットは、テーブル席のソファに座りに行ったミレーユを見てから、その隣で彼女の身体を支え続けているシャロの方へ視線をやる。
そうなれば必然的に、シャロかペレットかという選択肢になるわけだが、シャロが酒を飲むと……色々面倒だ。とくれば、消去法で自分が飲むしかない。
正直自分もそこまで得意ではないのだが、今回はやむを得ないだろう。
「何が良いかしら? 好きなものがあれば出すけれど」
「そうですね、向こうには昼食用に単品ずつおすすめで出して頂いて、ボクは……白ワインでお願いします。出来れば甘めのと、おすすめの軽食を」
「わかったわ、じゃあ向こうの女の子2人にはパスタでもお出しするわね」
そう言って店の裏側に消えていくママ。宿屋の情報をゲットするまで、もう少々時間がかかりそうだ。
――しかし、迂闊に白ワインなんかを頼んでしまって大丈夫だっただろうか。
確か白ワインをよく飲むフィオネは、『悪酔いしにくい』といつぞやに語っていた気がするのだが、それはあくまで大東大陸でゲット出来る白ワインの話。大北大陸の白ワインが悪酔いしにくいとは限らない。
「……」
この瞬間、ペレットはカウンター席に座って大いに頭を悩ませながら、だらだらと滝のように汗を流して『ママ』の帰りを待っていた。
「はい、お待ちどぉ」
必死で思考を走らせていたら、いつの間にママが戻ってきていた。
目の前には透き通った黄金色の液体が注がれたワイングラス。その隣には『おすすめの軽食』らしき、生ハムとカマンベールチーズのクラッカーも置かれていた。
「……ありがとうございます、頂きます」
とにかく何も考えないようにして、まずはとグラスに口をつけてみる。こういうのは一気に飲めば飲むほど、消化が追いつかなくなって酔いやすいのだ。
出来ればゆっくりと、ゆっくりと……。
「……」
爽やかで、ひんやりと冷たい味が触れる。渇いていた舌を湿らせるのは、僅かばかりの青リンゴのような酸味と、それを後から覆う白桃のような甘さであった。
数ある酒の中でも比較的にジュースに近い味をしているのだろうが、酒に耐性のないペレットは『あ、これ完飲したら死ぬ奴だ』と己の未来を察する。ついでに、戦争屋の酒豪がほぼ向こうの探索組に居ることに気がついた。
「……くそ、無理にでもギルさんかマオラオ君を呼ぶべきだったか……」
チーム決めをしたジュリオットを遠隔的に呪いながら、ペレットはヤケになってクラッカーを口に運ぶ。湿った舌に渇いたクラッカーが触れ、噛み潰せば塩っ気のあるチーズと生ハムが間から飛び出した。
くいっとグラスを傾けてから、クラッカーを噛み潰す。それの繰り返し。
気づけばどんどんと飲んでいて、流石にこの辺で聞いておかないとまずいか、とペレットはギリギリ理性のある脳を動かす。
「あの、1つお聞きしたいんですけど……この辺に、観光客に易しめの宿ってありますか? 値段的な話なんスけど」
なるべく、食事と風呂つきの場所を探しているのだ。と話すと、それを聞いたママは紙煙草の紫煙を燻らせては『易しめの、ねぇ……』と溢し、
「もしかして貴方達、お上りさんかしらぁん?」
「あぁ……バレますか? そうなんですよ、この辺りに来るのは初めてで」
じんわりと顔面に熱が昇るのを自覚しながら、ペレットはワイングラスを摘んで小さく中身を回した。酔いが回るのが早すぎる。
今の自分はさぞ赤いのだろうと思いながら、残り少ない白ワインを通した。
「もし辺境の方から来たんなら、あまり口にしない方が良いわよぉん? ここに来る子達はそこそこ理解があるから良いけれど……」
ママは意味ありげに何かを言いかけたが、紫煙を吐き切ると、まだ火のついている先の方をぐりぐりと灰皿に押しつけて、
「それならそうね、丁度この店の裏側に宿屋があるわぁん。1日2食で大浴場があって、部屋もそれなりに広かったはずよぉ。1度見に行ってみると良いわぁ」
「そう、れすか……ありあとうございあす、ひっく。あ、これ、お金れす……」
ジュリオットから貰った巾着袋を丸ごとカウンターに置くペレット。今朝方、列車の中で買ったタルト代が5000ペスカから差し引かれているが、それでも全員の食事代を合わせた金額ぐらいは残っている――はずだ。
「ぅあ、お釣りはいららいんれ……」
もう、早くも呂律や思考が回らなくなっている。脳がとろけて視界がぼやーっとし始めたのを『やばい』と焦りながらも、次の瞬間には焦燥感が酔いに負けて消失してしまい、顔面までとろける始末。完全に酔い始めていた。
「あらぁ、大丈夫ぅ? かなり酔いやすいのねぇ。そこの貴方達ぃ、連れの男の子がやられちゃったみたいだけどぉ、持っていけそう〜〜?」
「――えっ? ちょ、待ってなんで酔ってんの!? おい……嘘でしょ……? くっそ、ごめんねミレーユちゃん、食べれなかった分はシャロちゃんが食べるね」
どうやらペレットが酒を嗜んでいる間、シャロは鬱状態のミレーユになんとかしてパスタを食べさせようと苦戦していたらしい。一言断りを入れてから彼女が手をつけなかった分を取ると、パスタを掃除機のようにズモモモと吸い上げた。
そしてミレーユをソファから立ち上がらせると、カウンター席にずんずんと歩み寄って泥酔しているクソガキの腹を抱え上げ、
「うへぁ、しゃろさんの顔面ブスいっでぇッッッ!?」
叩き落として顔面を踏みつけ、片足だけを掴んでずるずると引きずっていく。
「ご馳走様でした!! 次があればまた来ます!!」
「はぁ〜い、また来てね〜っ」
ひらひらと手を振るママに見送られ、シャロは廃人のミレーユと撃沈した酔っ払いのペレットという惨状を連れて店を出た。
*
同日の午後17時。シャロ達は別行動をとっていたジュリオットら3人と再会し、宿屋の談話スペースにてローテーブルを挟んでいた。
彼らが座るのは、渋めの赤い革を使った3〜4人用のソファだ。散策組と宿屋の確保組に分かれてそれぞれ腰をかける。
各人の状態は、ジュリオットとマオラオとシャロがやたらと疲労困憊しており、ギルはもちろんぴんぴんしている。
ミレーユは相変わらず廃人で、ペレットは再会する前に1度爆睡していたところを起こされたので、眠気に後ろ髪を引かれたままどうにか姿勢を保っていた。
「――さて、では、こちらの成果についてお話をしましょうか」
眼鏡を外して目頭を摘んでいたジュリオットが、眼鏡を戻してミレーユへ青い視線をやりながら話を切り出した。
「まず、弟さんの消息についてですが」
「――!」
そこで初めて、ミレーユが兎耳を片方動かす。ぴくりという表現が合うほんの僅かな動きであったが、彼女が外の世界に意識を向けたのは明らかであった。
「正直、何も手がかりが掴めませんでした。村一帯を歩き回り、近場の山にも登ってみましたがまるでダメです。死体こそあれど、ミレーユさんと同じ髪色と兎耳を持った方は居ませんでした」
「……死体って、もしかしてあの村全体で人が殺されてたの?」
今度のジュリオットの発言に、誰よりも先に反応を示したのはシャロだ。
「えぇ、全員かは知りませんが、多くの人が彼女の家族と同じように、腕と脚をバラバラにされて腐っていました。放置するわけにもいかないので、こちらで勝手に埋葬したのですが……」
と、聞こえの良い言葉を使っているが、実際はギルが常備している爆弾の、爆発で生じる火を使ったダイナミック埋葬である。
詳細は省くが、中々酷い弔い方であった。だが、何故か祈りの言葉を暗記しているというギルに無理を言って祈ってもらったので、体裁上は上手く締めれたはず。
それに放置をしたところで、ヘロライカに続く感染病の蔓延に繋がってもしょうがないので、むしろダイナミック埋葬は賢明な判断であったと思いたい。
「――その際、何より気になったのがバラバラに分解された四肢の〈傷口〉です。胴体から千切れたところに丁度、歯形のようなものがついていたんです」
「歯形、っスか?」
「えぇ。残念ながら私は動物には詳しくないので、何の歯形かはわからなかったのですが……思い当たるものがあるとすれば、熊か、狼か」
丁度あの辺境には、枯れ木のみを沢山生やしていた山があった。そこから村へ降りてきたのだとすれば、熊か狼辺りが妥当であろう。しかし、
「……。秋季とはいえ、ロイデンハーツは雪が降りますし……熊はもう、冬眠に入っている頃じゃないっスかね?」
「そーなんだよ。それに冬眠しそこねたヤツらでも、熊は大勢で群れることはねーから、20人以上もいっぺんに食い切れるはずがねェんだよな」
「けど狼も狼で、色々と納得いかん点はあるんよな。オレは『監視者」で中はよう見たけど、まず家に毛とか落ちとらんかったし、あんな枯れた山で育った狼が人を殺せる元気があるのか……って。専門家がおらんから、確証がないのが痒いな」
ペレットの問いかけに、ギルとマオラオがそれぞれ見解を述べる。
「つまり言いたいのは、外から運んできた動物を使って誰かが〈人為的に〉仕組んだ可能性がある、ということです」
それを裏付ける理由としてまず1つ目に挙げられるのが、最初にミレーユの家の扉に手をかけた時、やけに引きにくかったことだ。扉が微妙にズレていて、開閉に支障をきたしていたのである。
ただし、ジュリオットがあそこに訪れた時点で扉は閉まっていた。
全員が四肢をばらばらにして殺されていたということは、集団自殺ではない=彼らを殺した第三者がおり、その人物は家を出入りしたということ。なのに、扉が閉まっていたのである。
部屋の中に入ってから外に戻って、わざわざ開閉のしにくいあの戸を閉めるという一連の動作は、動物の力では不可能に近い。
普通に考慮すれば、人間の力が加わったと考えるのが自然だろう。
それが第一の、〈人間が関わっている〉という説を裏付ける理由である。
「人為的な人殺し。もしそれが真実であれば、辺境の人間を殺すのに裏付けが十分な者が誰か。ミレーユさんには、心当たりがあるんじゃないですかね?」
「……帝都の、役人……?」
問いかけられたミレーユはそこで、久しぶりに言葉を溢した。
――そう、辺境に向かっている最中にミレーユが説明していた帝都の役人達だ。ミレーユの話では彼らは、数日に1度辺境の人々に食料を配給していたそうだが、あまり村人のことを良い目では見ていなかったという。
現状自分たちが持っている情報の中で、犯人を突き止めるとなればその役人達が1番しっくり来るだろう。それが第二の理由である。
「表向きには動物に殺されたことにして、国唯一の汚点を処理したかった――と考えると、それなりに筋が通ります」
「単純に、賊に襲われたって可能性はないんスか?」
「最初はそう思っていたんですけどね。賊ならば、黄金を纏った帝都よりあんな枯れた辺境に手を出す理由がわからないんです。誰でも良いから殺したい気狂いなら推理はめちゃくちゃになりますけど……」
「ただあの辺境は、1番近ぇ駅から馬車を必要とする距離にある。かつ、御者に指示しながらじゃないと入れねェ。つまり、気狂いだろうとその辺で湧いたような賊には到底辿り着けねえ場所にあンだわな」
つまりは断定こそ出来ないものの、ジュリオットらが並べた以上の条件が前提ならば、帝都の役人が犯人である可能性が1番高いのである。
「……なら、帝都の役人が……犯人であるとして……」
俯いて自分の手を見つめていたミレーユが、どす黒く染まった青の瞳をゆっくりとジュリオットへ向けた。
「ジュリオットさんは……弟が、家に居ない理由を、どう考えますか……?」
「……そうですね。例えば他の村人のように動物に食われたのではなく、姿形が全く残らないように殺したのかもしれません。ただ、考えは他にもあります。もし数ある可能性の中で貴方に、あえて希望を持たせるとしたら」
――誘拐されている、という説です。
ジュリオットが唇からゆっくりと言葉を紡ぎ落とすと、ミレーユをはじめとする周りの者達はほとんど同時に息を呑んだ。




