第43話『絶望とたった1つの希望』
それからは特に事件もなく、およそ2時間ほど列車で過ごしていると、ミレーユの実家のある辺境から1番近い駅に到着した。
そこから、行き先指定が可能な馬車を利用して、ロイデンハーツ遠征組の一同はミレーユの故郷へと向かった。ちなみに行き先を指定する時、辺境に行きたいと伝えると御者からかなり嫌な顔をされたが、ジュリオットが金で黙らせた。
そしてついに訪問。しかし貧乏な人間が集まって住む村、と事前に聞いていただけあって、どこも想像以上に殺風景であった。
ぼろぼろの小屋が田畑の近くにポツポツと建っているだけ。目立つものはなく、強いて言うなら近くに見える雪を被った枯れ木の山のみ――もはや村と呼んでも良いのかわからないほどの惨状に、一同は困惑顔で息を呑んだ。
「――村の名前はなくて、住人は30人も居ません。一応の救済として帝都から7日に1度だけ支給物資が来ていますが、送りに来る役人の方には毎度良い顔はされませんね。何せ帝都の役人達にとってこの村は、この国唯一の汚点ですから」
田畑の間は馬車が通れない為、全員で歩いて家まで向かっていると、シャロに支えられながら先導するミレーユが沈黙を破って話した。
全員どう反応をすれば良いのかわからず、また沈黙が襲い来る。
ただ1人そのお通夜のような空気を無視し、ジュリオットは導かれるままに一戸建ての小屋の前まで来ると、
「はい、ギルさん。ここまで荷物運びご苦労様です」
「んぁ? あぁ……ジュリさんの荷物の癖してクソおめぇーんだわこれ」
短いやりとりをして、ギルに持たせていた医療バッグを受け取った。
「……では、入りますね」
ジュリオットは小屋の前に立ち、3回ほどノックをする。
それから約2分間、微動だにせずその場で反応を待っていた。
「……」
中から人が出てくる様子はないが、勝手に入るわけにもいかないだろう。ミレーユの不安そうな視線を背中に受け止めながら、ジュリオットはこの後どうするべきかを思考していると、流石に反応がないので見かねたらしく、
「あの、開けてもらって大丈夫ですよ。もし怒られたら、私が説明します」
「……では、遠慮なく」
ミレーユから許可を貰い、ドアノブに手をかけるジュリオット。
彼は老朽化のせいかギシギシと鳴って中々動かない扉に苦戦しながら、ようやく手を入れられそうな隙間を作り、
「――ッ!?」
一瞬、建物の中から漂った悪臭が鼻を掠め、青年は即座に引き下がった。
そのままふらりとしゃがみ込み、顔を歪め、口を押さえて鼻呼吸を繰り返す。匂いを忘れ去ろうと鼻腔に冷たい風を何度も送り込むが、敏感な鼻に1度ついた強烈な悪臭は簡単に消えることはない。
「ジュリ、さん……?」
ミレーユを支えたままのシャロが、突然おかしくなったジュリオットに心配そうな声音で声をかける。同様に、ミレーユも彼の異変に不安を募らせており、
「ど、どうしましたか……? ジュリオット、さん……」
彼の身体が邪魔をして、ミレーユの立つ位置から部屋の中は見えない。ただ今のジュリオットの様子に、とてつもなく嫌な予感が彼女の胸中に燻って――。
「いえ、少し……」
僅かに冷静を取り戻して、立ち上がるジュリオット。
言葉で表現するなら、捨て忘れた生ゴミの匂い、というところだろうか。実際はそれどころではないと思うが。家の中に再び立ち入ったジュリオットは、白手袋を装着した手で口元を押さえ、端正な顔を悪臭に酷く歪めて呟いた。
抑えてもなおきつい匂いが鼻の奥を貫き、生理的嫌悪で涙さえ浮かぶ始末。しかしそれをすぐに拭うと、潤んだ紺青の瞳で目の前の惨状を受け止めた。
「……どういうことだ」
そう言葉を漏らした青年の前にあったのは、まるで化け物か何かに食い破られたかのように四肢をばらばらにされ、ハエの群れの宿主と化していた――ミレーユと同じ色の髪を持つ、男女3名の死体であった。
「すみません、ギルさんだけこちらに来て頂けませんか」
「あぁー? どーしたんだよジュリさん」
「いえ、そんなことには構わず早急に。絶対に、ギルさんだけが入ってください」
とにかく誰かにこの事を共有するべく、ギルを呼び寄せるジュリオット。彼がこの場において1番の適任者であると踏んだのだ。
ミレーユはもちろん、多くの理由にて論外。
その他の人間が中へ入れば、何かしらの病気に空気感染する恐れがあった。
死体を見れるかつ、病原体に対抗できるという以上の理由から、この腐った死体を直視して良いのはギルだけなのである。
早く、とジュリオットが急かせば、ギルはだるそうにしながら歩き、
「え、なに、入って良いわけ? ……てか」
玄関前までやってくると、彼は不意に鼻腔を襲った匂いに顔をしかめた。そしてその匂いが何かわかったのだろう。ギルはハッと目を見開くと、
「……まじ? そんなことあんの?」
と、恐る恐る玄関口に歩み寄って、壊れかけのドアノブを引いた。
――先ほどジュリオットが見た惨状が、ギルの緋色の瞳にも映る。瞬間ほんの少しだけ顔を嫌そうに歪めると、ギルは『うわ』と声を漏らした。
「待て待て、2人は一体何を見たんや?」
周りを置いて行く2人の様子に静観していられなくなったマオラオが、上手く割り込めないでいるミレーユらに変わって問いかける。すると、
「……そうですね、マオラオ君ならば可能でしょう。相当の覚悟を持って中を『監視者』で確認してください」
「はぁ……? わけがわからん……」
ぶつぶつ言いながらも彼の指示に従い、双眸に意識を集中させて、『監視者』を発動させるマオラオ。
だが家の中を覗いた直後、マオラオは言葉を止めた。
中の惨状を目にしたのだろう。彼はゆっくりと呼吸をしながら色んな方向へ薄紅色の目を動かして、一瞬一瞬を実感するように瞬きをしていた。
マオラオはこう見えても、四肢欠損をした死体は見慣れている方だ。むしろ持ち前の怪力で首や腕を引っこ抜いて、トドメを刺すのが彼の戦闘スタイル。驚きこそしているもののこの落ち着きぶりは、そこから来るものであった。
ただし腐った状態であり、かつ転がっている遺体がミレーユの家族であると考えるとまた違うのだろう。時折口をウェッと歪めながら屋内を観察し、
「え……? これ、え、なにこれ、ちょ待って、どういうことや!?」
「わかりません。これであとは、3人にどう説明をするかですが……」
ミレーユはまず無理だろう。全く状況を理解できていないシャロは、見た瞬間に必ず大きなリアクションをしてしまうのでダメだ。となると、ギルやマオラオらの反応から薄々この状況を察し始めていそうなペレットか――。
思案していると、表情を曇らせたミレーユが恐る恐る口を開いた。
「――あの、お聞きしたいんですけど、何か、家の中で凄く……よくないことが起きていたのですか?」
「……」
「あの、流石に突飛過ぎるとは思うんですけど、なんていうんでしょう、死ん……いえ、なんでもないです、早計ですよね。聞かなかったことにしてください」
「――ただの早計、であれば良かったのでしょうが」
ジュリオットが言い難そうに呟いた直後、シャロは『え?』と溢し、無言を決め込んでいたペレットはやはり、とでも言うように表情を固くした。
そしてミレーユは、
「……!」
「あっ、待ってミレーユちゃん!!」
自身の身体を支えていたシャロの介護下をするりと抜け出すと、何度か片足をがくりと沈めながらも力なく玄関口に向けて走り出した。
*
「待ってください、貴方は入ってはいけません! ……見たことを一生後悔することになります。それにこの部屋の中には恐らく……」
「……お願いします、ここを通してください」
静かに、睨みつけるように鋭い目をして懇願するミレーユ。
今までにはなかったこの強気さは、気が動転してのことだろう。だがどれだけ強気になられても、ジュリオットは玄関前を邪魔することをやめなかった。
「通した結果、貴方がどうなろうと私には責任が取れません。それにここにあるのは貴方が思っているよりも、ずっと惨い光景です。すぐに引き返してください」
「では、ジュリオットさんが目にしたのは一体……誰が、死んでいたのですか? それだけでも……それだけでも、教えてください。そうじゃないと私は……貴方を押し切って、迷惑をかけることになってしまいます」
――ミレーユの声が震えている。自分でも何を考えて何をしようとしているか、よくわかっていないようだった。
「……それを言えば、貴方は中を覗かないと約束しますか」
「はい。混乱してはいますが、ジュリオットさんが私を引き止めるのは、案じてくださっているからだということはわかっていますので……ただ、何も情報がないと自分に歯止めがきかないだけで」
ミレーユがそう答えると、ジュリオットは仕方なさげに吐息をした。
「――部屋のすぐそこにあったのは、成人男性の遺体と老夫婦の遺体です。少し離れたところに、成人女性の遺体が。私が目にしたのは、それだけでしたが……」
「成人の男女と、老夫婦……では、弟は? 10歳くらいの男の子は、その中に居なかったのでしょうか!?」
「まだ、なんとも。……マオラオ君、少々きついかとは思いますが、建物の中を隅々まで探してもらえますか」
「えっ、いや、その……しゃあないな……」
断りにくい要求をされて、マオラオは渋々両眼に力を注いだ。2つの紅色の瞳が淡く輝き出して、視界が建物の中の光景と再び繋がる。
「……見た感じは、ジュリさんがさっき言った人達以外にはおらんな。2階も建物の裏も、天井裏も見たけど家具ばっかりや。手の片方も見つからんよ」
「――!!」
そこで初めて目を輝かせるミレーユ。嫌な予感がする。今の情報は彼女にとってさながら曇天から差す一筋の光のようなものだろう。もしやとジュリオットが顔を強張らせていると、ミレーユは自分の両手を胸に添えて、
「私、弟を探さないと……! すみません、ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。ここから先は約束外のことですし、ここでお別れを……」
「落ち着いてください、期待をするにはまだ早過ぎます。それに1人で行動すれば貴方もご家族と同じ目に遭う可能性がある。私とギルさんとマオラオ君の3人で近隣を回ってきますので、他3人は駅まで戻ってください」
「えっ、俺も? 俺も探索すんの?」
「まぁ、こんな状況でミレーユさんほっとくわけにはいかんしな」
唐突に仕事が課せられたギルは不服そうな顔をするも、『オレらより年下の女の子放っておくんか?』とマオラオから飛んだ声に渋々溜飲を下げる。
「えぇ、2人は強制です。それからシャロさんかペレット君は、近場で宿をとっておいてください。6人分の部屋を」
「なっ……ちょ、ちょっと待ってください、これは!」
慌てたように声を上げるミレーユ。どうにかして協力をやめさせようと少女はジュリオットに詰め寄るが、それもすげなく振り払われて、
「えぇ、面倒ごとは嫌いです。微塵も関わり合いになりたくない。ですが、何かを終えるなら何事もきっちりと終わりたいのです」
『――それに』とジュリオットは一息入れて、シャロの方を一瞥する。
「貴方をここに置き去りにすると、誰かから怒られそうなので。さて、シャロさんは彼女を回収してください」
「え、あっ、う、うん!!」
なんならミレーユよりも、この状況についていけていなかったシャロの意識が宇宙空間からこちらに戻ると、彼は玄関前でへたり込むミレーユを『ごめんね』と一言入れてから抱き抱えた。
「……っ!?」
「じゃあ、手頃な宿見つけたら連絡するんで、これを持っておいてくださいっス。あと、非常事態の時にも使ってください。あ、ギルさんとマオラオくんの分も」
そう言ってペレットが乱雑に各人へ投げたのは、超小型の通信機だった。
ジュリオットが治療薬を作る3日間のうちに量産していたらしい。
「ありがとうございます。では、何事もなければ夜のうちに合流しますので」
「あ、お前ら喧嘩だけはせんといてな。ほんまに」
無線機を耳にはめ込みながら、マオラオが某2人に釘を刺す。するとシャロは、『楽勝だもんねー』とひらひら風を仰ぐように手を振り、
「だぁいじょうぶ。停戦協定を結ばせるから、1時間くらいは喧嘩しないよ」
「うわ〜〜協定もっろ、つか、シャロさんの忍耐力じゃ3分と持たないのでは?」
「ちょっと、シャロちゃんが耐える前提なのおかしいじゃん! ペレットがウチを怒らせるようなことしなければ良いんでしょー!?」
「言った傍から喧嘩をすんなァテメーら、早く協定結べって」
2人の間に割って入り、双方の手を掴んで握手をさせるギル。シャロが本能的に抜け出そうと身を引くが、鍛えているギルの強制力から逃げることは出来ず、
「ゔあぁぁぁああ、あぁぁぁあああ、ぶあああぁぁアアアアア〜〜!!」
「そこまで嫌なそうな顔されるとガチめに困るんスけど……って、いた、いだいいだいいだい!! ちょ、まじで痛いっス!! 踏ん張ろうとして、俺の手を握り締めないでください!! 握力アンタどうなってるんスか!!」
ペレットが『空間操作』を発動して、ギルの強制下から抜け出す。すると、今まで苦悶の表情を浮かべていたシャロはスッと普通の表情に戻った。
「……じゃあ、行きましょうか」
「じゃーね、また会おうね」
地面を一蹴りすると、紫色に光る幾何学模様を地上へ展開するペレット。先程シャロに拒絶され過ぎたのがキているのか、随分と作り方が乱雑だ。まぁ、あれほど露骨に嫌がられては流石のペレットでも思うところが――、
「……手の感覚バグったんスけど、人間やめてんでしょ」
どうやら違うようだ。手を凝視しながら拳を作ったり、解いたりしてぶつくさと文句を呟いている。そうして、ミレーユを抱き抱えたシャロが無事に転移したのを確認すると、彼は『そんじゃあまた』と彼女らの後を追っていった。
ペレットが消えると同時に転移陣も消えて、周囲はすっかり静かになる。
「――んで、ジュリさんは弟の居場所に目処は立ってんのか?」
「いえ、とにかく近隣を総当たりですが……恐らく」
ジュリオットは辺り一帯を見回して、近くまで足を踏み入れずともわかる人気のなさと不気味さに、『生きている可能性はほぼないでしょうね』と小さく溢した。




