第41話『冥府に誘う檸檬の香り』
アンラヴェル神聖国の国都駅から、目的地である辺境周辺の駅までの間には6つの駅が建っている。(終点までには更に6駅ある。)
各個の駅から駅までの移動にかかる時間は平均20分。各駅は全ておよそ一定間隔で線路を結んでいるので、始発から目的地までは約2時間かかるということだ。
ちなみに出発したのが午前8時頃。つまり何事もなく平穏に列車が走れば、昼前には到着する見込みなわけだが――。
「……ふむ、中々美味しい。これほど美味しいのならば、箱買いでもして土産にするべきだったでしょうか……?」
3つ目の駅を出発した頃、ジュリオットはペレットに代行をしてもらって購入した列車名物のマロンタルトを口にして、その味を絶賛していた。
実は訳あって舌が肥えており、そこそこ味には厳しいジュリオットなのだが、そんな舌さえ唸らせるほどの味――これほど美味しいのなら、拠点に残っているフラムとフィオネの分も買うべきだったか、と彼は頭を抱え、
「もう売り切れっスよ、これ。他の乗客も鬼気迫って購入していましたし、とても土産になんて言って大量購入できそうなものではありませんでした」
「そんな……では、フラムさんに味を再現してもらうしかないですね……彼の料理の腕ならば再現は可能でしょう。金銭なら私が工面できますし、この味を拠点に帰るまで私が覚えてさえいれば……」
「いや思いのほかハマってるの凄い面白いんスけど」
最近の若者特有の表現なのか、笑ってもいない癖にそんなことを言って、向かいの席で同じようにマロンタルトを平らげるペレット。
彼からはタルトの購入費以外にパシリ代を執拗に求められたが、発車する前に全員に渡した5000ペスカで十分間に合っているだろうと頑なに拒み、ジュリオットは無事定価でタルトをゲットした。
ちなみに先程まで居たギルとマオラオは、シャロ達の居る第5・第6車両(レストラン)の様子を見に席を外しており、せっかくあった彼らの取り分も全てジュリオットの枯れ枝のような細い腹に吸収されている。
「……そういや、2個目の駅を越えた辺りから随分居なくなりましたね、人」
ふと辺りを見回して、そんなことを溢すペレット。
ジュリオットもそれにつられ、タルトの咀嚼を終えてから辺りを見回すと、先程まで満席だった車内の人々が忽然と消えていることに気づいた。
「おや、いつの間に……」
「いやタルトに夢中で気づいてなかったんスか? さっき沢山降りて行ったじゃないですか。なんででしょうね?」
「全く見ていませんでした……2駅目からということは、今まで乗客の主はアンラヴェル国民でしたし、今までの地域が他国民もよく勤めている地域なのでは?」
「だとしたらこの減りよう、帝都は全然他の国民の働き手が居ないってことっスよね。それは単に距離的な問題なのか、それとも働くことを拒否されてるんだか」
「『ノース・ユニオン』に加盟してるとはいえ、ロイデンハーツの皇帝は血統と金銭主義で有名ですからね。後者の可能性はありますよ」
国境の行き来は許せても、自分の国で、それも自分の住む近くで外から来た貧乏人が働くのは許せない、ということはあり得るだろう。
「ふーん……あ、すみません。全然話が変わるんスけど――ジュリさん今、何か飲み物持ってないっスか?」
「え、飲み物ですか? 残念ながら、今は持ってないですね……」
「え? ジュリさんの癖に要領悪いっスねー、なんで持ってないんスか?」
「おっと今のは嘘です、そういえば貴方の喉を潤せそうなものがありました。私は一向に構いませんので、ぜひがぶ飲みしてください。こちら硫酸」
「殺意高すぎやしませんか」
などと会話をしていたその時。ふと、席の真隣の通路を通ったワゴンショップの売り子が丁度、ぴたり、と2人の真横でワゴンを止めた。
「――もしやお客様、今喉が渇いていらっしゃいますか?」
「え?」
ペレットとジュリオットが同時に売り子の方を見れば、そこにはエトワール線の鉄道会社の売り子制服に身を包んだ若い男性が居た。
――なんてことのない、平凡な顔立ちの男だった。可もなく不可もなく、中の中という言葉が正直しっくりくる普通顔。有象無象の中に必ず1人は紛れていそうな見た目をした男が2人を見ており、
「現在無料で新作の特製レモンティーを試飲提供して、お客様にアンケートにお答え頂くキャンペーンをやっているんです。丁度こちらのお客様の喉が渇いておられるようでしたので、1杯どうですか?」
「――ほう? レモンティーですか……。では、この場で1杯頂けるのであれば是非。アンケートにもお答えしましょう、ペンはこちらで?」
「いえ、私の方からペンはお貸し致しますので、お客様はそのままで大丈夫ですよ。ご協力ありがとうございます!」
売り子の男はワゴンから紙とペンを取り出してテーブルに置くと、今度は引き出しから陶器のティーセットを取り出した。それをペレットは綺麗に2度見し、
「ポットの注ぎ口から、凄い湯気が立ってますね……淹れたてなんスか?」
「えぇ、淹れたてが美味しいんです。少々熱いので、十分お手元にお気をつけください」
カップの受け皿と輪切りのレモンを乗せた小皿がかたん、と2つずつペレットとジュリオットの前に置かれ、ご丁寧に金色のティースプーンまでつけられる。
そして、車内の光を反射する陶器のティーカップが受け皿の上に乗せられた。
謎に形式を重視しているようだが、この辺は貴族の多いロイデンハーツの乗客を意識しているのだろうか。
「では、失礼致しますね」
売り子の腕がスッとこちら側に伸ばされて、純白のティーポットが傾けられる。紅葉を透かしたような美しい赤色で、淹れたての熱を宿したそれは、艶めくティーカップの中へと注がれて――。
「……1つ、お聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「……はい? なんでしょう?」
売り子がジュリオットの言葉に答えて、紅茶を注ぐ手を止める。変なところで止めたせいで、注ぎかけだった部分がびたびたと机上に溢れた。
「あの、私の間違いだったら申し訳ないんですけども」
微量の紅茶が注がれたカップを眺めてから、売り子の男を一瞥するジュリオット。眼鏡の奥で目が細められて、紺青の視線が鋭くなる。
「――この紅茶を作ったのは、貴方で間違いないですか?」
「はい? ……はい、そうですが」
「ありがとうございます。では、改めてお聞きしますね。……何故、この中に〈毒を混ぜた〉のですか?」
「……え?」
ジュリオットの唐突な発言に、思わず声を溢したのはペレットであった。
たった今ジュリオットに『毒入り』と判断された目の前の紅茶。毒に関して素人のペレットが見た限りでは、特別怪しいところはない。
彼が紅茶を見慣れない、飲み慣れないという理由もあるだろうが、なんのどこを見て『毒入り』と判断したのかが全くわからなかった。
しかし『毒』というジャンルにおいて、ジュリオットを疑う理由はない。彼は薬学のスペシャリストであり、あらゆる解毒薬を作る為にあらゆる毒の情報を網羅しているのだ。なので、ペレットが真っ先に疑ったのは売り子の方であった。
――同時、自身の喉が恐ろしく速く渇いていることに気づくペレット。体内からどんどんと水分が抜けていく謎の感覚に、彼は震えて喉に手を添えた。
「この独特な香り……恐らくは中央大陸の森林地帯で採れる、猛毒の花から抽出したものですね。別名『死に送り花』とも呼ばれる、殺意の高い毒性がある花です。その花から抽出した液を混ぜたのでしょう」
「……何を仰るのですか、お客様」
売り子の男は微動だにせず、目尻を下げて口角を少し上げ、ゆるりと営業スマイルを浮かべた。
「お客様にお出しする提供品に、毒を盛るようなことなど私は致しません」
「……なるほど、しらを切りますか。では良いでしょう、改めて貴方の言動には少し気になる点があります。まず『乗客に試飲させるもの』であるはずなのに、何故これほど熱い状態で飲ませようとするのですか?」
「……」
普段は中々見せないジュリオットの威圧的な態度に、責められているわけではないはずのペレットでさえつい彼の横で黙り込む。
あくまで論理的に、冷静に論点を挙げて詰め寄ってくる者は、感情に身を任せて暴れる者よりも数倍恐ろしい。経験者はよくそう語るが、それを実際に証明している人間が今の眼前の彼であった。
「淹れる時こそ高温の方が風味が出たりしますが……飲める適温まで蒸らすことなく、100度近くの熱さをずっと保たせたでしょう、これ。揺れる車内でこれを提供すれば、乗客が零して火傷をする可能性は大いに考えられると思いますが」
「……」
「大方、溶かしきらなければ液と分離して見た目が『通常の紅茶』らしくならないのを防ぐ為に、紅茶の温度を液が完全に溶け切る93度よりも、高い温度でキープしようと考えたのではないですか? 違いますか?」
ジュリオットによって淡々と語られていく見解。それを聞いた売り子は何か反応を示す訳ではなかったが、押されたようにずっと黙り込んでいた。
「この毒は入手しやすく毒性が高く、かつ遅効性で毒を盛ったのがバレにくい。溶かしやすく色も非常に透明に近いため、混ぜるには非常に良い。ええ、〈初心者にしては〉良い毒を見極めたじゃないですか。……ただし」
ジュリオットはティーカップのつまみを摘んで持ち上げると、中身の紅茶をゆらりと回して混ぜてから、口の中へと全て流し込んだ。
「……匂いが、非常に強い。どう他のものと混ぜようと、嗅ぎ慣れた人間ならわかる独特の匂いを発しているんです。――『毒を知らなかった』。それが貴方の落ち度であり不手際だ」
カップを何事もなかったかのようにかたん、と皿の上に戻すと、彼は湿って潤いを持った薄桃の唇を親指でゆっくりと拭って、
「出直してください、三流。貴方と私では話になりません」
ジュリオットが、そう冷酷に告げた途端――売り子の男は無表情のまま、弾かれたように他の車両へと逃げ出した。
「ペレット君」
「わかってるっス!」
名前を呼ばれると同時に、拳銃を呼び出し構えるペレット。他の車両へ逃げた売り子の、躍動するふくらはぎに焦点を定めると、彼は迷いなくトリガーを引いた。
――パァン!! 列車が線路上を走り抜ける轟音に混じって、車両内に発砲音が響き渡る。同時に、車両を1つ挟んだその奥で売り子の男が血を撒き散らし、足が崩れたように派手に転んでいた。
先程の駅で一斉に乗客が降りたのが幸いして、ペレットら以外にその光景を目にした者はおらず、
「別に、空間を止めるだけでも良かったでしょうに……」
「俺らを毒殺しようとした相手っスよ? 高確率で同業者でしょう? 何で優しくしてやる必要があるんスか……あ、でも公共の場を汚しちゃったのだけはまずかったっスかね……すみません」
そう平然と答える悪童に、ジュリオットは苦笑しながら立ち上がり、
「確かに優しくする必要はないですね。では、気乗りはしませんが、数日ぶりに尋問を始めましょうか。ただし、後片づけの時間も考慮して、迅速にやりましょう。新しい乗客が乗り込んできたら面倒ですので」
「ういーっス」
ジュリオットはシャツの襟を正し、ペレットは首をぐりぐりと回して気持ちの整理をつけると、撃たれた男が激痛にもがいている車両へと乗り込んだ。
だが、
「……ッ!?」
その男に歩み寄った瞬間、男が床に作っていた自分の影から――ふと『右手』が露わになった。
「な、あれは……っ!?」
「っ、下がってください!!」
真っ黒な絵の具に浸したような見た目をしたその『右手』は、もがき回っている男の口を塞ぐように押さえ込む。すると、
「――ッ!? ――ッ! ――ッ!!」
元々暴れていた売り子の男が、今までとは比べ物にならないほど大慌てで両の脚をばたつかせ、その『右手』を外そうと必死になった。
男が脚を動かして、床を蹴って、空気を蹴る度にふくらはぎから血が溢れ出す。車内の床にばら撒かれた血は男が転がろうとするたび服にべっとりと付いて、まだ綺麗だった場所に伸ばされていった。
「ッ……!? あの男の能力じゃ、ない……?」
口を『右手』に塞がれた男の焦りようからして、男がこちらに何かを仕掛けようとしたわけではないようだ。が、その異様な光景に圧倒され、ジュリオットもペレットも瞬きをすることが出来なくなっていた。
そして助かる手段を選ぶ余裕がなくなったのか、男が車両の連結口で立ち止まっているこちらに、救いを求める視線を向けたその時。
「――ッ!?」
不意に売り子姿の男が作っていた床の人影が、気味の悪いほど綺麗な円形に広がった。直後、『右手』は男を強く抑え込んで、円形になった影の中へ〈沈める〉。
まるで、沼か何かに落とし込むように、ゆっくりと、ゆっくりと身体をじわじわ影に呑みこませて、
「ッ、逃がすわけには!!」
ペレットが男に向かって手をかざし、紫色の両眼を淡く輝かせる。するとその場の目の前に広がる空間が凝固し、呑まれかけていた身体がぴたりと止まって、
「――ダメじゃよ、止めては。あれは死ぬ運命にあるのじゃ」
そう誰か、美しい声に囁かれた瞬間。ペレットの意識は霧のように散って、凝固していた空間が元に戻る。刹那の後、ペレットが我に返った時には、必死に暴れ、もがき回る男の身体はとっくに影に呑まれていた。




