第03話『神の寵愛』
城内に侵入した2人が別行動を始めてから、30分ほど経過したころ。
「あー……」
ギルは、とある大部屋の中央にたたずんでいた。
ぐるりと部屋を見回すと、絢爛な金のシャンデリアや、一体いくつの民家が入るのだろう広大なダンスフロアなど、歴史あるウェーデン王家の権力――今はもう廃れているが――を感じる内装と調度品類を見ることが出来る。
かつてはここで、贅を尽くした華やかなパーティーが開かれていたのだろう。そんなことを考えながら、ギルは足元の惨状に目を向けた。
そこにあるのは、喉笛や腹をナイフでかっ捌かれ、血や臓器を溢れさせながら横たわった死体の海だった。うち何人かの四肢は分断されて散らばっており、どの部位が誰の部位なのかギルにはもうわからない。
ただあまりにも切り口が鮮やかなので、どのパーツをどの胴体に繋げようと、大した違和感はなさそうだった。
「はぁ……いま何時だ? そろそろあっちも片付いてんのか?」
貴重品である無線機を持たされていないギルは、指示に頼らず自分の勘で動くことしか出来なかった。
正直なところ、自分としてはもう存分に暴れられてすっきりしたので、そろそろ仲間と合流して帰りたいのだが――。
ギルは頭を掻きながら、この後の行動を考えてぼーっとしていた。
そのときだった。
突然フロアに銃声が響きわたり、ギルの腹部に熱が走った。
「……は?」
肌を生ぬるい液体が伝う感覚に、自分の腹部を見下ろすギル。彼は脇腹に1センチ程度の穴が空いているのを確認し、なるほど、これが熱の発生源かと納得する。どうやら身体が痛みを熱と錯覚しているらしかった。
ギルは驚きこそすれ、それ以上の反応はしなかった。そして、
「――あ」
吹き抜けたこのフロアを一望できる、2階に造られたバルコニーに1人。小さく震えながら、こちらに銃口を向けている男を見つけた。疑いようもない。彼がギルを撃った犯人なのだろう。
「ひっ……!?」
ギルと目が合い、男はわかりやすく怯んだ。引き下がる動きに合わせて、男の頭がつるりと光る。彼は禿げていた。しかし涼しげなのは頭部だけで、その口元にはしわ寄せのごとく、髭がもっさりと生えていた。
髭男とでも呼んでやろうか。
上質そうな真紅のローブをまとっていて、兵士でないことは明らかだった。この城の王族か大臣の1人なのだろう。が、戦えない人間がどうしてわざわざやぶ蛇をつつきに来たのだろうか。
興味を引かれたギルは、口の両端をニィと吊り上げた。
「なんだ、ただのおっさんじゃねェか。でも、そっからぶち抜けるたァ見事だな。旦那より銃の扱いが得意そうだ」
「な……っ、な、なぜ落ち着いている!? 儂の弾は貴様を、かんっ……貫通したはずだぞ!」
「え? あぁ、もうこれ塞がってんすよ。ちらり」
緑のパーカーをたくし上げ、血がこぼれた痕跡の残る脇腹を見せるギル。だが、ギルから距離のある髭男の目には、傷の有無がよくわからなかった。故にギルの発言をハッタリと解釈して、
「ふ……ふん。何を言うか、たわけ」
「……まぁ、信じられないのはわかりますよ。けど、どうしようかなあ」
視界の中心に髭男を捉え、首を捻るギル。やがて動き出し、大股で2、3度死体を飛び越えると、バルコニーの手すりの下までやってきた。そして、
「危ないっすよー、下がっててくださいねー」
胸ポケットから手榴弾を取り出し、ピンを引き抜いて自分の足に落とした。
その軌道を呆然と見つめ、ハッとした髭男がバルコニーの奥へ転がった直後。豪快な爆発音とともに、バルコニーが揺らされた。
「……っ、な、なん……なんなんだ、アイツは……!?」
一瞬でフロアを満たした熱煙を見ながら、『常識』が万人に与えられていなかった事実に青ざめる髭男。何故ギルは自爆したのか、皆目見当もつかなかった。さながら異星人とでも対峙したような気分だった。と、
「っ!」
立ち昇る煙から何かが降ってきて、バルコニーに叩きつけられた。焼けたギルの胴体だった。膝から下が吹き飛んでおり息はない。間違いなく彼は死んでいた――はずなのに、
「よし、足だけで済んだな。ケツまでとれたら目も当てられねェところだった」
「――っ!?」
死体が、喋った。『死人に言葉なし』だったか、南の大陸の常套句に逆らった光景に男は凝固する。
その眼前、ギルの両膝の断面がむずむずと動き、ふくらはぎの形をなし始めた。やがて新しい足が出来上がると、ギルはバネ人形のように飛び上がった。
「身体は治せても、服までは直せねェからな。ケツ丸出しかなチャレンジは俺の勝ちってことで。しっかしひでーな、全身煤だらけじゃねェか」
顔や腕についた汚れをこすり、余計に引き伸ばしながら歩み寄るギル。場違いにも饒舌に喋っていたが、男にはなんの内容も入ってこなかった。ギルもそれに気づいたのか、
「ビックリさせました? さーせん。でも、ちんたら階段探してたら逃げられちゃう気がしたんで」
と謝る。もちろんそれも聞こえない。
完全にへたりこんだ髭男に唯一聞こえたのは、裸足のギルがぺたぺたと歩く音。間抜けなその音が、今だけは嫌に不気味だった。まるで何かの凶事への、カウントダウンのように聞こえさせていた。
「ほら、ここまで来たらわかるでしょ? ボクの腹の傷が治ってること」
髭男の前まで来ると、ギルは改めてパーカーのすそをたくし上げた。銃創は治っていた。しかし死人が蘇った衝撃の後では、そんなのはどうでもよかった。
脳裏に、フロアを埋め尽くす兵士たちの死体が浮かぶ。わかってしまった。どうしてあれだけの人数がいて、誰1人にギルに勝てなかったのか。
「『神の寵愛』っつーんですけどね」
「……!」
「実はボク、回復系の能力を持ってる能力者なんすよ」
――まるで、凪いだ湖畔に石を投げ込まれたような。停止した思考に、『神』という言葉が降ってきた髭男は、ようやくギルの言葉を理解した。
「……能力者……!」
能力者。それは世界人口の3割程度を占めており、『特殊能力』と呼ばれる不思議な力を持つ人間たちのことだった。
そのほとんどが謎に包まれている中で、現在判明しているのは2つ。
1人につき1つの能力しか持たないことと、心身どちらかを消耗する代わりに、この世の理を無視した芸当が出来ることだ。それは非能力者の髭男も知っていた。
まさか、死すら凌駕する者がいるとは思わなかったが――。
「神、とは……? 主……女神セレネのことか……?」
「さぁ、名前はボクが決めたわけじゃなくて、頭に降ってきただけなんで……誰のことかはわかんないっすね。それでボク、貴方に1個聞きたいことがあって」
ギルは上着の内から短剣を取り出し、慣れた手つきでくるくると踊らせた。そして刃先を髭男の喉にあてがう。男の口からひっ、とか細い声が漏れた。
「小耳に挟んだ話なんすけど……どうやらお宅、古代の『殺戮兵器』を蘇らせようとしてるらしいじゃないっすか。いやあ、怖い怖い。そんな危ないもの作ったら、世界の均衡がパーッて崩れちまう。ねえ?」
「なっ……なん……」
「それで、ボクたちは世のため人のため、殺戮兵器の『設計図』を回収しにここへ来たんすけど……思ったんすよ。兵士でもないあんたが、どうして俺の前に出てきたのか。多分ですけど……奪われたくない大事なもんを取りに来たら、逃げ遅れちまったんじゃないっすか?」
「――」
「もし、あんたが持ってるなら出してくださいよ、殺戮兵器の設計図。あんたの命と引き換えにしましょ。どうせ、隠したところでボクに勝てないのはわかってるでしょう? 愛国心だの誉れだののために死ぬって言うなら、話は別ですけど」
そう言って、ギルは髭男に刃を押しつける。冷たく光る銀の刃は、愛する人を慈しむように、おそろしく優しく肌の上を歩いた。
感じるのは、ふつふつと滲み出た血が鎖骨へ滑り落ちる感触。
「――っ」
男はもう、理性的ではいられなかった。どっと吹き出した汗の、どくどくと脈打つ心臓の、まだ生きたいと告げる本能のままに、彼は動いた。
「早く、持っていって、消えてくれ……!」
髭男はローブの中から、黄ばんだ紙の束を取り出した。紙面には緻密な文字と、複雑な図形がいっぱいに広がっていた。ギルはそれを受け取ると、
「あざーっす! じゃあ、約束通り見逃してあげます。尋問お疲れぇーい。じゃあな、また会うことがあったらそんときゃよろしくな」
と、もらった紙束をひらひら振って、バルコニーの奥に伸びる廊下を颯爽と駆けていった。
「……」
あまりに呆気ない別れ方に、残された髭男は放心して、遠ざかっていくギルの背中を見つめる。
やがてギルの姿が見えなくなり、全身に安堵が染み出すと、髭男はなんだかおかしな気持ちになった。つたなくて、大きな笑い声を上げ始めた。
「は……はは、あははは……! もう、全部、クソ食らえだ……! この国も、あいつも……! あはははは……女神セレネの裁きが下って、みんな……みんな死んでしまえばいい……! あはははは! はは、は……」
――あ?
ふと、髭男は違和感を覚えた。震える手で、ギルに切られた喉元に触れる。
なんだか喉が熱い。それに指が痺れて、呼吸が浅くなっている気がする。目の前がくらくらして、世界が、回って、息が、息が……。
「く、そ……」
髭男は歯を食いしばり、眉を歪めて倒れた。光を失った目玉の先、ギルは毒を塗った短剣をしまって、意気揚々と廊下を駆け抜けた。
「悪いなおっさん。俺、あんたの信仰してる神様すっげえ嫌いなんだわ」




