第27話『それは真実か妄言か』
筋骨隆々の大男・ゴルガルフを無事に殺害し、再会したギルとマオラオが本殿の中央エリアへ向かっていたその頃。既に中央へ到達していたシャロ達は、二手に分かれて神子を捜索していた。
――見つけたシャロ曰く、マオラオの予測通り本殿の東塔・最上階に軟禁されていたという神子【ノエル=アンラヴェル】。
彼女を誘拐――もとい保護するため先程東塔へ向かったのだが、そこには顔面を撃たれて人相の認証が出来なくなっていた聖騎士の亡骸があっただけで、神子ノエルの姿はなくなっていた。
それで2人はそれぞれ1階と2階を担当して、本殿にてどこかに消えた神子ノエルを探すことになったのだが、
《――今、本殿の中はどういう状況なんや??》
「……酷い有様っス。聖騎士と白装束の連中が乱闘した形跡があるんスけど、相当凄惨な状態で……このエリアを通っていったとなると、神子ノエルの状況もかなり危ぶまれます」
《そ……か。わかった、じゃあそっちまで急ぐわ。なんかあったらまた言ってな》
「はい。無事に来てくださいね。来てくれれば俺が手抜き出来るんで」
《クズやなほんま》
短い言葉を残して無線機の通信を遮断すると、ペレットは引き続き本殿の部屋の扉を開けて回る。そして赤黒の血が染み込んだカーペットを踏み、時に聖騎士の死体を越え、白装束の死体を越えて回り続ける。
ドーナツ状に大きく広がる廊下を、渡って、渡って、渡って。
――死体の比率は、およそ3:1といったところだろうか。アンラヴェルの聖騎士が3人死んでいたら、白装束がやっと1人死んでいるような戦況。それだけ、奴ら白装束がどれだけ強いのかがわかる。
こいつらは一体、どんな存在で何が目的なのだろうか。
マオラオによれば『神子ノエルの誘拐』と『戦争屋の邪魔』が目的のようだが、前者はともかく後者を行われるような理由に覚えがない。
「どこかを介して連鎖的に買った恨みなら、面倒な世界っスよ本当……」
あるいは、新興宗教のカルト的な行為なのか。
もしかすると世界から悪人を排除することを目的とする、独善的な正義感だけを信念に生きている馬鹿共の集まりなのかもしれない。
マオラオと戦闘をしていたという大男は、神や天使、『天国の番人』といった、いかにもなワードを口にしていたらしい。そんな奴と同じ格好の人間が無数に居るのだから、カルトのターゲットにされた可能性もなくはないだろう。
「……居ない。ここにも居ない。くそっ、ここら一帯は調べたのに……」
神子ノエルが相当隠れるのが上手いのか、もしくは白装束に捕まり連れ去られてしまったのか。前者であることを願いたいが、後者ならばかなり酷い事態だ。
これまでの状況から推測するに、フィオネの言っていた『神子を利用して戦争を促す魔の手』とは彼の予想である『神子の身内』ではなく、このお揃いの白装束を着た『ヘヴンズゲート』とかいうカルト信者達(暫定)のはずである。
その手に渡ってしまったのだとすれば、フィオネの未来視通り、今後遠くないうちに大戦争が起きてアンラヴェルは敗北し、弱ったところを吸収した――つまり肥えて強大化した勝者が、戦争屋の敵に回ることになるのだろう。
ただでさえ最近は忙しいのだから、そうなってしまえば厄介だ。
既に奴らの手中にある可能性もなくはないが、まだそうでないことを信じて、神子ノエルの確保に努めなければ――。
と、刹那、ふと背後から視線を感じて振り向くと。
突然、弾けるような銃声が炸裂して、銃弾が耳の真横を走り去っていった。
「――ッ!?」
前触れも何もなかった銃撃に、身を固めるペレット。気配の察知を大得意とする自分としたことが、何故気づかなかったのか。若干場違いな疑問を抱えつつ即座に振り向けば、彼は精神的な衝撃をぶつけられたように喰らい、
「は、え……め、メイド長……?」
「ええ、メイド長の【セレーネ】よ」
思わずペレットの口から漏れ出た言葉に頷き返したのは、金髪を1本の三つ編みに結んだ少女――メイド長だった。初日以降は会っていなかった為、数日ぶりの再会であったが、その顔の美しさは依然として変わりない。
しかし、彼女――セレーネの穏やかなイメージは、跡形もなく払拭されていた。
透き通るような白い頬に刻まれていたのは、何か鋭利な刃物で斬り払われたような赤く鋭い切り傷。モノクロが基調のシックなメイド服は、ところどころに焼け焦げた跡や破けた跡があり、原型を失いかけている。
頭も手足も胴体も全てが血塗れ。彼女の柔和な雰囲気など、微塵も残らずに消失している。――だが、何よりも彼女に似合わなかったのは、
「あぁ、これ気になるかしら」
腰に下げた鞭のようなものと、見せつけるように持ち直された短機関銃。彼女が持てば明らかに異物として目立つはずなのに、手慣れた仕草のせいで妙に馴染んでいる、およそ指先から肘までの長さの銃であった。
「なんでそれを、持って……そんな近代武器、アンラヴェルはおろか大抵の国じゃ出回ってないはずの、ものじゃ。まさか白い装束の奴らから、奪い取った……奪い取れた、ん……スか……?」
「え? あぁいいえ、元々隠し持っていた私物の武器よ。来たる日に備えてずっと大事にしていたの」
白い頬を薄桃色に染めて、柔らかく微笑む少女。それは血を被っていなければ、短機関銃など持っていなければ、あのペレットでさえも思わず見惚れてしまっていたであろう美しい表情であった。
しかし今は、それが酷く冷たい狂笑に見えて。
ペレットはこめかみの辺りから、血の気がスッと引いていく感覚を覚えた。
「私はずぅっと待っていたの。こうして2人で会える日を、話せる日を、愛し合える日を。でも、貴方は私のことなんて覚えていないでしょうね。知っているわ」
金髪のメイド少女は口元に雪白の指先を添えて、くすくすと笑う。
「私は貴方のことしか見てないのに。貴方のことしか考えてないのに。酷い話だと思わない? 本当、嫌になっちゃうわ」
――翡翠色の双眼が、真っ直ぐにペレットを捉える。
「ねぇ、どうしたら私のことだけを見てくれるの? 愛と身体と自由と時間、あと他に何をあげれば良いの? まさか、私の命とか? 良いわ、貴方が欲しいなら今ここで、心臓を抉りとっても構わない」
奥にある心臓に触れるように、そっと五指を前胸部に乗せる少女。彼女の瞳に嘘の色はない。もしここで死ねと言えば、彼女は喜んですぐにでも死ぬだろう。それほどまでに深い愛情と、重い依存と、甘い狂気をペレットに向けていた。
「き……!!」
気色わる、と悪態を吐こうとして、ふとペレットの唇の動きが止まる。
わからない、わからない、わからないわからないわからない。
この少女が何を言っているのか、さっぱり理解できない。言葉の全てが甘ったるくてドロドロしていて、気持ちが悪くて――わかるのはただそれだけ。
それ以外、何もわからない。
でも、何よりわからないのは――いつもならば、狂人の戯言と嘲笑えたはずの意味不明な発言を、一切笑うことも馬鹿にすることも出来ない『自分』だ。
「あら? どうかしたの? 汗なんてかいちゃって」
セレーネが唇を動かす度、舌を動かす度、声帯を震わせる度に大きな錘がのしかかり、心を潰しにくる。それが何故なのか、ペレットにはわからない。ただ得体の知れない恐怖に汗が垂れて、舌がやたらと乾いてくる。
「まぁ、貴方が必要とするなら何でも用意してあげるけれど、意地の悪いことを言ってしまったかしらね? ごめんなさい。でも、まずは〈貴方の記憶を返す〉前にその脚を止めさせてもらうわ。物理的にね」
彼女がそう啖呵を切った瞬間、今まで逸らされていた短機関銃の銃口がペレットへと向けられた。そして、セレーネの人差し指がトリガーに掛けられて、
「――そうじゃないと貴方、人の話を聞かないでしょう?」
「なッ……!」
構えた瞬間、黄土色の銃弾が連射された。鼓膜を破るような激しい連弾音が辺り一帯にぶちまけられ、ペレットの身体が穴だらけに――は、ならない。
寸前も寸前、あとコンマ数秒遅ければ蜂の巣になっていたタイミングで、ペレットは片手をぴくりと動かした。刹那、空間が丸ごと固定され、無数の銃弾は時が止まったように空中に固定される。
すると、セレーネの翡翠色の瞳が哀しげに細められた。
「やっぱり、何も覚えてないのね……改めて知るととても心が痛むわ」
「何を……」
「貴方はそう、本当は、少し前に戦争屋への潜入を命令されて、私に過去の記憶を奪われてから放り出されたの。戦争屋と出会って、拾ってもらえる場所にね」
「は……? 戦争屋への潜入を、命令された……?」
「ええ。けど、戦争屋には『嘘を見抜く能力者』が居るからって、事前に記憶を私に預けたのよ。戦争屋に拾われた貴方が、自分を詐称して説明して、その結果嘘を見抜かれて墓穴を掘る――なんてこともしなくて済むから」
「……!? さっきから、〈記憶を返す〉だの『貴方しか見てない』だの、なんなんスか、一体……ッ! 俺は、アンタのことが全然わからないっス……!」
ぎり、と奥歯を食い縛ると、ペレットはその場から一目散に逃走した。
自分の記憶にある戦闘の中で、初めての敵前逃亡であった。
本当は、ここでセレーネを殺しておけば良かったのだと思う。けれど、ペレットは恐怖していた。ほぼ初対面のはずなのに、おかしな妄想をしている気持ち悪い女のはずなのに、彼女を殺すのが怖かったのだ。
――殺せば、自分の中の何かを失ってしまう気がして。
「チッ……」
ペレットは不可解でおぞましいこの状況に舌打ちを1つして、体当たりをするように近くの大扉を無理やり開けた。
「こ、こは……」
セレーネが来ない内にと即座に周囲を見回して状況確認。そこにあったのは、白と金を基調とした神々しい世界であった。
見上げるほど大きなパイプオルガン、緻密にも程がある壁や柱の彫り込み。寒色系の色で統一されたステンドグラスに天使の彫像のオブジェ。他いくつもの要素によって作り上げられる、いつぞやに見たウェーデンの教会とは比べ物にならないような規模の荘厳ぶり。
まとめると、バロック様式の真髄を見せつけられる空間――大聖堂だった。
一瞬その美しい光景に見惚れそうになるが、視線を下方へ移した瞬間そんな考えは消滅する。
聖騎士や白装束の死体が散乱していたのだ。しかも、やはり比率は3:1なのか、聖騎士の方がより多く死んでいた。あまりにもその人数が多過ぎて、色んな人間の血の混ざった匂いが塊となって鼻を殴りつける。
しかしいちいち気にしてはいられない。ペレットは天井まで伸びた白い柱の裏に隠れると、大聖堂の中にセレーネが入ってくるのを待った。
「くそ、もう少しで限界が……」
能力を使い過ぎた反動で怠くなってきた身体を殴りつけ、無理に喝を入れてから手中に拳銃を呼び出すペレット。ここに来るまでに相当な数の武器を使ったので、そろそろ拠点から武器の在庫がなくなっているかもしれない。
正直これ以上攻められると、こちらの打つ手がなくなってしまう――。
などと考えていると、大聖堂の扉の前に人影が忍び寄った。
身体のラインがしっかりと浮き出るシルエット、間違いなくセレーネの影だ。
黒髪の彼は渇いた喉で、鉄の味がする息を飲み込んでから決心すると、柱の陰から滑るように飛び出して4発撃った。――が、
「あら、貴方……もしかして私達と居た時よりも、衰えていないかしら?」
「なっ……」
ペレットは己の眼が捉えた映像を疑った。信じられないことに、彼女が細腕を一振りして振るった鞭で、弾丸は全て弾き返されたのである。
計4発の銃弾は方々に散らばり、あちこちでからんからんと冷たい音を立てる。それは、あまりにも一瞬のことで、あまりにも超人的な行為で。ペレットの意識からあらゆる思考が抜けていき、頭の中が真っ白になった。
「……ッ!」
唐突に襲いくる無力感。虚脱感。女1人すら殺せないのかという非難の味と、鉄を舐めさせられたような味覚が腹の底から迫り上がってくる。しかしそこへ、耳を突き刺してくるように飛び込んだのは、
「ペーーーレッ、トォォォォォォォォォォォォ!!」
大声で自分の名前を呼ぶ、若い男の声。そしてそれに続いて、それよりも少し若めの『うるさァァァァァァァァい!!』と轟音をあげる声が響いた。
「……はぁ?」
大聖堂の扉の前に立っていたセレーネは、狂笑を浮かべていた顔を初めて不快そうに崩して、声の聞こえた方へと翡翠色の視線を向ける。
「……タイミングは、上々っス」
身体が疲労しきって、開けることさえ困難な口を動かすペレット。
額に玉のような汗を浮かべた彼は、大聖堂の外からこちらへ向かって来ているのであろう顔見知りの人物へ、賞賛の言葉と血反吐をセットで吐いた。
――直後、視界が暗転した。




