第26話『命名・砂をぶち撒けろ戦法』
何というタイミングで出会ってしまったんだろうか。というか、何故彼がダクトに潜んでいるんだろうか。脱獄は上手くいったということで良いのだろうか。
その姿を見ただけでいくつもの疑問が頭に浮かぶが、その混乱を口にしてみたところマオラオから発されたのは、
「えっ、ハァーーーーッ!?」
「おー、マオラオじゃねェか。何やってんだそこで」
マオラオの大声でようやくこちらに気がついて、パイプ状の空洞から顔を覗かせ手を振りかけてくるギル。その両頬は煤のようなもので汚れており、相当汚い空間に居るのだと察知する。が、それに興味を示している場合ではなく、
「『何やってんだ』ってそらこっちのセリフやぞ! あんさん、隠密にしてもそない中途半端で……いや、それよりもギル、任せてええか!?」
「任せる? 何を」
と、ギルが不思議そうに首を傾げたその時。のしっという音と共に床が揺れ、マオラオは嫌な予感がして振り向いた。
すると背後には案の定、大男・ゴルガルフの姿が。彼はその丸太のような足で、こちらへと闊歩してきていた。
「あ、あれや。ほら、そこから顔出して見てみい。あの……そっとな? 頼むから騒ぎ立てへんようにな。いつ突進されるかわからんから」
マオラオが小声でそう促すと、ギルはダクトの中で体勢を変えて、マオラオの背後から来るゴルガルフが見える向きでひょこっと顔を出す。
「あー、あれかァ……あれと同じような格好した奴、ここに来るまでに結構見かけたけど。何が起きてんだ? 殺しても良い奴らだよな? じゃないと、まずいんだけど」
「もしかしてあんさん、もう殺したんか……あぁ、幸いこの宮殿の奴らやない。オレらんこと邪魔して神子を奪うんが目的やー言うとったからな」
そう言って、ちら、とゴルガルフの方を一瞥するマオラオ。
「ほんで、あれを倒して欲しいんやけど」
「いやぁ、流石にあの筋肉ダルマは無理だわ。殴っても蹴っても効かねェだろうし、尋問受けた時に武器ぜーんぶ取り上げられたからな。つか、ああいうのはてめェの担当なんじゃねェの」
「忘れとるようやから言うとくけど、オレかなーり久しぶりやで今回の遠征! 間に合わせの筋トレしかしてへんし、多分本気の3分の1も力出えへんから!」
「絶望的じゃねーか。……あぁでも、これは使えんじゃねェの?」
「あ?」
ずりり、とダクトの中で何かを引っ張って、廊下に立っているマオラオにも見えるように何かを持ち出すギル。彼が見えたのは重たそうな袋――消火用の砂が詰まった袋で、
「ん、それ……もしかして、オレが起こした火事の消火をするための……? え、盗んできたん?」
「いや、廊下に落ちてたから拝借した。どーよこれ、何かに役立ちそうじゃね?」
「うーん……中身が沢山入っとるなら、使えへんこともないやろうけど……」
そろそろ象の行進音も近い。距離を取らなければ、一瞬でやられてしまうだろう。マオラオは冷や汗を一筋流すと、ギルに向かって親指を立てて見せた。
「も、もうやばそうやから判断は任せたで! オレはもう逃げるから!」
そう言ってその場から一目散に駆け出すマオラオ。さながらその速度は滑空するツバメである。一瞬でゴルガルフから距離を取っていく。1人、残されたギルは砂袋を抱き込みながら、『ハァ〜?』と声を出し、
「判断は任せたって言われても……」
眉をひそめて困惑するギル。が、のしっ、のしっと象が歩くような足音を聞いて、彼は腹を括った。
「仕方ねェ、やってやるぜマオラオ!」
彼はゴルガルフに聞こえるように大声で叫び、砂袋を持ったまま上半身をぷらーんと天井から出す。そして、両足の力だけでダクトに引っ掛かるように掴まり、
「こんちゃーす、顔面失礼しまーす」
と、やはりこちらに気づいていたゴルガルフの顔に、口の紐を緩めた砂袋を投げた。すると、ゴルガルフの顔面に、身体に、足元に、全身に袋の中身が撒き散らかされる。
流石に砂の襲来まではゴルガルフにも予測できなかったようで、一気に辺りに舞い上がった砂埃に包まれて巨体が見えなくなった。
「うわ、やっべ」
天井まで舞い上がってきた砂に目を瞑り、ギルはゲホゲホと宙ぶらりんの状態でむせながら、付近に蔓延する砂煙の中で薄く目を開いた。
視界が悪くゴルガルフの姿も、マオラオの姿も見えない。だが、ギルには遠かったはずのマオラオの気配が、猛スピードでこちらに戻ってきていることがわかっていた。
「ほな、せぇ、の!」
マオラオは小さな身体で風を切り、走り、走り、白い砂埃の中へと飛んでいく。彼が飛び込んで砂埃の形が大きく変わった瞬間、どむんという重低音と共にゴルガルフがすっ飛んだ。
「ぐっ……!」
廊下の床と平行に吹き飛ぶゴルガルフ。彼は途中で床に落ちると、残りの勢いで激しく転がり回る。大岩を思わせる巨体の回転。あれにぶつかればきっと、どんなものもたちまち壊れてしまうだろう。ギルがそう思っていると、
「あ」
ダクトから身体を出し過ぎたあまり、重心が偏って落下する。
妙な浮遊感にエッと声を上げれば、間もなく廊下の床と大胆なキッス。直後には骨の折れる音が連続して、軟体生物のようになったギルの身体だったが、砕けた鼻も折れた首も瞬時に完治した。
「大丈夫かぁ、ギルー!」
白い砂煙の中から、大声を張り上げてギルに駆け寄ってくるマオラオ。彼は砂だらけの給仕服を適当に叩きながら、痛くはないがその場にうつ伏せて停止しているギルの肩に手をかけて、顔を覗き込み、
「何しとんアホか?」
「しんっっっらつぅ! 頭から落ちた仲間に対して辛辣ぅ! アホかじゃねェんだよ! ……けど、よく一撃喰らわせられたな」
「そら、まぁ、オレには『監視者』があるからな。目を瞑って透視しながら、アイツがどないな場所にどないな体勢でおるんか確認しながら突っ込んだんや。お陰で顔面に一撃見舞いはしたけど……」
そう話しながらマオラオは、時間経過で砂埃が落ちきって、クリアになった空間に目を向ける。と、なんとなくそちらを見たはずが、ゴルガルフが今にも駆け出しそうな姿勢で足に力を溜め込んでいるのが見えて、少年は顔色を変えた。
「ちょ」
血の気を引かせるマオラオ。慌てて助けを求める表情で振り向けば、そこに居たはずのギルはとっくにどこかへ駆け出していて、
「まっ」
逃げていくギルの背中に声をかけようとしたその瞬間、廊下に落とされていた自分の影に、重なるようにして大きな影が現れた。
「あのっ」
気温外れの冷や汗をたらりと流してまた振り向けば、そこにはマオラオの鳩尾を確実に狙う巨大な拳が。
受け止めきれない。そう悟った瞬間、それは砲弾のような速度と威力で打ち出される。
胃を抉るような大打撃。懐に入った剛拳はそのまま天へと振り上げられ、マオラオの小さな身体は天井に打ちつけられる。
「がッッッ、は……」
食堂の奥の方から一気に何かが込み上げて、血と胃酸の混じったよくわからない液体が口から溢れる。喉の奥が酸っぱくて苦い、気持ちの悪い味に襲われた。
しかし、ただでやられるマオラオではなかった。重力に引っ張られて落ちていく最中、彼は朦朧とする意識の中で身体を丸めて前回転をするように落ち、走る馬車の車輪のように勢いがついたところで、
「うるぁぁぁぁァァァァーーーーーッ!!」
「がっ……」
片足の踵を、ゴルガルフの脳天に打ちつけた。
頭頂を叩き、その衝撃を脳天から一直線に真下へ伝える。すると、ゴルガルフは酔っ払ったようにふらふらと動き、倒れそうになったところを寸前で踏みとどまった。
「んの、小僧がァ……!」
純白のフードの下で目を血走らせたゴルガルフ。彼はマオラオに拳を1発打ち込む。それは十字に重ねた腕で防がれるが、諦めずに次から次へと拳を叩き込んだ。
「ッ、ッ、ッ……!」
特殊能力『監視者』のもたらす副産物的な動体視力の良さと、持ち前の小柄さを活かして間一髪で猛攻をかわすマオラオ。今のところ1発も当たっていないが、気を抜いたが最後、鼻骨を粉々に砕かれる。1ミリも油断は出来なかった。
明らかに人間技ではない、とマオラオは思う。そして、
「まさか、あんさん……鬼族なんか?」
そう尋ねた時、風を鳴らしながらマオラオの残像を打つゴルガルフの、樹木のような腕が動きを止めた。
「それはこちらの台詞だ。いかなる者であっても俺の肉体には敵わないはず。しかも、お前のような小さい子供など。なのに、お前は俺に3度も攻撃を浴びせ、今も俺の攻撃を避け続けている。これは、お前が『鬼』でなければ納得がいかない」
「――は?」
途端、苦悶の表情を浮かべていたマオラオからそれが消え、代わりに激しい怒りの色が彼を染めた。
ふっ、と短い一息と共に、マオラオは床を蹴る。そして高く跳ね上がると、腰を捻って横回転しながら、ゴルガルフの頬を蹴りつけた。
そのスピードに、ゴルガルフは一瞬何が起きたのかわからなかった。ただ、頬肉が大きくへこみ、歯が割れる。ゴルガルフの顔の骨格が僅かに歪曲して、そのまま巨体が真横に吹き飛び、再び回廊と廊下とを隔てる壁に大きな穴が空いた。
ゴルガルフはそのまま回廊へ転がり込む。それを追って回廊へ入ったマオラオは、ゴルガルフの手首を両手で掴み上げると、
「許さへん」
と一言呟いたが直後、鉄球投げのようにぐるんと振り回したゴルガルフを回廊の石柱に打ちつけた。
大男を振り回せるその力と速度に、石柱すらも粉々に崩壊。面白いほど簡単に砕けた石柱の欠片が辺りに散乱し、そのいくつかがゴルガルフの顔面や頭に突き刺さる。説明するまでもなく、彼は無残な状態にあった。
しかし、不幸なことに彼の息は続いていた。
「なぁ、まだくたばっとらんよなぁ?」
掴んでいた腕を落とすように離して、マオラオはうつ伏せで荒い呼吸を繰り返すゴルガルフの首根っこを掴み、無理やり彼を起こす。
「あんさん、『ち・い・さ・い』言うたか? わかってへんな、オレのは『せ・い・ちょ・う・と・ちゅ・う』って言うんやで? な?」
ニコニコと牧師のように微笑み、諭すようにゴルガルフに教え込むマオラオ。が、ゴルガルフの意識は朦朧としており、マオラオの言葉にまともに耳を貸せる状況ではなかった。
口からも鼻からも血が垂れて、肌には石の欠片が刺さっている。強打した頭は割れていて、誰が見ても瀕死であった。
「んふふ、わかったらそろそろサヨナラしよか。なんか最後に言うときたいことあるか?」
せめてもの慈悲なのか、マオラオは首を傾げてそんなことを尋ねる。
すると、顔面を己の血で真っ赤に染めたゴルガルフは、未だなお歯茎から漏れ出ている血と、砕けた歯の欠片で悲惨なことになっている口を動かし、『お……』と濁点がついたような声を上げた。――が、
「おま、え……鬼……」
「あは、ざんねん。時間切れやわ、ほなね〜」
5秒も経たないうちにマオラオは口を緩めると、力を込めて腕の血管を浮き上がらせ、ゴルガルフの雁首を容易く引っこ抜くのだった。
特殊能力『身体改造』使い・【ゴッツ=ゴルガルフ】戦
――マオラオ(とギル)の勝利。
――【ゴッツ=ゴルガルフ】、死亡。




