第23話『死に際の独りよがりな幸福』
あまりにもギリギリではあったが、この絶望的な瞬間にタイミングよく現れた少年にシャロは目を見開き、その名前を呼ぼうとした。が、
「ペレッ……かふっ、けふっ」
今まで喉を締められていたせいか、声が掠れてしまい上手く言葉にならない。表情を歪めたシャロは喉元を押さえて、掠れ声のまま咽せた。
しかし、ペレットは自分の名前を呼ぼうとする少年の声に気づいたようだった。何も言わずに一瞥することでシャロに応え、彼は白装束の青年に向き直る。
「――とにかく、その声カッスカスの不細工と離れてください。じゃないと、その内側も外側もピンク色の頭ぶち抜きますよ」
「おや、怖いことを仰る」
青年は余裕の滲む口調で手を挙げて、降参の意を示したまま立ち上がる。そしてペレットに銃口を向けられながら、仰向けたシャロの身体からすっと離れた。
案外潔く従っているように見えるが、彼の桜色の瞳は依然として、溶かすほどの情熱を込めてシャロに向けられていた。
「んで、何してたんスか? アンタらは」
「貴方が目で見たままですよ。彼女の細く、白く、美しい首を締めておりました。あぁ、ご安心ください。不肖【ジェード】、手は一切抜いておりません」
「は?」
「彼女にはなるべく早く逝っていただこうと思いまして。世の中にはあえて中途半端に相手を苦しめ、その様子を楽しむ方もいらっしゃるようですが……私は、生前の被写体を意味もなく苦しませるような、非人道的な趣味はしていませんから」
「……ツッコミ待ちなら付き合いませんからね」
「? はい」
「……マジか」
どこか会話の噛み合わない青年――ジェードに、呆れ果てるペレット。シャロに手をかけたことが原因で今、自分の命が握られているのは理解しているようだが、やたら堂々としているうえ、釈明の方向性もなんだかおかしい。
本物の狂人だったか、とペレットは溜息をついた。
戦争屋にも頭の残念な奴は居るが、『苦しみのない殺人は人道的か?』と聞けば全員がノーと答えるだろう。理解しているかと言われれば怪しいが、彼らも世俗のフリが出来る程度には『道徳』を知っているのだ。
その点、この青年は道徳の『ど』の書き方すら知らなそうなので、ある種戦争屋よりも危険な人物である。
そう思っていると、ジェードは手を挙げたまま『ですが』と口を開いた。
「あぁ……貴方は許されない罪を犯した。私の神聖なる行為を邪魔してしまった。これは大いなる罪だ。これは罰するべき咎だ。――私にとって、貴方の死に姿に価値はありませんが……死をもって、貴方には償っていただきましょう!」
青年が高らかに告げた瞬間、パッとその姿が消えた。それを視界に認めた途端、ペレットは気怠げだった目を見開いて、素早く周囲を見回す。ところが、どこを見ても青年の姿は見当たらなかった。
そう思うと突然、背後に気配を感知する。同時に、耳元でねっとりと声がした。
「――実に哀れだ。可憐な少女の死にゆく姿。その儚さが、その尊さが、その素晴らしさが理解できないとは」
ぞわり、と背筋に冷たいものが駆け抜ける感覚。同時に、全身が粟立つ。一体、いつの間に近づいてきていたのだろう。気配の察知には自信があったため、ペレットは自分がジェードの接近を許したことに驚きを隠せなかった。
しかしペレットの切り替えは早い。ひとまず片腕を振り払い、少年はジェードの整った顔面に肘を入れた。ジェードは軽く吹っ飛んで、雪の庭に転がり込む。
雪のクッションがあるとはいえ、危険な飛び込み方をしていたのを見るに、どうやら受け身の心得はないようだった。
少しして、頭髪や白装束にかかった雪をさらさらと落としながら、積雪の中から起き上がるジェード。彼を前に、ペレットは人差し指を魔法の杖のように回した。
次の瞬間、ジェードを中心として彼の全方位に無数のナイフが現れる。それらはジェードに刃先を向けて、ドームを形作るように宙に浮いていた。
青年は目を見張り、『素晴らしい……!』と息を呑んだ。
「まさか、世にも珍しい『空間系』の能力者に出会えるとは。しかも1度にこれほどの数の召喚を……もしや、『上位種』と呼ばれる能力をお持ちで?」
「ぺちゃくちゃうるさいっスよ。アンタは自分の命の心配をした方が良い」
「そう仰る割には、私を殺す気がないようですね」
「まー、聞きたいことがあるんでね。当然、それが終わったらすぐ処理しますよ。ほら、シャロさん。今からここ広く使いたいんで、いい加減起きてくれます? 首を絞められただけでくたばるような野郎じゃないでしょう?」
青年を牽制したまま、離れたところで仰向けるシャロを見やるペレット。刹那、
「お前ーッなんて言った今ぁ!」
シャロは目をぱちりと見開いて、弾かれたように起き上がった。
「野郎って、野郎って、野郎って言ったぁ! う、嘘つきー!」
「嘘ではないですけどね?」
「そういえばさっきも、ウチのこと声カッスカスの不細工って言ったし! おっ、思い出したら腹立って来た! 1発ぶち込んでやるーーッ!!」
錯乱気味に大声で叫び、先ほど押し倒された衝撃で手放した大鎌を拾い上げて、雪が染みた給仕服のスカートを翻しながら突進するシャロ。
月光にきらりと輝く鎌の刃に、ペレットはぎょっとした表情で、
「ちょ、そこまで怒らなくてもいいじゃないっスか! 目がガチっスよ、ストップストップストップ! 止まってください、その殺意はあっちに……って、は?」
ふとナイフの包囲網を見て、間抜けな声を上げるペレット。驚いた理由は単純、動きを止めていたはずのジェードの姿が、包囲網の中から消えていたためである。彼のものらしき足跡は、包囲網の外へは続いていないにも関わらず、だ。
一方、ストップと言われて一応止まろうとしたらしいシャロは、それでいて思いきり鎌を振り払いながら、『あごめん止まんなかった』と謝罪する。
どうやら最初から刃を向ける気はなかったらしく、代わりに向けられた刃と柄の接続部分が吸い込まれて行った先は、ペレットの頬であった。シャロに止まる気があったため勢いは死んでいたのだが、殺意の乗った重たい鎌にぶん殴られ、
「ぶっ!」
ペレットの身体がすっ飛んだ。そして、頭から雪溜まりに刺さる。
なお、ペレットの名誉のために言うとこれは、十分に避けられた攻撃であった。シャロが止まってくれると信じさえしなければ。
お陰で口の中に唾液混じりの血が溜まったペレットは、頬を押さえて起き上がるなりペッと吐いて『し……信じらんねー』と服の裾で口元を拭った。
「敵が逃げてるって時に、何やってんスかアンタ!」
「え? 嘘? あ、ホントだごめん。いや違うよ、ペレットがキュートなシャロちゃんに向かって野郎とか言わなかったらこんな……」
そう言いかけて、口を止めるシャロ。彼は呆然とペレットの背後を見た。
直後、彼は何かに突き動かされたように飛び出し、ペレットの前でブレーキをかけて、目の前の胸ぐらを自分の方に引っ張った。
「は?」
今度はなんだ、と眉をひそめるペレット。
突然引っ張られて体勢が崩れるが、上手いこと足を出して転倒を防ぐ。
「さっきから一体なんなん……」
『スか、』と続けてシャロを問い詰めようとした、その時だった。
まるで剣のような――何か、鋭いものが空振る音がペレットの後ろでした。
「――え」
「ゆ、幽霊がいる!!」
予期していなかった死の気配に固まるペレットと、困惑混じりのシャロの声。それにつられて振り向くと、そこにはシャロの言う通り、幽霊のように半透明になったジェードの姿があった。その両手には長い剣がそれぞれ握られている。
ペレットはそれが今しがた、自分の後頭部を掠めたものの正体だと気づき、『そういうことか……!』と何かに納得した。
――足が空気に溶けた身体で、夜風にたゆたうジェード。彼は、さながら童話に出てくる王子様のような美貌で『ふふ』と微笑み、桜色の双眸でシャロを捉える。
「貴方は不思議な力をお持ちなのですね。私の攻撃から2度も少年を守るとは」
「2度……も守ったっけ?」
「えぇ。1度目は貴方が少年の顔を鎌で殴った時。そして今が2度目……どちらも貴方が気づいた時にはまだ、実体化していなかったにも関わらず。一体、どうして貴方には私が見えるのでしょう? 特殊能力『幽霊人間』の使用中は本来、いかなる者でも私を感知できるはずがないのですが……」
「『幽霊人間』……」
ペレットは青年の言葉を咀嚼しながら、今までの出来事を振り返る。
ペレットが一向に彼の気配を察知できなかったのも、彼がナイフの包囲網から抜けられたのも、全てはその能力で『幽霊』になっていたからなのだろう。
「ようやく合点がいった……あとはどう殺すか」
「え? なんて?」
「なんでもありません。シャロさん、下がってください」
ペレットはそう言って、片腕でシャロを制しながら1発撃った。放たれた弾丸は剣を握るジェードの手に走るが、被弾の直前手元だけが透明化し、彼の身体をすり抜けて雪の地面に刺さる。
続けて何箇所かに向けて発砲するが、全て同じように終結した。
「残念ながら、私に攻撃は通用しませんよ」
ペレットが足掻いているように見えたのか、憐憫の目をして空気に溶けていくジェード。服も剣も共に消えたため、完全にどこに居るのかわからなくなる。
「こればっかりは面倒っスね……。――けど」
「ペレット、後ろッ!」
シャロが鋭く叫んで、ペレットは背後を振り向いた。
そこにあったのは、こちらに向かって剣を振りかざすジェードの姿だ。完全に実体化しているわけではなく、ギリギリ視認できる薄さで彼は存在していた。
ニィと口角を引くペレット。彼は瞬間移動でジェードとの距離を詰め、剣が振り下ろされる前に体当たりしながら、腹に銃口を突きつけた。引き金を引くと直後、ペレットの突進を受けたジェードの背中から、花が開くように血が噴き出す。
よろめいたジェードは歯噛みし、即座に足を出して後ろへの転倒を防いだ。
「……何故。私に攻撃は通用しないと、言っておいたはずですが」
「それを信じるのはよっぽど純粋なやつか、かわいい子供くらいのもんっスよ。そもそもアンタに攻撃が通用しないなら、アンタの攻撃も通用しないはずでしょ」
「貴方の攻撃だけ一方的に通じない、という可能性は考慮しなかったのですか? もしそうだった場合、貴方は私の双剣を正面から浴びていた。私の目には、貴方はもっと慎重で臆病で……賭けをするような人には見えなかったのですが」
「賭けじゃないっスよ。事前にアンタを撃って確かめましたもん」
「――」
「アンタ、撃った弾をすり抜ける時わざわざ透明化までしたでしょ。つまり、『実体化してる時は攻撃が通用する』んだって、アンタが自分で証明したんスよ?」
ペレットはそう言って、こてんと首を傾げる。してやった相手の顔を無遠慮に覗き込むような素振りで、彼がやると愛らしいというより憎たらしいアクションだ。
ただし、そんな彼も内心ヒヤヒヤしていた。
気配も匂いも音もしない。足跡は出来ないし攻撃は通用しない。この時点で既にペレットの勝ち目は薄く、きっと上手いこと実体化した瞬間を狙おうと思っても、前兆が捉えられないのだから、先手を取ることは叶わなかっただろう。
故に、もしこれがペレット1人の戦いであったなら――。
「負けてたでしょうね。要するに、先に落としとくべきだったのは、何故だかアンタが見えるシャロさんの方だった。まぁ、シャロさんだけ生き残ったところで、リーチ的に優位が取れなくて死ぬんですけど。……そうじゃなくても雑魚だし」
ぺろ、と馬鹿にするように舌を出すペレット。それにシャロは目を剥いて『やんのかぁこらー!』と怒り狂い、ペレットの胸ぐらを掴んで揺する。そこから喧嘩が始まったのを見て、ジェードは完全に実体化。双剣でペレットに襲いかかった。
「――ッ!」
と、我に返ったシャロがその間合いに割り込んで、ジェードの攻撃を鎌で受け止める。それからしばらく攻防が続き、両者の間に激しい火花が散った。
やがて純粋な殺し合いでは負けると判断したのか、青年は目潰しの作戦に出た。中庭に積もった雪を蹴り上げ、シャロの顔面に浴びせかけたのだ。『わっ!?』とシャロが怯んだ瞬間、ジェードの渾身の一振りがシャロを襲った。が、
「チェンジっス」
ペレットがシャロの腕を後ろに引き、代わりにジェードの前に出た。
そして顔面が斬りつけられる寸前、ペレットは『空間操作』で自分の立つ空間を中空と入れ替え移動。ジェードの剣は、何もない空間を斬りつけるに終わった。
そこへ飛び出してくるシャロ。彼は、ジェードの首めがけて大鎌を振るう。
「――らぁぁぁ!!」
ぶぉん、と勢いよく弧を描く鉛色。ジェードは、海老のように反り返って攻撃を回避する。しかし、上を大きく見上げる体勢になったジェードの目線の先には、
「――っ!」
満天の星空を背に負って浮かぶ、ペレットの姿があった。自らが立っていた空間を中空と入れ替えた後、ずっとジェードの頭上で滞空していたのだ。
「んじゃ」
にやりと笑ったペレットが、掲げた手を地上へと振り下ろす。
直後、少年に付き従う従者であるかのように、月光を反射してきらめく鉛色――ナイフの群れがペレットの周囲に規律正しく現れ、雨のように垂直に走った。
すん、とジェードの元へ吸い込まれたナイフが、彼の桜色の瞳に映る。そして、
「――がァァァァァァァァッ!!!」
豪雨が止むまで全身から血を噴き上げ、絶叫を響かせ続けるジェード。やがて人の形を保てなくなった彼は、真っ赤な身体で倒れ込んだ。
ぴくりとも動かなくなったのを見て、ペレットはシャロの隣に降りてくる。
「どーも、さっきはサポートありがとうございました。お陰でどーにかなりましたよ。けど、なんでアンタはアイツの位置がわかるんスか?」
「え……わかんない、ただうーっすら見えた気がして。ペレットは見えないの?」
「見えませんよ。あの人だって言ってたじゃないっスか、『本来いかなる者でも私を感知できるはずがない』って」
「そうだっけ……? ん? エッ、じゃ、じゃあ、ウチが居なかったらペレットはアイツに殺されてたってこと!? ……えへっ、ちょ、ちょっと、感謝してくれてもいいんだよーペレット、しかもウチ2回も助けてたみたいだし〜?」
「1回目はアンタ自覚してなかったじゃないっスか。アンタからしてみれば、ただ俺を殴っただけでしょ。それにまで感謝しろってのはどーなんスかねぇ?」
鎌でブン殴られて腫れた箇所に触れながら、じとりとした視線を送るペレット。彼の恨みのこもった目に、シャロは『い、いやぁ』と目を逸らして、
「け……結果的に助けられたし……!」
「そこ妥協するか決めんのはこっちの役割なんスよ、シャロさん。あと、にわとり頭だからもう忘れてんでしょうけど、俺もアンタを助けてやってんスよね」
そう言ってペレットは、シャロの脳天をぽこんと叩いた。音から得られる想像よりもかなり大きなダメージが入り、シャロは『痛ぁ!?』と頭を抱えて悶絶。
――と、その時だった。
「……ぁ」
どこかから、声が聞こえた。今にも死に絶えそうな弱い声だった。
聞こえた方向に居たのは、雪の上でうつ伏せるジェードだ。
シャロとペレットが身構えると、彼は血塗れの身体をゆっくりと起こして、まさしく幽霊のような足取りで2人の元へやってきた。
「まだ死んでなかったの……!?」
驚異的な生命力に驚くシャロ。対して、ゆらゆらと腕を垂らしながら寄ってくる青年は、鬼気とした表情で『ごっ』と血を吐いて口元を汚し、
「――わた、私は、私は、私はッ! 貴方を、貴方をこの手で殺して、描かなければならない……ッ! 私はそのために生まれてきた! あなた、貴方が死ぬことで、私の、この、ジェードの生涯をかけた目的は達成される! 真に愛らしく、真に可憐な少女の、最も美しい瞬間を、永久に、永遠に、永劫に! この世に残さなければァーーッ!!」
血を零しながら、ざく、ざくと雪を踏むジェード。
足音が、足跡が、声が、視線が、どんどんと近づいてくる。乱れた前髪の奥にぎらついた光を宿して、ふらふらと、雪を踏んで、踏みしめて、足を引きずって、おぼつかない歩みで近づいてくる。
身体はあちこちにナイフが刺され、四肢の全てが裂けており、落とされた指からは脈動に合わせ血が噴いていて、元の耽美な姿など1ミリも残っていない。
だと言うのに、彼を突き動かすこの熱意は何なのか。燃えたぎるような執念に、シャロもペレットも思わず気圧された。
だが、シャロだけは唇を引き結んだ。
「ですが、愛しい人よ」
ふらっとシャロに歩み寄り、小さな肩を掴む青年。
まるでシャロに縋るように、助けを求めるようによりかかった彼は、自分の身体から抜いたナイフをシャロの首筋に当てて、
「それももう叶わない。命の灯火が消えていくのを感じるのです。ゆらゆらと、ゆらゆらと、小さくなっていく。視界が真っ白に霞んで、貴方の顔もよく見えない。だから、あぁ、私の告白をお聞きください。この身が果てるならいっそ、傷つけてでも貴方を道連れにしたい。地獄でも私は筆を取ります。ですから――」
「気持ち悪い」
うぇっと顔にシワを寄せたシャロは、ジェードを突き飛ばすと大鎌を握り直し、限界まで捻った腰を支点にフルスイング。振り払われた大鎌は、鉛色の弧を描いてジェードの頸にかかった。――すぱん、と音を立てて頸が弾け飛ぶ。
着地するまでの数瞬、ジェードは驚いたように薄く口を開いていた。
しかし、告白に対するシャロの返答に――否、どちらかと言えばジェードの命を残酷に屠ったシャロの冷たい表情に、青年は満足したようだった。
「――あぁ、美しい」
その頭を雪の中に埋めた彼は、どこか幸せそうな笑みを刻んでいた。
特殊能力『幽霊人間』使い・【ジェード=アッセンブルク】戦
――シャロとペレットの勝利。
――【ジェード=アッセンブルク】死亡。




