第189話『いつか最高になる君へ!』
所変わって、花都シグレミヤは宝蘭組屯所。屋内の稽古場に、木刀同士が打ち鳴らされる音が響いていた。
「っ……!」
相手の攻撃を殺しきれず、小さな体躯を投げ出したのはノエルだ。白の胴着と紺の袴から覗く手足は、ここ数日の稽古でついた擦り傷が未だ生々しかった。
【す、すみません……! 大丈夫ですか?】
宝蘭組の隊士の中では、1番の新人だという少女が、ノエルのもとに駆け寄ってくる。
少女の言葉は南西語だったが、時を変え人を変え、何十回と同じセリフをかけられてきたことで、皮肉にも真っ先にその単語を学習していたノエルは、拙い南西語で【大丈夫】と返した。
「くっ……」
たたらを踏んで立ち上がるノエル。ふと、自分に向けられた視線を感じた。視線の主は、稽古の監督を任されている1番隊隊長のメイユイだった。
普段は爛々としている色違いの目が、難しそうに細められているのを見て、ノエルは柄を握りながら祈った。まだ止めないでくれ。まだ自分はやれるのだと。
――自身の剣術を伸ばすため、シグレミヤに残してもらったノエルだったが、まだ5日目という言葉では片付けられないほど、彼女の成果はすこぶる悪かった。
メイユイ曰く、才能がないわけではないらしい。ただ、鬼族のパワーとスピードを前提とした宝蘭組の剣術に、人族であり、かつ幼少期に満足に運動する機会を与えられなかったノエルの身体が、順応できなかったのである。
メイユイや組長のハナマルからは、身体を壊したり、悪い癖がついたりする前に、流派を変えるべきだろうと言われた。
シグレミヤの外のことはわからないが、ノエルの身体に合った剣術もこの世には存在するはずだ。それを探して身につけたほうがいいと。
だが、そんなものを探している暇は、ノエルにはなかった。
ノエルの祖父が統治していた『アンラヴェル神聖国』を奪い、ここシグレミヤさえも手中に収めようとしていた天国の番人。彼らとはいずれ、全面的に抗争することになるはずだ。そのとき、戦力から省かれるわけにはいかないのである。
「……もう1回、お願いします」
監督のメイユイに許可を求める。相手の隊士が息を呑むのがわかった。
きっと彼女たちにとちぇ、今のノエルの願いは、赤子をいじめてくれと言っているようなものなのだろう。受け入れたがっていないのは、稽古場に漂う空気から否が応でもわからされていた。だが、それでも――。
肩で息をするノエルの眼前。メイユイが口を開きかけて、はたと、色違いの目を稽古場の入り口に向けた。
「あー……取り込み中っスかね」
メイユイの視線を奪った来客。稽古場の障子を開けて、顔を出していたのはペレットだった。
「ペレット……さん」
どうしてここに、と尋ねようとしてノエルは思い出す。
そういえば今日は、フィオネたちがシグレミヤを発ってから6日目。山頂の暁月大社にいるシャロが、ペレットの迎えでこの国を離れることになっている日だ。
「……シャロさんなら、ここにはいませんよ。あの人はずっと、大社に入り浸ってますから」
まったく喋ったことのないペレットに、やや気まずくなりながら山の方角を指さすノエル。すると、ペレットもまた気まずそうに首の裏をかいた。
「シャロさんのこと、見送りたいんじゃないかと思って声をかけたんスけど。違いましたかね」
「……ボクを、迎えに来てくれたんですか?」
ノエルは驚いたが、すぐに視線を落とした。
不振続きで心が腐りそうな現状だ。あの明るくて力強い人に会えたら少し楽になるだろう。が、早く強くなりたいノエルにとって、今は一刻一刻が惜しい。どうしようか迷って、ノエルは口を結んでしまった。
それに気づいたのだろうか。目を細めたペレットは、ふいとどこかを見た。どうでもいい話を始めるように。
「まぁ、どっちでもいいですけど……会えるときに会ったほうがいいっスよ。いつ五体満足じゃなくなるかわかりませんからね。シャロさんも、貴方も」
*
よく晴れた青空の下。暁月大社によく似た、しかし暁月大社でない朱色の本殿。この世で最も隠世に近いその場所に、1人の男と2人の幽霊がいた。
1人は暁月大社で祀られている、暁月天将花楼骸神――通称アカツキだ。
燃えるような長い赤髪と、筋骨隆々の肉体。絶大な治癒の力を持っているのだが、その正体は無精髭を生やしてぐうたらしている、見た目年齢40代前半・実年齢4桁以上のおじさんだった。
彼は畳を張った本殿の中で、両腕を枕に昼寝に興じていた。
1人はシャロだ。この中では唯一の生者である。メイユイから借りている、山吹色の着物も堂に入り、本殿正面の木の階段にゆったりと腰を落ち着けていた。
彼の手元や周囲には紙が並べられ、そのどれもに拙い筆字が、しかしびっしりと書き込まれていた。
最後の1人はマオラオによく似た人物だ。本物よりもやや髪が伸び、服は擦り切れ、紅玉の目からは力強い意志が失われているが、それ以外は背丈も見た目も酷似していた。曰く、本物のマオラオの前世的な存在らしかった。
彼――仮名『前マオラオ』は、シャロの隣で1枚の紙を一緒に覗き込んでいた。シャロが声を張り上げる。
「よーしおさらい! いくよー、『シャロちゃん』」
「シャ……シャロちゃん」
「『マジで』」
「まじで」
「『可愛い』」
「か……かわい。かわいい」
明らかに恣意にまみれた言葉を並べ、前マオラオがそれを輪唱すると、シャロは満足げに『よし』と呟く。そしてまた別の褒め言葉を唱えていった。
シグレミヤ出発を目前にしたシャロ。彼は、5日間で覚えさせた『北東語』を、前マオラオに復習させていた。彼の発音はまだまだ拙かったが、意思疎通もままならなかった初日からすれば、十分すぎるほどの出来だった。
もしこのままひと月かけて教えていれば、本物のマオラオさながらの口達者になっただろう。教え手としてシャロは鼻高々だった。が、
「……」
ふと寂しくなって、シャロは口を閉じた。
曰く、魂だけの存在なのだという前マオラオは、アカツキの作るこの空間から出られないらしい。試したことはないが、出ようとすればおそらく存在が消滅するだろう、と。
実際は、かなり少ない語彙で教えてもらったので、シャロの解釈で合っているかはわからないのだが。多分、そんなようなことを言っていた。
だから、彼はここに置いていかなければならない。
だが、ここに来られる生者はごく稀で、今はシャロくらいしかいないのだという。そのシャロも、シグレミヤを離れれば毎日のようには来られない。下手をすれば毎月も厳しいかもしれない。
寂しくはないだろうか。教えた言葉を、シャロの言葉を、忘れられてしまわないだろうか。
心を占めるそんな不安も、前マオラオ本人の前で口にするのはためらわれた。シャロは、口に出来ない思いも込めて、前マオラオの焦茶色の髪を撫でた。
前マオラオは、突然撫でてきたシャロに驚きながら、動く手を大きな瞳でじっと見つめていた。彼はよくこういう反応をした。シャロはそれを、初めて人に優しくされた野犬のようだと思っていた。
本物に同じことをすると、大声で叫んで不審な挙動をされるので、前マオラオの反応は新鮮だった。
「……そろそろかな」
シャロは散らかっていた紙を一箇所にまとめた。束にして、丸めて、紐を巻きつけて筒状に固定すると、前マオラオにしっかりと握らせる。
「いい? マオ。忘れないように復習するんだよ。いつになるかわかんないけど……ウチ、また抜き打ちに来るからね」
「……」
「アカツキのおじちゃんは……ま、寝てるみたいだしいっか。おじちゃんによろしくね」
シャロは階段から立ち上がり、尻についた砂利や土をはらった。
「マオの話、ぶっちゃけ凄く難しかったケド……ウチも頑張るよ。頑張って、みんなにちゃんと伝えてくるから。マオがここにいる間、ずっと覚えててくれた『前の世界』のこと」
シャロは柔らかく笑って、木の階段を1つ1つ大切そうに降りた。本殿を離れ、麓へと続く長い石階段に差し掛かったところで、前マオラオを振り返る。
琥珀の視線を受けた彼は、紙束を握りしめて、小さく口を開けた。
「シャロちゃん」
「――」
前マオラオは息を吸って、言葉にせずにそのまま吐いた。は、と笑い声を混ぜて。どこか寂しげに、でも満足したように晴れやかに。
その幼い顔立ちに見合わない、達観した表情に、シャロは思わず目を見張った。
「オレに……よろしく、ね?」
*
空間の裂け目から暁月大社に戻ってきたシャロは、目の前で待機していたペレットとノエルに『わっ』と悲鳴を上げた。
「びっっっくりしたー……あれ、ノエルも来たの? 一緒に帰ることにしたの?」
「いえ……ボクはシャロさんを見送りに来ただけです」
「それと、いろいろあって帰れなくなったんで。ひとまずこれに着替えてください。いま着てるもんは、俺が宝蘭組の人に返してきます」
ペレットは召喚した布袋をシャロに渡した。中を覗いたシャロは、入っていたクァルターナの装束にぱちぱちと瞬きをする。
「なにこれ? 着るのウチだけ? ペレットはスーツのままでいいの?」
「それは、今から行く水都クァルターナの服です。フィオネさんが選んだやつなんで、安心していいっスよ」
「ハ……クァルターナってどこ?」
「大南大陸にある国です。アンタにわかりやすく言えば、クソ熱い国です。ギルさんやフラムさんも、似たような服を着てますよ。俺やジュリさんはスーツのままですが。その服には劣るでしょうが、処理班のスーツは耐熱性に優れてるらしいんで」
「な、なんでそんなとこに……いや、急に知らない国に行かされるのはいつものことだケド。ええー、帰れると思って食べたいもの考えてたのになー」
シャロはぶつくさ言いながら、さらに布袋の中を漁った。ジュリオット特製の耐熱ジェルを入れたケースや、小瓶に詰められたヒンヤリ豆に、困惑していたシャロの意識は宇宙の彼方に飛んでいく。
「これも序の口ですから。全貌を聞いたら頭おかしくなると思いますよ。とりあえず、着替え終わったら言ってください」
「……わかんないけど、わかった。じゃあ、スーァンさんのところに……うん?」
袋から顔を上げたシャロは、両方の腕を反対の袖につっこんで腕組みをするノエルに気がついた。ノエルはびく、と肩を揺らす。
「どうしたの、ノエル」
「……寒くて」
「だ……大丈夫? かなりあったかいよ、ここ」
シャロは周囲を見回した。この大社は、巫女であるスーァンの能力によって空気が温められ、国の花であるミヤザクラが常に満開になっている。ノエルの発言はあまりにわかりやすい嘘で、嘘でなければ風邪だった。ノエルは完全に沈黙した。
それからシャロは、巫女用の休憩室を借りて着替え始めた。シャロに背を向けたノエルは、閉じた障子を1枚挟んで三角座りをする。
「……シャロさん」
「んー?」
「シャロさんは……ペレットさんのこと、どう思ってますか?」
「カス」
「そうじゃなくて」
ノエルは膝を抱き、自分の小さな足を眺めた。成長の機会に恵まれた子供ならば、5歳年下でも抜かせてしまいそうな小さな足。その甲についた傷の1つを撫でて、ノエルは目を閉じた。
「ペレットさんって、すごく強いでしょう。能力ももちろんですけど、狙撃の技術とか……通信機や武器も手作りしてるって聞きました。……そんな人と肩を並べて戦うって、嫉妬とか……プレッシャーを感じたりしないんですか?」
ノエルが問いかけると、障子越しに聞こえていた衣擦れの音が止まった。数刻前の自分の言葉を思い出し、ノエルの背筋が冷える。
これではまるでシャロを煽ったみたいだ。ノエルは慌てて障子を振り返った。が、
「まー……ムカつくことはあるよ。何回も。だから、戦いのどさくさに紛れて殺そうとしたこともある……4回くらい。全部失敗したけど、まだ諦めないつもりだよ」
衣擦れの音が再開した。シャロの声音は温かくて、ノエルはふっと緊張を解いた。
「でも、プレッシャーはないかなー。結局ウチが最高だと思ってるし。今アイツが強いことは、ウチが悩んだり落ち込んだりする理由にはならない。いまは調子に乗ってるけど、いつか引きずり下ろして、ウチがてっぺんで笑うよ」
――障子が開いた。白い装束に着替えて、山吹色の着物を抱えたシャロが、ノエルに目線を合わせてかがむ。
シャロは、傷だらけのノエルの手を取って、シャロの頬に触れさせた。渡されていたジェルと豆の影響なのか、頬は冷たくてすべすべとしていた。
「いま強くなくていいよ。これから強くなるんだから。そのために頑張るノエルは、いま最高にかっこいいよ」




