第187話『正義の心と血泥の玉座』
マオラオが目的地を視て、セレーネが記憶を抜き出し、移植されたペレットが能力を使う。この3段階を踏んだ空間転移の計画は、なんと成功を収めた。
マオラオが最後に視た、ポストバード郵便局の内部に転移した一同。彼らはおよそ3日はかかると予想された砂漠縦断をスキップし、郵便局職員からの引き留めも適当にかわして、水都クァルターナの街へと繰り出した。
道中、フィオネたちは掲示板を目にした。老若男女の似顔絵がずらりと張り出されており、通行人が足を止めたり、歩く速度を緩やかにしたりして見入っている。何の張り紙だろうか。みな一様に気に留めた。
フィオネたちにとって1番身近であり、まず思いついたのは賞金首の張り紙だったが、どうやら金額の記載はないようだった。
「なんスかね、こんなに人だかり作って」
「……あれは、『皇帝選議』に参加する皇帝候補のポスターね。顔や名前、職業、功績、公約なんかを載せてるみたい。全部は読めないけれど」
「……あれ、意味あるんでしょうかね」
訝しむのはジュリオットだった。
クァルターナの皇帝は、民意によって選ばれるわけではない。名前や公約を掲げたところで、良くも悪くも『皇帝選議』にさしたる影響はないだろう。そう言いたげだった。
が、フィオネは肩をすくめた。
「あると思うわよ。あの掲示板の情報があれば、気に入った候補に支援金を送ったり、気に入らない候補に毒を送ったりできるし」
「……クァルターナの連中って、頭ええらしいけどあんま冷静じゃないよな?」
マオラオがやや目を細める横で、セレーネが張り出された紙の枚数を数える。
「5、10……17人も立候補してるのね。こいつらみんな、自分が1番頭がいいって思ってるのかしら」
「棘のある言い方ね。まぁ、エントリーの締め切りまであと半月あるみたいだし、実際はもう少し賑わうんじゃないかしら? マオラオ、テトリカの名前はある?」
「うーん……あらへんな。まだエントリーしてないんやろか。ここに提示してないだけなんかな? 毒殺されるかもしれへんのやったらそうするか?」
「そうねえ……少数民族の族長らしいし、エントリー済みなら危険を覚悟で掲示するんじゃないかしら? だって、資金が足りてないでしょ多分」
「じゃあ、あんさんの予想だとまだエントリーしてないってことか?」
「ええ。そう踏んでるわ。でも、少し急ぎましょうか。エントリー後に話を持ちかけると面倒ごとになりそうだし。そうだマオラオ、掲示板に目を通しておいて。あとでセレーネに移植してもらって読むから」
「裏切らない保証ができたからって、よくも私の能力をこき使えるわね……」
早くも使い方を熟知したフィオネの態度に、セレーネは腕を組んで嘆息した。
それから5人は、ギルたちのいる地下闘技場に向かった。
入り口である酒場から、酒を持ち込んで観戦が出来るという闘技場。長い地下階段を降りた先にあるその場所は、扉を開けた瞬間から、むせかえるような酒の匂いを漂わせてきた。地を轟かせるほどの罵声と歓声も。
「うわ、最悪……アイツらようこないなところにおれるな。フラムとかアイツ死んどんのちゃう」
マオラオは、酒場で買った入場チケットをひらひら弄びながら、会場のどこかにいるらしいフラムを思いやった。自分たちでさえやられているのだから、鼻も耳もいい犬の獣人にこの環境は酷だろう。体調を崩していないといいが。
「ミレーユも心配ね。アルコールの匂いなんて慣れてないはずだし……」
と、先頭を歩いていたフィオネの後ろで、ペレットが突然目を回して倒れた。
「きゅう」
「ウワッ、なんや!? ……酔ってる!?」
仰向けに返したペレットの顔は、酩酊したように真っ赤だった。酒に弱いことはみな知っていたが、まさか入って5分と経たず、気化したアルコールで酔えるとは。最後尾にいたセレーネが、珍しくわたわたと不審な挙動をした。
「じっ、人工呼吸を」
「落ち着いてください。……はぁ、貴方のことは何度か診てきましたが、想像以上の体質だ。これ以上の滞在は危険です、上の階に戻って水をもらってきましょうか。担げるほどの力はないので、階段も引きずっていきますよ。いいですね」
「えへへ」
「それでは。私たちは酒場で待っています」
「じゅ……ジュリオット、ロミュルダーーーッ!!」
ペレットの襟を引っ張っていくジュリオット。その背中に、周りに制止されるセレーネの、恨みのこもった叫びが突き刺さった。
その後、フィオネたちは見つけた。観客席の一端で、ソーセージの串焼きのようなものを食べているギルたちを。
「あっ」
「あっ」
「うわ」
「うわって何よ。迎えに来いって言ったのは貴方でしょう」
フィオネたちに気づいた3人の中で唯一、嫌そうに顔をしかめたギルに、フィオネが小さく口を尖らせた。が、ギルは横柄な態度を崩さなかった。食べ終わった串を前歯で噛んだまま、
「迎えに来たんじゃねェだろ偽善野郎。ただの迎えならテメェは船かどっかでのんびり待ってて、ペレットだけ寄越しに来るはずだ。なのにテメェが直々に来たってことは、また押し付けたい面倒ごとがあるんだろ? だっっっりい……」
「……最後に会ってから7日くらいしか経ってないはずなんだけど、ギルっていつのまにこんなにスれたのかしら?」
「こ……この国に来てから、ちょっとトラブルが多くて……だいたいギルさんが矢面に立ってくれるので、それで……」
ギルの隣のミレーユが、申し訳なさそうに弁明する。ギルをやさぐれさせたことにも、フィオネがその被害に遭っていることにも、責任を感じているらしい。フィオネは『なるほどね』と目を閉じて、
「で、詳細を話したいから場所を変えたいんだけど、もうここに用はない? ここじゃうるさくて、いちいち声を張らないといけないから嫌なのよ。もっと静かな、いいレストラン知らないかしら」
「話聞いてたか??」
「聞いてたわ。それとアタシたち、この国の通貨を持ってなくて。レストランに行ったら、悪いけど全員分立て替えてくれない? いつになるか分からないけど……オルレオに帰ったらきちんと支払うから」
「……」
ギルは黙り込み、咥えていた串をぺっ、とフィオネに吹きつけた。喉元めがけて矢の如く一閃、しかし隣に控えていたマオラオが、反射で串をキャッチする。
「あっ、ごめん取ってもうた」
「取ってもうたってなに? それでいいのよ?」
「ったく……ハァ。まぁ、あれこれ頭悩ませるのもいい加減飽きてきたところだ。何も考えないでいいってんなら、適当に付き合ってやる」
ギルは緩慢な動きで立ち上がって、麻の袋をフィオネの胸に突きつけた。
「いった」
「ここで稼いだ分だ。テメェが管理したほうがいいだろ」
「……かなり重いわね。何回勝ったの?」
「8戦8勝。いや、勝ったってより『降参させた』のが正しいか。大抵の相手にとって、不死身と戦うのは不毛だからな。結果、みんな俺に賭けるようになって、運営が成立しないからやめてくれって、参加禁止になっちまったんだが……」
と、瞑目したギルが目を開けてすぐ、『あ』と固まった。視線の先には、酒場と闘技場を繋ぐ扉がある。その裏から現れたのは3人の男だった。
民族的な装飾をまとう青年を除けば、フィオネたちも知っているメンツだった。ジャックとレムだ。彼らもまた、こちらに気づいて固まった。
*
日没後。一同は、少し早めの夕食をとった。
場所は、白い石造りの建物の屋上だ。ここにあるレストランからは、星の瞬きを跳ね返すクァルターナを、360度見渡すことが出来た。
広々とした空間には、2〜6人がけのテーブル席がいくつも並べられ、主にカップルや友人同士が集まっているようだった。
ペレットやミレーユたち以外に子供の姿は見当たらず、談笑を楽しむ声は聞こえながらも、全体的に静かな印象だった。
重ねて、頭上に張り巡らされたワイヤーから下げられた、等間隔のランプがムードを誘い、等級の高さが一目にうかがえるレストランであった。
一同は、6人がけのテーブル席を2つ取った。
片方に座るのは、ジュリオット・ペレット・マオラオ・フラム・ミレーユ・ジャックの6人だった。ジュリオット以外は南西語が読めないため、メニューを読んで注文するのにも四苦八苦していた。
「うう……食い物の名前なのか、飲み物の名前なのかもわかんネー……」
「では、私がメインから読み上げましょう。まず、火の羽鳥の包み焼きライス。星魚のフライと5種の豆のピラフ……」
「包み焼きってなんスか? ホイルで蒸し焼きにするとか?」
「あっ、私わかります! 鳥のお腹にお米やきのこを入れて、オーブンで丸ごと焼くんですよ。私のところ……ロイデンハーツでは高級なお祭り料理で、食べたことはないんですけど……クァルターナにもあるんですね。どんな味なんでしょう」
「思ってたのと違うっスね」
「思いついた奴の精神を疑う料理やな」
「あの、ジュリオットさん……スパイスの表示ってありますか? 僕、あんまり辛いのが好きじゃなくて……」
メニュー表を取り囲み、なんだかんだ盛り上がるジュリオット班。話はあちこちに脱線しつつも、その中心にいるジュリオットはまんざらでもなさそうだった。
「デレデレしてるな」
「デレデレしてるわね」
隣のテーブルのギルとフィオネは、気色悪いものを見るような目で評価して、打って変わって重苦しい雰囲気の同席者たちに向き直った。
こちらのテーブルには2人の他に、テトリカ・レム・セレーネが着いていた。
フィオネ以外のメンバーは、この総勢11人を細分化したときに出来る、それぞれのグループの代表として集められていた。
ギルは戦争屋代表。レムは傭兵ペアの代表。テトリカはただ1人の現地人で、セレーネは処理班の代表――否、セレーネだけは建前だった。
実際、まだ誰も彼女のことを信用していないのである。ゆえにこの場を使ってる彼女の意思を確認し、方針をもう1度固めようとしていたのであった。
「最初に、それぞれのチームの考えを確認しましょう。ギルから」
「帰りてェ」
「『皇帝選議』に出て、アバシィナの野郎を殺す。俺がしてえのはそれだけでぃ」
「ペレットくんに被害が及ばないのなら、フィオネ=プレアヴィールたちの目的に加担しようと思っているわ」
ギル・レム・セレーネは答えを迷わなかった。フィオネは『ギルのは却下』と一蹴しつつ、口をつぐむテトリカに目を向けた。
「貴方は?」
「――『皇帝選議』に出て、皇帝になって、この国の民族差別を滅ぼす。そう……思っている」
先日まではそれが使命、と言わんばかりに高らかに語っていた、テトリカの歯切れは悪かった。まるで、現実に心を打ち砕かれた少年のように。彼は『だが』と言葉を続けた。
「先日……皇帝候補の1人であるアバシィナ=イェブラハに遭遇し……私は彼に、いや他の候補者にも……敵わないんじゃないか、と思うようになった。……だから、クラインたちに……もう1度、力を貸してほしいと思っている。闘技場を訪れたのもそのためだ」
「クラ……あぁ、ギルのことね。わかったわ。じゃあ、アタシの考えについて話すわね。アタシは――とりあえず誰でもいいから、対等な関係を築ける皇帝候補を、『皇帝選議』で支援したいと思っているの」
「だ……誰でもいい?」
テトリカは目を白黒させた。ギルもパイナップルのジュースを噴き出し、正面のレムをびしょ濡れにした。
「ど、どういうことだ。それに……君たちは、外の世界の傭兵じゃないのか? 『皇帝選議』そのものに、君たちへの利はないように思えるが……本当に誰でもいいと思っているのか?」
「傭兵?」
テトリカの不審げな様子に、フィオネは大きな瞬きで返した。『あ』と嫌な予感を覚えるギルの手前、フィオネはあっけらかんと否定した。
「傭兵じゃないわ、戦争屋よ」
「は?」
「ウワ……」
積み上げた嘘がもろく崩れ去り、頭を抱えそうになるギル。が、表情を苦く歪めてはたと気づいた。
正義感たくましいテトリカの前で、『傭兵』と偽称し、脱獄したての戦争屋であることを隠したのは、彼に信用されなければ郵便局まで辿りつけなかった――フィオネたちに救援要請を出せなかったからだ。
しかし今、ギルはフィオネたちと合流し、帰ろうと思えば帰れる状況にある。嘘をついてまでテトリカに信用される必要はないのだ。
「――戦争屋とは、なんだ」
もう、頭ごなしに否定し切り捨てられるような段階でもないのだろう。動揺しつつも、テトリカは感情を殺して問いを口にした。
フィオネは、カップに入ったハーブティーの湖面を揺らした。
「戦争をふっかけて、国を乗っ取る仕事よ。喧嘩じゃなくて戦争を売るから戦争屋。最近似たようなことをしてる宗教団体とぶつかって、あんまりそれらしいことは出来ていないんだけどね。まぁ、貴方の想像通り犯罪者よ」
「……」
テトリカは完全に黙り込んだ。名前から察しはついていただろうが、かけらも予想を裏切らなくて、却って言葉が見つからないのだろう。彼の仲間が引き揚げた、餓死寸前の漂流者がまさか、という驚きもあるかもしれない。
テトリカの目が隣のテーブルを向いた。
「……それは、フラムやバレンタインも? 彼らもそんなことをしてるのか?」
「バレ……あぁ、ミレーユのことね。あの子たちはまだ……いや、戦争屋に協力してる時点で、ふっ」
「何笑ってンだコイツ」
眉をひそめるギル。その視線を受けながら、フィオネは口をつけたカップを置くと、机上に身を乗り出し、両肘をついて指を組んだ。
「まぁ、そういうわけだから。国盗りを生業にしてる身として、『皇帝候補』にはぜひとも協力したいの」
「……わからないな。クァルターナが欲しいなら、どうしてお前たち自身が皇帝に立候補しないんだ? 私の目には、お前や……あの眼鏡の男には、『皇帝選議』に参加できるだけの十分な知性があるように思える。……何を考えている?」
「あぁ、それは簡単。立候補しないのは、アタシたちが死にたくないからよ」
フィオネは滔々と説明をした。
「『皇帝選議』って本来、頭を使った3種類のゲームで皇帝を決める行事でしょ。でも、大人しくゲームをする必要はないのよ」
「……何?」
「貴族社会もそうなんだけどね。ルールに則ってトップを決めようっていうとき、暗殺や、事故・自殺を装った殺害が横行するのよ。『皇帝選議』もそうだと思うの。だって始まった理由自体、呪術による前代皇帝の死亡でしょ」
フィオネは笑って続けた。――参加者が『それ』を暗黙の了解としているなら、真っ先に狙われるのはもちろん皇帝候補である。各チーム1人の皇帝候補が死亡すれば、そのチームにはもう『皇帝選議』に参加する理由がなくなるからだ。
「で、もしアタシたちの誰かが候補になって、殺された場合……皇帝の座は手に入らない上、手駒も1つ失うことになる。賭けるにはリスクが大きいの。だから、最悪潰されても痛くない頭が欲しいのよ。たとえば、貴方とかね」
骨張った人差し指を向けられ、テトリカの頬がぴくりと痙攣した。
部外者のテトリカが皇帝候補なら、大勢の敵意の的になって殺されても、戦争屋は数少ない損失で『皇帝選議』を降りることが出来る。そういうことだろう。
ギルは横髪をねじって遊び、話に耳を傾けながら、さらにフィオネの意図を探った。
――自分を、ギルを『皇帝候補』に推薦しない理由はなんだ?
潰されても痛くない頭が欲しいと言うのなら、テトリカよりずっと、不死身であるギルこそが適任だろう。
無論、ギルは皇帝になどなりたくないが、フィオネが方法の1つとして考えていないわけもない。ダメで元々、と提案くらいはされても不思議じゃなかった。
――探れ。この男は、いったい何を考えている?
ギルの血色の瞳と、テトリカの若草の瞳が鋭く尖る。突き刺すような視線を、フィオネはスポットライトのように堂々と、いきいきと浴びながら、リップを塗った唇の端を引いた。
「どっちが欲しい? 潔癖を貫いた正義の心と、戦争屋仕立ての血泥の玉座」
ここまでお読みいただきありがとうございます! これにて第7章・前編を完結とさせていただきます。次回の投稿は1月上旬から中旬を予定しております。ゆっくりお待ちいただければ幸いです。更新状況は以下からご確認ください。
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