第180話「ホットでマッドなクァルターナ」
砂漠に降りしきる雨を浴びながら、ギルとジャックは大樹の上に乗った。
上空には悠々と空を飛び、こちらを見下ろす巨大な怪鳥がいる。地上には2人で協力し、風の攻撃から大樹を守りながらその成長を促すテトリカ・ミレーユと、その横でしゃがんで何かを集めているフラム・レムがいる。
怪鳥に向かって伸びていく枝を見ながら、ギルは革鞘からナイフを取り出した。ジャックも鉄パイプの代わりに持ってきたらしい鉄槍を抜きさり、
「――」
動いたのは同時だった。長く伸びていく枝の上を、濡れているにもかかわらず器用に走り、2人は怪鳥に迫っていった。そんな彼らに、怪鳥は攻撃を浴びせようと羽を膨らませる。が、2人の足は止まることなく、むしろ加速していった。
そのころ地上では、フラムとレムが準備を終えていた。フラムは編んだ草の縄をレムに渡し、レムはその先端に集落から持ってきた拳大の果実をくくりつけた。
ふう、とレムが息を吐く。
「無事に上がるといいねえ、俺の肩……」
「……それ、本当に上手くいくんでしょうか?」
「さあねえ。ただ、決まっちまった以上やるしかねえ。っと、ちんたらしてる場合じゃねえな」
怪鳥の様子をうかがいながら、草縄を握って果実を垂らすレム。軽く肩を回した後、草縄を投石器のように振り回すと、ギルたちが走る大樹に向かって投擲した。
気持ちのいい弧線を描いて、飛んでいく草縄。次第に巨大化していくそれは、やがて大蛇のようなサイズになると大樹の枝に巻きついた。
肥大化した果実の重みで、ぐっ、としなを作って垂れる枝。本来なら折れてしまうのだろうが、今はミレーユの能力がかかっているので、負荷がかかってもその形質をとどめていた。
「うおっ」
「うわっ」
枝の上を走っていた2人は、急激に下降する足場に慌てた様子で掴まる。直後、錐を揉む風の塊が彼らの頭上を駆け抜け、大樹の幹にぶつかった。しかし、ミレーユの淡い光をまとっていた幹は動じることなく、風だけが威力を失って枝葉の隙間を駆け抜けた。
レムが、無骨な手に斧を握る。
「それじゃあ――行ってきなぁ!」
振りかぶった斧が、レムの正面に投げられる。向かう先は、果実を垂らしてぴんと張っている草縄だった。緊張していた草縄が、ブーメランのように軽快に飛んだ斧に斬られると、大樹の枝が跳ね上がり、ギルたちの身体が上空に放り出された。
「っ――!」
「うわぁぁぁーーーっ!?!?」
予想外に遠くなる地面に、肝を冷やすギルとジャック。が、怪鳥を射程範囲内に捉えると、
「ジャック!」
「……っ、おー!」
友人の呼び声に、ジャックは目を回しながら応えた。ジャックは縦横無尽に身体を回転させ、怪鳥に迫っていきながら、伸ばした手の先に力を込める。バチッと弾けるような音がして、彼の手に電流が絡みついた。
「どこ行った!?」
「下だ!」
怪鳥を見失うジャックに、大雨を飲まされながらギルは叫ぶ。そして、ナイフを真下に投げた。雨と並走する刃が煌めき、ギルたちの下に回り込んでいた鳥の翼に突き刺さる。立て続けに2本、3本と投げると、怪鳥の動きが鈍くなった。
それでも遠くへ逃げようとするその背に、ジャックは身体を電気に変えて飛びついた。
「逃げらんねーゼェ、チキン野郎……うわっ!!」
背中のジャックに気づいたのか、振り落とそうとするように宙返りを繰り返す怪鳥。それによって濡れ羽の上で足を滑らせたジャックは、転がり落ちながらあるものを掴んだ。それは、ギルが翼に刺したナイフの柄だった。
「ぐ、ぉぉぉーーーっ!!」
鼻息荒く、ナイフを握りしめるジャック。雨粒に顔面を殴られ、目を開けることも難しくなりながら、反対の手に宿した光を強めて、彼は笑った。
「グッバーイ!」
*
怪鳥討伐後。彼らは、水都クァルターナに向けて移動を再開した。そしてその夜、道中の水辺で一泊することになった。
慣れた手つきで簡易テントを建てるテトリカ・レム。その傍ら、枯れ木を組んだジャックが指を鳴らして点火。隣で見ていたフラムがおお、と目を輝かせた。
「すごく便利ですね!」
「だろ?」
まもなく揺れ始める火に照らされ、得意げに笑うジャック。彼はふと、視線を荷物置き場に向けた。ギルとミレーユが鞄から取り出している、干し肉やドライフルーツを見てジャックの眉が下がる。
「はぁ~~、チキン食べたかったナー……せっかくオレが倒したのに……」
「あぁ……」
「まだごねているのか?」
不服げなジャックのもとに近づいてくるのは、テントの用意を終えたテトリカだった。ジャックの焚き火の前でしゃがみこみ、枯れ木の位置を整えるテトリカ。無言のダメ出しをしてくる彼に、ジャックはむっと口を尖らせた。
「未解析の呪獣を食べるのは、死亡するリスクがあるからダメだと言っただろう」
「それは何回も聞いたしわかってるヨ! ケド、せっかく倒した大物なんだぜ? 食べてみたいって思うのは普通のことダロ!」
ふすーっと鼻息を荒くして、体勢をあぐらに変えるジャック。ふいに、その唇に乾燥した果物が押しつけられた。思わずそれを受け入れたジャックが、驚いて背後を振り返ると、ドライフルーツの瓶詰めを持ったギルがいた。
「むぁ」
「これでも食って落ち着け。……で、さっきの話だが。この辺に住んでる奴らは、解析の結果次第じゃ呪獣も食うのか?」
「あぁ。貴重なタンパク源だからな。まぁ、採集コストが高かったり不味かったりして、勝手のいい呪獣はほとんどいないから、日常的に食べることはないが。食べるのは、ほかに食べるものがない緊急時くらいだ」
「ふーん。じゃあ、あの肉は? どっちだ?」
ギルは、ミレーユが作業をしているほうに視線を流した。原木を板状に切ってやすりがけしたような、よく言えばナチュラルな雰囲気のまな板に広げられる干し肉を見て、テトリカは『あぁ』と声を上げる。
「あれは呪獣じゃない。普通のウサ……」
「ストップ、兄ちゃん」
食い気味に制止したのはレムだった。驚きに目を見開いたあと、不快そうに細めたテトリカに、レムは囁くような声で叱責した。
「嬢ちゃんに聞こえちまうだろーが」
「……聞こえたらいけないのか? ウサギと兎の獣人は別物だろう」
「そう割り切れる獣人と、割り切れねえ獣人がいるんだよ。嬢ちゃんがどうだか知らねえが、割り切れなかったら最悪だ。ただでさえ過酷な環境でメンタルすり減らしてんだから。負担をかけそうなことは、極力言わねえほうがいい」
「……そういうものか?」
テトリカは不可解さを感じていたようだが、渋々といった様子で口をつぐんだ。
夕食を終えると、今日の不寝番を前半と後半にわけて決めた。結果、前半の不寝番はギルとテトリカの2人に決まり、後半担当のレム・ジャックと、そもそも候補にすら入っていないフラム・ミレーユの4人は先に寝ることになった。
ぱちぱちと燃える焚き火を見ながら、ギルは居心地の悪さを感じていた。昼間の騒動が夢にも思えるくらい、何も事件が起きなかったからだ。テトリカとも暇潰しに話が出来るような仲ではなく、2人の間にはただ気まずい空気が流れていた。
向こうも同じように思っていたのだろうか。ふと、テトリカが口を開いた。
「バレンタインとは、付き合いは長いのか?」
「――」
突然話しかけられたのと、内容が予想外だったのとで、ギルはすぐに反応できなかった。
何故、彼は急にミレーユの話を持ち出したのだろう。不思議に思いつつも、正直暇を潰せるのはありがたかったので、提示された話題に乗ることにした。
「会ったのは、あ〜……2ヶ月くらい前だな。でも、実際顔を合わせてた時間はもっと短い。……何を聞くつもりかは知らねえが、大した答えは返してやれねェと思うぞ」
ギルがそう言うと、テトリカは『そうか』と呟いたあと、首を横に振った。
「……いや、基本的なことが聞きたいだけだ。彼女がいくつなのか、どこの生まれなのか……あぁでも、一応聞いておきたいことがある。彼女はどれくらい家事が出来るんだ? 赤子の面倒を見たことはあるのか?」
「……は? え? なんつった?」
後半、かなり異質な質問が混じっていた気がして、ギルは怪訝な顔をした。出会って日の浅い誰かのことを知りたいと思ったとき、まず気になることの筆頭に上がる内容ではないように聞こえたが。
「うん、最後か? 赤子の、面倒を、見たことは……」
「丁寧に言えってんじゃねェんだよ。なんでそんなのが気になるんだ」
「それは、当然――バレンタインが女性として素晴らしい人物なら、ヌタの集落に残ってほしいからだ」
「……は」
まるで、誰もが支持したくなる眩しい野望を掲げるように。堂々と言ってみせたテトリカに、ギルの脳が停止した。それを横目にテトリカは滔々と語り始め、
「君にも説明した通り、今のヌタには若者が少ない。特に、10代後半以降の出産適齢期を迎えている者たちだ。故に、新しく生まれた赤子の数は年々……」
「おい」
「私が次の『皇帝選議』で皇帝になり、水都で労働力として酷使されている彼らを呼び戻したとしても、この集落の不安定な状況はしばらく続くだろう。そこで適齢期には少し早いが、もしバレンタインが15歳以上なら……」
「おい」
ギルはテトリカの肩を掴んだ。あまり理解できていなかった――いや、理解しないようにしていたが、何故だか無性にやめさせなければいけない気がした。
「それ以上、喋るな」
「――」
それからジャックとレムに不寝番を交代するまで、2人は2度と喋らなかった。
*
水都クァルターナに着いたのは、それから2日後の朝のことだった。
移動中特に大きなアクシデントもなく、ほぼ理想の時間で砂漠を越えられた一行は、1度街の中に入ってからそれぞれの目的のために別れることを決めた。
水都クァルターナは、砂漠の中央に建てられた国ではあるが、その名の通り水に富んだ国であった。都中に水路が走り、その間を埋めるようにベージュ色をした石の家がひしめきあっていた。
都の中央には日の光を跳ね返す白の宮殿があり、そこが『皇帝選議』の舞台でもある歴代皇帝の住まいなのだ、とテトリカが説明した。
ピザやチキンライスのように見える食べ物が並べられ、スパイシーな匂いが食欲を掻き立てる屋台街を歩きながら、フラムが質問をした。
「この街の水源ってどこなんですか?」
「水源は宮殿の中にある泉だ。その昔偉大な呪術師であった初代皇帝が、当時は完全な乾燥地帯であったこの地を訪れたときに出来たものらしい。なんでも初代皇帝の呪術で理を乱した空が、40日間の雷雨を起こして出来た『枯れない泉』なんだとか」
「呪術ってえのは、なんでもありなのかい」
耳をかっぽじりながら、スケールの大きな話に1周回って呆れるレム。その巨躯の前を歩きながら、テトリカは華奢な肩をすくめて、
「まぁ、歴史が古い上に人から聞いた話だから、どこまで本当かはわからないが……ただ、源泉が宮殿の中にあって、ずっと枯れていないのは本当らしい」
「へー。呪術の力ってすげーんだナ……でも、呪術師って他の大陸にはあんまいねーよナ? よく知らねーケド、特殊能力と違っていくつも力が使えんだろ? 便利なのに、なんでいまいち流行ってねーンダ?」
「……いくつも?」
首だけでジャックを振り返ったテトリカが、ラクダを引きながら怪訝そうな顔をする。
「いくつも力を使えるのは初代皇帝や、アバシィナ=イェブラハのような特異な呪術師だけだ。通常、呪術は特殊能力と同じで1つしか使えない」
「そうなのか? でも……」
ジャックが反論しようとする。彼の脳裏に浮かんでいるのは、おそらくカジノ『グラン・ノアール』でオーナーをしていたという男のことだろう、とギルは思った。
ただ、こちらの素性がバレそうなことは話したくないので、ギルはジャックの口を塞いだ。ジャックはもごもご鳴いた。
テトリカが話を続ける。
「私は外の世界のことをよく知らないから、憶測にすぎないが……大南大陸以外の大陸で、呪術が流行っていない理由として考えられるのは、呪術の習得に執念深さと、倫理観のなさが求められるからだろう」
テトリカはそう言って、前に向き直った。
「自分の心身を消耗する自傷型の『特殊能力』と違って、呪術が消費するのは基本的に他者だ。初代皇帝の呪術が空の理を壊したように、アバシィナ=イェブラハの呪術が100万人の命を奪ったように、呪術は利己で成り立っている」
「……」
「そして、大南大陸に多くいる『学者』という生き物は、基本的に利己的だ。ラットを用いた実験なんかは、利己的であることの最もたる証拠だな。答えを導き出すためなら、他人も自然も利用する。その生き方が偶然、呪術に求められる人物像と合致した……それが、大南大陸で呪術が使用されている理由だと思う」
そうひと通り説明すると、テトリカはある建物の前で立ち止まった。褐色の石を積み立てた、2階建ての大きな建物だった。
開口部には窓や扉を設けておらず、風通しはかなり良好であることがうかがえる。中にはぽつぽつと人影が見え、2階の窓辺にはペリカンのような、くちばしの大きな鳥が留まっていた。
「ついた。ここがポストバードを管理している郵便局だ」
「えっ、じゃあ……あれがポストバードなんですか?」
今にも飛んでいきそうな、だいぶのびのび管理されている鳥たちにミレーユが驚く。
「あんなに自由にしてて、大丈夫なんでしょうか……」
「まぁ、ゲージに入れっぱなしにしていても体力が落ちるし……飛んで帰ってくることを生業としている鳥だからな。その辺りは信頼されているんだろう」
とにかく、とテトリカはギルを振り返った。
「あそこに行けばお前たちの仲間に手紙が送れる。いくらかかるかは知らないが、局員も大南大陸の人間だ。北東語くらいは喋れるだろうから、聞いてくるといい」
「……わかった」
少し疑わしげな目をして、郵便局の中に入っていくギル。それを見送ったフラムは、南国の海の色の視線をジャックとレムに流した。
「えっと……この後、レムさんはテトリカさんに同行されるんでしたっけ。ジャックさんはどうするんですか?」
「……!」
ぎくり、とジャックの肩が跳ねる。まるで、見ないように蓋をしていたものを、とうとう見せられてしまったようだった。
「ウーン……」
苦い顔をして、もじもじと手をいじり始めるジャック。その様子をテトリカはじっと見つめて、レムは反対に目を逸らした。
「オレは――」
*
数分後。郵便局から出てきたギルは、料金表――北東語表記だが読めるわけではなく、局員から逐一説明を受けた――を手に、難しい顔をしていた。
「フィオネに手紙を送れるってわかったのはいいが……」
ギルは、局員が言っていたことを思い出す。大陸の外に送るのであれば、ポストバードの中でも特別貴重で頑丈な個体を使う必要がある。そのためには10万は必要になるだろう、と言っていた。
しかし今のギルたちは一文なしだ。テトリカはいくらか所持しているようだが、テトリカとはここで縁を切る以上、彼を当てには出来ないし、そもそも数日の食事代と宿代を工面する程度の金額だろう。
「……」
あまり時間はない。確実かつ、短時間で10万を稼がなければならない。いや、フィオネに手紙を送り、救援を待っている間生き延びるための金も必要だ。5日分か10日分か、それ以上か……。
1度、テトリカたちに相談するべきだろうか。そう思って、歩き出そうとしたそのときだった。
「ハァイ、ミスター。お悩みのご様子ね」
背後から、若い女の声がした。振り向くと、郵便局から出てくる少女の影があった。
「マネーに困っているのでしょう? ワタシがミスターに合ったグッドな稼ぎ方を教えてあげる」
「はァ?」
癪に障る喋り方と、ギルの心境を見透かしたような物言いに、ギルは思わず表情を険しくする。子供や気弱な人が見れば、思わず怯んで言葉を失ってしまうような強面。しかし少女は少しも臆さず、くすりと笑って瞳を煌めかせた。
「ワタシはアリシア。歌手のアリシアよ。よろしくね、ミスター」




