第178話『タイトルは後から決めます』
「――あ、負けた」
自分の出した手を見て、ジャックはぽつりと呟いた。ミニゲームの結果から、入浴はジャックを最初に負けた者から行われることになった。
「どうして負けた順から……勝った順でよかっただろう。ヌタ族の湯浴みを、罰ゲームか何かだと思っているのか?」
着替えを持って指定の場所に向かうジャックを見送りつつ、一連のやりとりを見ていたテトリカが不服そうな顔をする。それを、ミニゲームの提案者であるレムがまぁまぁ、と逆撫で――なだめながら布に座り直し、
「兄ちゃんもほら、ジャックのところ座れよ。ゆっくり聞かせてもらおうじゃねえかい、『皇帝選議』についてよ」
「……本当に、腹の立つ男だ」
ふん、と人形のような小鼻を鳴らすテトリカ。彼はせめてもの反抗か、布の上にどかりと座ると、幾ばくの沈黙の後に口を開いた。
「まず、お前たちは水都クァルターナという国について、どれくらい知っている」
「うーん……花都シグレミヤに次ぐ古い国で、世界中の学者と呪術師が集まってる。学問と呪術が栄えてる国で、呪術の影響で魔境になった皇帝の国……多民族国家で、カースト制があるってえのは聞いたことあるが、そんなもんかねえ」
「ふむ。概ね、間違いない」
レムの回答に頷いたテトリカは、ただ、と言葉を継ぎ足した。
「水都クァルターナを語るにあたり、欠かせないことがある。それは、なんらかの理由で皇帝がいなくなったとき、次の皇帝をゲームで決めていることだ。通称『皇帝選議』――最も賢く、思慮深い人間を見定めるためのな」
「ゲーム?」
てっきり、畏まった会議の光景を想像していたギルは、『皇帝選議』といういかつい熟語とは結びつけ難い、ポップな単語の出現に首を傾げる。
「ああ。全3種目、その年に決められたゲームを行う。過去にはクリケットや、チェスで皇帝を決めた年もあったそうだ。が、参加するのは相手を騙し、見抜くことに慣れた者たち。当然、その難易度は普通のゲームのそれではないだろう」
「いや、だとしても……どうなんだそれ」
「――話は変わる」
「おい」
「知っているかもしれないが、現在水都クァルターナには皇帝がいない。それも、2年前から。100年前の皇帝の、3番目の息子――アバシィナ=イェブラハという男の呪術によって、皇帝が呪い殺されたのが理由だ」
「――!」
炎の色に濡れた頬を、ぴくり、とレムが震わせる。ギルが彼を見やると、レムはなんでもないと言うように首を横に振った。テトリカが話を続ける。
「いや、皇帝だけではない。性別も年齢も種族も問わず、時間をかけて、約100万の国民がアバシィナに呪い殺された。本来ならここで、すぐに次の皇帝を決めなければならないんだが……」
この事件が起こったことで、混沌に陥った水都クァルターナでは、あちこちで内戦や人災が勃発。皇帝を決めるどころではなくなり、ずっと指導者不在の体制を続けていたらしい。
「ところが、先月……理由はわからないが、突然『皇帝選議』の開催が宮殿の大臣から発表されたんだ。水都では今、200を超える人間が名乗りを上げているらしく……どうしてか、先程言ったアバシィナもその1人に含まれているんだ」
「ハァ?」
心底理解できないというように、レムが片眉を下げた。テトリカも何かを思い出したのか、痛みに耐えるような顔でこめかみを押さえる。フラムが声を震わせた。
「ひゃ、100年も前の皇子様なんですよね? もう、結構なお年なんじゃ……」
「……本当はな。だが、アイツは水都最高の呪術師だ。100万人の命と引き換えに、禁忌かつ難解な若返りの術に成功し、今は20代の姿でいるらしい。そして7日ほど前、水都に姿を現すと、広場で好き勝手演説して帰っていったそうだ」
「そいつぁ、門前払いにされねえのかい。大犯罪者だろい」
「……わからない。あんな人間に、『皇帝選議』に出す資格などないが……件の事件以来、国民のほとんどが彼を恐れている。今の水都に、彼を取り締まれる人間はいないだろう。最悪の可能性は、想定しておく必要がある」
「ふざけてやがんなあ、おい」
傷の入った額を押さえて、レムが大きな溜息をつく。彼はやはり、アバシィナという男を知っているらしかった。ギルたちも、今の水都の漠然とした『やばさ』は理解できていたが、レムはどちらかというと温度感がテトリカ寄りだった。
ギルは顎を摘む。
「その、アバシィナって奴が参加を発表して、他の参加者は引き下がらなかったのか」
「もちろん、次々と辞退していったさ。今いる200人は、発表当初の参加者の3割。アバシィナに負けず劣らずの奇人どもだ。みな、出場資格のように何かしらの問題を抱えている。中でも異質なのが、とある若い女歌手で」
「歌手?」
「ああ。ロイデンハーツ帝国で名を挙げ、今はワールドツアーをしているという女だ。やたら短いスカートを履き、男に媚びる品のない人物で、言動にはまるで知性を感じられない。用心する必要はないと思っていたのだが……少し奇妙で」
テトリカは寒気がしたように腕をさする。曰く、その女の歌は7日に1度、水都の劇場で披露されているそうなのだが。彼女の歌を聴いた者たちは、必ず『幸せ』になって帰ってくるのだそうだ。
「四六時中ヘラヘラ笑って、危機感が薄くなって、受け答えも夢見心地で……だからコンサートの帰りに、川に落ちて溺れたり、階段を踏み外したりして、亡くなる者が多発しているんだそうだ」
「……そら、十中八九クスリでもばら撒いてんじゃねえのかい」
「私もそう思ったが、参加者の体内からそれらしき物質は確認されなかったらしい。しかし、『幸せ』な理由は不明のまま。女歌手が不審人物であることに変わりはないんだ。……彼女やアバシィナのような者を、皇帝には出来ない」
わかっただろう、とテトリカは瞳を滾らせ、あぐらをかくギルを睨みつけた。
「これは大南大陸の、ひいては世界の命運に関わる問題だ。水都クァルターナまで私を護衛しろ」
「……今の話聞かせておいて、護衛しろは無理があるだろ。変な奴ばっか参加してんじゃねェか。100万人殺した奴とか、クスリ撒いてるかもしれねェ奴とか。テメェに勝ち目あんのか? 駄馬に賭けるほど俺の命も安くねェんだけど」
「だっ……!?」
殴られたように驚いて、テトリカはこめかみに青筋を立てる。彼が言い返そうと立ち上がり、ギルに詰め寄ったそのとき、レムが口を割り込ませた。
「その皇帝選議ってえのは、1人じゃねえと参加できねえのかい?」
「……え? あ、あぁ……『皇帝候補』は各チーム1人と決まっているが、それ以外に7人まで『支援者』を加入させていいことになっている。……まさか、お前たちも皇帝選議に出る気になったのか?」
「いいや。個人的にちょっと、お前さんの支援をしてやろうと思っただけでい」
「……は?」
「え?」
ギルとテトリカが揃って驚く。フラムとミレーユも声には出さないものの、レムの発言に目を丸くしていた。束の間の静寂に、焚き火の音はよく響いた。
「えっ……なんでそうなった? さっきの、アバシィナって奴のせいか?」
そう言ってギルは、先程テトリカの話を聞いていたレムが、『アバシィナ』という単語に嫌悪を示していたのを思い出す。やはり彼には、アバシィナとの因縁があったのだろうか。それで、アバシィナが皇帝になるのを防ぐために――。
「まあ、そんなところでい」
呆然とするテトリカを、からからと笑いながらレムが答えた。
「……ジャックのことはどうすんだ。多分、アイツいい気しねェけど」
「だろうなあ。まぁ、一応聞いてみるわ。ついてくるッつーなら連れていくし、ついていかねえッつーならアイツの手綱はおめえに任せる。よく知らねえけど、ジャックのこと嫌いじゃねえんだろ? 頼むわ、ギル坊」
「まっ……待て、私をさしおいて話を進めるな! ……グリズリー。貴様、本気か? 何か企んでいるんじゃないのか」
眉間に皺を寄せるテトリカ。身構える姿はどこか弱々しく、小動物が、捕食者に食われまいと虚勢を張るような印象を与えた。それを一瞥すると、レムはぺっと林檎もどきの種を吐いて、
「いろいろあってな。アバシィナが皇帝になると、俺にとって都合が悪いんでい。だから、アイツを皇帝選議から引きずり下ろすために、ちょっと『支援者』を名乗らせてほしい。それだけだ。まあ、最低限の支援はしてやらあ。感謝しな」
「……グリズリー」
「レムでいい。テメェのこともテト坊って呼ぶからな」
「それは嫌だ」
「テメェ、頭かち割ってやろうか」
間髪をいれない拒絶に、レムが顔をしかめる。そして、鼻で笑った。ここに来て初めての、悪意も牽制もないやりとりには、焚き火に比べれば本当に些細な、勘違い程度の温かみがあった。しかし、
「えっ、ヤダ! オレそいつきらーい」
風呂上がり、ことの顛末を聞いたジャックは、案の定むくれた。
*
レムが離れたところでジャックを説得している間、ギルとフラム、ミレーユの3人は、これからの自分たちの行動について話し合っていた。
「――状況を整理しよう。まず、俺たちの目標はこの大陸を出ることだ。けど、そのために必要な船がない。そこで出来るのは『船を探す』『フィオネたちを呼ぶ』あと、『船以外の方法で脱出する』のどれかだ」
「はい」
「だが、ここに船はない。通信機器とか、『空間操作』みたいな能力を使える奴も多分いねえだろう。期待できるとしたら水都のほうだ。学者と呪術師の国らしいしな。どっちかがあることくらいは、期待してもいいだろう」
「っ、水都に行くんですか……?」
ギルとの距離を掴みかねているのか、気まずそうな顔のミレーユが尋ねる。先刻ギルも懸念したが、ミレーユ自身、自分が砂漠の気候に耐えられるか心配なのだろう。不安が伝播したのか、フラムもうつむいて尻尾を丸める。
それをあえて無視しながら、ギルは『ああ』と低く喉を震わせた。
「だが、素人の俺たちで砂漠を縦断するのは無理だ。レムと、もしかするとジャックもアイツの護衛になるなら尚更な。だから、俺たちもテトリカについていこうと思う」
「――!」
「安心しろ。もちろん皇帝選議には関わらない。水都についたらすぐ、北東語を喋れる奴を見つけて、通信機器を探すなり他の方法を考えるなりしよう。……まァ、そう上手くはいかねェだろうけど」
そう考えるとペレットって便利だったな、と思いながら、ギルはフラムたちの反応を待った。しかし2人は顔を見合わせると、困ったように黙り込んでしまった。
流石に今すぐ砂漠行きを決めるのは難しいか。ギルは首をかいて立ち上がった。
向かったのは、離れたところで全体を俯瞰していたテトリカのもとだった。
「なぁ。水都へはどうやって行くつもりなんだ?」
「は?」
「歩いていくのか、それ用の乗り物があるのか、動物がいるのか……距離は、日数はどれくらいかかる。道中に町は? 薬や水の用意はあるのか」
「きゅ、急にいくつも質問するな! ……水都までは、環境に適した呪獣を使う。ただ、無事に行けたとしても2日はかかるだろう。無論、予期せぬ事態があればそれ以上だ。薬と水はある。隊商の休憩所はあるだろうが、町はない」
「……微妙だな」
「なんなんだ貴様は!」
じとりと細目になるギルに、テトリカは髪を逆立てん勢いで激昂する。丁寧に答えたのにこの仕打ちなのだから、当然の反応であった。が、
「アイツらが行く気になんねェと、お前についていけないんだ。なんかねェのか。水都に行きたくなるような、希望が持てる情報」
「……は? まさか、貴様も支援者に」
「ちげーよバカ。帰る方法探してェから、水都まで一緒に行くだけだ」
「……帰る方法」
テトリカは意表を突かれたように呟き、フラムたちのほうを振り向いた。彼らはひそひそと何かを話し合っていたが、何を話しているのかまではわからなかった。
テトリカは少し思案すると、薄い唇で希望を紡ぎ出した。
「……水都には、手紙や新聞を運ぶ『ポストバード』がいる。何千羽と飼われていて、私に水都の情報を教えてくれるのもその鳥だ。……本当かはわからないが、彼らは金額次第じゃ、大陸の外への配達依頼も引き受けているらしい」
「――!」
「だから、大陸の外に頼れそうな人間がいるなら、それを使ってみるといいと思う。まぁ、こんな土地に来れる人間なんて、限られていると思うが」
「――いや、その辺は大丈夫だ」
「……?」
やけに自信満々のギルに、テトリカは怪訝な顔をする。懐疑の色を乗せた、新緑の瞳に覗き込まれ、ギルは笑っているのを誤魔化すように、前髪をかき上げた。
「いい話を聞いた、ありがとう」




