第177話『空気を読むのもシチュ次第』
テトリカの尊大な要求に、ギルは考える間もなく断言した。
「断る」
「……!」
テトリカの顔が強張る。ジャックは両手で口を押さえながらソワソワし始め、緊迫した空気を感じ取ったのか、フラムが寝苦しそうに唸った。
「俺らにンなことしてる暇はねェ。それに、護衛をつけるってことはテメェ、この辺で伸びてる奴らよりも弱いのか? そんな実力じゃ、砂漠を抜けて『皇帝選議』に出られたとしてもすぐに死ぬだろ。そもそも、皇帝の器じゃねェよ」
「……っ」
憎々しげに眉を下げるテトリカ。食いしばられた口からは、なかなか次の言葉が出てこない。ギルの言い分は、テトリカも正しいと思っているのだろう。
しかし、彼は弓を引く手を緩めなかった。
「……いいや。その器でなくとも、私は参加しなければならないんだ」
「――」
「我々ヌタ族は、大南大陸の中でも特に地位の低い種族だ。……毎年若い男女が水都に連れ去られ、劣悪な環境で利用されている。その現状を、覆さなければならないんだ。……たとえ素質がなかろうと、私は皇帝になるために戦う」
「……めんどくせェ」
ギルは肩をすくめた。この男、覚悟だけ変に決まっている。おそらく、こちらの想像以上に屈辱的な出来事の数々が彼をそうさせたのだろうが、彼らの扱いがどうであろうと、ギルたちには関係がない。同行を決める理由にはならない。
「かといって……」
強行突破しようにも、ミレーユの存在がある。テトリカの脅迫の真偽はわからないが、もしも本当ならば、彼を殺すとミレーユも道連れになるのだろう。
正直、ギルはミレーユにそれほど思い入れもないので、さっさとテトリカを殺したいのだが――戦争屋にはミレーユと親しい人間もいる。彼女を殺して、仲間内に不和を生むようなことはしたくないのが本音だ。
「あ〜……」
どうしてこういうときに限って、フィオネもジュリオットもいないのだろうか。こういった交渉は、ギルよりも彼らのほうが得意なのに。
歯噛みしていると、ふと、集落を囲む茂みから枝葉の擦れる音がした。それはテトリカにも聞こえたようで、彼は即座にやじりを音のほうへ向けた。
気絶しているフラムを除く、全員の視線を一身に集め、堂々登場したのは片手に斧を持った大柄の熊男――というか、レムだった。
その肩には気を失っているのか、弛緩した体勢のミレーユが担がれていた。
相対するギルたちを見たレムは、心底意味がわからなさそうに、片側に古傷の入った目をすがめる。
「――なんでい、これは」
「なっ……」
「レム〜〜〜!!!」
寸前まで不安げに傍観していたジャックが、レムを見るなり目を輝かせ、茂みに向かって走っていこうとする。が、風を切って放たれた矢がそれを邪魔した。すんでのところで足を止めたジャックは、苛立たしそうにテトリカを振り返って、
「なんだよ、邪魔すんなヨ!」
「貴様っ……誰だ!」
ジャックの怒号を完全スルーし、突然現れた大男を警戒するテトリカ。焦った様子の彼に、『あ?』とのんびりした動きで振り向いたレムは、邪魔なツタを斧で切り落とし、茂みの中から進み出ながら、
「誰ってえ……おめえこそ誰なんでい」
「私はテトリカ=ヌタ! ヌタ族の族長だ! 貴様も答えろ!」
「……ったく、なんでそんなに気が立ってんだか。俺ぁレム=グリズリー。その辺のおっさんでい」
「……っ」
自己紹介も終わったところで、形勢の急速な悪化にテトリカが脂汗を浮かべる。
テトリカは格上かつ多勢のギルたちとの会話を、人質を使うことでどうにか成り立たせていたのだ。その人質が奪還され、ジャックと親しそうな人物も増えた今、元々危うかったテトリカの立場はないに等しかった。
それでも、テトリカの瞳は光をたたえていた。
「っ……」
テトリカは胸元から、紐にぶら下がったホイッスルのようなものを取り出す。そして、意を決したようにそれを咥えた。
それが何のための動作なのか、ギルとジャックにはわからなかった。が、テトリカに戦闘をする意思があると見て、彼らは同時に構えた。
周囲の空気が最高潮に張り詰めた、そのときだった。レムは、世間話でも始めるように穏やかに言った。
「そういや兄ちゃん、植物のかぶれに効く薬は持ってねえかい」
「……は?」
「こっちの嬢ちゃんに腫れ物が出来ててな。多分、変な植物触っちまったんだろ。若い嬢ちゃんに腫れ物が出来てんのは、可哀想で見てらんねえ。薬があるなら、貸してくれると助かるんだが……あと、腹減ってるから食い物と飲み物と……」
「れ、レム?」
まるで空気を読まないレムに、毒気を抜かれたジャックが困惑する。テトリカも呆気にとられていたが、途中で何かに気づいたのか、さっとその顔を引き締めた。
「それと、適当に寝床を貸してくれ。何、家ん中まで入る気はねえよ。チビどもを怖がらせちゃなんねえからな。この辺の土の上に、布でも敷いてくれたらいい」
「……」
一見、状況がわかっていないレムの要求は、テトリカに対する交渉であった。要求に応えてくれるのなら、テトリカのことは殺さないし殺させない。暗にそう言ったのだ。それを汲み取ったテトリカは、迷うように目を伏せた後、
「……わかった」
苦く、重いものを飲み込んだように、苦しげに答えた。
*
テトリカに食事などを用意させ――してもらっている間、ギルたちは焚き火のそばに人数分の布を敷き、その上に1人ずつ座って情報を共有することにした。
まず、ギルが自分の持っている情報を出すと、隣の布に座っていたジャックが顎に指を添えてウーンと目を瞑った。
「えっとー、オレは船が壊れたとき、確かワン公が近くにいたんだよナ! んで、波がすげ〜~デカくて流される! って思ったから、死ぬ気でワン公のとこまで泳いで、超必死にしがみついて……その後はよく覚えてねーナ」
すると、先刻起こしたばかりのフラムがえっ、と目を見開く。
「そ、そうだったんですか? えっと、僕……甲板にすごく大きなタコの足が降ってくるのを見たっきり、記憶がないんですよね……」
「わ、私も見ました、タコの足!」
同じく気絶から目覚めたミレーユが、興奮したように身を乗り出す。
「その後船が……足場が壊れて、海に落ちて、すっごく苦しかった気がするんですけど……その後、レムさんに助けてもらってたような……」
「……ああ。嬢ちゃんは1人で流されたらしめえだと思ったからな。なるべく同じ方向に流されるように、嬢ちゃんの腕掴んでたんだ。結局俺も気絶して、離されちまったみてえだけど……悪いな、こんなおっさんが。後で腕消毒しといてくれ」
「い、いえ!? そんな……助けようとしてくださって、ありがとうございます」
「……はは。優しいねえ」
頭を下げるミレーユに、レムは孫でも見るかのような柔らかい眼差しを向ける。
5人の話をまとめると、ギルたちが乗っていた船を破壊したのは、タコのような足の巨大生物。ギルは1人で、ジャックとフラムは2人で流され、同じ沖で合流。レムとミレーユは途中まで一緒で、最後は別々の沖に流されていたらしい。
「でも、よくウサ公と合流できたナ」
「あぁ……目が覚めて、森ん中を探索してたらたまたま見つけたんでい。なんか、ツタみたいなのにぐるぐる巻きにされて、洒落になんねえ高さの木からぶら下がってた。ミノムシみてえだったな。ありゃあどういう経緯なんでい?」
レムがちらりと視線を流すと、ミレーユは申し訳なさそうに目を逸らした。
「えっと……沖に着いて目が覚めたとき、すごく喉が渇いてて……水分を取らなきゃって思って、近くの森になってた苺みたいな果物を食べたんです。それがとっても瑞々しくて美味しくて、もっと食べたくなってしまって……」
苺もどきを探してどんどん森の奥へ行くと、薬草を摘んでいたテトリカと邂逅。南西語を話せず、異国の装いをしていたミレーユはすぐに怪しまれ、特殊能力と思しき力であっという間に木から吊り下げられてしまったらしい。
「……アイツ、能力者なのか」
ギルは、先刻テトリカから渡された黄金のように輝く林檎をかじりながら、集落の中心、木造りの家々が集まるほうを見る。と、いつのまにか近づいてきていたジャックが、飼い犬のようにギルの肩に顎を乗せ、
「どうだった?」
「……毒は入ってねェ。多分。こっちの桃みたいなやつも、じゃがいもみたいなやつも」
「ヤッタ!」
ジャックはぱっと自分の場所に戻っていき、籠に盛られた林檎の1つをかじる。それを見て、提供された果物に手をつけずにいた他の3人も、奇妙な黄金の林檎をおずおずと食べ始めた。
少しして、フラムが不安げに口を開いた。
「それで、僕たちはこれから……どう、するんですか?」
「……」
久々の食事に集中して、ただでさえ静まり返っていた一同が、咀嚼の音すら消し去って黙り込む。
気まずそうな顔をするフラム。ぱちぱちと火の音だけが静寂をごまかす中、噛み潰した林檎を飲み込んで、溜息をついたギルが火を眺め、
「明日の朝、集落を出てフィオネたちと合流……は無理だから、オルレアスに帰るのが理想だ。だが、それをするにはいろんなものが足りてねェ」
「食料とか、武器とかな」
レムがぽりぽりと首の後ろをかく。
「まあ、大体のもんは略奪すりゃあ手に入るだろうがなあ。そこの兄ちゃんと嬢ちゃんがいい気しなさそうなのと……何より、1番重要な『船』が多分この集落にはねえ。外は『呪獣』がうようよいやがるからな。奪うのはまあ、ねえだろう」
「ってことは……どうするんだ? フツーに助けてって言うのカ?」
「……わかんねェ」
ギルは肩をすくめた。確かに、暴力的な手段をとらないのであれば、ジャックの言う通り、純粋にヌタ族に助けを求めることになるだろう。しかし、外に出ない彼らに外に出るための知恵があるのかわからないし、あったとして、
「代わりに水都まで護衛しろ、って言われんのが嫌なんだよなァ……」
大南大陸にしか生息しておらず、強さが未知数の呪獣と戦うのはもちろん、そこにフラムやミレーユを連れていくのも気が進まない。彼らの身に危険が及ぶし、実質3人を守る必要があるジャックやレムの負担も莫大だ。懸念点が多すぎる。
というかそもそも、ただでさえ危険な砂漠の気候に、雪国生まれのミレーユは耐えられるのだろうか。
「かと言って……」
フラムとミレーユを、集落に置いていくのも気が引ける。2人が南西語を話せないことによる不安もそうだが、何より、先程ギルとジャックは集落の人間に怪我を負わせた。その恨みが、戦えない2人に向けられないとは言い切れない。
一体どうすれば。思案していると、ふと背後から足音が聞こえた。振り向くと、そこにいたのはテトリカだった。
両腕で大量の布を抱えた彼は、緊張したような、憎らしいような顔をして、ギルたち5人を順番に見やった。
「湯浴みの準備が整ったそうだ。この服を持って、各々勝手に入れ。余所者に我がヌタ族の衣装を貸すのは不本意だが……この集落は清らかな場所だ。清らかな場所で過ごすのだから、清らかな服をまとわなければならない」
「ああ、悪いねえ」
桃もどきをかじって、接待でも受けているかのようにレムが笑う。その姿にテトリカは中性的な顔を歪めて、レムらに聞こえないように舌打ちを1つ。白い服を足元に置くと、黒髪を苛立たしげになびかせて、その場を後にしようとした。
その背中に、レムの声がかかった。
「尽くしてもらってばっか、ってのも気分がわりい。話を聞くくらいの礼はしたほうがいいだろう。兄ちゃん、『皇帝選議』について詳しく教えてくれねえかい」
「……聞いてやるだけ、とのたまうつもりではないだろうな」
テトリカが軽蔑するような視線を向けると、レムはハハッと乾いた笑いをこぼした。
「それは、話の内容次第ってやつだねえ」




