第176話『ギルの燻製〜アホと犬を添えて〜』
焼かれるような熱気と、若い男たちの言い争う声に、ギルは目を覚ました。
「――ぁ?」
眠った覚えのないギルは、違和感を覚えて脳の覚醒を急かす。
ここはどこで、今はいつで、言い争っているのは誰なのか。なんとなく起きてはいけないような気がして、眠ったふりをしながら、項垂れたギルはうっすらと目を開けた。鮮血のような、真っ赤な瞳が瞼の下から覗く。
わかったこと。
第一にギルは、何かに磔にされているようだった。おそらく、木を十字に組んだものに胴体と両足、左腕と右腕を縛りつけられている。首は自由にされていて動かせそうだったが、今はとりあえず下を向いておいた。
第二にここは、森の中に作られた集落のようだった。夕陽に照らされた木々が、視界の端でさらさらと風に揺れていた。
第三に言い争う声は、ほとんどは知らない言語を話す、知らない男のものだったが――その中に1つ、知っている声があった。
「だーかーらー、熊みたいなおっさんと青い髪のウサ公! どこに隠したって聞いてんだヨ!」
……ジャックの声である。一定の方向から聞こえてくるのを考えるに、どうやら彼もギルと同じような状態にあるらしい。
熊みたいなおっさんと青い髪のウサ公。レムという男とミレーユのことだろう。ジャックの口ぶり的に、2人は今この場にいないようだが――。
「あ〜……思い出した」
ギルの呟きは、そよ風に紛れるほど小さかった。
そうだ。自分たちは、遭難したのだ。
*
12月1日、深夜1時ごろ。
宗教集団『天国の番人』の管轄する大監獄『ヴァスティハス収容監獄』から脱出したギルたちは、その追っ手に対応するため2つのチームにわかれた。
1つはフィオネ・ジュリオット・ノートン・シャロ・ペレット・ノエル・セレーネのチーム。処理班の所有する船に乗っており、処理班員も数名同乗。
もう1つはギル・フラム・ジャック・レム・ミレーユのチーム。こちらは監獄から奪った船に乗っており、処理班員は不在。
マオラオの脱退をフィオネから聞かされ、動揺していた中ではあったが、こっちのチームは戦闘員3人でそれなりに上手く敵を捌いていた――はずだった。
しかし。不意に、追っ手の船とこちらの船が同時大破したのである。
そこからの記憶は曖昧なのだが――確か海に落ちたとき、ギルは知識にある鯨よりも巨大な『何か』を見た。あれがギルの幻覚でないのなら、ギルたちはその『何か』に襲われ、船を壊されてしまったのだろう。
そしてその後、溺れて気絶したギルとジャック――さっきジャックに名前を呼ばれなかったフラムもか――は、どこかの島、もしくは大陸に漂着。その土地の住民に見つかり、引き揚げられ、捕らえられて今に至るのだろう。
気になるのは、『どこに漂着したのか』『フラムの健康状態』『ミレーユとレムの居場所』『ここからの帰り方』辺りだが……腹の状態からして、最後の食事から2日は経っているようだ。ジャックとフラムは生活に支障が出る頃だろう。
ひとまず、この膠着状態を抜け出さなければ。
ギルは顔を上げた。目の前には焚き火があった。少し離れたところには、磔のジャックと、それを取り囲む民族衣装の男たちがいた。また別のところには、やはり磔の、くたっと下を向いたフラムがいて、気を失っているようだった。
見張り台から一帯を伺っていた男が、ギルに気づいて声を張り上げた。
【緑の男が起きたぞ! 注意しろ!】
「……やっぱり、北東語じゃねェな」
どこからか続々と集まってきた男たちが、自分に槍や剣を向けるのを見ながら、ギルは自分の装備を肌感で確かめる。……隠し武器が全てなくなっている。漂流している間に流されたか、男たちに没収されたか……何にせよ丸腰のようだ。
「まァ、新しい武器が選り取り見取りだ。大した問題じゃねェな」
「――! ギル!」
男たちが一斉に注意を向けたことで、ジャックがこちらに気づき、驚喜の混じった声を上げる。ギルは喉元に槍を向けられながら、臆さず彼に指示を出した。
「会話が出来ねえ以上、ここにいても意味はねェ。必要なもんだけ取って、ミレーユとレムを探そう」
「わかった!」
瞬間、集落に黄色い閃光が走る。何かが焼ける匂いと共に、はらりと全身の縄が解けたギルは、どよめく男たちの不意を突いて、1人の顔面を殴り飛ばした。
「ぐぁっ!」
続いて、突き出した右腕を引く動作を利用し、肘で右側の男の横っ面に一撃を食らわせる。怯む男。その腕を掴んで背負い投げ、反対側の男に叩きつけると、
「よし」
ギルは足元に落ちた剣を拾い、別の場所から走ってきた男2人に突撃。最初の攻撃を水のように受け流すと、バク転をして綺麗に2人の得物を蹴り上げ、
「っと」
着地の直後、猪のような低姿勢で突進し、2人の太腿を斬りつけた。そして、彼らが立て続けに膝をつくのを横目に、
「ほい、っと」
ギルは持っていた剣を、ある方向に投擲。と、フラムを背負うジャックを狙い、見張り台で銃を構えていた男の腕に、剣の先端が突き刺さった。
見張り台の男は硬直し、銃を手放す。手放された銃はからんころんと銃身をぶつけながら、見張り台の足元に落ちていった。
無事に逃げていくジャックとフラム。それを見て安堵していたギルだったが、
「ッ、ぶね」
我に返り、背後から襲いかかってきた青年を横に避ける。次いで、振り向きざまに青年の喉元を押さえ、膝裏の窪みにかかとを引っ掛けた。
だん、と地面に叩きつけられた青年は、何が起きたかわからなかったようだった。後頭部の痛烈な痛みと、視界いっぱいの夕焼け空に目を白黒させる青年に、ギルはしゃがみこんで話しかけた。
「熊みてェなおっさんと、ウサギ耳の生えたガキはわかるか」
【っ、……!?】
「やっぱり通じねェか……」
ギルは息を吐いて、青年の推定利き手をひと捻り。骨の折れる音がして、絶叫する青年を置き去りに、ギルは青年が落とした槍を蹴り上げてキャッチ。敵のいる方向へ駆け出そうとした。そこへ、
「ギルーーッ、パース!」
どこからかジャックの声がして、ギルは声の方向を見上げた。すると、フラムの背中がこちらに迫っており、
「は!?」
今しがた手に入れた槍を投げ捨て、ギルは慌てて受け止める姿勢を作る。が、空から降ってきた成人男性の威力は並ではなく、ギルはひっくり返って頭を打った。
顔をしかめながら起きると、いつのまにかジャックが見張り台を占拠していた。
「ビリビリするぜー、覚悟しろヨ!」
拳銃を模したハンドサインを作ったジャックは、人差し指から電撃を発射する。放たれた電撃は、見張り台のそばにいた男に絡みつき、そこからまた別の男に絡みつき、連鎖して拡大。男たちは順番に痙攣し、バタバタと膝をついた。
そうして、ギルたち以外が全員負傷、もしくは気絶した状態になると、ジャックは見張り台からひょいと飛び降りた。地面とはかなりの距離があったが、途中身体を電気に変え、地面に近づいた瞬間元に戻ることで無事に着地をした。
ジャックはギルのもとにやってくると、『ナイスだったぜギルー!』と歯を見せて笑い、
「あ、オレこれほしー」
ギルが先刻投げ捨てた槍を拾う。愛用の鉄パイプの代わりにするつもりなのだろう。くるくると槍を回すジャックに、ギルはハァと溜息をつき、
「……一応聞くが、ここがどこだかわかるか? ジャック」
「ん? んーん」
「だよな。は~……厄介なことになったな。とりあえず、3人分の食料と水奪って森ン中籠るか。フラムを起こすのはその後だな。で、ミレーユとレムを探しつつ、フィオネたちと合流する方法を探して……」
と、計画を立てながら、ギルが立ち上がったそのときだった。
突然、森から飛んできた矢がギルの耳を掠めていった。
「――!」
つう、とぬるい液体が耳を濡らす感覚に、ギルは目の色を変えて矢が来た方向を見る。すると、夕方の薄暗い森。その茂みの中に、人間が1人いるのがわかった。
「っ、ギル!」
声を上げたジャックが、同じく森の奥を見る。そして、森ごとその人物を燃やそうと指を構えた。が、
「いや、ジャック、それはやめろ」
一帯を火事にされては困る。ギルは、ジャックの前に腕を出した。すると、森の枝葉に隠れていた人物が、弓と矢を持って身軽に飛び降りた。
風をはらんだ艶やかな黒髪が、着地した青年の背中で再び層を作ると、青年はすっと背筋を伸ばしてこちらを見据えた。
――20歳くらいの、中性的な青年だった。
ジャックと同じくらいの体格で、青緑を基調とした、腹を露出するデザインの民族衣装をまとっている。腰まで伸ばされた黒髪は、森暮らしとは思えないほど艶やかで美しく、そのうちの何束かは衣装と同じ青緑に染められていた。
耳や腰からは、珍しい色をした大粒の宝石が下げられている。
青年は、ギルたちの前に何かを放り投げた。リボンだ。年頃の少女ならよく似合いそうな赤いリボン。それが先日の騒動の中でなんとなく目にした、ミレーユのものであると気づいたとき、青年は弓矢を構え、力いっぱいに弦を引いた。
「私は【テトリカ=ヌタ】。このヌタ族の次期族長だ」
青年は、はっきりとした北東語で喋った。若く、青く、勇敢さと気高さを感じさせる、よく通った声だった。
「この髪飾りに見覚えはあるか。あるなら、大人しく私の質問に答えろ」
「……どうする? ギル」
「答えるしかねェだろ。人質とられてんだから」
そう言うと、ジャックは不満そうな顔をして、入手したばかりの槍を捨てた。こっそり、後ろ手で拳銃のハンドサインを作っていたのは、見なかったことにした。
「質問1」
乾いた風が吹く。テトリカの髪がふわりと舞った。
「貴様らは何者だ」
「……」
どう答えても荒れる気しかしない。ギルは眉根を寄せた。
正直に答えるなら、ギルとフラムは戦争屋『インフェルノ』。ジャックは傭兵。もっとわかりやすく、まとめて答えるなら『ヴァスティハスの脱獄犯』である。
だが、どのみち人聞きはよくない。適度に嘘をつく必要がある。ギルは困ったようなジャックに見つめられながら、『傭兵だ。その辺の』と答えた。
「質問2。誰かに雇われてきたのか」
「いいや。今は誰にも雇われてない」
「質問3。何をしにここにきた」
「用があってきたわけじゃねェ。海を渡ろうとしたところを、デカイ海の生き物に襲われたんだ。それで、目覚めたらここにいた。多分、砂浜に打ち上げられたところをテメェの仲間に見つかったんだろう」
「質問4。何故私の同族を殺した」
「殺してねェよ。よく見てみろ。全員死なないように手加減してある。けどまぁ、出血してる奴らはだんだん命に関わってくるだろう。こんな尋問切り上げて、早く診てやったほうがいいぜ」
ギルがそう言うと、テトリカはぴく、と頬を痙攣させた。負傷した仲間を治したい気持ちと、ギルたちを逃したくない気持ちの間で戦っているのだろう。こちらが強気になれば、案外逃してくれるかもしれない。そう判断したギルは、
「質問は終わったのか? なら、テメェが捕まえたガキの場所を教えてもらいたいんだが」
「――いや」
……予想を外した。
表情から迷いを捨て去ったテトリカは、新緑の瞳でギルたちを睨みつけ、
「少女を解放してほしければ、私を契約をしろ。私の護衛になるという契約だ」
「ハ?」
あまりの話の飛躍っぷりに、固唾を呑んで状況を見守っていたジャックが声を上げた。ギルも、は、と脳の拒絶を口に出した。
「……どういうことだ」
困惑で停止した頭から、どうにか質問を捻り出す。と、テトリカは自身を落ち着けるように息を吐いた。
「私はこれから、水都クァルターナで行われる、『皇帝』を選別する大会――皇帝選議に出るつもりでいる。しかし、水都に行くには砂漠を通る必要があり……その砂漠は、『呪獣』に対抗できる者でなければ通ることが出来ない」
だが、とテトリカは言葉を継ぎ、
「そこで連れていくはずだった護衛を、貴様らに潰されてしまった。だから、代わりに水都クァルターナまで私を護衛しろ。――それが出来たら、少女を解放する」
唖然とするギルとジャックの前で、やけに偉そうに言い放った。




