番外編『マオラオ=シェイチェン生存録』⑦
それから彼らは自習時間を使い、何度も何度も海渡りの練習を行った。結果、マオラオは100メートルほど海を走れるようになり、メイユイは海の上に30分間飴製の足場をキープさせることに成功した。
しかし、問題の海流は陸から2キロ以上先にあり、足場はメイユイ以外にもケイとその荷物を乗せる必要があった。故にまだまだ気は抜けず、学校が休みの日であろうと、3人は浜辺で落ち合って日暮れまで練習をしていた。
そうこうしているうちに、学校の開設から1年が経った。
本来の予定であれば、開校1周年と同時に新しい教師と生徒を迎えることになっていたのだが――いちおう校舎で待ってみても、彼らが学校に現れることはなかった。
おそらく、学校にニンゲンが関わっているとが怪しんで、政府が計画を延期にしていたのだろう。とは、あくまでもユンファの予想である。というのも、政府からまったく連絡が来ないのだ。入学・就任についても、それ以外についても。
逆に言えば行動を制限されず、都合のいい面もあったのだが……それがかえって恐ろしく、マオラオたちはユンファの指示で慎重に動いていた。
――トンツィが逮捕されてから、半月が経った10月の末。
12歳になっていたマオラオは、練習を終えたあとの夕方6時、トンツィのもとを訪れようとしていた。脱出計画が現実味を帯びるくらいには練習の成果が出てきたので、トンツィの私物を売り払う相談をしようと考えていたのである。
だが、トンツィが囚われている神薙城の裏庭、木製の格子が並んだ建物――今の時期は冷えた風にさらされて、とても寝れたものではないと思う――に近づくと、マオラオは異様な空気を感じ取った。
見ると、トンツィのいる牢屋の前に20代前半くらいの高身長の女性――シグレミヤの第一王女・セツカ=カンナギがおり、傀儡のような態度で何かを話していた。
マオラオは適当な陰に身を隠して、彼らの会話に耳をそばだてる。すると、こんな言葉が聞こえてきた。
【――トンツィ=シェイチェン。貴方の死刑が明朝に決まりました】
【……!?】
マオラオは声が出そうになって、慌てて飲み込んだ。そして耳を疑う。
死刑――トンツィが? ニンゲンを匿っている疑いがかかっていただけなのに、何故そんなことに? マオラオは呼吸もままならなくなりながら、2人の言葉を待った。トンツィも言葉を失っているのか、先に口を開いたのはセツカだった。
【先日、カンナギ家の者が校舎を訪れ調査したところ……地下室から北東語と断定された、全239枚の紙が発見されたそうです。これにより父上はあの学校にニンゲンとの関わりがあったと判断し、プロジェクトの責任者として貴方を――】
【ッ、待て! 調査に入ったって……子供たちは!?】
【……調査時点では生徒は校舎にいなかったそうです。というより、ここ数日校舎を使用した形跡がなかったとか。ので、生徒に危害は加えていないと思います】
【……】
【現状、生徒たちに処罰は加えない方針ですが……もしもニンゲンから何かを吹き込まれていることが判明したら、それ相応の判断が父上から下されるでしょう】
【――】
マオラオは息を呑んだ。
吹き込まれている、というのがどの程度をさすのかわからないが、もしニンゲンについて知ることをさしているのなら、マオラオもそうだが、メイユイとユンファは特に知りすぎている。彼女らも死刑の対象になるかもしれない。
だとすると、絶対にバレるわけにはいかないが……政府がいつ調査を進めるのかによっては、今夜城を抜け出してでも今の状況を彼らに伝えなくてはならないかもしれない。練習を急いだのが仇になった。マオラオは歯を噛み締めた。
【とはいえ、貴方を死刑にするのは国家、及び国民の大きな損失になることは明らかです。……ニンゲンの居場所を告白する、あるいは納得させられるだけの、ニンゲンを匿っていた理由を説明できるなら、父上は釈放も考えるそうですが】
【――いいや、どちらも不可能だ。匿っているニンゲンなんて、俺には存在しないからな。だから、とても不本意だが……俺にはこの状況をどうすることもできない。大人しく明日の太陽が昇るのを待とう】
【……黙秘するつもりですか?】
【はは。……何かを言ったって、言わなくたって、結果は変わらない。1度異分子と見做した者は必ず排除する、それが君の家の方針だろう】
【……そうですか、わかりました】
セツカは反論するでもなく、小さく会釈をして静々とマオラオの隠れているほうへ向かってきた。マオラオは呆然としていたが、こちらに来るセツカの姿にひとまずその場を離れ、頃合いを見てトンツィのいる牢屋の前に立った。
【トンツィ!】
マオラオが小声で強めに呼びかけると、考えごとに没頭していたのか、普段はこちらの気配に気づく青年がハッとして【マオラオ……!?】と驚いた。混乱していたようだが、マオラオが会話を盗み聞きしていたことを察したらしい。彼は驚いたような表情をすぐさま固くして、
【ま、マオラオ、聞きたいことがあるんだが……ここ数日、お前たちが校舎に来ていないと聞いた。それは本当なのか? だとしたら、お前たちは何を……】
【そんなんはどうでもええねん! なんや死刑って!】
マオラオは、自分でも驚くくらい冷静さを失いながら、木造りの格子に掴みかかった。鬼族用の頑丈な木材が特別に使われているはずなのだが、ここ半月急激に成長しているマオラオには関係がなく、掴んだ場所からヒビが広がってささくれが立った。
【あんさんが死んだらどないすんねん! シェイチェン家も、天満組も、ケイ先生も……みんな、あんさんのこと信じて頼ってんのに!】
【……まさか、気づいていたのか? その……先生のこと】
【っ、知っとるよ。……あんさん、これからどうするつもりなん。本当に死ぬつもりちゃうやろな】
【――いや。あまり多くは話せないが、そのつもりはないよ。安心してほしい。それで、その……もう1度聞きたいんだが、学校を離れて何をしてたんだ?】
【……オレも詳細は話せへんけど、オレやメイユイがあんさんの代わりになろう思って……いろいろ準備してたんや。頭のええやつが協力してくれたから、それなりに形になったと思う。やから、あとはトンツィと先生の許可をもらおうと思って……】
この会話が、誰に聞かれているかわからない。マオラオは要所をぼかしながら、計画のことをトンツィに打ち明けた。トンツィは回り道をした会話は得意ではないので、読み解くのに時間がかかったが、最終的に理解してくれたようだった。
【……なるほど。海の生態調査か。確かに道具がいるな。……俺の部屋に大体揃ってるから、全部持っていくといい。ただ、海は危険だ。本当にお前たちだけで大丈夫か?】
【あぁ。けど、夜遅くまでかかってしまうかもしれんし、疲れて歩けへんかもしれんな。そうしたら宿に泊まりたいねんけど、ええ感じの場所知ってるか?】
【あぁ、知ってるよ。ちょうど海から1番近い宿なんだ。2階から見える海の眺めがよくてな。3ヶ月前にも泊まったが、出来ることならまた泊まりたかったよ。何番目の通りにあったかな。そうだ、真ん中の部屋をとるといい】
【わかった、ありがとう。……気をつけてな】
【あぁ。……お前たちも、気をつけて】
そんな風に会話を終えて、マオラオは真っ直ぐトンツィの部屋に向かった。マオラオのものより3倍広い彼の部屋を探し回ると、高価そうなものがいくつか見つかる。
半分持っていけば足りる気もするが――全部持っていっていいと言われたし、その方が確実なのでそうしてしまおう。
マオラオは着物や刀を適当な布に包んで、自分の部屋の押し入れに隠した。この部屋には誰も入ってこない。掃除をする女中すら仕事を放棄しているから、1日隠すくらいわけないだろう。
【……本当に大丈夫なんかな】
いくらトンツィ=シェイチェンとはいえ、死刑囚になって、国全体を敵に回してしまったのだ。弁明するつもりならともかく、逃げたり隠れたりするつもりなら、あの手この手で追いかけられるだろう。無事ではいられないかもしれない。
【……まぁ、心配してもどうにもならんよな。……オレは、オレに出来ることをせんと】
マオラオは、トンツィの私物を入れた押し入れを閉め、いつも通り夕食を食べるのに立ち上がった。
その翌日、シグレミヤには天満組のトンツィ=シェイチェンが流刑になった、という噂が流れていた。
*
翌日、マオラオたちはいつもの浜辺に集合していた。が、普段と空気が違った。原因は大々的に噂されていた、トンツィが流刑になったという話のせいだろう。全員が話すタイミングを見計らっていると、諦めたようにユンファが口を開いた。
【トンツィさんが流刑って、どういうことだ? マオラオ】
【……わからん。けど、本当は死刑にするって言われてたんや。それが今朝になって急に島流しになったって……】
【し、死刑だったのでありますか!?】
【せや。学校に調査が入って、北東語の紙が大量に見つかったからって。ケイ先生の居場所を吐いたら死刑の中止を考えるって言われとったんやけど……トンツィは答えへんかってん。それで、死ぬつもりはないって教えてくれてんけど】
【……もしかすると、流刑というのは政府のついた嘘で、本当は海を渡って逃げたんじゃないか?】
【いやぁ、まさか……】
マオラオが半月かけてようやく100メートル走れるようになったのに、半月もあの牢屋にいたトンツィが海を渡れるはずが――ない、と言えないのがトンツィ=シェイチェンの恐ろしいところである。あの恵体ならばやりかねない。
【けど、逃げたにせよ隠れたにせよ……トンツィはどこかで生きてるんやと思う】
【……そうだな。ただ、僕らの前に現れることはないと考えたほうがいいだろう。そうすると、これからの計画は彼の協力なしで進める必要がある。……質のことは?】
【許可はとった。いつでも売りに行けるけど……その前に、ケイ先生を見つけて説得したい。トンツィのこと先生も聞いてるはずや。どうしたらええかわからんなってると思う。やから先生に会って、オレたちが外に連れてくって言わな】
【オレたちじゃない。お前たちだ】
こんなときでも釘を刺すユンファ。正直彼には本来の約束である『マオラオたちの計画を客観視してもらう』以上の役割を任せており、なんなら1番この計画が頓挫しないように頑張っているのだが、意地でも認めたくないらしい。
マオラオは【せやな】と軽く流して、
【それで、先生のいる宿は2番通りにあるらしい。せやから今からそこに向かって、先生を探そう思ってんねんけど……ユンファはついて】
【いかない】
【として、メイユイはどうする?】
【もちろん、ついていくでありますよ!】
【じゃあ、待っているのは僕だけだな。……2番通りは、確か金治屋のある通りだろう。僕はその辺りで適当に散歩をしているから、先生が見つかっても見つからなくても、13時には金治屋に集合しろ。いいな】
【わかった】
【はーい】
マオラオとメイユイは頷き、2番通りに赴いて、ユンファと金治屋の前で別れた。
今日もあの日と変わらず、マオラオを視界に入れた何人かが陰口を叩いているのが聞こえたが、マオラオは意識を貸さなかった。今はそれどころではない。それに、世の中には陰口よりずっと有意義で、耳を傾けるべき事実があるのだ。
【……って、メイユイ!?】
突然、隣を歩いていたメイユイが歩く方向を変えた。マオラオは驚いて彼女を追いかける。
追いかけた先にあったのは屋台で、胡椒餅やら葱油餅などが作られているようだった。メイユイは当たり前のように財布を出して近づいていくと、【すみませーん、胡椒餅1つください!】と屋台の主人に話しかける。
渋顔の主人はギロリとメイユイを見やったが、低い声で【あいよ】と応えて作業に取り掛かりはじめた。……間に合わなかった。
急にどうしたのだろう、とマオラオが遠目に見ていると、メイユイは淡々と作業を続ける主人に、意を決したように話しかけた。
【おじさん、1つお尋ねしたいことがあるであります】
【……なんだ】
【この通りに宿屋があるって聞いたんでありますけど、なんて名前かとか、どこにあるかとかわかりますか? 私、あんまりこの辺詳しくなくて】
【……名前は知らねえが、この通りをずっと進んで、左側3番目の角を曲がったら見える】
【なるほど! あっち行って、左側の3番目の角をギュインですね。わかりました、ありがとうございます!】
【……ん】
主人は喜ぶメイユイに表情1つ変えず、紙の容器に入れた熱々の胡椒餅を差し出す。そして宿屋があると話した方角をちらと見て、
【……さっき、若造が2人喧嘩してたって話だ。危ねえから、気をつけていけよ】
【はーい! 気をつけまーす!】
メイユイは主人に大手を振って、マオラオのもとに戻ってくる。マオラオが唖然としていると、メイユイは爪楊枝で刺した胡椒餅を口に入れた。そう、出来立ての。
【ほっはっあふはっは!? あふ、ふ! ふほははは】
【……あんさん、凄いのか凄くないのかわからんな】
【はふはふはふ……はい!? あー、ベロ火傷したであります……】
ちろりと舌を見せて、悲しそうな顔をするメイユイ。それでもめげずに2口目を運ぼうとする彼女に、マオラオは【落ち着いてから食おうや】と進行を促した。
そうして屋台の主人の言う通りに歩いてくると、打って変わって閑散とした路地に、2階建ての木造建築物――旅籠屋がぽつんと建っていた。
ここでケイが息を潜めているらしい。他の宿泊客もいるかもしれない都合上、『監視者』は使いたくないので、存在を確かめるには中に入らなくてはいけない。
【……行こうか】
メイユイが食べ終わるのを見届けて、マオラオは旅籠屋の戸を開けた。




