番外編『マオラオ=シェイチェン生存録』⑥
【これで私たち、運命共同体でありますね!】
【どっから覚えてくんねんそういう言葉】
【キバクお兄ちゃんが教えてくれるであります。キバクお兄ちゃんは物知りなのでありますよ】
ふふん、と鼻を鳴らすメイユイ。上機嫌な彼女を横目に、マオラオは溜息をついた。
ケイの脱出計画に協力してくれないか、と言われたあの後。マオラオは自分の生きる目的が『誰かに会えてよかったと思われること』であることを思い出した。それを踏まえて考えたときに、ケイを助けたほうが目的を達成できると考えたのだ。
ケイを見捨て、シグレミヤにしがみつき、どうにか社会的に大成して、特別な存在として認められる――マオラオと同じ目的を持った場合、普通のシグレミヤ国民ならそちらのほうが現実的でより手早いように思えるのだろう。
が、そもそもマオラオはシグレミヤに在住することすら難しいのである。
だったらケイを助けて、ケイに『マオラオと会えてよかった』と思われるほうが現実的だろう。そう考えて、マオラオはメイユイへの協力を決めたのだ。
とはいえ、元々ニンゲンをこの国から脱出させることは難しい。
いつかケイの地理の授業で習ったが、シグレミヤの周りには強い海流があり、大抵の軟派な船では巻き込まれて大破する可能性があるのだ。
言い換えれば立派な船を用意すれば脱出できるわけだが、子供であるマオラオたちにそれだけの船を用意することは出来ない。ではどうするか。マオラオたちはケイから与えられた自習時間を利用して、作戦を立てようとしていた。
【これを使う】
ユンファがどこかから引っ張り出してきたのは、授業で使ったケイの手書きの世界地図だった。シグレミヤ以外の大陸や島もざっくりとだが書いてあり、国同士の距離感がなんとなくわかるようになっている。
なお、彼らは知らないことだが、シグレミヤには数十年前のある活動により、大西大陸以外の大陸について詳細に記した世界地図が発禁・廃棄されているため、実はこの手書き地図は政府に見つかるとお咎めを食らってしまうのであった。
【素人の書いた地図だ。あまり正確ではないだろうが、国同士のおよその間隔が合っているとすると……目指すならディエツ帝国か、オルレアス王国がいいだろう。だが、ケイ先生が外にいた頃は、ディエツ帝国は戦争を控えていたらしいな】
【そういえば仰ってましたね。ってことは、今まさに戦時中かもしれないんでありますよね……となると、オルレアス王国に向かうのがいいんでしょうか?】
【せやな。けど、ディエツ帝国に比べると少し遠いな。どうやって目指すんや?】
【うーん……私の妖力で船を作るとか?】
【お前の船は海流を越えられるのか?】
間髪をいれないユンファのツッコミ。メイユイも海流のことは授業で聞いているので、反論することが出来ず【ぐぬぬぬぬ……】とうめいた。
【じゃ、じゃあ、ユンファ先輩の妖力でケイ先生をオルレアスまで運んでいくとか】
【僕は手伝わないって言っただろう。それに、何日かかると思ってるんだ。途中で休憩できる島もない。体力・栄養・睡眠不足で墜落するぞ】
【むむむむむ……ま、マオラオ先輩が妖力を使って、ニンゲンの船がシグレミヤに近づいた瞬間を確認したら、海岸まで呼び寄せるとか!】
【マオラオをどれだけ海岸に立たせるつもりなんだ。24時間海を見張らせるつもりか?】
【だーーーっ!!】
ことごとく案を否定され、頭を抱えて発狂するメイユイ。今の大声で職員室のケイが戻ってこないかマオラオが肝を冷やしていると、口を尖らせたメイユイが【先輩は何かアイデアがあるんでありますか!?】と反撃した。
ユンファは平然とした顔で『ある』と答える。
【――メイユイ。君は君の船が海流を越えられないと思って、船を使う案を取り下げただろう。だが、『船をもって海流を越える方法』は考えたのか?】
【……え?】
左右で色の違う目をぱちぱちと瞬かせるメイユイ。彼女の視線を受けながら、ユンファは持ってきた世界地図をくるくるとまとめて、
【船を使う案を取り下げていいのは、船をもって海流を越える方法が見つからなかったときだ。君はもっと、選択肢を精査する癖をつけたほうがいい。そして、僕には試したいことがある。適当に理由をつけて、今から海に向かおう】
*
海辺の生き物の生態を観察したい、という適当すぎる理由をケイに伝え、はるばる海にやってきたマオラオとメイユイは、見たことのない数式を書いたノートを見せられながら、ユンファの説明を受けていた。
【まず、適当な小舟で海流まで行く。海流のそばに来たら、メイユイが妖力で足場を作るんだ。結論から言うと飴を水面に浮かせるのに必要な面積はこれくらい】
【ふーん】
【……うぁ】
適当に数式を斜め読みするマオラオの横、真面目に数式を理解しようとしていたらしいメイユイが頭をパンクさせた。
【そうして足場を作ったら、1度荷物やケイ先生を飴の上に避難させ、マオラオが海流を走って小舟を海流の向こう側に置いてくるんだ】
【……は、えっ、はぁ!?】
【そして戻ってきたら、今度は荷物を小舟に置く。次はケイ先生を置く。メイユイは足場の維持のために残しているが、マオラオが疲労したら変わってもいい】
【ちょ、ちょ、ちょ】
突飛な説明に動揺するあまり、言葉が喋れなくなるマオラオ。彼はわたわたと手を動かすと、どうにか言葉を捻り出し、
【ま……まずなんでオレが海を走れるって想定なん!? それに走るのは普通の海やなくて、一方から一方に激しく流れてる海なんやろ!? その上船を運ぶって……あんさんがどれくらいの船を想定してるんかわからんけど、アホちゃうか!?】
【人間が海を走ることは理論的に可能だ。速度があればな。そして、運動神経に優れるシェイチェン家のお前なら、その速度が出せると判断した。速度が出るなら海流の影響もあまり受けない。懸念点は走りながら船を運ぶこと一点だ】
【何を言うてんねや……?】
心底わからない、という顔をするマオラオ。憐れみ混じりの彼の目を無視すると、ユンファは少し離れたところに打ち上げられていた流木を指さした。
【今日は小舟がないから、あれを小舟だと思って持っていけ】
【……はぁ、わかった】
議論しても意味がなさそうだ、と判断して、マオラオは流木を取りに行く。
しかし近づいてみると流木はマオラオよりも大きく、持ち上げようとしても数ミリ浮いて震えただけだった。持ち上げて走るどころか、肩に担ぐことすら出来ず、マオラオは絶望しながら流木を手放す。ふわん、と砂が舞った。
【……無理やねんけど】
【……流木を持って海を渡る練習は今度だ。今日は身一つでの海渡りの練習と、筋力トレーニングに1日費やす。次はメイユイ。とりあえず、海の上に薄くて平たくて頑丈な飴を作ってみろ】
【うぁ、うぇ、はい!】
頭をパンクさせていたメイユイが呼びかけに応じ、頭を左右に振って意識を取り戻す。彼女は靴と靴下を脱ぎ、寄せては返す波の方へおそるおそる近づいていくと、足の甲が浸かった辺りでしゃがみ込み、水面に手をかざした。
【薄くて平たくて頑丈な飴……薄くて平たくて頑丈な飴……】
メイユイが念じていると、彼女の両手から蜂蜜のように飴が流れ出し、水面を滑るように広がっていく。飴が沈む様子はなく、順調に足場が出来ているように思えた。
――が、
【……ユンファ先輩! これ以上伸びません!】
15分ほど経った頃、メイユイが救援を要請した。なんと彼女の飴は前方に伸びず、彼女を囲い込むように広がってしまったのである。自分で自分の足元を固めてしまい、立てなくなった彼女を嘲笑うように波がさらっていく。
【……問題が多いな】
ユンファは気怠げに目を細めた。
*
それから、マオラオとメイユイの猛特訓が始まった。
【だぁぁぁぁーーーっアアアアーーーッッ!?!?】
砂浜で助走をつけて海を走ろうとし、掛け声を悲鳴に変えながら倒れるマオラオ。
【ふん、ぁぁぁぁあああーーーっっ!!】
飴を前に伸ばそうとするも、自分の足元を固めてしまうメイユイ。
彼らの奮闘は2時間経っても続き、メイユイの腹が鳴ったことで初めて休憩が挟まれた。彼らは濡れた服を乾かしがてら、本来学校で食べるはずだった昼食を、砂浜に座って取ることにした。
【いただきまーす! であります】
砂浜に三角座りをするメイユイは、胸と膝で固定した弁当箱の蓋を開け、品数が多くバランスがとれた食事に手をつける。おそらく天満組に務める女中の手作り弁当なのだろう、売り物のような眩しさがあった。
大してユンファはあぐらをかき、片手で何か難しそうな文章を書きながら、空いた手で塩むすびを食べている。エネルギーを補給しながらエネルギーを消費する。そのワイルドな食事ぶりに、マオラオはじとりと目を細めた。
そんなマオラオの弁当は自身の手作りであった。天満組の女中には流石に劣るだろうが、そこらの主婦よりも味付けと見た目に自信がある。中でも特に上手く作れた春巻きを咀嚼し、飲み込んで、マオラオは口を開いた。
【そういえばあんさん、先生を小舟に乗せるー言うとったけど……船なんかどうやって用意するつもりなん?】
【……トンツィさんを頼る。ただ、本人は牢屋に入っているから……お前があの人に、質に入れていい私物がないか聞いてこい。着物でも刀でもなんでもいい。彼の私物なら一級品だろう。それを質屋に持っていって、もらった金で船を買うんだ】
【えぇ……】
それはいかがなものか、と人でなしを見るような目をするメイユイ。気持ちはわからなくもないが、それ以外に方法が思いつくかと言われるとマオラオには難しかった。メイユイがそれ以上反論しなかったのも、同じ考えに至ったからなのだろう。
【……また試したいことが出来た。食べ終わったら、すぐに準備をしろ】
2人の微妙な雰囲気も意に介さず、ユンファはぽいと鉛筆を投げ出した。
それからユンファの指導のもと、2人の練習は日暮れどきまで続いた。
2人のセンスがよかったのか、ユンファの指示がよかったのか。何度も練習を重ねていくと、1日目にして練習の成果が現れ始めた。マオラオは少しだが海を走れるようになり、メイユイは自分の足を固めなくなったのである。
【――】
水面が真っ赤に揺れる夕方5時。精魂尽きたマオラオとメイユイは、砂浜に大の字になっていた。砂が服につくとか入るとかはどうでもよかった。疲れた。疲れすぎて一言も喋れなかった。そのそばを、記録を取るユンファが通り過ぎた。
【マオラオの最大距離約10メートル……メイユイの方向は変わらず。半径が2メートル弱に成長。……進歩はあったが、これではケイ先生を返すのは無理だな。明日も練習だ。とにかく、メイユイはそろそろ帰れ。心配される時間だろう】
【そ、そうは言ってもユンファ先輩、あ、足が動かないであります……】
【動け。……僕も院長に怪しまれるとまずい。今日は帰る。……マオラオはどうするんだ? 帰っても帰らなくても、家の人は大して気にしないだろうが】
【……帰る。帰らんと飯抜きにされてしまうしな。こんだけ運動して飯抜きとか地獄やで。はぁ、びしょ濡れで気持ち悪う……】
中まで浸水した着物に顔をしかめながら、倦怠感を無視して起き上がるマオラオ。
【……あ、せや。帰る前に聞きたいことあってんけど】
【なんだ】
【ケイ先生にはいつ明かすん? オレらが外に逃がしますよって。多分早めに言わなあかんで? じゃないと、下手したらシェイチェン家か天満組んとこ出頭するかもしらん。あの人、いま自分に味方なんかおらんと思ってるやろから】
【……出頭か。確かにそれはあるな。……だが、あの人とそては僕たちのことは巻き込みたくないはずだ。お前たちが犯罪しようとしていることを知ったら、先生は焦って本当に出頭してしまうかもしれない】
そう言って、ユンファは考え込んだ。たまたま視線の先にいたメイユイが、どうにか起き上がろうとぷるぷるし始める。
【マオラオ。トンツィさんからの手紙に、自分が捕まっている間の隠れ場所について指示はなかったか?】
【あぁ、あったな。確か町外れの宿屋に行け言うてた。1ヶ月分の宿泊費を同封したから、それで寝泊まりしてくれって。1ヶ月以内には牢屋を出るから、それまでオレらを自習させながら待っててくれって】
【……1ヶ月か。……まだ猶予はある。お前たちが着実に練習し、海を渡れるようになったら先生に言おう。それまで、誰にも公言するなよ。特にメイユイ】
【は、はい……!?】
突然話を振られ、ぴんっ、と弾けるように起き上がるメイユイ。無理やり起きたので身体に激痛が走り、彼女が歯を食い縛って耐えていると、
【お前の周りの人たちは立場上、ニンゲンを滅ぼす側だ。お前が助けを求めたくなったり、彼らから問い詰められたりして、打ち明けそうになるときが来るかもしれないが……先生を助けたいなら、絶対に話すなよ。これはお前たちと僕の秘密だ】
【――わかりました】
複雑そうな顔をして、こくんと頷くメイユイ。彼女が我が身に鞭を打って立ち上がると、その日はそれで解散となった。




