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Re:Make World‼︎  作者: 霜月アズサ
第6章 寂寥の赤鬼 編

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番外編『マオラオ=シェイチェン生存録』①

 10年前の春、花都シグレミヤ。


 活気のある往来を、マオラオは1人歩いていた。その腕には大きな籠が抱えられている。中には野菜だとか魚の干物だとかが入っていた。傍目から見ても重いとわかるその籠だが、マオラオの足取りには(よど)みがない。


 淀みがない、ふりをしていた。


 周りの大人たちは、そんなマオラオに声をかけるでもなく、見守るでもなく、そそくさと彼を避けていく。買い物終わりの6歳の子供を、腫れ物を見るような目で見て通りすがっていく。ひどい話だが、これが今の花都シグレミヤの常であった。

 

 そんな彼に近づいてくる影といえば、地元でも噂の悪ガキ――7、8歳の少年たち3人組くらいのものである。


【アイツだ、アイツ】


【うっわ、見るからによわそー】


【女みたいに細ぇじゃん。ちょっと遊んでやろうぜ】


 3人組はくすくすと笑って、大人たちに紛れながらマオラオとの距離を詰めていく。そしてマオラオが人気(ひとけ)のない小道に入ると、1人が拳大の石を投げた。


 重い音がして、マオラオの頭に石が当たる。マオラオの足が止まった。3人組はハイタッチを交わし、ニヤニヤと笑いながら小道を走って戻ろうとする。

 しかし、次の瞬間。(きびす)を返した1人の足に、先程の拳大の石が叩きつけられた。


【いっ!?】


 子供は悲鳴を上げ、その場でうずくまる。仲間の姿が視界端から消え、先を行く2人が振り返った。(そば)に転がる見覚えのある石から、反撃されたのだと理解する。


【おま……!】


 と、仲間に駆け寄った子供が見やると、マオラオの姿はもうなくなっていた。


【はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……】


 マオラオは籠の中身が崩れるのもいとわず、早足で小道を駆けていた。

 かっとなって、つい本気で投げてしまった。よく見ていなかったけれど、殺してしまったかもしれない。そんな焦りが彼を目的地へと突き動かした。


 その身体を、彼の走る道を、うつろう春の空がぽつぽつと濡らしていく。

 しまった、洗濯物を干したままだ。マオラオは早まる雨足と並走した。


 彼が辿り着いたのは、田んぼに囲まれている民家だった。


 マオラオは靴を脱ぎ、家の中に駆け上がって、台所に籠を置く。庭へ出ると、物干し竿から洗濯物を取り込んで、縁側に投げ入れた。少し湿っているが、このくらいなら洗い直さずに済みそうだ。最後の1枚を引っ掴み、彼は洗濯物を片付けた。


 少し落ち着くと、先程の子供たちのことを思い出した。


 まさか、あれくらいで死ぬわけがない。マオラオは嫌な想像を振り切って、家の中で1番大きい部屋の障子を開けた。そして、布団に横たわる女性から視線を外す。


【……母さん、ただいま】


【……おかえり。洗濯物、ありがとうなぁ】


 女性の――母の声は弱々しかった。1年前は元気な人だったのに。マオラオが一瞥(いちべつ)すると、痩せた顔と傷んだ髪が目に入った。引き絞られたように胸が痛くなる。


【母さん、喉は? 乾いてない?】


【大丈夫よぉ。マオラオも、人の心配ばっかりしとらんと、はよお風呂入るんやで。まだ外は寒いやろ? 雨なんか降られたら、風邪ひいてまうわ】


【わかった、少ししたら入る】


 そう言ってマオラオは、母の部屋を去ろうとした。が、


【なぁ、マオラオ】


 障子に手をかけたところで、母に呼び止められた。


【今まで、ごめんな】


【えっ、なんや急……えっ?】


【大変やったやろ? もう大丈夫やから。マオラオは自分のしたいことしぃ。ほんで、自分の大事な人――お友達でも好きな子でもなんでもええ。その人と幸せになってな。母さん、あんたのこと……応援しとるから】


【え、は、え、母さん?】


 母の言葉に不穏なものを覚え、外していた視線をおそるおそる室内にやるマオラオ。


 部屋の中はこざっぱりとしていて――否、母と布団以外なにもなく、ただ静寂に満ちていた。聞こえる音といえば、遠くの雨の音くらいのもので。

 マオラオはゆっくりと母に近づいた。聞こえない。これだけ部屋が静まっているのに、母の息遣いが全く聞こえない。――幼少ながらマオラオは、ある1つの想像に辿り着いて、その名前を呼ぶのをためらった。


【……母さん?】


 先程より大きな声で呼んだ。震えていたが、昨日までの彼女ならはっきりと聞き取ってくれたはずだった。痩せた顔で、なあに、と笑ってくれたはずだった。


 返事はない。マオラオは膝をついた。


 それから何十分経ったのだろう。長いことマオラオが呆然としていると、家の戸が叩かれる音が聞こえた。聞こえたのだが、足に力が入らずずっと放置していた。

 帰ってくれるかと思ったが、訪問者はかなり遠慮がないらしかった。戸が開かれる音が聞こえて。あぁ、そういえば戸を閉め忘れていたな、と思い出す。


【マオラオー?】


 聞こえたのは、マオラオの知っている少年の声だった。


【……トンツィ】


 廊下で影が動いて、マオラオは枯れた声で訪問者の名前を呼んだ。濡れた紅色の目で、彼の姿を捉えた。歪んだ視界に入ったのは、パリッとしたスーツの丈を余らせ、片手にどこかの土産物らしい小箱を吊り下げた少年。


 また身長が高くなっている。声も少し低くなっただろうか。みるみるうちに姿を変えていくが、それでも変わらない優しい赤の眼差しに、マオラオは子供らしからぬひどい嫉妬と、安堵を同時に覚えていた。





 その後、トンツィからシェイチェン家に知らせが行き、マオラオの母の葬式は秘め事のように行われた。参列したのはマオラオとトンツィ、トンツィの妹、あとはジュン=シェイチェンを始めとする、母の姉妹たち。それと葬儀屋のみだった。


 それからはシェイチェン家の間で養子縁組に関する話し合いが行われ、マオラオはジュンの養子となって神薙城に移り住むことになった。


 ただし、書類上彼女が義母になっただけで、母親らしいことはされてこなかった。彼女がマオラオにしたことと言えば、専属の教師をつけた程度。彼女の興味はもっぱらトンツィにあって、マオラオはそれが心地よくも、悪くもあった。


【はー……】


 母の死から4年が経った10歳の秋。マオラオは、日が暮れて人気(ひとけ)のなくなった暁月大社の石階段に座って溜息をついた。


 本当は今日、カンナギ家とシェイチェン家の集まりがあった。でも、教育係の授業が終わってすぐ神薙城から逃げ出してきてしまった。前回も、前々回もそうだった。

 戻ろうという気はない。あの会合に出席することほど苦痛なことはない。けれど、こんな逃げるばかりの生活を続けていていいのだろうか。


 そんな葛藤が、マオラオの溜息を重くしていた。


 ――半人半鬼でなければ。自分の背が低くなければ。


 考えても意味のない『もし』を、いったい今日まで何度考えたことだろう。


 かつて人族と獣人族、総じてニンゲンに滅ぼされかけた鬼族は、鬼狩りの事件から数百年と経った今でも、蛇蝎(だかつ)の如くニンゲンを嫌っている。

 うじうじと過ぎたことを、と思わないでもないが、寿命の長い鬼族にとって数百年はさしたる時間ではない。両親や祖父母が殺された、という者も多いのだ。


 またそうでなくとも――親族をニンゲンに殺された経験のない者でも、知り合いにそういった経験のある鬼がいて、彼らの憎しみに当てられ、ニンゲンとは憎むべき者なのだ、と刷り込まれているケースもある。


 故に、今でもニンゲンを嫌っている者たちがいるのは、ごく普通のことなのであった。


 だが。


 だからといって、マオラオのことまで憎む必要があっただろうか。ニンゲンの、父親のことだけ憎んでいればいいんじゃなかろうか。そう思わずにはいられなかった。


 マオラオは、ニンゲンの父親と、鬼族の母の間に生まれた子供だった。父親の顔や名前は知らない。マオラオが生まれる前に処刑されたらしい。マオラオの母を身篭らせておきながら、母子に何の財産も残さずおっ死んだのである。

 おかげで母はシェイチェン家から排斥(はいせき)され、世間から(うと)まれながら、マオラオが6歳のときに病死した。マオラオはといえば、鬼族の象徴たる高い身長に生まれず、ひそひそと陰口を叩かれる羽目に遭っている。


 物好きというのか、恐れを知らないというのか、トンツィのおかげで命は繋いでいるが、彼からの援助がなくなれば、マオラオも母とそう変わらない運命を辿るのだろう。父親のせいで。誰とも知らない男のせいで。


 どうして、先に楽になった男に苦しめられなければならないのだろう。


【……母さんは、なんでニンゲンなんか好きになったんやろ】


【うーん、そうねぇ】


 マオラオの呟きを拾ったのは、彼の隣で石階段に腰をかける、小豆色の長髪の巫女。名前をスーァンという、この暁月大社の大巫女であった。

 彼女はとても変わり者で、マオラオとも普通に会話をする。避けようとしない理由はわからないが、なんとなくマオラオの身体を見る目が艶っぽいことに気づいてから、彼女とは拳3つ分くらいの距離をとって座るようにしていた。


【そういう貴方はぁ、誰かを好きになったことないのぉ?】


【ないわ。友達すら出来ひんほど出会いがないねんで】


【そうなのぉ? でも、カンナギ家の三姉妹とは交流あるでしょぉ? 癖の強い子もいるけどぉ、全員美人さんだしぃ、私が男の子だったら気になっちゃうわよぉ】


【関わりはあるけど、ろくな女の子おらへんよ】


 言いながら、マオラオは過去の会合のことを思い出す。どうしても会合に出なければならなかったあの日。マオラオは初めてカンナギ家の三姉妹と出会った。

 初めて同年代の女性ときちんと関わるということで、会う前はそれなりに緊張していたマオラオだったが、蓋を開けてみればどうだ。


 第1王女は淡々とした口調でマオラオとの関わりを拒否し、第2王女は虫けらを見るような目でマオラオを一瞥(いちべつ)しただけ。唯一まともだった第3王女も目を離すといなくなるトラブルメーカーで、とても気疲れした覚えがある。


 今でもあれらと会合を共にしているトンツィは、本当に我慢強いか鈍感なのだと思う。


 はぁ、と重い溜息をつくマオラオ。10歳の子供らしからぬ哀愁をまとう少年に、スーァンは少し困ったような顔で笑い、


【そうなのね、ごめんなさいねぇ。でもぉ、恋ってしたくてするものじゃないのは、貴方もなんとなくわかるでしょぉ? きっとお母さんもぉ、気づいたら好きになってたんじゃないかしらぁ? 人柄とかぁ、見た目に惚れてぇ】


【……だとしても、オレを産む必要あったか? 無計画すぎるやろ】


【それは言い返せないわねぇ】


【ほんまに。……もしも父親がニンゲンやなかったら、今頃オレもトンツィみたいになってたのに】


 膝を抱え込み、丸くなるマオラオ。


 トンツィ=シェイチェン――マオラオの遠縁の親戚に当たる彼は、武門シェイチェンの名にふさわしい体格と才能を持ち合わせ、一家の期待を一身に背負っていた。

 そしてその期待を裏切ることなく、15歳で花都シグレミヤの警察組織『天満組』に入隊。17歳でかの1番隊に所属し、19歳の今1番隊の隊長補佐を務めているという。


 絵に描いたような華々しい活躍の数々。両親が共に鬼族であっただけで、マオラオとこんなにも差が出来るのだ。もちろん、トンツィ自身の努力もあったのはわかっている。が、天才の努力家と来たら、もうマオラオには勝つ術がないのであった。


【まぁ、トンツィもトンツィで大変なんはわかんねんけどな。今日の会合やって、トンツィの今後の方針とか決めてんねやろ。アイツらほんま、どこまで行っても自分本位やねん。本人の希望も聞いたらんと、家長がどうの嫁候補がどうの】


【それはぁ……滅入っちゃうわねぇ。家長とか許嫁とか、今どきあんまり聞かないわよぉ】


【せやんな。はっきり言わへんトンツィもトンツィやけど……】


 と、ブツブツ呟いていると、だいぶ薄暗くなっていた暁月大社に来客が現れた。暁月山を延々と這う石階段をはるばる登ってきたその人物の姿に、マオラオは膝と胸の間にうずめていた顔を上げる。


 180センチはある身長と広い肩幅、包容力のある厚い胸板。筋肉に富んだその肢体は、かつて着られていた(・・・・・・)スーツをぴしっと着こなしている。全ての鬼族が憧れる、鬼族のあるべき姿。マオラオには持ち得ないものを存分に披露した、艶やかな黒髪の優男。


【……トンツィ】


 噂をすればなんとやら。話題の人物が現れて、マオラオは若干後ろめたい気持ちになる。だが、トンツィは彼の胸中などつゆ知らず、


【あぁ、やっぱりここにいたのか。さっき会合が終わったんだ。そろそろ解散した頃だろうから、城に戻ってこないか? 今日の夕食はつみれ鍋らしい】


【戻るけど……あんさん、オレがつみれ鍋でつれると思ってるんか】


【ん、好きじゃなかったか?】


【家出少年を連れ戻すには弱いな】


 せめて、きつねうどんくらいでないと。という言葉を噛み締めて、マオラオは石階段から立ち上がる。トンツィは言葉を文字通り受け取る癖がある。下手に好物を教えたら、毎食女中にきつねうどんをオーダーされかねない。

 流石に毎食きつねうどんはきつい。そう思いながら尻をはたいていると、次の瞬間、トンツィから衝撃的な発言が飛び出した。


【じゃあ、明日から専属教師の授業を受けなくてもいい――もっと言えば、勉強を城の外でしてもいい、って言ったらどう思う? 帰りたくなるか?】


【……え、どういうことや?】


【実は、今日の会合はカンナギ家とシェイチェン家だけじゃなく、天満組も参加していてな。花都シグレミヤの15歳未満の孤児が年々増えていることを受けて、特別な救済措置を施した学校を運営しようって話が出たんだ】


 そう言われて、マオラオは自分の中の天満組の情報を探る。


 確か天満組は、もともと花都シグレミヤの守護以外にもたくさんの雑務をこなしているのだが、孤児院の余裕がなくなるくらい孤児が爆増したある年から、隊士見習いとして孤児を引き取ることもするようになったのである。


【それで、試験的に3人の学生を受け入れようって話になてな。7歳から10歳までに子供が、あと1人必要なんだ。それで、お前を推薦しようって思ってるんだが……どうだ、学校に興味はないか?】


【えっ、え、学校って……もう他の2人は決まってるん?】


【あぁ。1人は孤児院からの推薦で10歳の男の子を、1人は俺の同期の推薦で9歳の女の子を入れることになってる。男の子の方はまだ会ってないが、女の子の方は俺もよく遊んでる子だ。元気で真面目ないい子だよ】


【……】


 マオラオは口をつぐみ、逡巡(しゅんじゅん)した。


 同年代の子供にあまりいい思い出はない。けれど、これ以上人の目から逃げていいのだろうか。このまま自分の殻に閉じこもって、何の功績も残さず、ただ風化するように死ぬ人生でいいのだろうか。いいや、違う。

 腐れ外道の父親に、母親だけでなく、自分の死に方まで左右されてたまるものか。


 今日からでも、少しずつでも、変わらなきゃいけない。マオラオは拳を握りしめた。


【――わかった。その学校に行くよ】

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