第20話『いちごパフェ1つ分の脱獄』
地下牢エリアはその名の通り、地下牢だけがあるエリアだ。
本殿と長い階段で繋がっており、そのエリアの出入り口は『爆破しようと刺突しようと壊れない』という特殊能力持ちの職人が作った特別な扉で封じられ、鍵がなければ絶対に出られないようになっている。
だが、何を起こすか全く予想がつかないのが『犯罪者』である。
出入り口を封じてもなお脅威には違いなく、念のため警備用に2人の聖騎士が扉の前につけられていた。
「……みんな何見に行ったんだろうなぁ。俺も気になるんだけど」
制服にだらしなくシワをつけ、犬耳をぴくぴくさせているのが青年・サム。
「シッ! 私語を慎め。緊急時とはいえ任務中だ」
そんな相方を叱責し、自分も数ミリ姿勢を正すのが青年・トーマスだ。
「えぇ〜、トーマスは気になんねえの? 俺らもこっそり見に行こうぜぇ、今ここの牢に居るのはアイツだけだし、どうせこの扉は何したって壊れねぇんだから」
「……やめろ。私はここを動くつもりはない」
「つれねぇの〜。全く、トーマスちゃんは真面目バカなんだからぁん」
トーマスが注意を払い続ける一方、凝った身体をほぐそうと体操を始めるサム。警備員としての自覚に欠けた、注意散漫な態度にトーマスが眉を動かし、『お前いい加減に……』と本気で説教をしようとした、その時だった。
「――トーマス、扉の向こうでなんか声しなかった?」
「は? 声だと?」
「ウン、あの目つきの悪い野郎の声」
「……長時間の監禁で気でも狂ったんじゃないのか。放っておけ」
「やーんトーマスってばちゅめたーい! って、そうじゃねーんだよ、マジでアイツ誰かと喋ってるって!」
地下階段と繋がる扉に耳を当て、ふわふわの茶髪に隠れた小さな犬耳を動かし、人族のトーマスには聞き取れない小さな音を拾うサム。と、不意に金属同士がぶつかり合うような音を聞き、サムは緩みきっていた頬を引き締めた。
「本気で嫌な予感がするぜ! トーマス、剣を抜いて構えろ!」
「……!」
相方の鬼気迫る声に圧倒されたトーマスは、腰の騎士剣を引き抜き、サムが解錠した扉を開けて地下階段を駆け降りる。そして地下牢エリアに踏み入ったのだが、
「な、に……?」
身を揺らす松明の炎だけが頼りの薄暗い空間から、今日の夕方には存在を確認していたはずのギル=クラインの姿が消えていた。
2人は揃って息を呑み、周囲を強張った面持ちで見回す。が、緑髪の男の姿はどこにも見当たらなかった。その代わり、まるで空間ごと切り取られたように鉄格子がすぽんと外れた牢屋と、石の床に浮かび上がる幾何学模様が目に入った。
模様を作る線は淡く、紫色に光っている。
「……なんだアレは」
「離れてて」
トーマスを片手で制しつつ、謎の模様との距離を詰めていくサム。だが、
「待て、それは罠かもしれないぞ!」
不安に駆られたトーマスは、進み寄るサムを引き止めた。瞬間、彼の言葉に呼応したかのようなタイミングで幾何学模様が消え、サムはハッとする。
「消えた……! ――そうか! フロイデ団長が言ってたもう1人の男が、あの緑髪の野郎を助けに来たんだ!」
逃走中だと言われていた、焦げ茶色の髪を背中まで下ろし、メイドの格好をしているという背の小さい男。それが2人の目を何かしらの方法で掻い潜り、【ギル=クライン】を連れ出したのだ、と彼らは悟る。実際は違うのだが。
「ふ……フロイデ団長に報告するべきだよな!?」
「今は駄目だ、団長は中庭の火災の消火作業に当たっているはず……! 私達は周囲の警戒をするべきだ! 戻るぞサム!」
2人は冷や汗を流すと、身を翻し、急いで地上に戻っていくのであった。
*
「なーんてことになってるでしょうね、多分」
同時刻、使用人エリアの真っ暗な一室に移動してきたペレットは、ベッドに腰を落として聖騎士達の慌てぶりを想像していた。そして彼の功労の結果とも言える、目の前に転がるギルの姿を見てハッと鼻で笑った。
「偉くないスか? 気が利いてると思いませんか? 鉄格子を外してやって、安全な場所まで連れてきて。あ〜、なんて先輩想いの出来た後輩なんでしょうね!」
「あ〜〜、そうだな。ありがと。で、お前は俺に何を要求してえんだ」
カーペットに寝転がったギルは、ベッドに腰掛けるペレットに視線を投げる。
するとペレットは少しの間口元に手を当てて悩み、『あっ』と何かを思いついたような反応をして、きらーんと音の出そうな勢いで親指を立てた。
「王都で1番人気のいちごパフェ。マックスサイズでアイスクリーム追加」
「よし、この遠征が終わったら奢ってやる。ジュリさんの金で」
「さっすがギルさん〜話が早くて助かるっス」
対価の交渉が上手くいき、下卑た笑みを浮かべるペレット。彼はふと、魔女が魔法をかけるように人差し指を立て、小さく空気を掻き回した。
直後、何かがギルの腹の上に現れる。――牛乳の瓶と、サンドイッチだった。
「あ? 何だこれ、どっから持ってきた」
「廃棄寸前だった朝食っス。お腹空いてるかなと思いまして。食べられなくはないはずです。もっとも、ギルさんならゴミ食ったって腹壊さないし大丈夫でしょ」
「さも俺が食ったことあるみてェに言ったけど、流石にゴミはねェからな? ……まぁ、ちょうど腹減ってたしありがたく貰うわ」
「あ、これも貸しっスからね」
「お前ジュリさんよりケチだな!?」
相変わらず恐ろしいやつだ、と再認識して起き上がり、貰った牛乳を呷ってサンドイッチを飲むような速さで食べ尽くすギル。彼の特殊能力『神の寵愛』の性質上飢え死にはしないが、彼とて食べなければ腹は減るのである。
「じょーだんっスよ。それで、ギルさんはどうします? どうせここには長居できませんから、どこか外で隠れててもらう必要がありますが……」
「あー、そうだな。とりあえず、隠れる前に『中央エリア』ってとこに1回行ってみてェんだよな。聖騎士団長の野郎に『中央エリアに入ったか』って聞かれてからずっと気になって……あ! 聖騎士団長のことはマオラオから聞いたか?」
「あぁ、先日行った酒場でヒーロー扱いされてたあの人でしょう? それは聞いてますが……」
そんな会話をしているとふと、ペレットが引き寄せられたように『ん?』と部屋の扉に視線を向けた。つられて、ギルも同じ方向を見る。
「……どうした?」
「いえ、その……一瞬だけ扉の向こうに、誰かの気配がした気がしたんスけど……改めて見ると、何も感じられなくて。気のせいっスかね」
「……わかんねェ。でも、うちで1番敏感なペレットがそうだッつーなら、誰か居たんじゃねェの? まだそれほど遠ざかってねーだろうし、確認してみるか?」
「はい」
ペレットは頷いて、ゆっくり扉に近づく。
キィ、と蝶番の音がして扉が開き、部屋と廊下が繋がった。廊下の明かりが暗い部屋に差し込んで、ペレットは目がちかちかするのを自覚しながら辺りを見る。
が、ここから見える範囲には誰も居ない。
明らかに居ないであろう天井もしっかり確認したが、蜘蛛のように張り付いた人間が上からこちらを見下ろして――ということもなかった。
気のせいだったようだ。
「誰も居ませんね。すみません、勘違いでした。話を続けましょうか」
扉を閉めるペレット。そして彼はまた、星の光しかない真っ暗な部屋に戻り、ギルとの作戦会議を再開した。
――先程の会話を、本当に盗み聞きされていたとは知らずに。
*
その金髪のメイド少女は、誰も居ない廊下で独り言を呟きながら、三つ編みを揺らして歩いていた。
「ふぅ……危なかった。もう少しでバレるところだったわ。……まぁ、もうじきこちらからバラすつもりだったし、今バレたところで問題はないのだけど」
『ふふっ』と可憐な笑みを溢す少女。少女は黒のなめらかなロングスカートと、メイド服のトップスに押し込んだ年不相応に豊満な胸を揺らし、廊下に敷かれた群青のカーペットをしばらくヒールの足で歩いて、立ち止まる。
「――こちらセレーネ。本格的に戦争屋が動き始めたわ。至急、アンラヴェル宮殿に奇襲をかけて頂戴」
ぷるりと潤った美しい唇から、少女が凛とした声を溢すと、耳にはめた無線機のノイズが彼女の鼓膜を不快に叩いた。
《――しました。その、神子――に関しては――ますか?》
「大丈夫、私に任せて。貴方達はただ聖騎士団と戦争屋を邪魔すること、そしてアンラヴェル教皇を殺害することに集中して頂戴。じゃあ、後で落ち合いましょう」
戦争屋の使うそれとよく似た無線機でやりとりをし、通信を切るメイド少女。
この宮殿の者達には、『メイド長』と呼ばれている彼女――セレーネは、見つからないよう急いで来た道を振り返ると、そっと胸に手を乗せた。
心がほんのりと温かい。とても懐かしい感情だ。彼だけがくれる特別な気持ち。暖かくて優しいのに、押し潰されそうに胸が苦しくて、けれどそれさえ愛おしい。
彼に名前を呼んでもらう為ならば、彼に頬を撫でてもらう為ならば、この命を投げ出すことさえ惜しくない。
こんな狂った気持ちを一言で表せる言葉は、きっとこの世には存在しない。恋だの愛だのというありきたりな言葉では、全く足りないところにまで来てしまった。
「――あぁ、愛おしいペレット君。次に会う時はもう1度、『仲間』としておしゃべりしましょうね」
彼女は、誰にも届かない言葉に深い愛情を込めて呟くと、神子【ノエル=アンラヴェル】の居る本殿の塔へと足を運ぶのであった。




