第174話『言葉と革靴は使い込め』
アカツキが口にした言葉を、マオラオは瞬時に理解することが出来なかった。
今でこそ人気も低迷しているが、確かに国中から崇められていた時代があって、自他認める神さまだったのに、今更『本当は神さまではない』とは。
言葉を失うマオラオの手前、アカツキは【あー】と唸ってボサボサの頭を掻き、
【話すと長くなんねんけど……せや、学校で習わんかった? 2000年くらい前、ありとあらゆる災害が降りかかって、シグレミヤで大飢饉が起きたって話】
【習っとらんな。まぁ、教えとったのかもしらんけど……オレが学校に通ってた期間ってそない長ないし】
【あー……昔々、穀物や果実は全滅、魚は大量死、家畜は痩せ細るばっかりで、何も食えるもんがなくて、鬼が鬼を食うような時代があったんや】
【なんやそれ……】
マオラオは眉をひそめる。聞くだけでわかる地獄だ。そんなどん底からよく現状まで持ち直したものである。だが、アカツキが神さまでない理由とどう関わってくるのだろう。神妙な面持ちで続きを待つマオラオに、アカツキはこう続けた。
【俺ぁその頃、15を迎えたばっかりの色男でな】
【聞く気失せるなぁ】
【なんでやねん。……小さい村で家族や嫁さんと、せこせこ作物作っとったんや。ほんで飢饉が起きてからは、数少ない食料を半分に切って、俺の力で回復させて、1を2に、2を4に、4を8に……ってどんどん増やして食い繋いでてん】
【……それって、普段からやってたんか?】
【やってへんわ! ほぼズルやで。そないなことやってるってバレたら、他の農家さんから大目玉食らうわ! ……さておき、ある日その力のことが都に知れてな。俺の魂を土地に縛りつけたら、半永久的に花都が存続するー言うて、殺されてん】
【えぇ……】
突飛な展開に、マオラオは困惑することしか出来ない。
でも、アカツキの発言は理解した。彼は神さまではなく、大飢饉から花都シグレミヤを救うため、どういう原理かこの地に魂を縛りつけられた地縛霊なのだ。
シグレミヤの人々は今まで、地縛霊を崇めていたのだ。人の理解を超えた上位存在ではなく、人離れした力を持っているだけの、大昔には一般人だった人物を。
マオラオは黙り込む。すると、アカツキはガハハ、と笑い声を上げた。
【そないな顔せんでええ。俺の魂が縛りつけられたんは、しゃあないことやと思ってるし。こうでもせな、今頃シグレミヤは続いとったかわからへんからな!】
【いやぁ……】
そう言われても笑いにくいのだが。2000年も経つと、笑い話に出来るようになるのだろうか。マオラオは居た堪れなくなって、話題の転換を試みた。
【そういやあんさん、15で死んだって言ってはったけど……なんでそないな見た目なん? どう見たっておっさんやんけ】
【あー、これはな。訳があってな……】
今までとは一転してそっぽを向き、モジモジと恥じらうアカツキ。屈強な中年の男がまるで乙女のように恥じる姿はあまり見れたものではなく、マオラオが思わず【気持ち悪】と零すと、アカツキは【気持ち悪言うなや!】とツッコミを入れた。
【あー、妖力ってのはな、使い込むと進化するんや。俺なんかもう、数えきれへん鬼の祈りを毎日受け止めてkたから、もうえらい進化して。こないな風に自分の世界を作ったり、自分の見た目を変えられるようになったりしたんや。ほんで……】
アカツキは1度閉口し、言葉を選ぶようにゆっくりと語った。
【俺が置いてきた嫁さん、同い年やってんけど……41で死んだんや。あの時代、性病の原因が漠然としかわかってへんかったから、1度手がついた女は他に嫁入り出来ひんくてな。……1人で歳を重ねさせた。それが、凄く申し訳なかってんな】
【……】
【夫婦なんてのは普通、一緒に老いぼれなあかんやろ。やから、自己満足やけど……俺の思う、41のおっさんの姿になってみたんや。これが理由。純愛やで】
【最後の一言いらんかったなぁ……】
マオラオがじとりと目を細めると、アカツキは【なんや、純愛やろ!】と抗議した。
【……ま、ちゅうわけで。この先お前さんも嫁さんをもらうことがあるかもしれへんけど、そんときは大事にしろよ。たまに愛してるって言えよ。俺もそうやけど、復縁祈願とかする奴みんなそこ後悔してんねんから】
【生々しいな……っちゅーか、いらんお世話やで】
【なんや、神直々のありがたーいお告げやぞ。まぁ、確かにお前さんは嫁さんもらわれへんかもしらんけど……でも、お前さんのウジウジした性格は、結婚以外にも影響するから気をつけなや。実際後悔しとるやつが、ここにおんねんから】
【はぁ?】
誰のことやねん、とマオラオが続けようとした、そのときだった。
突然、穏やかな時間が流れていたこの世界に波が立った。晴れていた空には急速に雨雲がかかり、のんびりと揺れていた花の森がざわめいて、鳥の声が一切聞こえなくなる。不気味な音を立てる風が、マオラオの毛先を散らかした。
【……!?】
よからぬ者の気配を感じるマオラオは、息を沈めて唾を飲む。一方アカツキは、忽然と消えた饅頭に嘆き悲しんでおり、この事態に焦る様子はなかった。
――息が詰まるほどの、邪悪な気配。その発生源は先刻、アカツキが横になっていた本殿だった。そこに、1人の少年が立っていた。
その少年の姿に動揺していると、長机と縁台が消えてなくなり、マオラオは地面に腰を打ちつける。彼が抱えていたシャロは、マオラオがクッション材となっておおよそ無事だったが、クッション材の方は割と大きな衝撃を食らって歯を噛んだ。
間一髪、縁台から立ち上がっていたアカツキが、少年を顎で示す。
【マオラオ=シェイチェンっつーんだけどさ】
*
その少年は、マオラオとほぼ同じ見た目をしていた。焦茶色の髪、紅色の瞳、幼なげな顔立ちに小さな体躯、赤い着物。だが、決定的に違う部分があった。そのマオラオの全身からは、他者の呼吸を許さない威圧が漏れ出ていた。
【っ……】
その威圧を感じていたのは、マオラオだけではなかったらしい。マオラオの腕の中で眠っているシャロも、起きはしないものの眉間にしわを寄せていた。
本殿のマオラオは、こちらに近づく素振りを見せない。が、10数メートルの距離があっても、決して無害な存在ではなかった。
【あれは……一体なんなんや】
【あれは1個前の世界のお前さんや】
【……頼む、もう少しわかるように言ってくれ】
【まぁ、詳しくはギル=クラインの残したノートを見てくれや。多分お前さんらが乗ってきた船の中にあると思うで。なかったら、もう1個の船の方にあるかもしらん。頑張って書いとったみたいやから、読んでやってくれ】
【はぁ?】
何故ギルの名前が出てくるのだろう。というか、何故ずっとここに封印されているアカツキがギルのことを知っているのだろう。たくさんの疑問が浮かぶが、とやかく言ってもその『ノート』を見ろ、としか言われないのだろう。
ならば、これだけ聞いておきたい。
【……アイツは、オレなんか? それとも、姿が似てるだけの別人なんか?】
【アイツはお前さんそのものや。わかりやすく言うと、別の世界のお前さん。お前さん以外の戦争屋が、全員命を落とした世界のマオラオ=シェイチェンや】
【――は】
マオラオの顔が強張った。再びさまざまな疑問が脳裏をよぎる。本当にあの戦争屋が壊滅したのか、いったい誰に壊滅させられたのか。だが、何よりもの疑問は、
【え、ギルはあ。】
【アイツも死んだ。明確には、こっちの世界のギル=クラインに魂を吸われた。同じ魂は2つと存在できひんからな。けど、アイツもよう頑張ってたで】
【え……えっ、じゃあオレとアイツはなんで同時に生きとんの】
【それはここが特別な場所だからや。まぁ、その辺は大体ノートに書いてあるはずやで。ただギル=クラインの視点からは、あのお前さんのことはわからんはずやから、ここでウン万年と待ってたアイツのことは、お前さんが伝えてやってくれ】
【ちょ、ちょっと待ってな……】
情報処理が追いつかず、マオラオは悲鳴を上げる頭を抱える。
あの異様な気配のマオラオは、戦争屋が殺された世界のマオラオ。普通なら存在できないが、このアカツキの世界に閉じこもることで特別に存在している。
詳しいことはこの世界のギルとは別のギルが、ノートに記録し戦争屋の所有するどちらかの船に置いてくれているが、その後ギルも消滅している――。
【あかん、わからん……いや、ちゃうな。おかしくない? あんさんは2000年前に殺されたんやろ? あのオレがここでウン万年も生きられるわけあらへん】
【あぁ、別におかしくないで。俺が殺されたんは、いくつか前の世界の『今』から2000年前やから。こんがらがるかなと思って、省略させてもらったけど】
【はぁ? えぇ? じゃああんさん、ほんかは2015歳やなくて……】
【何歳なんやろな!】
ガハハハハ、と高笑いをするアカツキ。相変わらずよく笑っていられるものだ。アカツキより何倍も短い時間を過ごした――それでもウン万年かかったらしいが――別世界のマオラオが、あんなにも余裕をなくしているというのに。
何も言えなくなって、マオラオは本殿のマオラオを見つめた。彼も何も言わない。こちらに近づいてこようともしない。だが、ずっとこちらを見つめている。マオラオを見ているのか、シャロを見ているのかはわからない。
【……あのオレは、話されへんのか】
【せやな。アイツの世界の言語と、こっちの世界の言語はだいぶちゃうし。俺は参拝客とか巫女とかと関わる機会があったから、こっちの言葉も話せるけど……アイツはそういうのなかったしな。そもそも、こっちの声も聞こえてるんだか……】
【……なんであのオレがここにいるのか知らへんけど、廃人になってたら意味ないやんけ。生き残り損やん】
【そーでもないで? 進化したアイツの妖力『監視者』で、外の世界の動向は常に確認できとる。お前さんらを壊滅させた『へゔんずげーと』の行動も全部見とったみたいやし、あとは喋れさえすればお前さんらに助力できるからな】
【は!? えぇ!? ちょ、めっちゃ大事やんけ!? ど、どうにかして喋られへんか!? それか、喋られへんくてもええから情報もらえへんか!?】
マオラオが慌てていると、不意に耳元から『ぐ……』という呻き声が聞こえた。どうやら無意識のうちに腕に力を込めていたらしい。マオラオが慌ててシャロの身体を離すと、死にかけのシャロと目が合った。
「す、すまん……!」
「大丈夫……けど、死ぬかと思った……って、ここどこ? このおじさんは誰? ……なんで、マオが2人もいるの?」
「あー、えっと、あのな」
マオラオは言葉を悩みながら、事の顛末を伝える。正直マオラオもよくわかっていないものをシャロが理解できるはずもなく、話し終えた頃には目を回していたのだが、前のマオラオに言葉を教える必要がある、ということは理解したようで、
「じゃあ、ウチが言葉を教えるよ! 前にもマオに北東語教えたことあるし」
「は……!? 教えたことあるって、確かにそうやけど、あんときはジュリさんとかがいた上に半年以上かかって……!」
「2回目だからもっと上手くなってるって! 大丈夫、ウチとマオの仲なら多分2週間くらいあれば聞き出せるはずだから! ペレットに迎えに来てもらえばすぐに合流できるし、マオは先にギルたちのこと探してきてよ」
「に、2週間も花都に残るつもりなん!?」
「え、ダメ?」
「いや、あんさん南西語喋られへんし……」
言いながら、マオラオはちら、と前のマオラオを見る。やはりこちらの会話の意味が理解できないようで、彼の態度は先程から一貫して変わらない。
仲間のこともよく覚えていないかもしれない。何かに心を動かされることもないかもしれない。だが、再び仲間と話せるときが来たら、彼も嬉しいだろうか。
自分のことだが、途方もない時間を過ごした自分など、もはや別人に等しい。あのマオラオがどう思うかなど、予想することしか出来ない。けれど、
「……3日や。3日にしよう」
「みっ……さ、流石に厳しくない……!?」
「2週間も大概やぞ! フィオネでも多分習得厳しいし、処理班から丁度ええ能力者連れてくる方がずっと効率ええわ! ……けど、あのオレには多分、あんさんと話せる時間が必要や。ええか、3日目にペレットに連れ戻させるからな!」
「えぇ〜……わかったぁ」
渋々、といった様子で了承するシャロ、彼はまだマオラオの言ったことの意味に気づいていないようだ。が、きっと彼なら上手くやってくれるだろう。他人の閉ざした心をこじ開けることに関して、彼の右に出る者はいないのだから。
マオラオは少しだけ追憶しながら、『それでええ』と頷き、
「とりあえず、フィオネに交渉せな話は始まらん。そろそろ外の世界に戻ろか。オレの目ぇも回復したしな。はぁ、またツノの場所探さんと……【アカツキ。オレちょっと用事あるから、そろそろ帰るわ。また来るな】」
【うい。あぁ、そうだ。お前さんツノ探してたやろ。学校の地下に落ちとったで】
「え!? ほんまに!?」
驚くあまり南西語に切り替えることも忘れ、大声を上げるマオラオ。
が、非常に良いことを聞いた。あの狭い空間に落ちているのなら見つけやすい。日が暮れる前に探し出して、スーァンにツノを返却しなければ。
【よかった……ありがとう。ほな探してくるわ。……学校の地下っちゅうことは、まだ宝蘭組も来てへんはず……先回りしてはよ見つけなあかんな……】
挨拶もそこそこに1人呟きながら、石階段を降りていくマオラオ。ツノを探すことで頭がいっぱいになっているようで、取り残されたアカツキは【礼儀知らずなやつや】と不満げに頬を膨らませた。
同じく取り残されたシャロは、北東語しか喋れないのでなんと言って別れるか迷ったようだったが、
「……バイバイ! また来るね!」
と前マオラオに手を振って、アカツキにとりあえず頭を下げ、追うようにして石階段を降りていった。
いつのまにか、不気味な風はやんでいた。




