第173話『落としもの結構遠くに跳ねる』
15時ごろ。シャロとマオラオは約束通り、暁月大社を訪れていた。
セツカとイツメの戦闘、怪物と化したシグレミヤ国民の暴動により、そのほとんどが倒壊した大社は、結婚式の日の華やかな光景が見る影もなくなっていた。
が、退廃したにもかかわらず、辺りの空気は清澄で、ささやかな緊張感がある。もしかすると、宗教の聖地特有の超然的な雰囲気は、建物ではなく大地そのものに宿るのかもしれない。信心深くないマオラオも、そう思わずにはいられなかった。
マオラオの『監視者』を使いながら、10分ほど大社の中を歩き回った2人だったが、マオラオの目的の人物であるスーァンの姿は見つからなかった。見つかったのは宝蘭組の隊士たちのみ。しかも、その隊士たちもごく僅かな人数だった。
おそらく人手のほとんどは、国の核たる神薙城の復興に割かれているのだろう。とはいえ、スーァンは暁月大社の責任者である。僅かでもこうして隊士が来ているのだし、責任者として対応しなければならない以上、彼女が不在のはずがない。
「まさか、森ん中おるとかちゃうよな……流石に『監視者』でも1日はかかんで。ていうか、1日も使ったらオレの目ぇ爆発するわ」
「したことあるの?」
「あるように見えるんか……?」
困惑しながら、ほれ、と両目の健在を見せつけるマオラオ。シャロが首を横に振るのを見て、こじ開けていた瞼から指を離すと、彼は周囲を見回した。
するとふと、瓦礫の中から人影が立ち上がる。スーァンだった。予想外の場所から現れた目的の人物に、シャロとマオラオは揃って声を上げる。その大声でこちらに気づいたらしいスーァンは、装束についた瓦礫の粒を払うと【あらぁ】と零し、
【いらっしゃぁい。2人揃ってどうしたのぉ?】
【いや、あんさんに聞きたいことがあって来たんやけど……なん、なんで瓦礫の下から出てきたんや】
【探し物をしてたら埋まっちゃってぇ。あらぁ、手足に傷がいっぱい。埋まったときについたのねぇ。痛いわぁ、痛くて泣いてしまうわぁ。でもぉ、マオラオくんとシャロくんによしよししてもらったらぁ、痛みが治る気がするわぁ】
そう言ってちらちらと目配せするスーァン。シャロは南西語がわからないため、彼らのやりとりをぽかんとした顔で傍観していたが、自分の名前だけ辛うじて聞き取ると、『ん、シャロって言った!?』とマオラオに通訳を求めた。
が、マオラオは肩を掴んでくるシャロの手を『言っとらん言っとらん』と平気で嘘をつきながら押し戻し、
【シャロをあんさんの性癖に巻き込まんでくれ。あんさん治り遅そうやから、傷は普通に心配やけど……何探してはったん? 探しもんなら手伝うで?】
【あらぁ、ありがとぉ。実はぁ、初代国王のツノを探していたんだけどぉ……】
【初代国王のツノ……? ――あ】
思い当たる節があり、顔面蒼白になるマオラオ。
初代国王のツノとは、暁月大社で保管されている、首飾りに加工されたツノのことだ。結婚式のとき、マオラオがセツカにかけてやる必要のあったもので、あの日はヘヴンズゲートの邪魔が入って結局かけられなかったのだが――。
思い出してみると、あの後首飾りをどこにやったのか覚えていない。
ひとまず、マオラオが今持っていないのは確かだ。ノートンと共に神薙城に連れ去られた後、結婚式用の衣装から普段着に着替えている。いまマオラオの袂や袖を探ったところで何も出てはこないだろう。
そしておそらく、式用の衣装の中にも入っていない。普段風呂に入るとき、貨幣や機械のパーツが入っていないか毎度着物を調べるのだが、その癖で衣装を脱いだときに物が入るところを隅々までチェックしたので、可能性はほぼゼロである。
となると――どこかで落としたことになる。
一体いつ、どこで落としたのだろう。マツリと森の中を逃げていたとき? 学校の外でマルトリッドと交戦していたとき? 境内でイツメと交戦していたとき? ジュンに連れられて神薙城に戻っていたとき?
いや、ただ落としただけならまだいい。だが、戦闘の影響でツノが粉々に砕け散っていたら――。
【……スーァン、あれっていくらくらいになるんやっけ】
【非売品だけどぉ、まぁ、大西大陸と同じくらいの値段じゃなぁい?】
【オッ……】
立ちくらみ。思わず転倒しそうになるマオラオを、ぎょっとしたシャロが慌てて止める。
【……す、すまん。オレも探すわ。スーァンは少し休んでてくれ】
そう言ってどうにか自立し、粉々になっていませんように、と祈りながら『監視者』を発動するマオラオ。スーァンがこんな瓦礫の下まで探しているのだから、一目につくところはあらかた探した後なのだろう。となると。
「……マオ、もう10分くらい経ったよ? 目爆発しない?」
「しそう、目痛い、ほんまに痛い」
「やめときなよ!?」
さっ、とマオラオの目元を覆い隠すシャロ。その手も『監視者』で透視してしまうので意味がないのだが、流石にこれ以上は目が使い物にならなくなると判断し、マオラオは『監視者』の使用を中断した。瞬間、異常な量の涙が溢れ出す。
「だぁぁぁぁぁーーーーッ痛ァァァァァァァァァ!!! あかん、ほんまにしんどい、目ぇ開けられへん、無理」
【だ……大丈夫ぅ? 貴方も休憩したらぁ?】
【いや……あれ多分国宝とか言われてんねやろ。失くしたままには出来ひんて……あぁぁぁぁぁ痛い、これいつもの目薬さしたらマシになるかなぁ】
【……とにかく、1度診てもらった方がいいわぁ。こっちにいらっしゃぁい】
国宝は本当だったのだろうか、顔を強張らせながらも、マオラオの手を引くスーァン。目の見えないマオラオを介護しながら行ける範囲に医者などいないのだが、目が見えない故に逆らうことが出来ず、マオラオは案内されるままについていく。
【ど、どこに行くつもりなんあんさん……】
【ここよぉ】
ここってどこやねん、というマオラオのツッコミも無視し、ある場所で立ち止まるスーァン。彼らがやってきたのは、暁月大社の本殿があった場所だった。
スーァンはマオラオから手を離すと、変わったハンドサインを作って何かを呟く。それを聞いたマオラオは、【まさかあんさん……】とハッとした。
【そのまさかよぉ】
いってらっしゃぁい、とスーァンが告げると同時、マオラオは見えない衝撃を胸に食らってその場にへたり込む。後から追いかけてきたシャロも、その場に来た瞬間身体が動かなくなったように前傾し、地面に顔面を強打した。
強烈な眠気に襲われたように薄れゆく意識の中、微かにスーァンの驚く声が聞こえた。
【あらぁ、ごめんなさい。シャロくんも適性があったのねぇ。私は暁月神とは特別仲がいいわけじゃないしぃ、心に干渉する妖力も持ってないからぁ、こっちでゆっくり待ってるわぁ。暁月神によろしく言っておいてねぇ】
*
目が覚めるとそこは、穏やかな陽だまりの中だった。
澄み渡る青空が見える。鳥の鳴く声が聞こえる。のどかな風が花の匂いを連れてくる。一瞬、天国かと錯覚するようなそこは、その認識があながち間違いではない場所であることをマオラオは知っていた。ここは、過去に何度も訪れた場所だ。
シェイチェン家に居場所がなかったかつてのマオラオは、日が暮れるまでずっとここにこもっていた。ここに生命は存在せず、鳴いているはずの鳥の姿も見つけたことはないが――神さまを自称する中年がいるので、寂しく感じたことはない。
あの中年は、今もここにいるのだろうか。
マオラオは身体を起こした。マオラオが先に気を失ったため、すぐそばにシャロが倒れていたことに気づいて驚く。シャロもここへ来れる人間だったのか。目覚める気配はないが、この世界が誰かを害するはずがない。ただ眠っているのだろう。
とはいえ、地べたに放っておくのも気分が悪い。マオラオはシャロを背負い、少し離れたところにある石階段を登った。
登り切るとそこには、暁月大社によく似た神社があった。
とても綺麗にされている。が、かなり年季が入っている。本物の――スーァンを置いてきた方の暁月大社は、マオラオが生まれる前に老朽化が原因で改装したと聞いているので、おそらく何百年か前の暁月大社を模しているのだろう。
その本殿にあたる場所に、燃えるような赤髪をボサボサに伸ばした男がいた。
簡素なデザインでいて上等な質の、青空みたいな色をした着物をはだけさせ、四十路の流浪人のような見た目に似つかわしくない締まった上半身を露出した、やたらと身体のデカい男だ。気だるそうに横になっている。
巷には暁月天将花楼骸神と呼ばれている、中年親父であった。本人からはアカツキと呼ぶように言われている。フルネームはかったるいからと。
――マオラオたちの来訪を知っていたのだろう。アカツキは階段を登ってきた少年を見ると、無精髭の生えた、しかしどこか色男風の顔でニヤリと笑った。
【久しいなあ! マオラオ。かわい子ちゃん連れてどうしたん】
【目ぇを治しにきたんやけど……せっかくあんさんに会えたし、いろいろ聞かせてもらお思って】
マオラオがそう言うと、アカツキは目を輝かせ、勢いよく身体を起こした。
【ええわ、なんでも聞いたろ! ここしばらく暇やってん】
立ち上がりながら、人差し指をくいくいと動かすアカツキ。すると、アカツキとマオラオの間に長机と縁台という、茶屋のようなセットが現れた。机上には団子や饅頭、湯気を出す湯呑みが置いてありいかにもそれらしい。
が、全て偽物である。質量も温度も味もあるが、これらを飲み食いしても元の世界に帰った瞬間なかったことになる。それはアカツキもマオラオも知っていることだ。それでも、アカツキなりにマオラオを歓迎してくれているのだろう。
【はよ座り。あ、暑いか? 太陽いらん? 夜にする?】
【太陽はいる。傘が欲しい】
【おらよ】
縁台にどかっと座ったアカツキが指を振ると、長机に日傘が生える。マオラオはアカツキの対面に座り、シャロを寝かせておくスペースがないので仕方なく、シャロの頭を自分の膝に乗せた。アカツキが悲しそうな顔をする。
【かわい子ちゃんは? 起きないんか?】
【起きひんし起こさん。慣れへん場所に来て、慣れへん奴らに囲まれて、本人も気づかんうちに磨耗しとるはずや。寝れるんやったら寝かしておきたい】
【へえ。気の利く男になったやないの。あの坊やがなあ! がはははは!】
【うるさい。ほんで、聞きたいことの1個目やねんけど……あんさん、なんで一昨日オレに取り憑いたん?】
マオラオが質問をすると、アカツキは目の前の皿から饅頭を取り上げ、マオラオの口に押し込んだ。
【むぐっ……!? ま、まみふんへん(なにすんねん)!】
【お前さんは質問が多そうやからな! 黙っててもらうで。俺がお前さんに取り憑いた理由はただ1つや。その前に今、暁月大社が人気のうなってるのは知ってるか? ……じゃ、黒痣病やっけ? そいつが海沿いで流行したのは知っとんな?】
【まー(あぁ)】
【あれのせいでな、うちの娘を治してくださいやら、私の夫を治してくださいやら、お祈りに来るやつが急増したんや。ほんで、やさしいやさしい俺は片っ端から病人を治してやってん。けど――流石に力を使いすぎたんやろうな】
アカツキは湯呑みを吊り持ち、熱そうな茶をズズッとすすった。
【あち。……心に余裕がのうなってしまったんや。けど、俺は基本的にこの世界の外には出られへん。から、ここでずうっとゴロゴロして、あー腹減ったなぁ、でも外の世界出られへんなぁ、って腐っとった。そうしたらあの……なんやっけ?】
【知らんわ】
【あの、あれ。大巫女の女……が、『願い札』を使って俺に取引を持ちかけてきてな】
【スーァンが……あれ取引に使えるんか】
マオラオはじとりと目を細める。
ちなみに『願い札』というのは、暁月大社でお守りと一緒に販売されている、願い事を書いて花の森に吊るすと願いが叶う、と言われているお札である。信憑性のほどは知らないが、アカツキは一応目を通しているらしい。
【贄を100人用意するから、イツメ=カンナギを殺すか追い払ってほしい……みたいなことを言われたんや。ほんで封印を解かれた】
【……ん!? 100!?】
【そう100。ほんで、外の世界に出れるようになったんやけど、俺の肉体はとっくのとうに燃やされとる。誰かの身体を借りな――っちゅうわけで、お前さんの身体を借りたんや。ほんまは、銀髪の細っこい娘がよかったんやけどな】
――銀髪の娘、と言われて思い浮かぶのは、メイユイとノエルである。が、細っこいとなるとノエルだろうか。宗教は違うがアンラヴェルの神子だ。彼女には神さまを惹きつける、魅力のようなものがあるのかもしれない。
おそらく、彼女の身体ではイツメとの戦いに耐えられない、と考えて取り憑くのをやめたのだろうが――逆説的に言えば、ノエルの肉体が逞しかったら、彼女に取り憑いていたということか。中身が中年のノエル。なんだか凄く嫌である。
しかし、
【なんでノー……眼鏡かけとる男の人に取り憑かんかったんや。あっちの方がオレよりずうっと強いし、イツメに勝てる見込みあったで?】
【それはしゃーない。あんさんが1番身体の相性がよかったんやから】
【いっ……】
言い方どうにかならへんの、と心底不快そうな顔をするマオラオ。ここに彼らのやりとりを理解できる人物はいないのだが、自分の印象が歪められることを真剣に懸念する少年に、アカツキはぷっと噴き出した後豪快に笑った。
【まぁ、詳しい理由は俺もわからん! けど、ほんまに相性がええんや。普通、1つの身体に2つの人格はいられへんねんけど。お前さんには拒否反応がなくて、スーッと中に入れたんや。それがお前さんを選んだ理由。わかったか?】
【わかったけど、それを身体の相性でまとめんなや。……でも、贄がなんてどこから用意させるんや? しかも、最近人気なくなってんねやろ? あんさん。神さまが力なくなってるんで贄が必要ですなんて言って、集まる気せえへんねんけど】
【いやー流石に今の時代、生贄を食おうとは思ってへんわ。生贄の文化とかのうなってしまったしな。せやから、ここ数日の戦いで死んだ奴らの身体を食う。味は落ちてるやろけど、生贄を食ったんも何百年か前や。味の違いなんかわからへん】
【神さまなのにえらい物分かりがええな】
アカツキがそういう人物でないのは知っているが、神さまならばもっと尊大に振る舞ってもおかしくないんじゃないだろうか。そう思っていると、アカツキは咀嚼していた大福を飲み込んで、マオラオにとって衝撃的な言葉を発した。
【まぁ、ほんまは神さまやあらへんからな!】




