第172話『女の子の喧嘩は広範囲攻撃』
2人が中庭にいる間に、かなりの時間が経過していたらしい。戻ってきたマオラオたちが大広間の襖を開けると、そこにはもうフィオネしか残っていなかった。
閑散とした大広間の中央、足を崩して座布団に座り、瞑目している彼の姿に、眉をひそめたシャロがひそひそと耳打ちした。
「フィオネ……寝てない? 起こしてみる?」
「いや、考え事しとるだけやと思うよ。ほな、話し合ってくるわ。……あ、せや。これが無事に終わったら、お祓……スーァンのところに行かんか?」
「ん? いいけど、なんで? 健康をお祈りするの?」
「せや」
『ほな』と言い残して襖を引き、不思議そうなシャロの視線を遮るマオラオ。トンと音を立てて襖が閉じられると、案の定起きていたフィオネが目を開けた。
「おかえりなさい。シャロとは喧嘩にならなかったかしら」
「ただいま。あれは……ならんかった、ってことでええんかな。まぁ、険悪にはなっとらんよ。それよかあんさん、いま時間あるか? とっくに予想ついとるやろうから単刀直入に言うけど、オレの脱退を破棄することについて話がしたい」
「構わないわ。座ってちょうだい」
「あぁ」
マオラオは促されるまま、長机を挟んでフィオネの対面の席に座る。向かいに座る青年は、何とも思っていないような穏やかな表情をしていたが、彼の演技力はそこらの俳優のそれをゆうに越えている。表に出ている感情が本物とは限らない。
マオラオは緊張しながら、恐る恐る口を開いた。
「ここに来る前、船に乗ってたとき……オレ、『あんさんらを見とると腹が減るから、間違えて食べる前に戦争屋を脱退したい』って言うたよな。ほんで花都についてから、あんさんはオレに『ツノを折れば食人欲求はなくなる』って言うた」
「そうね。でも、貴方は……ツノを折ることを選択しなかった」
「あぁ。あのときは覚悟が出来てへんかったからな。けど、1人でいろいろ考えてシャロとも話して、やっと……ツノを手放す覚悟が決まったんや。この話が終わったらすぐに落としてくる。やから、あの脱退届を破棄してほしい」
そう言うと、フィオネの顔が少し強張ったような気がした。
「シャロに説得されたの?」
「まぁ……せや」
「アタシの説得には揺らいでくれなかったのに。妬けちゃうわね」
不満そうな顔をして、マオラオの顔を覗き込むフィオネ。その赤い唇が揶揄うように弧を描いていることに気づくと、マオラオははぁと溜息をついた。
「言うて、あんさんオレのこと連れ戻す気なかったやんけ」
「そんなことないわよ。本気で貴方を連れ戻そうとしてた。今もそうよ。――けど、このままでは貴方の脱退破棄は認められない」
「……あ?」
不意に、穏便に終わると感じていた会話の流れが変わって、警戒を緩めつつあったマオラオは愕然とした。本気でマオラオを連れ戻そうとしていた、その言葉が前置きにあって何故、マオラオの再加入が認められないのだろう。
そんな疑問に答えるように、フィオネは横髪を耳にかけながら、
「数日前の貴方には、確かに再加入の権利があったの。けれど、この数日でこの国は大きく変貌した。ニンゲン弾圧派のセツカ=カンナギが死に、迎合派のマツリが玉座についた。貴方はこれから次第に、ここで生きることを咎められなくなる」
「――」
「それだけじゃないわ。貴方、本当はもっと流暢な北東語を喋れるでしょう」
――ぎくっ、とマオラオは硬直する。図星であった。マオラオは普段、北東語に南西語のクセが混じった独特な喋り方をしているが、本当はとっくに北東語をマスターしているのだ。訳あって訛らせているだけで。
気まずそうな顔をするマオラオだったが、フィオネはその理由すらも見越したようにそれ以上の言及はしなかった。
「北東の文化も地理もそこそこわかるようになって、1人で生きていける力が十分に養われた。貴方が2年前に求めた『居場所』が戦争屋である必要はないわ。――わかるかしら。アタシは今1度、貴方にあげる『対価』の見直しをしたいの」
「……なるほどな」
マオラオは、キリキリ痛む胃を無視するように歪に笑った。
マオラオは元々、ニンゲンと鬼のハーフ――異物として、2年ほど前に花都シグレミヤを追放されている。その際に辿り着いたのが戦争屋のいる港町オルレオで、フィオネの目的に協力することでマオラオは衣食住を得た。
当時はそれしか方法がなかったのだ。言葉もわからず、文化も地理もわからず、金も持っていなかったのだから。
しかし、今はあのときとは違う。マオラオには、1人で北東の大陸を歩くだけの力が与えられている。わざわざ戦争屋に残る必要は、命を危険に晒す必要はない。なのに何故、戦争屋に身を置こうとするのか――。
「貴方は――シャロがいなくなったとしても、戦争屋に残る気はある?」
「……あんさん、オレのことなんやと思ってるんや」
「ヘタレの意気地なし」
「ちゃうわ! いや、それは合ってんねんけど、ちゃうわ! オレそない色ボケしたやつやと思われてるんか!? わり、割とショックやねんけど、あのなぁ!」
マオラオは遠慮気味に机を叩き、身を乗り出した。
「オレがおらんかったら、ギルの暴走とシャロの散財誰が止めんねん。ペレットの開発やって、あれ1人でやったら長引くで? ジュリさんは……あんなおもろい人いじられへんのは困る。フラムとあんさんに関しては、オレもようわからんけど」
「わからないのね」
「わかるわけないやろ。フラムとろくに喋らんし、あんさんはそもそも自分を他人にわからせる気からないんやから。……けど、オレがやらなあかんこと、沢山あるって気づいたんや。真面目で、勉強家で、面倒見のええオレにしか出来ひんこと」
マオラオがそう言い切ると、フィオネは少し驚いたように目を見張った。マオラオが自信たっぷりに話す姿が珍しいらしい。かくいうマオラオも、自分自身をこんなふうに評価できる日が来るとは思わなかった。誰かのせいである。
「――いてもええ場所、なんてのは、世界中なんぼもあるかもしらん。けど、おらなあかんくて、自分もおりたいなんて都合のええ場所は、この先10年はここくらいしかないと思う。やから、オレは戦争屋に戻りたい。これじゃあかんか」
「……いいえ。けど、戦争屋にいることが貴方の対価になるの?」
「いや、それとこれは別や。対価は……1年以内に戦争屋を5人増やしてくれ。処理班からの引き抜きはなし。1人には必ず家事を担当させること。……オレは、アイツらに過労で死んでほしくないからな。戦争屋の負担を分担させたい」
「……なるほど。1年以内ね、わかったわ。――貴方の脱退破棄を認めましょう」
そう言った瞬間、大広間の襖がバンッと開け放たれた。現れたのは、真っ青な顔をしているペレットと、ペレットをヘッドロックしている――否、ヘッドロックの体勢で首を絞めているシャロ、傍観のノエルであった。
「ほんと!?」
「シャロサンクルシイ」
「本当よ。だからマオラオ、明後日の朝までに支度をしておいてちょうだい。その頃にはシグレミヤを発つつもりでいるから」
「え、なんや早いな……わかった。けど、シャロはそれなんで絞めてるんや?」
「あぁ、マオとフィオネの会話盗み聞きしに行こうって連れてきたの。ジュリさんはなんかノートンと薬品の提供してくるってどっか行っちゃったし、セレーネはなんか常に喧嘩腰でヤだから置いてきた」
「シャロサンクルシイ」
「あ、ごめん。……ノエルはついてきてくれたから、あとはコイツを連れてくるしかなくて」
パッと少年の首から腕を離すシャロ。解放されたペレットはしばらくむせると、マオラオと目が合って、『あ、おめでとうございます』と枯れた声を発した。
その後ろから聞こえてくるのは、『シャロ=リップハート!!』という怒号である。あっという間に近づく足音に、シャロとペレットは『ゲッ』と青ざめた。
「……マオラオくんの顔も見れましたし、俺部屋に戻りますね。シャロさん、あとはよろしくお願いします」
「ちょ、あれ1人で相手させる気……あっ、消えたーーっ!?」
「あぁぁぁーーっペレットくんが消えた!! ……シャロ=リップハートぉ!!」
「今のウチ関係なくない!?」
悲鳴を上げながら大広間に逃げ込むシャロと、ヒュンヒュンと皮の鞭を振り回しながら追いかけてくるセレーネ。ぐるぐると長机の周りを周ったり、長机を飛び越えてショートカットする2人に、マオラオは『コイツら仲ええな』とぼやいた。
「そういや、この人ってどうするん? やたらペレットにべったりしてはったけど、戦争屋のメンバーになってるんか? オレこの人苦手やねんけどなぁ……」
「その辺りはこれから、いえ、今から決めるわ。ノエルに関しても、ここにはいないけれど、ジャックやレムに関しても――早いうちに決めないと」
そうフィオネが呟くと、シャロとの追いかけっこの中でも彼の声を聞き取ったらしいセレーネが足を止めた。彼女は、セレーネが足を止めたと油断し減速したシャロに鞭を巻きつけると、腕の中に引き寄せ、その頬をつねりながら答えた。
「私は当然、戦争屋に加入させてもらうわ。ペレットくんから離れるなんて考えられないもの。あぁ、いちおう貴方の意見には耳を貸すつもりでいるけれど、納得できなかったら抗議させてもらうから。私を飼い慣らせると思わないで」
「まるでウチらがフィオネに飼い慣らされてるみたいな」
「あぁ、もちろん報酬はあるのでしょう? お金は最低限あればいいから、ペレットくんとの結婚手続きに親権者としてサインをちょうだい」
「……ペレット本人の意思確認をしなきゃいけないから、現時点ではお答えしかねるわ」
「何よ、ペレットくんとの結婚は確定事項なのに」
「ほんとに、なんでアイツこんなのに好かれて……いだだだだ」
頬をよりつねられ、涙目になるシャロ。その様子にムッとしたノエルが詰め寄ってくると、セレーネは拘束を解いたシャロをノエルの方に払いのけ、
「仕方がないわね。じゃあ、代わりに――ペレットくんと私、それぞれの両親を探すのに協力してちょうだい。死んでいるのならその証拠を集めて。私の復讐に協力すること、それが私が貴方に求める『対価』」
「……構わないわ」
「ありがとう。改めて、セレーネ=アズネラよ。特技は暗殺、索敵、毒味、機械操作、家事全般。近距離も出来ないことはないけど、遠距離戦の方が得意だから、今後の参考にしてちょうだい。よろしく」
そう言ってセレーネが部屋を出て行くと、フィオネの紫紺の視線はシャロを抱きとめたノエルの方に向けられる。宿敵であるセレーネが正式に戦争屋に加入するところを見たためだろう。ノエルの表情は複雑そうだった。が、
「貴方は――」
「……監獄に潜入する前にも伝えましたが、ボクも戦争屋に加入します。提供するのはボクの洗脳の力。対価は、母国の復興に協力してくださることです」
「いいわ、歓迎しましょう」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げるノエル。彼女にも並々ならぬ事情がある。ここで引き下がるわけにはいかないのだろう。強い覚悟をそばに感じて、シャロは無言で彼女の手を握った。そしてそのまま大広間を出ていき、最初にいた2人が取り残される。
女子2人が残していった重たい空気の中、フィオネが『さて』と口を開いた。
「これで2人加入したわね」
「いや、そ……いや、なん、なんやこのやりきれなさ。まぁ、ええよ、あと3人な。……出来れば、女の子じゃないと助かるんやけど。なんか……怖いわ」
「さぁ、どうでしょうね」




