第169話『科学と魔法は見分けがつかない』
ジュリオットいじりを経てペレットと元女中の怪物の戦いが始まると、今までジュリオットの名前を呟き続け、記憶の山を漁っていたアルトリオはハッとした。
「ジュリオット……! ねぇ、君苗字は?」
初対面、かつおそらく一回り近く年上だろうジュリオットにも、親しい友人のような口調で接するアルトリオ。尊大な態度のガキには慣れているので、特に気に留めることもなく『ロミュルダーですが』と答えると、アルトリオは目を輝かせた。
「やっぱり! ジュリオット=ロミュルダー、約5年前大北大陸を中心にパンデミックが起こった『ヘロライカ』のワクチンを開発した人だよね!? わぁ、会えて嬉しいよ! まさかこんなやつれたお兄さんとは思わなかったけど!」
「やつ……」
「あぁ、申し遅れたね。僕はアルトリオ・フォン・クランベル。『先』が5回はつくくらい前の代から医者をしている由緒正しきクランベル家の五男さ。ようやく知識人同士の会話が出来そうで嬉しいよ、ドクター・ロミュルダー」
「……それは何より」
眼鏡をかけ直すジュリオット。自分はそんなに老いて見えるのだろうか。今度肌質を改善する薬でも作ってみようか、と少なからずダメージを受けながら、
「私もクランベル家のご子息に会えてよかった。貴家が解決に導いた病といえば、大北大陸でノース・ユニオンが締結された頃、帝国・神聖国開拓期の炭鉱者の間で流行った『石炭病』ですが、今回『黒痣病』の参考になさったのはそれで?」
「お、正解! そこそこいじったつもりだったんだけど、ドクター・ロミュルダーは聡いね」
さすが、と口角を上げるアルトリオ。自身が怪物化事件の犯人であると同時に、ペレットの宿敵――黒痣病を生み出した張本人でもある、ということを隠す気はないらしい。ジュリオットの入れた探りにもまるで動じていなかった。
「それで? 黒痣病の治し方を教えてほしい、とかかな? 悪いけど、教えるつもりはないよ」
「いえ、治療はこちらで済ませます。私はただ確認が取れればよかった。ペレットくん、人違いではなさそうですよ」
「よかったっス。安心して殺せる」
ペレットが短く応えると、内側からの爆発で上半身が弾け飛んだ怪物の身体が倒れる。それを見たアルトリオは『わあ』と零して、颯爽とどこかに逃げていった。
「追いかけます」
「はーい、援護します」
アルトリオの背を追い、軽快に通路を駆けるペレット。時折アルトリオが振り向いて何かの液体を振り撒くが、反射神経と『空間操作』を駆使して全て回避した。
するとアルトリオは、あちらこちらに転がる死にかけの隊士に液体を振り撒き始める。液体をかけられた隊士は異形と化し、ペレットらの前に立ちはだかった。
「1、2、3……5体。厄介っスね。15秒で殺すんで、ガキの方追ってください」
「……いいでしょう」
全速力で走っているせいか、顔にやや疲れが見え始めるジュリオットが頷き、手にしていた革鞄から3つの小瓶を絡め取る。それらをジュリオットが投擲すると、アルトリオの進行方向にあった下階――1階への階段が小瓶を食らって、
「――ッ!」
咄嗟に進路を変えるアルトリオ。瞬間、割れた小瓶から拡散した黒い粉が発火する。激しく燃える階段を背に、アルトリオは引き続き2階の通路を走った。
一方ペレットは、5体の怪物を相手取っていた。
鞭のように振るわれる巨腕をかわし、開けられた大口に爆弾を放って、吐き出されないよう人中にナイフを突き立て、5体同時に爆破するペレット。血と煤で赤黒く染まった姿でジュリオットと合流すれば、ぎょっとした顔を向けられて、
「うわ、ペレットくんですか。怪物かと思って殺しそうになりました」
「はい? 俺のプリティーフェイスと怪物の顔を誤認しかけたんスか? アンタ目腐ってますよ。そろそろ交換した方がいい。で、ガキは?」
「あちらです。おそらく彼には高所から逃げる術がありません。それに、今日は王女やマオラオくんたちを警護する関係で使用人のほとんどが1階に押し込められている。負傷者の数は段違いでしょうから、利用されないよう階段を燃やしました」
「へー、なるほど。けど、火放置してていいんスか?」
「……」
「俺、チクりますけど」
ペレットから目を逸らし、明後日の方向を見ながら疾走するジュリオット。消火のことまで考えていなかった、いや、消火しなくてもよいと考えていたのだろう。ペレットはじとりと目を細め、振り返って燃え盛る階段に手をかざした。
その手をキュッと丸めると、ゆらめいていた炎が不自然に歪んで揉み消される。
「『ねこのひげ』の海鮮パスタとフルーツサラダ、ジェラートで手を打ちます」
「……わかりました。どうかご内密に。ところで、さっきのは?」
「さっきの? あぁ、空間を圧縮して火を揉み消したやつっスか。出来るかなーって思ってやったら出来ちゃいました。俺やっぱ天才ですよ。ただ、体力ごっそり持ってかれたんで、そろそろ『空間操作』使うの控えますね」
ペレットは言いながら、拳銃を利き手に呼び出す。そしてアルトリオの行く先にいる、瀕死の隊士や使用人たちの頭を的確に撃ち抜いた。
薬は生きている者にしか作用しない。だから、アルトリオによって怪物に変えられる前に、完全に生命活動を停止させようという魂胆だろう。
が、アルトリオは怪物を使わなくなった代わりに、こちらに向かって次から次へとフラスコを投げてきた。中身の見た目は怪物化の液体とは違うものだ。ペレットがそれらを撃ち落とすと、通路の方々で爆発が起こった。
「ッ――!」
ジュリオットらを飲み込む大波のような黒煙。視界の悪さに進むことが出来ず踏み張っていると、黒煙が晴れた頃にはアルトリオの姿がなくなっていた。
しかし、
「……こっちですね」
ジュリオットは鼻をすんと鳴らすと、進行方向ではなく、自分たちのすぐ側にあった部屋に目を向けた。
「あの少年、自分の白衣の裾が燃えていることに気づいていませんね。繊維の焦げる匂いを丁寧に撒き散らしていきました」
「へー、キッ……」
きっしょ、と言おうとしたのを止めて、ペレットは畳の部屋に侵入する。その背にジュリオットからの『きっしょって言おうとしたでしょう!』という非難を受けながら、アルトリオが乗り越えたのか、少し焦げた窓辺に近寄って、
「……上っスね」
ペレットは窓から上半身を出し、腰を後ろにそらして上を見上げる。すると、アルトリオの姿を発見した。アルトリオは、その少年らしい体躯からは想像し難い腕力と脚力を駆使して、凹凸のある神薙城の壁を登っていた。
何故彼に外壁を登れるほどの力があるのかはわからない。が、彼の体躯のことを考えれば到底思いつく逃げ場ではない。異常な嗅覚を持つジュリオットや、気配の察知を得意とするペレットでなければ、ここで簡単に撒かれていただろう。
ペレットは見上げたまま拳銃を構え、城壁を登るアルトリオを狙撃する。
まずは片足。難なく弾を当てると、白衣の裾から覗くアルトリオの足が爆ぜた。彼はそこで初めてペレットの存在に気づいたようで、ペレットの方を振り向くと、
「やあ。……君たちは、どうして執拗に僕を追いかけるのかな?」
「アンタの病気にかかったからです。その報復に来てんスよ」
「かかった? ……そうか、ドクター・ロミュルダー……自分で済ませるとは言っていたけど、あれはデタラメじゃなかったんだね。さすがだよ」
そう、足の痛みに耐えながら笑って、何かの液体を振り撒いた。ペレットはすぐさま窓から上半身を引っ込める。城壁から突き出た屋根のような場所でフラスコの割れる音がして、ペレットは障子を開け放ち、隣の部屋に駆け込んだ。だが、
「……チッ」
駄目だ。ここも軒から液体が滴っている。迂闊に顔は出せない。
「ジュリさん、4階に――」
移動します、と部屋の外のジュリオットに告げようとしたそのとき。ペレットの視界が、まるで沼にでも引きずり込まれたかのようにズンと低くなった。
「……は?」
理解が追いつかないまま、足元を見るペレット。否、見る足がない。ペレットは腹の辺りまで黒い沼に浸かっていた。いや、違う。影だ。朝4時過ぎ、照明のない部屋に漠然と広がる影が、ペレットの半身を飲み込んでいた。
――何者かに、影の能力を使われている。
「……いや」
ペレットは知っている。ロイデンハーツ帝国行きの列車に乗り、車内販売の売り子のふりをした男に毒を盛られかけたとき。あのとき、ジュリオットに呪いのかかった手紙を渡しに来た、全身モノクロコーデの女だ。あの女は影使いだった。
女が招待してきたカジノは、ゲームの優勝者を『天国の番人』に勧誘していた。ということは、あの女もヘヴンズゲートの関係者で――まさか、この怪物化事件にも関わっているのか? こうしてアルトリオに協力して――?
「まずっ……」
と言いかけた瞬間、頭までズブリと沈められる。反射的に目を瞑るペレット。かと思うと突然の浮遊感を体験し、直後畳に腰を打ちつけた。
「……はぁ?」
またもや理解が追いつかないペレット。視界に広がるのは畳の部屋だ。影に呑まれた部屋とは内装が少しだけ違う。身体は影に沈むことなく存在していた。
「……移動、させられた」
直感的に理解した瞬間、部屋の窓辺に外から伸びた手がかけられる。ちらりと見える白衣の袖。アルトリオの手だ。ペレットはぴくりとすると、腰を打ちつけた姿勢から上体をやや起こし、窓辺を掴む手を狙撃しようとした。
ペレットが撃ったのと、アルトリオが飛び込んできたのは同時だった。
猿のような俊敏さで入ってきたアルトリオは、ペレットと目が合うと、その青い目をぎょっと見開く。その肩には銃弾が突き刺さるが、動きは止まらなかった。
同じく目を見開くペレットに衝突すると、彼らは絡まりながら転がって障子を吹き飛ばし、4階の通路に転がり出る。
転がっている最中にほどけた2人は、相手を視認するとすぐさま得物を構えた。
ペレットの発砲と同時、粉末が入ったフラスコと液体が入ったフラスコを片手で振るうアルトリオ。空中に広がった粉末と液体は混ざり合って化学反応を起こし、スライムのようなジェル状の物体を作り上げた。
ペレットの弾丸はその物体に阻まれ、アルトリオのもとに到達できない。
「――いやぁ、驚いたよ! 結構能力を使わせたと思ってたんだけど、まさかまだ僕を追う体力が残っているとはね!」
「まぁ。アンタも意外とフィジカル強いんスね。うちのムッツリ眼鏡に爪の垢を煎じて飲ませたい」
「あはは。やろうと思えばドクター・ロミュルダーも強化できるけど、あんまりオススメはしないよ。知力の一部を犠牲にするリスクがある。今の僕みたいな状況じゃなきゃ、飲まない方が賢明だろうね。特に、ドクターみたいな知識人は」
「知力の一部を犠牲に……」
「あぁ。最後の切り札まで使ったんだ。これ以上君たちが追いかけて来ないことを祈る、よ!」
アルトリオはそう言って、別の粉末が入ったフラスコを振るった。
拡散した粉末は空気に触れた瞬間燃え上がり、すぐに鎮火するが、尋常でない量の白煙をもくもくと立て始める。思わずペレットが1歩下がると、煙の向こうのアルトリオは、ジェル状の物体をローブのように被って逃げてしまった。
「……これ、触ったらまずいやつっスよね。――ジュリさん」
「そうですね」
ペレットの問いかけに、どこからともなく現れたジュリオットが応える。
「アンタもその……影に引きずり込まれたんスか」
「えぇ。1度は死を覚悟しましたが、どうにも敵意はないようです。むしろ、私たちに協力的だ。不可解な点はありますが、支援者のことを考えるのは後でも良いと判断しました。先に、彼との決着をつけましょう」
ジュリオットは小瓶の中の液体を散布した。すると立ち昇る煙は数秒で消え、視界がすっかり明瞭になる。ペレットは『きゃージュリさんカッコイイ!』と裏声を出したのち激しくむせると、すぐにアルトリオの追跡を再開した。
体力が少し回復したのか、ジュリオットもペレットの斜め後ろについてきた。
「ジュリさん、足が速くなる薬ってないスか」
「言語野がイカれてもいいなら」
「じゃあダメっスね。ジュリさんを馬鹿に出来なくなるのは困る。なんか、あっちの足を止めるかこっちが効率良く近づく方法はないんスか?」
「私のこと魔法使いか何かだと思ってます?」
「まさか! そんなメルヘンでロマンティックな人だと思うわけ。なんか万能のおじさんって思ってますよ。……あ、でも35歳にもなって女性との」
「11歳多いです。あと、発言には気をつけてください。私は今貴方を殺せる薬を20種類以上持っています。これがそのうちの1つです」
小瓶を1つ投擲するジュリオット。元々緩めてあったのだろう、途中で蓋が外れた小瓶は逃げるアルトリオの背中に液体を浴びせた。
刹那、ジェル状の物体が水をたっぷり含んだ泥のように溶ける。アルトリオはその現象に気づいたようで、着ていた白衣ごとジェル状の物体を脱いだ。
「こわ。けど、あのモチモチ取ってくれたのはありがたいっス。もう殺しても大丈夫ですか?」
「私は構いませんが、ペレットくんはいいんですか?」
「何がっスか?」
「黒痣病に散々苦しめられていたでしょう。銃弾1発で殺してしまうのは、仕返しとしては少しぬるいような気がするのですが」
「あー……確かに恨みはあるんスけど、俺、アンタやマオラオくんと違って、人痛めつける趣味ないんスよ。知ってました? 俺いい子なんスよ」
「いい子は私の年齢をわざと間違えたりしませんが」
「人を痛めつける趣味があるのは否定しないんスね」
「……」
ジュリオットは黙り込み、新しい小瓶2つをアルトリオの足元に投擲する。1つ目の小瓶が割れると、中から透明な液体が飛び出した。
アルトリオはすんでのところで液体を回避する。が、避けた先に2つ目の小瓶が当たった。アルトリオは床に撒かれた液体を踏んで、前に転倒した。
ペレットは即座に発砲し、被弾していない方の足も狙撃。両足を完全に潰して、残しておいた体力を『空間操作』に使用した。
「悪いっスけど、逃がしませんからね」
「ぐッ……!?」
ペレットに手をかざされた途端、顔色を変えるアルトリオ。非常にまずい状況であると理解したようだったが、彼はもがこうともしなかった。それもそのはず、その身体には、人体がギリギリ潰れないほどの圧力がかかっていた。
先程ジュリオットの不始末を2つの意味で揉み消した、空間の圧縮――それを、今度はアルトリオに行っているのである。
「痛いでしょ、苦しいでしょ。重くて口も動かせないでしょ。俺もテメーのせいで昨日までこんな感じだったんスよ。腕なんて1ミリも動かせなかったし」
這いつくばるアルトリオの側にしゃがみ込み、つい、と腕をなぞるペレット。瞬間、アルトリオの腕がぐしゃりと潰れる。血肉が弾け、骨まで粉々になっていた。
「呼吸をするのも精一杯」
「――!」
「痛くて痛くて泣きそうなのに、涙を流すのも痛いから泣けない」
「――」
「解毒剤も保証できないって言うし、あ、これ死んだほうが楽だな、って思いました。正直な話ね。でも、俺を生かすために心血を注いでくれる人たちがいたから、絶対に死ねなかった。しんどいですけど、愛される者の義務っスね。仕方ない」
大袈裟に肩をすくめるペレット。その声に黄色い感情が滲んでいることに、本人は気づいていなかった。アルトリオも思考を回すのに必死でそれどころではない。気づいていたのは、静観するジュリオットだけだった。
「まぁ、そういう意味では感謝してますよ。俺あんまり風邪引かないんで、看病してもらったり心配してもらったりって経験がなくて。いやー、気にかけてもらうのって気分がいいっスね。いい経験になりました。ありがとうございます」
ペレットはそう言って、アルトリオの頭に手を添える。
「――ま、だからって許したりはしないんスけど」
ぐしゃ、と音がして、ペレットの赤黒い髪が鮮血に染まった。




