第165話『歪で優しい姉妹関係』
《あらすじ》
ヴァスティハス収容監獄を脱獄した後、『血霧』に巻き込まれてギルらと分断されてしまったシャロたち。戦争屋を脱退したマオラオを探すため、黒痣病にかかったペレットを治すため、そして鬼の国シグレミヤから出るため警察組織『宝蘭組』と共に女王との謁見を画策していた彼らは、マオラオと花都の女王セツカの結婚式に参列する。が、そこに突如として『天国の番人』のイツメとマルトリッドが参入、国民が一斉に怪物と化す事件が発生する。マオラオはマルトリッドとの戦いにて何者かに取り憑かれ、セツカは次女であるイツメと対峙し瀕死に。セツカは死に際に、三女のマツリへ隠していた思いを打ち明けようとしていた。
私は昔から、主体性のない鬼でした。
自分の好きなものも、自分のしたいこともわからない。ですから、周りの大人に何かを聞かれても、たとえば誕生日に何が欲しいのか、今は何に興味があるのだとか聞かれても、上手く答えることが出来ず、いつも彼らを困らせていました。
私は、大人の求めている『子供』ではない――当時のマツリやイツメを見て、子供ながらに思ったのを今でも覚えています。
それから私は悩んでいました。姉妹なのに私だけ可愛げがないと、父上や母上に思われていたらどうしようか。考えるだけで怖くて、眠れない日もありました。
悩んだ末、私は貴方たちを真似することにしました。
何が好きなのかと問われれば、イツメを真似て『着飾ることが好き』と。何がしたいのかと問われれば、マツリを真似て『踊りの練習がしたい』と答えました。
実際、そのどちらにも興味はなかったのですが――作戦は功を奏し、大人たちの反応は少しずつ変わっていきました。
『子供らしくない』『不気味だ』と陰口を叩いていた使用人たちは、一部の者を除いてですが、次第に警戒を解いて接してくれるようになりました。
父上は私に好きなものが出来たことを喜び、シグレミヤ一の職人を呼び出して、私の着物を何着も作らせました。踊りの先生もつけてくださいましたね。……のちに先生はやる気のない私を見限り、マツリの先生になってしまいましたが。
この経験があって、私はより、自分が誰かに求められる存在になるには、誰かの真似をしなければならないのだと実感しました。
――母上が肺を患って亡くなり、それを追うように父上の体調が急変した頃。私は、翌年からシグレミヤの王は自分になるのだと予感していました。父上のお身体はあと1年ももたないと、わかってしまっていたんです。
ですから、シグレミヤの歴史を急いで学びました。歴代の国王はどんな政策をとって、その結果国がどうなってきたのかを重点的に。
きっと、ありのままの私が国王になったら、国中から批判される。歴代で最も無能な王だと揶揄され、父上や母上にも恥をかかせる。でも、過去の国王の真似をしていれば、大きく批判されることはない。そう思っていたんです。
が……現実は難しいですね。実際に私が国王となり、過去に賞賛された政策を片端から実行してみれば、神薙城に送られてくるのは批判を書いた文ばかり。
参考になることがあるかもしれない、と思い、文には全て目を通しましたが、どの文にも『脳無し』か『盲目』辺りの言葉は必ず入っていたように思います。
ですが、中には『なるほど』と思わされるような意見もあって――私は民意を尊重したという4代目国王のやり方を真似し、民の望む政策を行いました。
すると、今度は街で暴動が起こりました。
これはいけない、と思いました。
かつて、国民の暴動を話し合いで解決しようとした7代目の国王は、謁見のために受け入れた国民によって暗殺されています。生半可な対応をすれば、私も彼と同じ轍を踏む――そう思って、私は暴動を起こした国民を皆死刑に処しました。
結果、批判されることも暴動が起きることもなくなりました。
あぁ、これが正解だったんです。理解した私は次々と国民を殺しました。早く、父上と母上に誇れる国を作りたかった。穏やかで幸せな国を作りたかったんです。
なのに。
ここ半年になって、小規模の暴動が相次ぎました。私は臣下を向かわせたり、私自身が出向いたりして、暴動を収め続けてきましたが……完全に終わることはなかった。それどころか過激化し、今度はマツリが人質に取られるようになりました。
そこでようやく気づいたんです。
国民の排除は間違っていた。問題は、何一つ解決できていなかったのだと。
いったいどうすれば、平和で豊かで強い国が作れるのでしょう。私は何度も歴史書を漁りました。そもそも、女王国家なのがいけないのでしょうか。今まで国王が男性であったことには、意味があったのでしょうか。
そう思って、婚約者を募り、式を挙げようとしたらこの有り様です。
……結局、私は何を間違えていたのでしょう。未だにそれがわかりません。
*
【イツメのような才能があったら、貴方のような優しい性格だったら、何かが変わっていたんでしょうか。……もう、試す時間もありませんが。話を聞いてくれて、ありがとうございます、マツリ。姉は少し気が楽になりました】
【――姉様】
うっすらと微笑むセツカに、マツリは目を伏せた。
カンナギ・セツカ。彼女の圧政によって、多くの国民が命を落とした。彼女の行いは決して許されたものではない。けれど、マツリには彼女を咎めることが出来なかった。咎めるには、彼女はあまりにも無垢で、ただ不器用なだけだった。
マツリは声を絞り出す。
【……姉様がどうすればよかったのか、それはわたしにもわかりません。でも、姉様はすごく……すごく頑張られたと思います。……ごめんなさい、姉様。わたし、何も知りませんでした。姉様が悩んでいることに、気づきもしなかった】
【……いえ、貴方が謝ることでは】
セツカは弱々しく首を振る。少しの沈黙の後、『ただ』と言葉を紡いだ。
【不要な罪悪感を抱く貴方を見て、1つ気づいたことがあります。私は、私が思っている以上に、私の力を過信していました】
【……? 過信、ですか】
【はい。……貴方は、こんな愚かな姉をも想って泣くことが出来る。それは、私には一生をかけても出来ないことです。そんな私が、民に愛されるはずがない。……貴方に、頼るべきだったのかもしれない、と、思ってしまいました】
ふっ、と何かから解かれたように笑うセツカ。彼女は血で汚れた腕を、粘土で出来ているかのようにだらんと持ち上げて、マツリの頭を撫でようとした。
が、自分の腕の状態を見て、引っ込めようとする。――否、引っ込めかけたその手を、マツリが握って頬に当てた。白桃の頬を伝う涙が、乾いた血を溶かした。
【……最後、ですもの。遠慮はいりませんわ。……存分に頼って、甘えて、甘やかしてくださいまし】
【……そうですね。では、失礼します】
セツカはおずおずと手を伸ばし、差し出されたマツリの頭を撫でた。
【……思えば、横になったのも久しぶりです。最後に布団に入ったのは……3ヶ月くらい前だったでしょうか?】
【そっ……それはどうかと思いますわ!?】
【……ふ。私も、どうかしていたと思います。……私は、こんなにも穏やかな気持ちになれたんですね】
マツリの腕の中、頭を撫で返されながら、セツカは空を見上げる。今日の空は、今の花都には似合わない澄んだ青色をしていた。
暁月山の風も暖かく、これ以上ない好天である。あとは、離れたところから聞こえる大社の崩壊する音さえなければ、絶好の昼寝日和であっただろう。
【……眠る前に、彼らを止めるとしましょうか。耳障りですから】
セツカは身を重たくよじり、今も戦い続けるイツメに向かって手をかざした。
【……!? ね、姉様、何を】
【……姉として、愚妹にお灸を据えてやるだけです。あの子のしたことを思えば、私とここで死んだ方が良いのでしょうが……マツリ1人を置いていくのは、私も不本意ですから。……あの子の両足をもっていきます。構いませんか?】
【……姉様も、難しいことを仰いますわね……死なない程度に、お願いいたしますわ。イツメ姉様は、あとでわたしがきちんと叱っておきますから】
【えぇ、頼みました。あの子も、マツリの言葉が聞けないほど腐ってはいないでしょうから。――それでは】
セツカはかざした手で、グッと握り拳を作る。瞬間、イツメの両足が爆ぜた。
イツメは突然のことに反応できず、マオラオを斬り飛ばそうとして転倒する。迎え撃とうとしていたマオラオもまた、視界から標的を失い、拳を大きく空振った。
【うっ……】
予想以上のショッキングな光景を前に、息を詰まらせるマツリ。彼女が顔をしかめるそこへ、複数の足音が聞こえてくる。
振り向くと、そこにいたのはハナマル・メイユイ・キバク・シャロ・ノエルの5人だった。血を浴びて真っ黒に染まった彼らは、各々この場の惨状に驚いた。
【女王っ!?】
目を見開いたハナマルは、マツリの腕の中のセツカに駆け寄る。セツカは口の端から血を零して、動かなくなっていた。
「マオ!?」
【マオラオ先輩!?】
シャロとメイユイは、目を血走らせ、荒く呼吸をし、獣のように唸っていたマオラオに顔を強張らせた。が、マオラオは2人を認めると、一瞬その鬼気を弱める。そして何かを口にしようとして、ふらりとイツメの横に倒れ込んだ。
血相を変えたシャロが、急いで少年のもとに向かっていく。
【……嘘やろ】
ハナマルは動かないセツカを前に、呆然と呟いた。
鬼が束になっても敵わない、花都シグレミヤで最も強い女王の死。それは、脳が情報の受け入れを拒むほど、非現実的なことだった。
ハナマルは呆然としたまま、イツメの方を見やった。両足が爆散した彼女は、ハナマルとマツリの間で眠るセツカを一瞥すると、影に沈むように消えていった。
「マオ、ねぇ、マオ……!」
マオラオのもとに辿り着いたシャロは、彼の名前を震える声で呼び続ける。弱々しい寝息もまるで聞こえないほど混乱していた彼は、背後から近づいてきたスーァンの影にもぴくりと反応し、一瞬、突き刺すような目で彼女を見た。が、
【安心してぇ、私にその子をどうこうする気はないわぁ。それに、その子は気絶しているだけよぉ。1日そこらで目を覚ますはずだわぁ】
と、スーァンは穏やかに答えた。南西語がわからないシャロは困惑していたが、とにかく、誰にも少年を奪われないよう抱き抱えた。
ひとまずの終戦に、静寂の帳が降りる。聞こえるのはただ、マツリが息を押し殺して泣く声と、風が暁月山の桜を煽る音のみであった。
そこへ、再びいくつかの足音がやってきた。
石階段を上がってくる3つの人影の正体を見、ノエルがハッとする。
「ノートンさん、フィオネさん……と……あれは……?」
フィオネ、ノートンに続いてやってくる、長身の女性。やつれた顔をした、50代くらいの見知らぬ人物の登場に、ノエルは困惑した。
風にそよぐ焦げ茶色の髪と、紅玉のような赤い瞳。誰かにそっくりの容姿をした彼女は、階段を上がりきり、シャロの腕の中のマオラオを見やると、その陰鬱とした顔をさらに暗くした。
【……ジュン、叔母様】
怯えたような表情で、女性を見るマツリ。ジュン、と呼ばれた女性はセツカの遺体を眺めると、その口を重々しく開いた。
【女王陛下は、亡くなられたのですか】
【――】
【……であれば、彼は……マオラオは、再び私が預かります。そこの貴方。私の甥を離してください】
ジュンが目を受けたのはシャロだった。シャロは女性が自分の話しかけていることに気づくと、翻訳と助けを求める目でフィオネとノートンを見る。
フィオネは肩をすくめた。
「彼女はマオラオの叔母にあたる人らしいわ。マオラオを返してほしいそうよ」
「……返したら、どうなるの? マオは、帰ってくるの?」
「……保証は出来ないな。この人はシェイチェン家の復興が目的だ。マオラオも俺も、この人にとっては大事な駒。女王が亡くなった以上、マツリ王女と婚約させようと画策するだろう。目的が果たされるまで、きっと俺たちを手放さない」
「……従うの?」
「従いたくないのが本音だよ。けど、彼女はシェイチェン家の家督だ。国の重鎮の1人だから、彼女を敵に回すと国家に支援されてるハナマルたち宝蘭組は、『逆賊』の俺らを捕まえなきゃいけなくなる。つまり、ここじゃ反抗できないんだよ」
「ッ……」
ノートンに説得され、悔しげに歯を噛むシャロ。彼からマオラオを受け取ると、ジュンはマオラオの身体を小脇に抱えた。力のある女性には見えなかったが、やはり鬼、マオラオを抱え上げることなど難なくやってのけるらしい。
【――ありがとうございます。マツリ王女殿下、婚約に関する詳しい話はまた後日。それでは、さようなら】
ジュンは死んだ顔でそう言い、マオラオとノートンを連れて境内を去っていった。
これから少しずつ更新戻していきます。よろしくお願いします。




