第162話『面倒くさいは最後まで』
マオラオがマルトリッドを撃破する10分ほど前。
山頂の暁月大社を離れ、麓の出店エリアに到着したノートンは、そこに発生していた人型の怪物たちを1人で相手取っていた。
【――!】
怪物たちが獣のように吠えると、ノートンは飴製の刀を構え直す。
先日、ノートン達の入浴中にも宝蘭組を襲撃してきたこの怪物たち。その正体が豹変した花都の住人であったことは先程の惨事でわかったが、怪物化の原因や犯人の目的などはまだまだ推測の域を出ず、未だに得体の知れない存在だ。
しかし、麓に来るまでに何度か彼らと見えたことで、ノートンには彼らの弱点や攻撃の癖がなんとなくわかるようになっていた。
その証拠にノートンは、自分よりも体格が大きく、3体同時にやってきた怪物たちをいともたやすく散らしていく。
【ふっ!】
虹色の煌めきが3度走り、怪物たちが爆ぜていく。強靭な肉体を持つ彼らも、その特性を理解したノートンの前では手も足も出なかった。
そうして、借り物の着物を血塗れにした青年は、連戦の疲れに息をつく。
【ふぅ……】
慣れが出来てから、一体一体を相手取ることは難しいと思わなくなった。が、あまりにも怪物の数が多すぎた。斬っても斬ってもどこかから湧き続ける怪物は、降り積もっていく塵のように、ノートンに疲労を蓄積させていた。
【怪物になるまでの時間に個人差があるのか………それとも、この混乱の中で更に怪物を増やしてるやつがいるのか……】
どちらにせよまずい。このままどんどん怪物が湧き続けるなら、怪物に追われる宝蘭組の隊士や一般客の救出が困難になる。根元を叩くためにもいま一度、怪物たちがどの方角からやってきているのか、確認する必要がありそうだ。
ノートンは跳躍し、手足を駆使して山車の上に乗った。
彼が乗ったのは、暁月天将花楼骸神を象った人形が乗せられた、高さ約5メートルの山車だった。屋台だらけのここで周りを見渡すのにはうってつけの代物だ。
【一体どこから発生してるんだ……あ】
ある一点に目が止まるノートン。彼が見たのは、怪物から逃げる1人の少年と、その少年に抱えられた小さな女の子の姿だった。
少年は素早く逃げているが、方向感覚がおかしいのか、左へ寄ったり右へ寄ったりと不安定な足取りをしている。更に、背中全体に血を広げているように見えた。
このままでは彼らは死ぬ。自分が助けなければ。決意したノートンは登ったばかりの山車から飛び降り、逃げる2人の方向へ駆けた。
【……っ!】
ノートンの足は速く、怪物が2人に追いつく前に割って入ることが出来た。
第三者の登場に気がつかず、必死に逃げ続ける2人の背に【止まれ! 出血が激しくなるぞ!】と声を浴びせると、ノートンは怪物を観察する。
今まで見てきた中では、比較的小さな個体だ。まとっている――と表すにはあまりにも原型をとどめていないその着物も、子供用の印象が強いかわいらしい柄で、もしかすると元々は子供だったのかもしれない、と思う。
祭りを楽しみにしていた、ただの子供。怪物にされる謂れのない被害者。
けれど、無差別な殺戮を犯す存在になってしまった以上、見逃してやることは出来ない。元が善人であろうと子供であろうと、等しく葬り去らなければ。
ノートンは息を整え、音もなく突進すると、刀で怪物の頭を一突きした。
刀を引き抜くと、白目を剥いた怪物が後ろに倒れる。
破れた着物の袖から、包み紙に包まれた飴玉がこぼれ落ちた。
【……ふぅ】
怪物のなりをしているとはいえ、子供に手をかけた事実に変わりはない。
ノートンは泥のごとく胸に溜まった罪悪感に息をつき、今は構っていられない、と少年と女の子がいた方向に向き直った。
【……って、ユンファ?】
振り返ったノートンは、少年の姿を見て目を瞬かせる。小さな女の子を抱え、そこにへたり込んでいたのは、第3王女マツリの教育係・ユンファだったのである。
白い額から血を流し、精巧な人形のようだった美貌を汚した彼は、なんと言おうか迷ったようにノートンから目を逸らした後、
【……ありがとうございます。助かりました……】
と言い捨てて、後ろにひっくり返った。
【ユンファ!?】
突然倒れた少年に刀を放り、駆け寄るノートン。ユンファと一緒にいた子供も青い顔をして、【お兄ちゃん!】と呼びながらユンファの身体を揺らす。
ユンファとはあまり関わりがないが、彼に妹がいないことは知っていた。だからこの女の子は恐らく、ユンファの親戚か誰かなのだろう、と頭のほんの片隅で思いながら、ノートンは仰向けたユンファをひっくり返した。
べっとりと血が染みた服を脱がせると、濡れた真っ赤な背中と、ごっそり肉を抉られたような直径7、8センチほどの傷が顔を覗かせる。
【これは……まさか……】
思い当たることがあり、青ざめるノートン。その真相を尋ねたかったが、一刻も早く手当をしなければ、という思いが先行した。
しかし医療に覚えのない彼は、何をしたらいいのかわからなかった。これまであまり怪我をしたことがない上、怪我をしても武家であるシェイチェン家の鬼の生命力で回復してしまうので、知識を経験で補うという選択も取れなかった。
この出血は服か何かで身体を縛って圧迫するべきか、いや、この大きさでは先に詰め物をして少しでも血を抑えるべきか――と、ノートンが考えていると、
【トンツィ先輩】
うつ伏せのユンファに声をかけられ、ノートンは我に返った。
【……なんだ?】
【……その、辺に……焼き鳥屋……が、あったと……思うんですけど……。そこから炭を……とってきてもらえませんか……】
【――え?】
【炭です……傷を焼きます。昔、花都で使われてた止血法です……。そのチビは、自分1人じゃ生き延びられない……。でも、俺が命懸けで守ったのを……なかったことに、されたくありません……。だから、俺はどんな手を使っても……まだ、生きないといけない。そのために、傷を焼きます……それを、手伝ってください】
【……理由はわかったが、本当にいいのか?】
【はい】
有無を言わさぬ端的な返答。
それを聞いたノートンは、1度呼吸をして自分を落ち着けてから屋台へ向かう。
――つい1時間前まではここで、当たり前のように店員が働いていて、暁月祭を楽しむ客が並んでいて、作りたての焼き鳥が提供されていたのだろう。
無人の屋台でパチパチと燃える火を見て、ノートンは、花都の日常が1日にして覆されてしまったことを実感した。
火箸と金属製のバケツで炭を取ってくると、ユンファが鼻を鳴らす。
【煙が薄くて甘めの匂い……ユウグレガシの白炭か。燃焼温度が低い代わりに火持ちする品種……大きくて割れにくいから……細部への焼灼は期待できないな】
【そんな状態のときにそこまで思い出せるのか……っていうか、詳しいな】
【出店者の配置を決めるのに必要で……煙がよく出る炭を使う店は、通気性の悪い場所には配置できませんから……。持ち込みの申請がされてる炭の特徴は、暁月祭までに勉強して覚えたんです……それで、焼き方ですが】
ユンファはノートンに指示を下し、自分の傷口を焼かせていく。その際、一緒にいた小さな女の子には目を背けてもらっていた。
血を止めた代わりに大きな火傷を負ったユンファは、燃えるような身体の痛みに渋い顔をしていたが、服を着直すと、なんともないような無表情になった。
彼の演技は上手なもので、顔に滲む汗がなければ、傷を焼いた本人であるノートンすら本当に焼いたのかわからなくなりそうだった。
【それで、今までお前がどうしてたのか、聞いてもいいか】
【……はい】
泣きつく女の子の頭を、不慣れな手つきで撫でながら、ユンファは頷いた。
大量出血の倦怠感と、火傷の痛みからか、起き上がった彼はいつもより億劫そうな口調でぽつぽつと語り始めた。
曰く、こうらしい。
結婚式が始まる前、マツリに頼まれて昼食の焼売を買いに行ったユンファ。彼は帰りの道すがら、宝蘭組が育てている子供たち5人に遭遇した。
メイユイ繋がりで多少ユンファと面識のあった子供たちは、ユンファを1人ぼっちと勘違いしてやたらと構い、あちらこちらへ連れ回したそうだ。
が、ふと。暁月大社の方から悲鳴が聞こえ、大量の人が出店エリアに流れ込んできた時。子供たちのうちの1人が、みるみるうちに怪物と化したらしい。
【……その怪物に別のチビ2人が潰されて、死んだのを見て……ようやく、危険だって判断したんです。……だから、生き残った2人のチビを連れて、俺は空に逃げました。……俺の妖力が『羽化』なのはご存知でしたよね】
【……あぁ】
ノートンは頷く。
ユンファの妖力――もとい特殊能力は、鳥の翼を生やすというものである。
ここ数日彼が翼を生やしているところを見た回数は0、20余年あるノートンの半生を通してもそれを目撃した回数は少ないので、実感は湧かない話なのだが。
皆で花都に来て最初に彼と会ったとき、彼が屋根の上に立っていたのは恐らく、その力を使って上空からマツリを探していたためであった。
【ですが……抱えてた片方のチビも、怪物になったんです。俺が抱えていられないくらいに膨張して……その重みで俺は墜落しました】
【……こめかみの傷はそれか】
【はい。……俺とこっちのチビは軽症ですみましたが、怪物になったチビはもう、自我が残っていなかった。……俺はもう助けられない、って見切りをつけて、また飛び立とうとしたんです。そうしたら……翼を片方もがれた】
【……!】
傷の形から想像はしていたが、それを本人に肯定されると、やはり痛ましい気持ちになる。
ユンファの肩に顔をうずめながら話を聞いていた子供も、翼を奪われたときの光景を思い出したのか、きゅっとユンファの青い服を握りしめた。
【……トンツィ先輩。そんな顔をなさらずとも、翼はまた生やせます。まぁ、もがれたばっかりの時は、混乱と痛みでそれどころじゃなかったから、チビを抱えて地上を走ってたんですが。……貴方が来てくれて、助かりました】
【……あぁ】
【ところで、マツリ王女殿下は……ご無事ですか?】
尋ねられ、ノートンは知っている限りの情報をユンファに伝える。
話を聞きながら、時折背中の痛みに顔を歪ませていたユンファは、聞き終えると額を押さえて息を吐き、
【……そうですか。王女殿下は、マオラオが】
【あぁ。……嫌そうな顔だな。マオラオと何かあったか?】
【……昔、少し揉めただけです。でも、わかりました。俺はチビを連れて、宝蘭組の屯所に行こうと思います。……あそこには、国有数の医療設備がありますし。火傷が酷くならないようにしてもらいます。……トンツィ先輩は?】
【俺はここに残って、助けられそうな奴が居ないか見て回るよ。あらかた探したら神社に戻ってメイユイ達に加勢してくる】
【わかりました。でも、気をつけてください。見ている感じだと、怪物になるまでの時間には個人差があるようですから。……もしかしたら、助けたと思った奴に後ろを取られて、殺されるかもしれません。念頭に置いておいてください】
【あぁ、わかっ……】
それと、とノートンの返事を遮るように、ユンファは言葉を継いだ。
【食べ物には気をつけてください】
【……食べ物? どうして】
【……俺なりに、怪物になる奴の条件を考えたんです。……恐らくですが、一部の食べ物に小細工がされている】
ユンファの意見はこうだった。
まず、今回の暁月祭は山の麓にある大通りが入り口で、そこから山頂の暁月大社に向かって屋台や出し物がずらりと連なる形で出来ている。
次に、今年はセツカ=カンナギとマオラオの結婚式が行われるとあって、例年よりも祭りの参加者が多い。例年の2倍は混んでいて、人の流れが出来ているので、基本的には『麓』から『山頂』への一方向にしか歩けないようになっていた。
つまり、一直線に山頂を目指したりどこか一箇所にとどまったりせず、普通に祭りを楽しんでいれば、山頂の方にいる客ほど『早い時間に会場に来た客』になり、麓の方にいる客ほど『遅い時間に会場に来た客』になるのだ。
先程、稽古を控えていたマツリが、『休憩時間に買い食いしよう』とは考えず、ユンファに昼食の購入を頼んだのも、この流れが出来ているのが理由だった。
どんどん下から人が押し寄せてくるため、空を飛ぶでもしない限り、暁月大社側から出店エリア側へは戻れないのである。
【それで、出店エリアで最初に怪物が出たって騒ぎになった時――騒ぎの中心は、暁月大社の方だったんですよ。そして、怪物になった者はみな入場許可証の赤い紐を手首につけていた。……ちなみに、出店者には青い紐を渡しています】
それを踏まえて考えると、まず怪物化の条件は『長時間祭りにいた』『客』にざっくりと絞ることが出来る。しかし、結婚式の会場にいたノートンやシャロ達がそうならなかったように、大社側にいる全員が怪物になったわけではない。
【つまり怪物化の原因は、個人を攻撃できるものだと考えられる。……宝蘭組の報告書にもありましたが、恐らく薬品でしょう。そして、この祭りの中で不特定多数に薬品を摂取させる機会なんて、屋台の料理を食べるとき以外ありません】
【……なるほどな。納得がいったよ。だが、もし本当に屋台の食べ物に薬が仕込まれていた場合――俺や、連れの子たちもああなるのか?】
【の、可能性はあります。運悪く犯人の屋台に並んでいるかもしれませんし。……大抵の薬は熱に弱いですから、焼いたものしか食べていないなら、きっと大丈夫だと思いますが……一応、気をつけてください】
それでは、と立ち上がるユンファ。
彼は、そばにいて離れない子供を抱え上げ、背中の生地にある、妖力を使うためのものらしい隙間から翼を生やすと、それを大きくはためかせて飛んでいった。
彼らの影を見送ったノートンは、息を入れる。
【……さて】
自分も、やるべきことをやらなければ。
そう思って、まだ訪れていない方向へ足を向けた時だった。
【……フィオネ?】
ノートンは、離れたところに知人の姿を見つけた。口にした通り、フィオネだ。まだこちらに気づいていない様子の彼は、地面に膝をつく誰かと話をしていた。
誰と話しているのだろう。ちょうど屋台を挟んでいて相手の姿が見えず、ノートンはゆっくりと彼らのもとへ歩みを進めた。
その正体がわかると、ノートンはハッとする。
【……ジュンさん?】
名前を呼ぶと、フィオネと、フィオネの話し相手が振り向いた。
驚いたような顔をしたのは、ジュン=シェイチェン――マオラオの義母であった。




