第160話『美人の喧嘩は流血沙汰』
嘲るように笑ったイツメは、姿を消した。
直後、足元から伸びるセツカの影が歪む。それに気づいたマオラオが声を上げるよりも早く、イツメが影から飛び出して、セツカに斬りかかった。
これがもしセツカでなかったら、対処するどころか攻撃をされたと気づくことすら出来ずに葬り去られていただろう不意打ちの一撃。しかし、セツカはぴくりとも表情を変えずに振り向き、振り払われたイツメの刀に薙刀を走らせた。
2人の武器が重なって、互いの身体が吹き飛ぶ。セツカは社殿側に、イツメは社殿の反対にある参列エリア側に。
激しい勢いで錐揉みするイツメは、戦争屋と宝蘭組が待ち構える参列エリアに入り込むまい、と刀を境内の地面に突き立て、影の中に入り込んだ。
一方、回避する方法がなかったセツカは、拝殿の扉を身体で突き破り、最奥の本殿まで突っ込んでいった。
【姉様……っ!?】
それを傍で見ていたマツリは、たった今起こったことが理解できなかったのと、社殿に突っ込んでいったセツカへの心配とでない混ぜになりながら声を上げる。
そして、消えたイツメの姿を探してきょろきょろと辺りを見回しつつ、セツカの安否を確かめに社殿の中に入ろうとして、
【王女様、あきません!】
【王女殿下、向こうに行くのは危険ですよぉ】
傍に居たマオラオとスーァンが、駆け出そうとしていたマツリを引き留めた。
【で、でもっ、わたしが止めなければ、あの2人は……!】
【だからって、あんさんが死んでもあきませんから! っ、どこに逃げるべきや……】
苦い顔をしながら、一瞬だけ『監視者』を発動するマオラオ。道がある程度舗装されていて逃げやすいルートを探し、輝く紅色の目で周囲を急いで見回す。
その一環で、なんとなく、出店エリアの方を見た時だった。
【は……?】
あまりにも受け入れ難い事実に、思わず声が出た。
彼が見たのは、混乱しながら逃げ惑う人々とそれを追う異形、さらにそれを追うが、異形と化した仲間達に食われる宝蘭組の隊士達という地獄絵図だった。
呆然とするマオラオ。と、不意に風の鳴る音がして、彼は『監視者』を切る。音の聞こえた方向――空を見上げると、赤い塊が2人の元へ突っ込んできていた。
迎撃は不可能。即座に判断を下すと、マオラオはマツリを抱いて飛び退く。遅れて気づいたらしいスーァンも、赤い塊が着弾する寸前に跳躍し、距離を取った。
塊が着弾すると、寸前まで3人の立っていた場所がクレーターのような凹みを作り、粉々になった石材が全方位に飛び散った。
その石の欠片を背に浴びながら、マオラオはぐりんと腰を捻って、自らを緩衝材に落下。マツリを腕の中に抱えたまま、何回転か地面を転がった。
回転が止まると彼は、マツリを下に敷いていることに気づき、慌てて立ち上がる。
【す、すみません!】
【い、いえ、わたしは大丈夫ですが……何が起こりましたの?】
地面に仰向けのまま、クレーターの方に目を向けるマツリ。そこには、赤い髪の女が居た。マルトリッドだ。彼女はクレーターの中央で自らの片足を埋めており、どうにか引き抜こうとしていた。苦戦しているが、じきに抜け出せそうだった。
今が反撃する絶好のチャンス――に思えるが、マオラオは知っている。彼女は化け物じみた格闘技だけでなく、風を使った攻撃が出来るのだ。こちらの戦闘スタイルが近距離型である以上、基本的に彼女とは戦わない方が良いだろう。
そう考えたマオラオはマツリの手を引き、彼女が立ち上がるのを手助けして、
【王女様、オレと一緒に逃げましょう。……えっと、】
【スーァンよぉ。あそこに残るのも怖いし、私もついて行くわぁ】
【はい。じゃあ、こっちに……!】
マルトリッドの足がクレーターから抜けるのを端目に、マツリを連れて花の咲き乱れる森の中に突っ込んでいくマオラオとスーァン。かなり急な角度の山を駆け降りていると、手を引かれるマツリが少し苦しそうに言った。
【ど……どちらに逃げますの……!?】
【オレの母校の方に! ちょっと離れてますけど、大社と山道で繋がってるんです!】
多分この辺に道が、とマオラオは、昔の記憶を頼りに山道を探す。
妙なところから森に飛び込んでしまったせいでマツリに負担をかけているが、本当はきちんとした道が通っているのだ。それを見つけてずっと辿っていけば、マツリをより安全な場所で守ってやることが出来る。
【あそこはちょっと不便な場所にありますから、あの女の人も追ってきにくいと思います。それに、もし追ってきたとしても、暁月祭の今日は祝日に制定されとる。誰も登校してませんから、籠城にはうってつけなんです】
【そうなんですのねっ。籠城……出来れば、しなくて済むと嬉しいですわ……!】
【ほんまに……】
そんなやりとりをしながらふと、マオラオは母校関連であることを思い出した。
【そういえば、ずっと気になってたんですけど……ユンファは今日来てないんですか? アイツ、王女様のお世話係なってるって聞いてるんですけど、見た限り参列エリアにはおりませんでしたよね】
そう言うと、マツリの顔が一瞬にして強張った。
【ユンファは……実は、わたしの頼みで焼売を買いに行ってくれたっきり、姿を見ていなくて……】
【え……!?】
思わず立ち止まるマオラオ。彼が突然減速したせいで、マツリが速度を殺しきれずにマオラオにぶつかる。
【あぶっ】
【あ、すみません……! けど、8時に並んだら流石に11時には間に合うはず……アイツ、何かに巻き込まれてんとちゃうか……!?】
呟きながら、麓の方を見下ろすマオラオ。時間的に考えてもそうだが、マオラオの知るユンファは面倒臭がりであっても、今後の生活の響くような怠慢はしない。自分を雇ってくれている主人の結婚式をすっぽかすなどしないはずだ。
それを考えると、やはり彼の身に何かあったと考えるのが自然だろう。
出店エリアのことを考えて連想するのは、先程マオラオが見た地獄絵図だ。
人々が異形に食われ、異形は宝蘭組に追われるも、その宝蘭組が宝蘭組に食われるというあまりにも惨いあの光景。一体何があってあんなことが起きたのだろう。
イツメとマルトリッドが関わっているのは間違いないが、あの2人だけで起こせる規模のことではない気がする。まだ誰かがこの国に――出店エリアに潜んでいるんじゃないだろうか。
もしそうなら、ユンファの身が危ない。
いや、危険なのは彼だけではない。暁月大社に残った皆が危険だ。
あの時は無我夢中で、マツリを護衛することだけに意識を注いでいたが――冷静になってみると、彼らにも伝えておくべきだった。参列エリアにも怪物が湧いていることを。そうしたら今頃、ユンファも食われた者達も――。
【――っ】
マオラオは歯を噛んだ。
ユンファは、決して良い印象はない腐れ縁の男だ。でも、わかってて見殺しにするほどの関係でもない。
探しに行きたい。既に食われているかもしれないし、既に異形になっているかもしれないけれど。彼の安否を確かめたい。だが、今はマツリの命もかかっている。探しに行くなら、マツリの安全が保証されてからでないと。
【……急ぎましょう、王女様。心配せんくても、アイツは上手くやってるはずですから】
【……そう、ね。そう。ユンファは、頭が良いもの。大丈夫。また会える。また会うためには、わたしが生きていなきゃ】
マオラオの声かけに、マツリは暗示のように呟いて、再びマオラオの手を取った。
【案内してくださいまし。その学校へ】
*
その頃。暁月大社・社殿前では、マオラオが見た出店エリアの怪物達の一部が、石階段をぞろぞろと上って、参列エリアの方に流れ込んできていた。
それらに対応するのはハナマル・キバク・メイユイ、シャロ・ノエル・ノートン、その他数人の宝蘭組隊士で合わせて16人だ。
まず、メイユイが飴の能力で怪物を足止めし、ハナマルとキバク、ノートンの3人が豪快に怪物達を吹き飛ばす。
その裏でシャロが飴製の大鎌を振り回し、隊士達と共に比較的小さな怪物――恐らく、元々は子供だった者を1体1体撃破、という戦法を取っていた。
なお、ノエルはメイユイの飴で錬成した剣を護身用に構えているだけで、これといって戦いには参加していなかった。
ちなみに、セツカとイツメは未だに剣戟を続けている。暁月大社がただっ広いおかげで、辛うじてハナマル達は巻き込まれていなかったが、彼女達の傍に建っていた社殿や、満開の木々などはもう木端微塵になっていた。
押し寄せてくる怪物の量が減ってくると、ノートンが言った。
【ここを任せても良いか? 出店エリアの方を見に行きたい。この怪物も減ってきてはいるが、当分途絶えそうにないからな。どこから発生しているのか確認する】
【あぁ、頼むわ。それに正直、この怪物は出店エリアに配属したあの子らには厳しい。あんたの力が必要や。……死なへんようにな?】
【縁起の悪い見送りだな……あぁ、任せてくれ】
ノートンはそう言って、出店エリアへと続く石階段を颯爽と駆け降りていく。
残されたハナマル達は各々武器を構え直し、より気を引き締めて怪物達に対峙した。
【――食らえっ、であります!】
【ぅらぁぁぁぁぁーーーッ!!】
怪物達の群れへ飛び出していくのはメイユイとキバクだ。メイユイが飴を捻出し、ざっと怪物達の足場を固めていく。それを追って、キバクが巨大な金棒を振るった。
すると、3メートル級の怪物達の肉体がいともたやすく爆ぜ、境内に血の雨が降った。
対してハナマルは、刀で肌を撫で斬るだけの最低限で、優美な振る舞いで戦うが、彼女の妖力の影響でやはり怪物が爆ぜる。また血の雨が降った。
余る小さな個体を相手取り、シャロが飴の大鎌を振るうと、虹色の煌めきが弧を作って、次々に怪物の頭部が飛んだ。
隊士達も怪物の顔を見て、何かに耐えるような顔で応戦。刎ねた怪物の腕がくるくると宙を舞い、血の池に沈んだ。花柄の袖が血を吸って、赤黒く染まっていく。
これとほぼ同じことを、16人は延々と繰り返していた。
これらの惨状を見ても、怪物達が一向に怯まず向かってくるのはきっと、知性を余すことなく奪われているからなのだろう。
【キリがないなぁ……】
そう言って、ハナマルが顔面に浴びた血を白い腕で乱雑に拭った時だった。
「……へ?」
間抜けな声を上げるノエルの手前、境内中に撒き散らかされていた血が、宙に浮き上がった。そして、ある方向に全て吸い込まれていった。その先に居たのは、イツメと交戦中の女王セツカだ。
集結した血はセツカの前で1つの塊になると、分散して針のような形を作る。直後針が発射され、イツメに向かって空中を走った。
イツメは襲いくる血の針を全て刀で落とすと、刃についた血を振り落としながらセツカに肉薄。刀を槍のように構えて胸を貫こうとするが、セツカは向かってくる刀の先端を薙刀の柄で阻止。柄を指に絡めて回転させ、イツメの刀を弾いた。
イツメは刀を手放さなかったが、弾かれた影響で体勢が崩れる。懐がガラ空きになった。セツカが空の手をイツメの腹に当てる。刹那、イツメの背中から血が噴出した。
それに怯むことなく、自身の腹に伸ばされたセツカの腕を握り締め、1度は弾かれた刀でセツカの肩を刺すイツメ。するとセツカは少しだけ眉をひそめて、長い脚でイツメを横に蹴り飛ばした。
身体が吹き飛び、花の木々に激突する。幹にヒビが入って、めきめきと音を立てながら木が倒れた。
1人残ったセツカは、肩に刺された剣を引き抜き、地面に落として踏み砕く。
「な……何あれ、早すぎて何が何だかわからないんだケド」
「わ、私もであります……あの女王殿下と渡り合える人が居るなんて……姉妹って言ってましたけど、あの女性はなんなんでありますか?」
「エッ、姉妹!? 姉妹なのあの2人!? え、えっと、女王様じゃない方の女の人は、『天国の番人』ってやばい組織の人なんだケド……」
「へぶ……? どんな組織なんでありますか?」
「え、えーっと」
外の世界への好奇心もあってか、意外と深く聞いてくるメイユイに、しどろもどろになりながら答えるシャロ。
全てを聞き終えると、メイユイは深く考え込むような素振りをして、
【ハナマルさん。イツメ王女のことはご存知でしたか?】
【あ? あー、せやな。式典の警備に配属されると稀に見かけたし、年が近いんもあって、前国王陛下の計らいで話させてもらったこともあるけど……なんちゅうか、冷めた人やったな。それ以外あんま印象がないわ】
言いながら、ハナマルは3体の怪物を斬りつける。巨体が爆散し、血が降り注ぎ、ハナマルとメイユイの身体に血が降り注いだ。メイユイは少し渋い顔をしながら、【冷めた人……】と呟く。
【せや。子供の割に妙に達観しとって、前国王陛下や前王妃と喋ってても、女王陛下やマツリ王女と喋ってても、つまらなそうな顔しとった。唯一、近侍のトンツィとは仲良さそうやったけど……いや、あれは仲ええって言うんかな】
ハナマルは首を捻った後、とにかく、と言葉を置き、
【何もかもに失望したような顔しとったよ。だから数年前、ふっと居なくなった時も妙に納得されとった。この国には王女の心を惹きつけるもんがなかったんやろなって。……まさか、滅ぼしに来るほど見捨ててたとは思ってへんかったけど】
そう、複雑そうに呟いたハナマルの目線の先では、それぞれ背中と肩を赤く染めるも、まるで効いていないかのように凛と立つ姉妹の2回戦が始まろうとしていた。




