第158話『大人でも綿飴は食べたい』
大通りの見回りを滞りなく終えたメイユイ・キバク・シャロ・ノエルの4人は、暁月大社へとやってきていた。
隊士2人の後を追って歩くノエルは、神社を取り囲む満開の木々を見回しながら、ぱたぱたと手をうちわのようにして顔を扇ぎ、
「やっぱりこの辺……妙に暖かいですよね。山を登ってきたからそう感じるのかもしれませんが……」
【おぉ、よく気づいたなぁ嬢ちゃん! 実はこの暁月大社を管理してる大巫女のスーァンって女が妖力使いでな。周囲の気温を上げるって妖力を使うんだよ。で、この山一帯はそいつの力が届くんだ。だから、年中あったけぇんだよ】
「そうなんですね……でも、どうして山の気温を上げてるんですか……? かなり広い山ですし、消耗も激しいんじゃ……」
【んー、理由はなんだったかな……花を枯らさないためだったかなんだか。俺様も聞いたのは相当前だからうろ覚えだが、元々そいつの妖力は火を使うもんだったから、軽く10度くらい上げた程度じゃへばらねーんじゃねえかな】
「なるほど……」
通訳のメイユイを間に介しながら、花の話をきっかけに意外にも親交を深めていくノエルとキバク。正反対の性格に見える2人だったが、どうやらノエルの好奇心とキバクの話し上手が上手くハマったようで、かなり長く会話が続いていた。
一方、話題の人物であるスーァンを知らないためか、シャロはあまりキバクの話に興味がないようで、『へぇ〜』と適当な相槌を打つのみだった。
少しして、彼らは暁月大社の拝殿があるエリアに到着した。
以前訪れた時には、拝殿の美しさとは反対に寂れた雰囲気を漂わせていたその空間だったが、今日は何十人かの人が居た。
「あれ? 何してるんだろー?」
「あれは暁月祭の準備でありますね。暁月祭は毎年この季節に行っている、来年の豊穣と息災を願うお祭りであります。私達宝蘭組は、警備に駆り出されるのであまり楽しめないんでありますが……しかし、例年より人が多いような……?」
解説しつつ、首を傾げるメイユイ。するとキバクが肩を回し、
【よし、俺様が聞いてきてやらあ】
と、北東語が分からないにも関わらず、何となくの雰囲気でシャロ達の会話の内容を汲み取ったようで、祭りの準備をしている者達のもとに向かっていった。
彼が向かったのは、よりにもよって険しい顔で何かを話し合い、今にも喧嘩に発展しそうな様子の男達が居る場所だった。
そんなところにキバクが入っていったら、事態が更に悪化するのでは、と思うノエルだったが、キバクの姿を視界に認めるなり、彼らはパッと顔を輝かせ、
【キバクさんじゃないか!】
と彼を歓迎した。
それからしばらく、彼らはぎゃあぎゃあと少年のように無邪気に話していた。やがて、キバクが男達に手を振りながら帰ってくると、
【今年はどうやら、暁月祭を女王様の結婚式と並行でやるんだとよ。だからみんな、例年より派手で気の利いた飾りつけにしてやろうって気合が入ってるみてえだ】
「女王様の結婚式……って、もしかしてマオ、プロポーズ成功したの!?」
「みたいでありますね……」
複雑そうな顔をするメイユイ。マオラオを見つけ出し、彼に女王と結婚するよう言ったのはメイユイだが、彼女なりに引っかかることがあるようだ。
シャロとノエルも、何と言ったら良いかわからないという顔で口をつぐむ。
そこへ、【あらぁ?】というのんびりした声が響いた。
振り向くと、そこに居たのはウェーブがかった小豆色の髪を下ろした、美しい女だった。煙管を手にしており、紫煙を燻らせている。その女の登場にシャロは首を傾げるが、ノエルとメイユイは『あ』と声を発した。
【スーァンさん!】
【こんにちはぁ〜】
名前を呼ぶメイユイに、ひらひらと手を振る美人――暁月大社の大巫女、スーァン。にっこりと微笑んだ彼女が、シャロの方に視線を向けようとして、
【しばらく見ねえうちに、一段と綺麗になったじゃねえかぁスーァン!】
と、キバクが手を叩いた。
【あらぁ、ありがとう。でも、口説いたって私の気持ちは変わらないわよぉ。私はずっとハナマルだけを想ってるからぁ】
【ハッ、相変わらず意思の固え女だ。その方が落としがいがあるってもんだが……しかし、聞いたぜ。今年の祭りは女王陛下の結婚式と一緒にやるらしいな】
【えぇ〜。昨夜言われたものだからぁ、みんな大慌てよぉ。私も首飾りを出さなきゃいけなくてぇ、隠し場所を記した巻物を掘り出すのが大変だったわぁ】
【首飾り……でありますか?】
【えぇ〜】
微笑むスーァンは煙管に口をつけ、含んだ煙を時間をかけて吹く。
【貴方はまだ15だから知らないのねぇ。実は、このシグレミヤにはねぇ、主君が結婚すると、男が女に首飾りをかけてやる決まりがあるのぉ。その首飾りが凄いもので、宝石の代わりに初代国王のツノの欠片を下げていてねぇ】
【えっ! 初代国王って、歴代最強と名高いあの……!?】
【そうよぉ。そのツノの美しさはどんな宝石にも勝ると言われていて、普段は賊に狙われないためにこの神社のある場所に隠しているんだけどぉ……最後に出したのが60年くらい前だから、場所が中々わからなくってぇ……苦労したわぁ】
そう言って目を閉じ、はぁ、と溜息をつくスーァン。その横でキバクが【俺様のツノの方が美しいぜ!】と主張するが、スーァンは取り合わずに話を続ける。
【まぁ、そういうことだからぁ……ハナマルはわかっていると思うけど、当日は首飾りの盗難防止を意識した警備にしてちょうだぁい。あれが盗まれたら、歴史的にも金額的にも大損だからぁ。……大西大陸が買えるからぁ】
【わ、わかりました、であります】
柔らかくもしっかりと念を押すスーァンの言葉に、メイユイは引き攣った笑顔で了承。
その後ろでは拗ねたキバクが金色の一本角を額から生やし、溢れるエネルギーで大気を震わせながらもそれをシャロとノエルに見せつけていて、目を輝かせる2人の姿に気をよくしていた。
*
無事に見回りを終えて帰ってきた屯所では、さっそく結婚式当日の警備配置を決める会議が行われていた。
拘束されているフィオネ以外の戦争屋も、会議室――普段は食堂の時に隊士一同が一斉に会している大広間のことであり、今は机を会議用に並べ替えている――の隅に置いてもらい、その会議に参加していた。
【まず、大鳥居付近はスミレ、コゴロウ、リーシン、ランホーにやってもらう。ここは不審者を立ち入れない他、許可証を取得してない新聞社なんかも弾く役割がある。時間は8時から12時までの4時間や。午後は――】
と、こんな調子で、エリアごとに隊士を指名していき、当日の警備態勢をささっと組んでいくのはハナマルだ。手には暁月大社の地図がある。
ちなみに、会議があまりにも長かったため重要な決定事項だけを抜粋すると、ハナマルやキバク、メイユイなど一定以上の実力を持つ隊士は皆、結婚式が行われる拝殿前に配置されるようだった。
ある程度の隊士を振り分けた後、だいぶ書き込んでくしゃくしゃになりつつある地図と睨めっこをするハナマルは、後頭部を乱雑に掻いて【ゔぁー】と唸った。
【ごごにぃ、ごごにドンヅィが欲じいぃぃぃぃぃぃ……!!】
――どうやら、襲撃により隊士が削られているせいで、配置が心許ないらしい。組織外の人物であるノートンを、彼女は血涙を流す勢いで欲しがっていた。
【当日だけでええんや、うちの隊士ならへんか? ほら、1日隊士みたいな。うちも前に1日組長さんやー言うて当時人気やった歌手の女の子受け入れてたで。それみたいなノリでさ、あかんかなートンツィー】
ハナマルはそう言って、真夏にとろけるチョコレートのように、べたーっと力なく机にうつ伏せる。が、ノートンは苦笑いをして、
【俺はアイドルじゃないからな……】
【ほな今からなるんや。今からでも間に合う。あんたが世界のトップスターになるんや】
【……無理があるだろう】
ハナマルのゴリ押しに一瞬だけ、別の世界線の自分を想像してしまったのか、青い顔をして額を抑えるノートン。すると、自信がないと勘違いをしたらしいメイユイが【私は応援しますよ、先輩のこと!】とフォローを入れる。
【……ありがとう……? ――とりあえず、当日はなるべくお前の指定した場所に居ておこう。不審者が現れたら、あくまで俺個人として対応するよ】
【え! ええんか、こん位置やとわたあめ食われへんで!】
【俺がいつわたあめを食べたいって言ったんだ】
【え、大人ってみんなわたあめ食いたいんやと思ってた。わたあめの出店が並んでるのを見て、あー童心にかえって食いたいなーけど自分大人やし並んでるのを子供と子連ればっかりやしなー1人で買うのもなーとか思って苦悩するもんやと】
そう主張するハナマルに、メイユイが驚いたような表情を浮かべる。どうやら過去にハナマルのために、わたあめの屋台に並ばされた経験があるようだった。
【……あ、そういえば。フィオネは祭りに参加してもいいのか? 俺が参加していいってことは、シャロとノエルは許されてるんだろうが……】
【あー、それなぁ……しょうみ、まだ疑っとるからな。仲間だった奴の結婚式に参加させられへんのは可哀想やけど、警備の仕事があるからうちやメイユイの監視のもと歩かせるってのも出来ひんし。参加は……うん、させられへんな】
【そうか……】
仕方がない、と納得するノートン。フィオネの行動は彼の無実を知るノートンから見ても怪しい。当然の処分だろう。
【こんなもんかな……】
隊士の配置を地図に書き切ったハナマルが、薄桃色に塗った爪で頬を掻きながら呟いた。そして、【よし!】と立ち上がり、
【これで今日の会議は終了や! うちはこの記録を城に提出してくる。あんたらも連日忙しくて敵わんと思うけど、午後も気張りや! んじゃ、解散!】
*
そうして到来した、2日後の結婚式当日の早朝のことである。
屯所の庭園内にある小さな建物で、2人の男が話していた。
片方はフィオネだった。草を編んだ敷物が敷かれただけの建物の中にいる。本来その建物は牢屋として使われており、容疑者であるフィオネが来るには少々早い場所なのだが、ほかに適した場所がないとのことで居させられていた。
もう1人の男は宝蘭組の隊士だった。犯罪者への尋問を担当する人物らしく、フィオネが宝蘭組襲撃の容疑者になってから、毎日朝と夕方に1回ずつここに通っていた。
今はちょうど、朝の尋問の時間だった。空も白む午前5時、隊士の男は木造りの格子越しにフィオネを見て、いくつかの質問を投げかけていた。
しかし、今回もフィオネの主張は1回目と量も内容も変わらなかった。
質問の内容をいくら変えても、カマをかけてみても、何も変わらない。表情だってこちらの思惑を全て見透かしたような涼やかなもので、男はむしろ質問をするたびこちらの中身がどんどん知られていくような心地がしていた。
――今日も収穫はない。そう思って、男が尋問をやめようとした時だった。
ふと、背後に近づいてくる気配に、男は振り向いた。
「――ッ!」
そこにあったのは、先一昨日の晩に見た化け物の姿だった。身体のあらゆる部位が肥大化し、筋肉が盛り上がり、目が血走った人型の怪物。
男が急ぎ刀を抜こうとすると、化け物はその大きな手で男を払い飛ばした。そして、一目散にフィオネのいる建物へと向かって、木造りの格子を殴りつけた。
格子はいともたやすく吹き飛んだ。中に居るフィオネは、現れた怪物に狼狽えているように見えた。初めて見る表情だ。吹き飛ばされた男が、地面に強打した胸を抱えながらそう思っていると、化け物がフィオネを殴り飛ばした。
口から血を吐き、長身がひっくり返る。
このままでは2人とも殺される、自分がどうにかしなければ。今、武器を持っているのは自分だけだ。男が自身を奮い立たせ、震える足で立ち上がると、それに気づいたように化け物がこちらに向かってきた。
【ひっ……!】
情けない声が出る。全身が硬直した。もうだめだ。死ぬ、殺される――。
そう思った瞬間、ぷつりと意識が途切れた。男の身体がひっくり返る。
それを見た化け物は困惑したように動きを止めると、のそのそとその巨体で建物の中に戻っていった。そして、姿を変える。
表れたのは、ノートンの姿だった。
「……やりすぎたか?」
そう尋ねると、起き上がったフィオネが血で濡れた口元を拭いながら、『えぇ』と言う。
「中々の迫力だったと思うわよ。気絶するのも無理ないわ。それよりアタシ、殴られて吹っ飛ぶ役とかしたことなかったから、あまり自信がないのだけど……どうだったかしら?」
「あぁ、十分リアルだった。本気で殴ったかと一瞬焦ったな。血はどうやって仕込んだ?」
「髭が出てきたから、剃刀を貸してほしいって言ったらくれたの。そもそもアタシ生えないけど。刃を割って隠し持ってたのよ。それで、貴方の姿が見えた時点で口の中を切って、血を溜め込んでいたの」
フィオネはそう言って、折った刃を摘んで見せる。それには微量の赤い血がついていた。文字通り身を切った迫真の演技に、未だ褪せないプロ根性を垣間見た気がして、ノートンは感嘆の溜息をついた。
そして、あまりにも目立っている、気絶した男の身体を建物の中に引きずり込み、
「起きた時に俺達の芝居を覚えているといいな。じゃなきゃ、フィオネの不在が彼の中で正当化されなくなる」
「記憶がごちゃ混ぜになっている可能性があるわね。アタシが殴られたところ、覚えているといいのだけど……まだ容疑がかかってたらどうしよう」
「せっかく口を切ったのにな。……しかし、この収拾本当につけられるんだよな……?」
「もちろんよ。さて、この子が気絶から目覚める前にここを出ましょう。マオラオの晴れ舞台、見逃したくないわ」
「嘘をつけ」
明らかに嘘であるフィオネのセリフに、ノートンの鋭い突っ込みが刺さる。
フィオネは不服そうな顔をしたが、それでも本気の言葉ではなかったのだろう。判決によってはこの国から出られなくなる状態にあるフィオネが、演技までして屯所を出る理由としては、仲間の結婚はあまりにも軽すぎる。――彼にとっては。
ノートンは真剣な表情をして、自身よりも少し小さいフィオネに向き直った。
「本当のことを言ってほしい。襲撃の前……お前が『散歩をしていた』と嘘をついたあの時間、お前は何をしてたんだ?」
そう尋ねるとフィオネは、殴られたふりをした時に崩れた髪を、長い指で漉きながら答えた。
「マオラオと会っていたわ」
「……やっぱり、そ――」
「それで彼からの提案のもと、彼と約束を交わした。マオラオが女王と結婚して、正式にこの国の王になったら、花都の政権をアタシに譲渡するって」
「――は!?」
動揺するノートン。
彼は自分の耳を疑いながらも、フィオネの発言に言及しようとして、
「おかしいと思わなかった? あの子が女王様と結婚して国民を守るなんて役目を背負おうとするなんて。あの子はそんなことをするタイプでも、出来るタイプでもないのは知ってるでしょう。たとえ、アタシ達の状況を知らされたって」
「それは……」
そうだ。確かにおかしいとは思っていた。暁月大社に居たとき、メイユイから聞いた話では、マオラオはメイユイと再会を果たしてからすぐに了承したという。
が、一国の王になるなど誰だって数分で覚悟が決まるものではない。現実主義のマオラオなら尚更だ。
その実、彼がフィオネとそんな約束を交わすつもりでいたのなら、彼の即決も納得がいかないではないが――。
「……お前がその話を持ちかけられたなら、なんで止めなかった。なんでやり方を変えなかった。そんなことをしたら、マオラオは……国中から売国奴だと思われる。どんな非難を受けるか――居場所がなくなることだって、想像に」
「貴方って、鈍感よね」
――不意に、冷たい声がした。フィオネの声とすぐに気づけないくらい、低い声だった。
ノートンは一瞬だけ、息を止めた。
普段の髪型に直すには、ここはあまりにも道具が不揃いだからだろう。ミルクティーに似た美しい薄金髪を一纏めにすると、フィオネはノートンを見上げた。
見上げられているのに、見下ろされているような、そんな圧があった。
「既にあの子に居場所はないわ。この国のどこにも。『半鬼半人』……鬼とニンゲンの間に生まれて、鬼族の象徴である高い身長を持てず、衰えないはずの筋力が簡単に衰えてしまうあの子に。国中から嫌われるなんて、そんなの今更なのよ」




