第155話『ヒノデ蘭の花の死神』
同時刻、宝蘭組屯所の屋敷にて。
シャロやノートンらが屋敷の大浴場を借りている裏で、フィオネとハナマルは中庭の縁側で月に照らされながら晩酌をしていた。
ハナマルは手をぼーっと動かして、猪口の酒に月を閉じ込めながら重く呟く。
【そうか。仲間の子……黒痣病やったか。じゃあ、この国で黒痣病を流行らせたんは……女王、なんかな】
【まずあるとしたら、その可能性でしょうね】
【嫌やぁ……受け入れたくないわぁ……】
目の前の現実から目を背けるように項垂れるハナマル。
今のところフィオネにとって女王は『極度のニンゲン嫌い』という情報しかなく、ニンゲン弾圧のために国民を犠牲にしていたとしても何ら違和を抱かないのだが、ハナマルの中には絶対それはしないという確固たる信頼があったらしい。
よほどショックが大きかったようで、一口目以降酒が進んでいないという異常事態にあった。
ただし、ひとしきり【嘘やぁぁぁ】と唸ると、渋々現実を受け入れたらしく、
【しゃあない、今度女王に会って直接聞かな。あんたとの約束やしな。ほんでアイツの口から、そないなことしてへんって聞かな】
【……もし、していたら?】
【その時は説得してやめさせる。それから……あー……相手が女王さんやから、うちもどないしたらええか分からんけど……投獄は確実やろうな。知り合いやからとか、お偉いさんやからって見逃すわけにはいかんし……】
頭を抱えるハナマル。それを見ながらフィオネは酒を口にし、
【貴方、乱れてる割に正義感は強いのね。賄賂とか受け取りそうなのに】
【褒めてるようで煽っとーやろそれ、わかってんでうち】
【ふふ、今のは冗談よ。でも、警察組織なのに孤児を集めてるような底抜けのお人好しに、知り合いに手をかけるって考えがあったことに驚いただけ】
【……うちがお人好しなんは否定せえへん。けど、うちもこれで警察の頭や。公私混同するような真似は絶対にせえへんよ】
言いながら、思い詰めたような表情を微かに緩めるハナマル。彼女は迷いごと飲み込むように酒を呷った。
全てを流し込むと、ぷはっと息を吐く。
その時だった。
ふと、どこかから子供の悲鳴が聞こえた。
フィオネとハナマルの表情が一瞬で強張り、2人は揃って音の発生源を探す。
【――あっちか! すまん、うち行ってくる! あんたは中に戻っててくれ!】
ハナマルはそう言い捨てて縁側にかけていた刀を引ったくると、フィオネを置いて声が聞こえた方向へと庭園を走っていった。
駆けつけた先は木々に挟まれた石畳の小道で、そこには複数の人影があった。
うち2つは小さな子供のものだった。宝蘭組で養われている子供達で、名前をヨウスケという少年とリンという少女であることに気づく。
その2人に向き合うように立った人影は、老若男女を問わない大人達で、しかし総じて正気を失った様子であり、武器を手に低く唸っていることがわかった。
【ぃ、や……っ】
聞こえた掠れ声は、リンのものだった。
異様な大人達にヨウスケとリンが囲まれて、逃げ場を失っているのだと気づき、ハナマルは刀を鞘から抜き去った。
【ヨウスケ、リン、目ぇ瞑り!】
【……ッ!? 組……っ】
【うちが今助けたる。――その子らから、離れろや!】
刃を月光に煌めかせ、颯爽と集団の間を抜けていくハナマル。不審者達はハナマルの存在に気づくと応戦しようとするが、彼女が通り過ぎると同時にその肉体から血飛沫を上げて、武器を触れないまま膝をつく。
そうして最後の1人が倒れると同時、空に1つの人影を確認。ハナマルは見上げ、降ってくる刀での攻撃を愛刀で受け止めた。
【グゥゥゥゥ……】
【……どういうことや】
ハナマルは冷や汗を流しながら、困惑を強める。
目の前の人物――男の風貌は、この数分間に対峙したどの大人より異常であり、目が赤く充血し、身体全体の筋肉がはちきれんばかりに盛り上がっていて、半分怪物のような見た目になっていた。
交えた刀にかかる圧から、その筋肉が見せかけのものではないことを知った時、あるものが見えてハナマルは静かに息を吸う。
【――嘘やろ……】
吐息に混ぜて呟いた4文字。
彼女が見たのは、ここから見える堀――屯所と庭園を囲む堀の上に、いま対峙している筋肉男と同等のサイズの人影が並んでいるさまだった。ざっと5体前後。
ハナマルは苦々しい笑みを溢した。絶望に近い感情から出た笑みだ。
そしてちらりと、背後に隠しているヨウスケ、リンを一瞥する。連続する、肉を撫で斬る音と溢れかえる血の匂いで状況は把握しているはずだが、目を瞑っているおかげで発狂や気絶には至っていないようだった。
出来ることなら2人に増援を呼んできてほしいが、屋敷や屋敷までの道のりが安全であるとは限らない。
【……しゃあない】
呟いたハナマルは、こめかみに意識を集中させた。すると、こめかみの辺りに熱が宿る感覚がして、次の瞬間、内側から桃色のツノが生えてきた。
1歩引くハナマル。彼女の刀にかけていた圧力が行き場を失って、筋肉男の刀が地面に刺さる勢いで下がった。そこへ、
【おッらァァァァ!!!】
ハナマルは再び距離を詰め、刀を握る男の手元を片足の置き場にし、もう片方の足で男の胸を蹴り飛ばす。
その衝撃で男が腰を折ると同時、ハナマルは足技の勢いを流すために後ろへ回転し着地。そこから、石畳の地面を砕くほどの力をかけて前に飛び出て、
【――ッ】
一瞬だけ、刀身を青く輝かせた。
その刀で筋肉男を撫で斬ると、斬ったそばから血が噴き出す――刹那、首や肩、背中など傷をつけていないはずの箇所からも血が噴き出た。
この事態はハナマルが引き起こしたものであったため、彼女は特に驚く様子もなくその場から横に寄る。対する筋肉男は、知性がないながらもたった今、自分の身に異常が起きたのだと理解して、戸惑いを見せながら前傾した。
ハナマルの横で、重い身体がうつ伏せになる。
目もくれずに堀を見るハナマルの頬から、返り血が滴り落ちた。
【流石に、ヨウスケとリン置いてあそこに居る5体を倒すんは厳しいな……キバクかメイユイがおってくれたらええんやけど】
そう言いながら、刀をくるりと回して逆手で男の背を刺すハナマル。すると倒れていた男の身体が爆散し、周囲に血肉が広がった。
びしゃり、と石畳が濡れる音。そこへ誰かの靴音が混じり、ハナマルは振り向いた。
そこに居たのは、屋敷に戻るよう指示したはずのフィオネだった。
【あんた――】
【酷い有り様ね。貴方の方が悪者に見えるわ。でも、状況は把握した。アタシ、この子供2人を運ぶことくらいしか出来ないけど、それでも良ければ手伝うわよ】
【……!】
ぴくりと頬を動かすハナマル。曇天に差す一筋の光のような申し出だ。今すぐにでも縋りたい気分だったが――彼女は、フィオネにかける言葉を迷う。
理由は1つ。
ハナマルには、フィオネが信頼に足る人物なのか、わからないのである。
フィオネ達がこの国に来た今日、こうして屋敷が襲撃に遭ったのだ。杯を交わした相手を疑うのは気が引けるが、もしもこの襲撃の原因がフィオネにあるのなら、ヨウスケとリンを預けるのは得策ではないだろう。
それに、フィオネ単体で見てもあまり信用性が高い人物とは言えない。
具体的にそう思うことがあったわけではないが、腹に黒い何かを抱え込んでいるような、信用し難い雰囲気の持ち主なのだ。
【……でも、トンツィはあんたを認めてるんよな……わかった。あんたのこと信じるで。ええか、絶対にこの子達には傷をつけんな】
【絶対は約束できないわ】
【うちも絶対守り切れるとは思てへんわ! それ相応の覚悟を持ちやって話や!】
【それなら問題はないわ。それじゃあ、連れて行くから】
そう言ってフィオネは、話を聞いていたためか抵抗せず、されるがままのヨウスケとリンを抱き上げ、その場を後にする。
残されたハナマルは、ハナマルと分かれたフィオネ達を追いかけるためか、一斉に飛んできた複数の巨体を前に、刀を握る腕に力を込めた。
筋肉が僅かに膨張し、血管がびきびきと自らの主張を始める。
【ようやっと、存分に戦えるな】
――こめかみに生えた、宝石のように美しい桜の角が、より一層輝きを強めた。
【主犯が誰か知らへんけど……この屋敷にて手ェ出しておいて、生きて帰れると思うなや!?】
*
そうしてハナマルと分かれたフィオネは、少年少女を脇と肩に抱えて、屯所の屋敷までの道を疾走した。
子供達はフィオネに身を任せた方が安全だと思っているのか、それとも下手に抵抗してフィオネの機嫌を損ねないようにと思っているのか、何も言わずに抱き抱えられていた。こういった利口な子供は嫌いではない、とフィオネは思った。
さて、ヨウスケとリンが侵入者と遭遇した場所から、数分前にフィオネとハナマルが晩酌をしていた縁側までそう距離はない。
だが、だからといってすぐに辿り着けるかというとそうではなくて、
「……厄介ね」
知能をなくし、その代わりというように異常発達した筋肉を持つ者達に囲まれて、フィオネは1歩引き下がった。
辛うじて原型をとどめている服装の質素さや、どれも人相が微妙に違うことから、その容姿と凶暴ささえなければ彼らは普通のシグレミヤの民のように思えた。
とすると何故こうなったのか。フィオネはある考えに至るが、今のところ彼らを操っていそうな存在の姿は見当たらない。
まずは元凶を叩くよりも、この状況の突破が最優先か。フィオネは子供達をひとまとめにして抱え直すと、手近な木をひょいひょいとアクロバティックに登り、木から木へと移って庭園に散らばる化け物達の上を飛び越えていった。
木の肌を触って手の皮が擦り剥けるのがわかるが、この状況なので仕方がないと諦める。
と、彼が並々ならぬ運動神経を見せていた最中、ある木からある木に飛び移ろうとした際にふと、フィオネの真似をして木に登ってきた化け物の1体に足を掴まれた。
フィオネは少し驚くが、手近な枝を手折るとそれを化け物の片目に生ける。
「やめてちょうだい」
肌や骨、肉といった部分は人外級の硬さを持っているようだったが、人間の時と硬度が変わらない部分もあるようで、ぷちっと潰れた目玉を抑えようと化け物がフィオネを手放した。フィオネはこれ好機にと違う木に飛び移る。
そのまま縁側の近くまでやってきて、道中適当な化け物から得物を奪い取ると、フィオネ達は屯所の屋敷の屋根上に到達した。
既に屋敷も襲撃を受けていたようで、中庭や屋敷の中からは交戦している隊士と化け物の声が聞こえていた。
【どうしてこんな時に限って、ノートンもシャロも入浴中なのかしら。……大浴場が襲撃されてないといいけど。ねぇ貴方達、この武器はどうやって握るの?】
間近にいる苦戦中の隊士をよそに、子供達に刀の持ち方の説明を乞うフィオネ。
それによりヨウスケとリンの中では最初から低かったフィオネへの評価がたった今ラインを下回ったが、素人とはいえ武器を握る大人に反抗することも出来ないので、2人は素直に持ち方を説明した。
受講後、フィオネは説明に従って刀を持ち直し、苦戦中の隊士を眺め見た。
「左足で踏み込んだ時は……身体の軸から35度……いえ、40度……攻撃を回避された時は……速度があるから足の置き方が悪いと回避が間に合わないわね」
と、ぶつぶつ呟いていたかと思えば、彼はヨウスケとリンを屋根の上に置いて、中庭に飛び降りた。
砂利を踏む音に化け物が気づいたようで、隊士を殴り飛ばすとフィオネの方に向き直る。対するフィオネは息を整え、刀を構えると、化け物と向き合った。
ヨウスケとリンは、そんなフィオネのことを【馬鹿だ】と思った。
しかし、
「――!」
フィオネは振り払われた拳を避け、続く2撃目も軽くいなす。そして懐に潜り込むと、下から化け物の口内に刀を突き刺し、頭まで貫いた。
刀を引き抜くと、血を吐いた化け物が白目を剥いて後ろに倒れる。フィオネは、汚いと言わんばかりに刀を振り、血を払って、
「これで1体……アタシの見様見真似もアクロバットの域を出ないから、早く誰かが来てくれるといいのだけど」
そう呟いた彼の姿を、離れたところから見ていたヨウスケとリンは、ただただ唖然とするばかりだった。




