第153話『きっと鬼もニンゲンも』
「――学校の先生、であります」
そんな悲しげな声をしたメイユイの通訳を聞いて、シャロは少しの間黙り込む。メイユイの声が震えている理由について、聞いてみようかと一瞬考えるが、
「そうなんだ。ちょっとマオっぽいかも」
深入りしようとはせず、からからと笑った。
「子供が好きだったとか、勉強教えるのが好きだったとか?」
「……いえ、そういった話は聞いていないであります。多分、マオラオ先輩が先生になろうとしたのは――恩師の影響が大きいと、そう思っています」
「恩師?」
「はい。昔、私達3人を見てくださっていた方が――」
と、その時だった。どこかから、からんからんとベルの鳴る音がした。どうやら1つの授業が終わった合図らしく、奥の部屋で一斉に人が動く音がした。
「授業が終わったみたいでありますね。お2人も子供達に会われますか?」
「俺は……あぁ、この顔だと子供達を泣かせるかな」
そう言って、自身の顔を指さすジュリオット(ノートン)。今の彼の顔は痩せこけて骨張っており、ちょっとホラーな見た目になっている。慣れるとむしろチャームポイントだが、初対面で、しかも子供となればそういうわけにはいかないだろう。
ジュリオット(ノートン)は、子供達との触れ合いを諦めかける。
しかし、メイユイは明るい声で『いえ』と否定して、
「意外と図太い子ばかりなので平気だと思いますよ。シャロさんはどうします?」
「ウチも会ってみたいけど……喋れないしなぁ……」
などとやりとりをしていると、閉めた空き教室の戸がガラリと開いた。ふとそちらを見ると、着物を着た少年少女らと目が合う。みな顔立ちは幼く7歳かそこらのように思えたが、その背丈だけは今にもシャロに追いつこうとしていた。
【あっ、メイユイねーちゃんだ!】
【ほんとだ! 知らない男の人といるー! 誰その人ー!】
ボールや長縄など、遊び道具を持って外に出ようとしていたらしい子供達が、5、6人ぞろぞろと教室に入ってくる。
南西語がわからないシャロは一斉に捲し立てられて怖くなったのか、さっとジュリオット(ノートン)の後ろに隠れた。
ただ1人メイユイは、慣れたように【おや、お疲れ様であります】と挨拶をし、
【お久しぶりでありますね】
【なー。ねーちゃんしっかり飯食ってるー? ねーちゃんと遊ぼうと思って宝蘭組のとこに行っても、毎回毎回ねーちゃんは見回りだって突っ返されるから、仕事ばっかで食ってねえんじゃねえかって心配してたんだぜー俺ら】
【た、食べていますよ! 流石に子供に心配されるような私ではありません。しかし、何度もご足労頂いていたとは申し訳ないであります……】
【じゃあ、今日こそ遊ぼうぜねーちゃん! ねーちゃんがいるならそうだな、鬼ごっこにしようかな】
【お、鬼ごっこでありますか!? 申し訳ありませんが、鬼ごっこをするほどの時間はないであります……そうだ、花札やおはじきはどうでしょう?】
【えぇー、やだぁ! ねーちゃん花札もおはじきも弱すぎてつまんねーもん!】
【ぐ、ぐぐぐぐ……】
オブラートのオの字もなく突きつけられ、拳を固めて唸るメイユイ。彼女らのやりとりを、わからないながらに微笑ましく見守っていたシャロであったが、なんとはなしに目を動かして、彼はあることに気づく。
子供達の中の1人、後ろの方にいた大人しそうな少年の肌に、黒いアザが出来ているのだ。パッと見て殴られた跡かと思ったが、内出血とは少し様子が違う。緑っぽい内出血とは違い、もっとはっきりとした黒色をしていた。
【あの……トンツィ先輩。こういうわけなので、1戦だけ鬼ごっこをしてきても良いでありますか……】
ぐぐぐと震える拳を固めたまま、ジュリオット(ノートン)の方を振り返るメイユイ。彼女の左右で色の違う瞳にたぎる闘志を見て青年は苦笑し、
【じゃあ、先に俺とシャロは向こうのチームと合流してるからな。後から追いつくんだぞ】
【わかりました、こてんぱんにやっつけてくるであります】
ジャケット風の着物の振袖をふんすとまくり、どかどか足音を鳴らしながら子供達の間に割って入って空き教室を出て行くメイユイ。
彼女が出て行ったことで一瞬、子供達の興味が取り残されたシャロとジュリオット(ノートン)に移るが、そこまで気になることもなかったようで、すぐに全員でメイユイを追いかけていった。
唯一黒いアザの少年だけが、ぺこりと2人におじきをして出て行った。
「それで、えーっと……メイユイちゃん達は何をしに行ったの?」
「鬼ごっこだ」
「鬼ごっこ……鬼が? 鬼ごっこ?」
「古くからある遊びの1つでな。正式名称は『花楼骸神降臨の儀ごっこ』。この花都『シグレミヤ』を守護すると言われている鬼神、暁月天将花楼骸神を呼び出す儀式が元になってるだけの、ただの追いかけっこだ」
「あぁ、なんだ追いかけっこかぁ……。メイユイちゃん行っちゃったけど、いいの?」
「あぁ、メイユイは置いて行くから大丈夫だ。その旨はアイツにも伝えてある。鬼の子達の追いかけっこはあの人数でも30分はゆうにかかるし、流石にそこまでは待てないからな」
「そっか。……あ、待って、もうちょっと教室見て行ってもいい!? あと5分……いや、10分だけ!」
さりげなく要求を釣り上げながら、ぱちんと手を合わせてお願いするシャロ。うずうずしている彼を見て、ジュリオット(ノートン)はふっと苦笑。
「普通そこは時間を短くするんじゃないか? ……まぁ、10分くらいなら大丈夫だろう。この先何度ここに来れるかわからないしな」
「やったー! ウチね、やってみたいことあったんだ〜!!」
そう言って黒板に近づいていき、短くなったチョークをとって何かを書き始めるシャロ。黒板全体を使って線を書いているので、文字ではないようだ。
かつんかつんと黒板が叩かれる心地よい音を聞きながら、ジュリオット(ノートン)は窓の外に目を向けた。
広い運動場で、子供達に混じって遊ぶメイユイの姿が見える。
追いかける役――鬼はメイユイに決まったようで、あちこちに散開する子供達を、彼女は数秒遅れて追いかけ始めた。
煽られてムキになっているようで、彼女の走ったそばから地面が削れていく。砂埃がもうもうと立ち上がっていた。
こうして微笑ましい光景を見ていると、今のシグレミヤの抱える問題など忘れてしまいそうだ。
そんなことを思いながら、しばらく鬼ごっこの様子を見ていると、ふとシャロが『ノートン、見て!』と声を上げた。
「うん?」
何を書いたのだろう、と思って見てみると、シャロはが懸命に向かい合って何かをしていた黒板には、たった数本のチョークで、しかし非常に写実的に描かれた風景があった。
花都シグレミヤの街並みだ。湖の真ん中にそびえ立つ神薙城、その周りを取り囲む街々。商店や住宅が細かくチョークで描かれている。
もはや、何故これが本業じゃないのか分からないほどの画力だった。そういえばシャロは、風景画が上手いと聞いていたが――と思い出しながら、何か褒め言葉をかけようとしたジュリオット(ノートン)。
いざ彼に口から出たのは、『おぉ……』という語彙を奪われた鳴き声だった。
*
花都シグレミヤ、とある山の中腹。頂上にある暁月大社に続く坂道には、小さな花をめいっぱいに咲かせた木が植えられている。
曰く、桜や梅という名前の木らしい。白に淡い桃色を溶かしたような花弁は、風に吹かれるでもなくさらさらと散り、神社までの道のりを彩っていた。
【けど……貴方、ニンゲンに凄く友好的なのね】
坂を登りながら、そう口にしたのはフィオネだった。
【取り締まりが厳しくなったのはここ最近のようだけど、戒厳令が敷かれたのはかなり大昔のようだし、貴方が生まれた時には既にニンゲンを弾圧しようって動きがあったんでしょう?】
【んぁ? あぁ、せやな】
【小さな頃からそんな風潮があるなら、それが貴方の常識になっているはずだから、理由がなくても漠然とニンゲンを憎んでいるのが自然だと思うのだけど……どうしてそうじゃないのかしら】
【うーん……なんでやろな】
フィオネの疑問に、顎を摘みながら首を傾げるハナマル。自分でもよくわかっていないようで、坂を上がりながら形のないそれを言語化できるように考えあぐねる。
【確かに、ニンゲンを排除しろってのは昔っからなんぼもなんぼも聞いてきたけど……ある時な。ニンゲンってほんまに悪いんか? って布団の中で考えてん】
【……へぇ?】
【ニンゲンは悪い、鬼狩りをするアイツらは悪やー言うけど、最後に鬼狩りがされたのなんか数百年は前や。数百年も経てば、表立って生きてる人間は何世代か後の奴らやろ? 鬼狩りがあった頃にはまだ、生まれる気配もしてなかった奴らやん】
【えぇ】
【そいつらまで悪い悪いって、アホらしいなって。そう思ったのがきっかけで】
そんな2人の話し声を――何を言ってるのかはわからないが――を聞きながら、瀕死で坂を上るノエルはあることに気づく。
どうしてこの辺りは、こんなにも暖かいのだろうか。
日付的に言えば今日は、12月の頭だ。大西大陸の緯度的に考えて、とても暖かいとは言えない季節である。
なのに暖かい。現に周囲の木は花を満開にしているし、ノエルは先程から汗が止まらないのだ。無論、後者は坂を上り続けて代謝が上がったこともあるだろうが。
ハナマルに聞けばわかるのだろうか、とも思ったが、彼女はまだフィオネとの話を続けているようだった。
【――それから、ニンゲンやからあかんーとかいう考えは持たへんようにしたんや。ニンゲンやってええ奴はええ奴やし、悪い奴は悪い奴やもん】
【そう。じゃあ、ニンゲン『だけど』助けたいとか、関係を持ちたいとか、そういう物好きなわけじゃないのね】
【せや。まぁ――メイユイは違うやろうけどな。メイユイは、あんたらのことを『ニンゲン』として助けようとしとる】
【そうなの?】
【あぁ。メイユイは昔……色々あって、ニンゲンを学校の先生に持っててな。ニンゲンの世界について結構教えてもらってたらしい。その先生もおもろい人やったみたいで……よう懐いてたっぽいんよ。――けど】
ハナマルは足を止めて、山のふもとを見下ろす。木々の合間から見える花都シグレミヤの街並みは、往来を人々が行き交っていて賑やかだった。
日も随分高くなり、一帯に立ち並ぶ長屋の瓦屋根が光を反射して、きらきらと輝いているように見える。
だが、ハナマルの顔は浮かなかった。
【その先生がある事件に巻き込まれて、居なくなってから……メイユイは、この国はこのままじゃあかん、って思っとったみたいでな。ずっと、ニンゲンと鬼が共存できる世界を作ろうとしてたんや。ほんで、そないな時にあんたらが来た】
【――】
【ニンゲンと鬼が共存できるシグレミヤを作ろうとしてるメイユイにとって、あんたらは大事な鍵や。やから、あない張り切ってんねやろな】
そう言って、花都一帯を見下ろすハナマルを後ろから眺め――ノエルは、『ん?』と僅かに顔を険しくした。
ハナマルが襟を肩まではだけさせ、大胆に露出させた背中。そこに、黒色のアザがあったのだ。内出血とは違う、もっとはっきりした黒色。
――何のアザだろう。
そう思っていると、ハナマルはぱっと振り返った。
【あかんわ、喋ってたらまたお腹空いてきた。さっさと上がってマオラオくん探そか!】




