第152話『ぼくの将来のゆめは――』
そうしてマオラオを探すためにハナマルやメイユイ、他の隊士からの協力を得てシグレミヤの標準服である着物を身につけ、今日の給食だったらしいカキフライ定食で腹を満たした一行は、2つのチームで探す場所を分担することにした。
1つ目のチームはフィオネとノエルとハナマルだ。彼らはかつてマオラオが足繁く通っていたという大人気の老舗甘味処、『金治屋』を訪れることになった。
2つ目のチームはシャロとノートンとメイユイだ。彼らは山の上にあるというマオラオの母校に行くことになった。
3つ目の場所にして最後の候補である神社に関しては、敷地が広く1チームで捜索するのは難しいので、合流して全員で探すという話になっている。
なお、ハナマルは昼以降も仕事が山積みになっていたのだが、既に午前中にも仕事をしておりやる気が起きなかったとかで、他の隊士に投げてきたようだった。
こんな怠惰な有様でいて、メイユイには『統括能力に優れている』『稀代の女剣士』等々言わしめているのだから、大層不思議な鬼であった。
さておき、最初に目的地に到着したのはフィオネチームの方だった。――が、
【おばちゃーん、『牡丹団子』と『あずき団子』と『きなこ餡蜜』3つずつー! お茶はすげえ熱いやつなー!】
「ノエル、熱いお茶は平気かしら」
「あ……いえ、あまり得意では……」
【ノエルが猫舌だそうだから、1つ冷ましてもらってもいいかしら?】
【やっぱ1個だけめっちゃ冷ましてー!】
人気の店とはいえ座れる席の数は限られており、到着して早々マオラオが居ないとわかった彼らは、ハナマルの提案で休憩を取ろうとしていた。
ハナマルが注文を終えると、3人は店の前に並べられた長椅子の1つに腰をかける。
【今まで色んな国の菓子を食べてきたけど、シグレミヤのは初めてだから楽しみだわ】
【ふふん、うちは生まれてから今までシグレミヤの菓子しか食べたことあらへんけど、どっっっこの国にも負けへん自信があるで! 金治屋のもんなら尚更な!】
組織のリーダー同士波長が合うのか、上品の体現者と下品の体現者でありながら意外にも早く打ち解けて、そんなやりとりをするフィオネとハナマル。
一方、南西語がわからないノエルは彼らが何を言っているのかわからないので、なんとなく肩身の狭い思いをしていた。
特にすることなどもなく、暇潰しに周囲の景色を眺めてみる。途中、店の前を通りかかった鬼達にちらちらと見られて、ノエルは身体を縮こめた。だが、幸い目の端で見られるだけで、特別怪しまれたりはしていなかった。
彼らの興味が数瞬だけにとどまっているのはきっと、メイユイの香水と、ハナマル達が貸してくれたこの衣服のおかげなのだろう、と思う。
本来鬼族は人族よりも平均身長が異様に高く、匂いだけでなく背の高さからもニンゲンだと推測されてしまうことがあるのだそうだ。
この点に関して、元々190センチ近いフィオネはなんら問題なかったのだが、155センチしかないノエルは同年代の鬼よりも10センチ以上背が低いらしく、鬼達の目を掻い潜れるかわからなかった。
そこでメイユイが機転をきかせ――この国ではノエルと同じくらいの身長なのが普通である、10歳から12歳の子供用の服を用意してくれたのだ。
これならこの国にも馴染むだろう、と。
実際、鬼達はノエルのことを貧相な身体つきの子供だと思っているようだった。よくよく観察すると、向けられる視線がほぼ憐れみを含んだものなのである。そう気づいてから彼女は、安心したような不満なような複雑な気持ちであった。
「ちゃんとご飯食べてるんですけど……」
口の中で呟いて、甘味処の娘が渡してくれた冷たいお茶を『ありがとうございます』と受け取ろうとする。が、彼女の言葉は『あ……』だけで止まった。
この国では北東語を喋ることも、ニンゲンとして判断される要素の1つだ。お礼を言うことすら出来ないことに気づいて、ノエルの気持ちはずんと沈む。
元より人との交流が少ない半生を歩んできたが、お礼と謝罪は忘れないように、と親友であったフロイデからは散々言われていた。その言いつけを守れないのと、娘に謝意を伝えられなかったのとで罪悪感がのしかかる。
と、
「そういうときは、【ありがとう】って言うのよ」
ハナマルと楽しげに会話をしていたフィオネが、どうやらノエルの落ち込みぶりに気づいたようで、自身の口元を指差しながらそう言った。
「【あり】……?」
「【あ・り・が・と・う】。最後の発音は口をこう作るの」
娘が菓子を運んでくるまでの間、ノエルとフィオネは向かい合って練習をする。1人練習に混じれないハナマルであったが、彼女は今までのように無理に会話に混じろうとはせず、ニコニコと2人のやりとりを眺めていた。
少しして、2種類の団子を3本ずつ乗せた盆を持った娘が、【お待たせしましたー、牡丹団子とあずき団子ですー!】と明るい声でやってくる。
「――!」
団子という菓子の存在は本で読んで知っていたが、ノエルは今日初めて、団子が小さくこねたパン生地のような3つの塊に串を刺した物だと知った。
牡丹団子とあずき団子、と呼ばれたそれらの片方には砂糖で作られたらしい花が飾られ、もう片方には黒い豆をペースト状にしたらしいものが乗せられていた。
【こちら新商品の牡丹団子の牡丹は、砂糖で作られております。崩れやすいのでお気をつけてお召し上がりくださいー】
食べ方を説明しているのだろうか。娘が何かを言いながら団子の乗った皿を椅子に置いていく。そして、
【それではごゆっくり!】
そう言って、彼女は店の方へ戻って行こうとした。と、
【ありが……ありがとう】
自分でも聞き取れないくらい小さな声が出た。聞こえないものと思ったが、店に戻ろうとしていた娘の足が止まった。
娘は振り返って、顔を真っ赤にしているノエルを見ると、
【――どういたしまして!】
何かを言って、微笑んだ。
何を言ったのかはわからなかったが、初めて言葉が通じたことにノエルの心臓が高鳴った。
娘はそのまま向き直り、店の方へと戻っていく。
「な……なんて言ってましたか。わ、悪いことは言われてませんか」
「まさか。どういたしまして、って言われたのよ」
「そう、ですか……」
ノエルはほっと胸を撫で下ろし、手で扇いで顔を冷ます。顔から火が出そうだ。そういえば冷たいお茶があったのだ、と勢い任せに飲もうとすると、紅茶とは違う苦味が襲ってきて、ノエルはうぇっと顔をしかめた。
「……苦いです……」
【はは、その顔は苦かったんやな? まぁ、慣れてへんと苦いやろな! けど、本来は甘い菓子と合わせて飲むもんやから。その苦味がちょうどええんやで】
「――だ、そうよ」
「そうですか……」
フィオネの通訳に肩を落とし、団子を手に取るノエル。手にしたのは砂糖で花が作られた方の団子だった。昼過ぎの陽を受けて、花がキラキラと輝いて見えた。
*
その頃ジュリオット(ノートン)チームは、マオラオやメイユイが以前通っていたという学校に訪れていた、のだが。
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……山なんか久しぶりに登った……」
山にあるというその学校に行くために、そこそこ長い坂を上がったので、監獄生活ですっかり衰えていたシャロはくたばっていた。
彼1人ではこれ以上先に進めそうにないので、ジュリオット(ノートン)がその見た目に似つかわしくない腕力で少年を抱え上げて、
「見ないうちにかなり整備されたな。もしかして……まだやってるのか?」
「やってるどころか、結構な数の子達が通っているでありますよ。今年の全校生徒は20人ぐらいでしたかね。朝9時に始まって、夕方3時に終わるんであります。あ、今も授業をやっているでありますね」
そう言ってメイユイが指を差した先にあったのは、砂利が敷かれた広いスペースの奥にある、木造りの校舎だった。1階建てで、5つの部屋が横に並んだくらいの長さをしている。窓がガラスで出来ており、こちらから中の様子が伺えた。
遠くからなのでよく見えないが、5部屋中3部屋に人が集まっているようだ。
「この感じだと、マオラオが来てる様子はないな……戻るか?」
「あ、待って! ウチ、マオの学校行ってみたい! ダ……ダメかな?」
「いえ、構いませんよ! 私もシャロさんに話したい思い出がいっぱいありますからね! トンツィ先輩もいいですか?」
「あぁ、構わないが……合流の時間には遅れないように気をつけるんだぞ」
「はーい」
ジュリオット(ノートン)の了承を得て、シャロ達は早速校舎に向かう。校舎の入り口は引き戸になっていて、開けると傍に靴箱が備えられていた。
ここではどうやら専用の履き物に替える必要があるらしい。が、当然シャロ達はそんなものは持っていないので、メイユイに倣って足袋のまま中に入った。
「1番奥が職員室兼保健室、奥から2番目と3番目が教室になっています。4番目と5番目は昔使っていた教室で今は空き部屋でありますね。今から教師の方に見学の許可を取ってくるであります」
そう言って1番奥の部屋に消えていくメイユイ。取り残されたシャロとジュリオット(ノートン)は校内を見回して、
「ここがマオの通ってた場所かぁ……ノートンも通ってたの?」
「あぁ、家業があったからそんなに来てたわけじゃないんだけどな。2年くらい通ってたよ」
「へ〜」
学校に通っていた頃の少年ノートンを想像し、さぞや成績優秀で品行方正な模範的生徒だったのだろうと考えるシャロ。彼はそれから、躊躇いがちに口を開き、
「学校って楽しかった?」
「俺は楽しかったよ。学ぶことは嫌いじゃなかったし、家が窮屈だったから余計にな。……なんだ、シャロも行ってみたいのか?」
「ちょっとだけね! ウチは、行きたかったけど行かせてもらえなかったから」
言葉尻に進むにつれて、語気を弱くしながらシャロは呟く。ジュリオット(ノートン)は特に言及はせずに、『そうか』とだけ答えた。
「うーん……フィオネかジュリオットに言えば、もしかすると体験入学くらいはさせてもらえるかもしれないな」
「体験入学?」
「あぁ。シャロは今も戦争屋の仕事で忙しいだろう。だから、1年や2年通うのは難しいと思う。けど、2週間くらいだったらフィオネも許してくれると思うんだ」
「……怒られたりしないかなぁ」
「止められることはあるかもしれないが、怒られることはないだろう。フィオネもかつては学校に通って、考古学の研究をしていた身だからな。アイツが学ぼうとする意思を軽んずることは絶対にないよ」
ジュリオット(ノートン)がそう言うと、シャロはしばらく考え込む。
「……わかった。オルレオに帰ったら、フィオネに相談してみる。もし説得が難航したら、ノートンも手伝ってね」
「はは、俺もフィオネとの口論は得意じゃないんだけどな……」
苦笑した後、『わかった、約束しよう』とジュリオット(ノートン)は頷く。と、1番奥の部屋の戸が開いて、中からメイユイが姿を現した。
彼女は奥の室内に向かって【失礼しましたー!】と礼をして戸を閉めると、こちらに向かって歩きながら大きく手を振り、
「許可を取ってきたでありますよ〜! 空き部屋と職員室はいつでも訪れていいとのことでした。生徒達には、休み時間に会って欲しいとのことです。授業中に訪問者が来ると、興奮して席を立ちたくなってしまうらしく」
「わかった、ありがとう。じゃあ、手前の部屋から行ってもいいかな?」
「構いませんよ! 見慣れないものもあるかと思いますが、その際はこの私に解説をお任せください」
ふんす、と鼻を鳴らすメイユイ。彼女を背に、シャロはそっと手前の部屋の戸を引いた。からからと音を立てて、戸が横にずれていく。
「お邪魔しまーす……うぇ」
「久しぶりに入りました。何年も使っていないだけあって、流石にホコリ臭いでありますね……窓を開けましょうか?」
「うん、そうしよう……ウチこっちやるね。ノートンそっちお願いー」
「わかった」
手分けをして教室の窓に手をかけ、中々開かないそれに苦戦しつつも部屋に直射日光と風を取り込む3人。改めて教室を振り返ると、陰湿な空気が取り払われて、温かい古めかしさだけがそこに残っていた。
ひびの入った木の机、人為的なものを感じる床のしみ。それらを始めとする部屋の随所に、何故かシャロさえ懐かしさを感じながら、
「ん?」
部屋が暗かったときには目に留まらなかったものに気づいて、シャロはそれに近づいていった。
彼が近づいたのは、壁だ。そこに、縦長の紙が何枚も画鋲で留められていたのである。紙には黒く太い字で何かが書かれている。
「これは……?」
「習字であります。この学校の生徒は在学中に1度、筆を使ってこうした紙に文字を書くんであります。書くのは自分の好きな言葉であったり、尊敬している人の名前であったり」
「ふーん……ノートンも書いたの?」
「あぁ。処刑の影響で撤去されてなければあると思うんだが……俺のはどれだったかな」
壁の端から端までを眺めて、自身の書いた文字を探すジュリオット(ノートン)。なお、紙は全部で40枚ほどしかなかったので、彼が自分の紙を見つけるのにそれほど時間はかからなかった。
「あぁ、これだ。俺の学年が書いたのは『祈願』だな」
「えっ、なんて書いてあるの!?」
「妹の病気が治りますように、だ。当時、妹が目の病気にかかっててな。その回復を祈願して書いたんだ。ちなみに目は無事治ったよ」
「そっか、よかった。メイユイちゃん達は何書いたの?」
「これでありますね」
紙の1つを指差すメイユイ。勢いよく書いたようで、文字が全体的にはみ出している。
「私達の代のお題は『将来の夢』でありました。私が書いたのは『宝蘭組1番隊隊長』であります」
「今のメイユイは隊長補佐だから、このまま実績を上げていけば夢じゃなくなるだろうな」
「そうだと良いのですが……宝蘭組の花形、国家最高の矛とも言われる1番隊の隊長を志望する人は多いですし、そうじゃなくてもまだ現在の隊長からは1本も取れたことがないので……私自身も補佐の座を守るのでいっぱいでありますし」
そう言いながら、げっそりとやつれた表情になるメイユイ。予想以上に大変な生活を送ってきていたようだ。
初めて会ったとき、岬で1人素振りをしていたというのもきっと、補佐の座をキープして現隊長に勝つための努力の1つなのだろう。
シャロは、虚ろな目をするメイユイを『た、大変そうだね……』と労りつつ、
「……こっちは? マオの書いたやつ?」
「こちらはユンファ先輩の書いたものでありますね。『平穏な1人暮らし』と書いてあります」
「こんなことを望んでおいて、実際は王女殿下の教育係になってるんだから、何が起こるかわからないもんだな。ユンファ本人は『望んでなったわけじゃない』って言うんだろうが……あぁ、見つけた。これがマオラオのか」
「へぇ……! 南西語全然わかんないけど、丸っこくて可愛い文字書くんだね。マオはなんて?」
今では戦争屋になっている彼は、幼少期は何になろうとしていたのだろう。ワクワクしながら、シャロは南西語が読める2人に説明を求める。すると、
「マオラオ先輩の夢は――」
「……?」
何故かメイユイの声が震えていた気がして、シャロは彼女の方を振り返る。
彼女は、声から受ける印象らしく悲哀の表情を浮かべていたわけではなく、ましてや笑っていたわけでもなく、平常といった表情で、しかし固まっていた。
メイユイはかすかに沈黙の時間を設け、それから、息を呑んでこう言った。
「学校の先生、であります」




