第150話『知らない店は入れないタイプ』
【けど、なんでニンゲンがこないな場所におるんやぁ?】
そう言って女はヒック、としゃっくりを1つ。天を仰いで酒瓶を逆さまにし、食道を直下させるように豪快に酒を注ぎ込んだ。
警察組織の頭が、仕事場で、朝7時からラッパ飲み――と信じ難い光景を前に、シャロが説明を求める目でメイユイを見ると、
「あぁ、いえ。鬼族はみな酒好きでありますが、寝起きから飲むような人は、私の知る限りではハナマルさんくらいのものであります」
【あ〜? なに言うてんのめーゆい。まぁ何でもええけどさぁ、暇やったら新しい酒持ってきてくれへんー? 取りに行くんだぁるくてさ〜〜!】
【暇ではありませんし、暇でも取りに行かないであります! というか、ハナマルさんお仕事はどうしたんですか!?】
【気分が乗らんかったからやめたぁ! 面倒臭いねん事件簿の作成って! アホかっちゅうくらい資料あるし、殺人やー盗難やーって分けなあかんし。自分とこで起きた事件くらい自分で片付けろよなぁ! 警察頼ってんとちゃうぞ、ボケがぁ!】
「すごい、ウチこの人が何言ってるかわからないのにダメな人なのがわかる……」
「……」
言語の壁を越えて伝わるダメ人間っぷりに、不安を感じ始めるシャロとノエル。シグレミヤの女王に謁見するために助力を求めると聞いていたが、この様子ではとても頼れそうには思えない。少なくとも今のところ。
しかし一方で、フィオネは組長から何か惹かれるものを感じ取ったようで、顎に指を添えて彼女の全身を眺めていた。
メイユイだけでなく組長のことも知っているらしいジュリオット(ノートン)は、シャロやノエルの素直な反応に苦笑していた。
【とにかくハナマルさん、お酒を飲むのは一旦やめてください。この方達を紹介するであります。こちらシャロさん、ノエルさん、フィオネさん】
【そして――】と区切ったメイユイがジュリオット(ノートン)に目配せすると、彼は頷いて自身の頬に触れた。次の瞬間、パッとノートンの姿に戻る。
それを頭が回っていなさそうな表情で眺めると、ハナマルはハッとして、
【アンタ……! ――誰やっけ?】
【もう! ハナマルさん! トンツィ先輩でありますよ! トンツィ先輩!】
【トンツィ……トンツィだぁー!?】
言われてようやく思い出したようで、雷に打たれたように驚愕するハナマル。彼女は酒瓶を持ったままノートンの肩を鷲掴みにすると、
【アンタ、今までどこおったんや!? うちのことわかる!?】
【あぁ、もちろん覚えてるよ。色んな国を転々としてたが、基本的に北東にあるオルレアスって国に居たんだ。この3人も北東で出来た友人なんだよ。俺が言うのもどうかと思うが、出来れば悪いようにはしないでやって欲しい】
【そりゃあ当然。アンタの連れてきた友達に無礼なことするアホちゃうよ。けど、あの万年1人ぼっちのトンツィに友達かぁ! 感慨深いな!】
【あら、そうなの? ノートン】
【ぐっ……わざと悪く聞こえるように言ってるだろう】
【せやで。しかしこの顔っ、この身体っ! キャハーーーッ! アンタも色男になったなぁ! ちょっと堅っ苦しいのが気に食わへんけど!】
ハナマルはグラマラスな肢体を遠慮なくノートンに押しつけ、彼の広い肩や厚い胸板や締まりの良い腰をベタベタと叩き回す。
その色んな意味で過激なスキンシップをノートンが止めようとしなかったのは、ラッキースケベを堪能したかった――わけではなく、ハナマルとの再会の喜びを、抱擁を受け止めることで表現しようとしたからなのだろう。
それにしても距離の近い2人に、シャロは懐疑を抑えられなかった。
「まさか、恋人……とか? いや、まさかねぇ? ノートンがこんなだらしな……ルーズな人が好きなわけ……」
「いえ、シャロさん。ボク恋愛小説で読みました。人は自分にないものを恋人に求めてしまうそうです。ノートンさんは几帳面な方ですから、もしかすると……」
「こら、聞こえてるぞお前ら」
苦笑するノートンはそう言って、首に腕を回すハナマルを引き剥がす。
脚が長く身長も高いハナマルだが、それ以上に背の高いノートンに掴まれると、相対的に一般的な身長に見えるのだから不思議だった。
【んにゃー】
「――昔、俺はこの国の王家……カンナギ家って一族に仕えていてな。城を警備する役目についていたんだが、そのとき同僚かつ同年代だった唯一の奴がコイツだったんだよ。だから、まぁ……昔の仕事仲間だ。恋人じゃあないよ」
「ホントにぃ〜?」
「ホントホント。なんでシャロは俺とハナマルを恋仲にしたがるんだ」
そう困ったように笑うノートンを、シャロは猫のように開いた目で凝視。少しでも嘘らしい素振りがあれば摘発してやろうという表情だ。
そこへ、得意げな顔で胸を張ったメイユイが『ちなみに』と切り出し、
「昔のハナマルさんは当時、宝蘭組の前身である『霧雨隊』の第1番隊隊長に選ばれた、稀代の女剣士として有名だったんでありますよ! 警備に呼ばれたのも、その実力を前国王陛下に認められたからなんであります!」
【あぁ? なんやぁ、うちの自慢話かぁ? 悪口だったら許さんよ?】
わからない言葉で会話をされ、辛うじて自分の名前だけ聞き取ったハナマルが、ハナマルの華々しい経歴を語るメイユイをじと目で見る。
「!! 稀代の女剣士……ですか?」
「はい。それに対人の能力にも優れていて、国全体に顔がきくんであります。今でこそこんななりではありますが、本気のハナマルさんは凄いんでありますよ! ですから、ちょっと不安にさせたと思いますが、安心して頼ってください」
どん、と胸を張るメイユイ。彼女は、ハナマルの手から酒瓶をすぽんと奪い取る。
【あ! うちのお酒!】
【お酒はあとで沢山飲んでください、であります! 今は私とこちらの方々から、ハナマルさんに相談があるのであります!】
【うっく、ひっぐ……えっ、相談?】
【はい。とりあえず、談話室に移動しましょう。東屋が近いとハナマルさん、またお酒が飲みたくなって話に集中できなくなると思いますから】
そう言ってハナマルの手首を掴み、中央の屋敷へ向かうメイユイ。彼女らの会話を通訳したノートンに案内され、残り3人も屋敷の中に入っていくのだった。
*
【はぁ、なーるほどねぇ。アンタらの仲間が血霧に干渉してぶっ倒れてもーたから、それを治してもらうために女王に会いたいと。ふむふむ】
談話室に移行した後、水を飲んで少しだけ酔いが覚めたらしいハナマルは、豊満な胸の下で腕を組みながら頷いた。
談話室は、畳という草を編んだ床材と、障子という白いドア? がベースの空間となっており、異様に低く、広く、長い木の机が中央に置かれた部屋だった。
椅子らしきものはなく、代わりに平たいクッション? が添えられていて、一同は各々自由な体勢でそのクッションに座っていた。
リーダーや年長者の位置なのだろう、長机の端のあたりに座るハナマルは【ふーむ】と唸る。
【よし、わかった。その願い、叶えてやってもええで。シグレミヤの解放は、うちにも利益がある話やしな。しかもちょうど、うちはシグレミヤを守護する宝蘭組の組長ってことで、女王に取り次ぐ権利があるし】
【……! いいのか?】
【あぁ。けど、代わりにトンツィ。アンタに頼みたいことがある。これは、アンタにしか出来ひん】
【俺にしか出来ないこと……?】
【まぁ、とりあえず前提として、今のシグレミヤについて話させてもらうな】
そう言ってハナマルは、滔々と語り始めた。
まとめると、こんな風であった。
昔からニンゲン弾圧の動きがあった花都『シグレミヤ』だが、現在シグレミヤを治めている女王は特にその思想が強く、鎖国令を敷いたうえ女王に背く者を始末する戒厳令を敷き、徹底的にニンゲンやその文化を排除する動きを見せていた。
女王が何故そこまでニンゲンを嫌うのかは、今まで本人の言及がなかったため、戒厳令の発布から3年経った今でも未だに判明していない。
が、彼女の強固な思想を作った原因として考えられている1つが、彼女の抱える『歴史から背くことへの恐れ』というものだった。
実は花都『シグレミヤ』の建国以来はじめての女性の王であり、更には20代と最年少で王位に就いたという女王。
彼女は非常に責任感の強い鬼であり、この鬼の国が長い間汲んできた排他的な流れを、自分の代で崩すことは許されない、と強く思っているようなのだ。
そんな先人に支配されたような考えで行われる圧政など、ニンゲンを排除する思想がない鬼達にとってはいい迷惑だ。そうでなくても生活を厳しく管理されれば、不満を持ち、王政を破壊するため蜂起を計画する鬼達が現れてくる。
中には直接女王の命を狙う過激派などもおり、彼女はかえって命の危険と背を合わせる事態になっていた。
なお、女王は血を操る能力者――この国では妖力使いと呼ぶようだ――であり、それら謀反者を小指で捻るほどの圧倒的な力があるのだが、たとえば城を爆破しようとするような輩が現れれば、彼女とて対処することは不可能だ。
故に不安要素を撤廃するため、女王は神薙城に携わる者以外の全ての国民との謁見を停止しているのだという。
【けど――女王は城の関係者以外にも、ある条件を持ってるやつとの謁見を許すって決めてる】
【どういう奴なのかしら】
【女王の婚約者に、志願する者や】
「はぁ?」
メイユイの通訳を受けて、シャロが声をひっくり返す。
曰く、こういうことらしい。
女王は先程も言ったように、花都『シグレミヤ』最初の女性の王である。だが、彼女は歴史から背くことを恐れている鬼だ。つまり、彼女にとって女である自身が王座に就くことは、紛れもない『過去への違反』なのである。
王位継承者――自身や妹のカンナギ・マツリなど、前国王の子全員が女性でさえなければ、とても受け入れ難い事実なのだ。
そんな中、この国を正当に男国王の統治国家に戻すには、方法は1つしかない。女王が後釜を任せるにふさわしいと判断した誰かが、女王に婿入りすることだ。
そのために、女王に婚約を申し出る者のみ、謁見が許されているらしい。
【そんで女王にバシッと告白して、国王として王位を譲ってもらえれば、戒厳令を終わらせる権利も血霧を解除させる権利も手に入るっちゅうわけや】
【……それ、本当に俺じゃないとダメなのか? 貴族がこぞって婚約を申し出に行きそうな気がするが】
【あぁ、実際結構な人数が押し寄せたって話やで。単純に国を支配したいやつ、メイユイみたいに外の世界に行きたいやつ……いろんな思惑を持った奴らが、眩い黄金の指輪やら過去の実績やらを引っ提げて訪問した。けど】
ハナマル曰く、一刀両断だったそうだ。理由は女王よりも弱いから。弱いと言っても実際に手合わせをしたわけではなく、顔を見ただけでそう判断されたらしい。
【でも、トンツィ。アンタやったら女王のお眼鏡に叶うことも出来るはずや。アンタは単純なパワーじゃあ、この国の男の中でいっちゃん強いからな】
【そんなことはないだろう】
【……あーあー。天然にしろ嫌味にしろ、実力のあるヤツの嫌味といったら気持ちが悪ぅてしゃあないな。代々カンナギ家の守護を務めてる、シェイチェン家のアンタが最強ちゃうんなら、一体誰が最強になるんや? あぁ?】
【まぁ……確かに俺は人並みより強いだろう。けど、悪いが……俺は女王とは婚約できない】
【……気持ちはわかるけど、今はそないなこと言うてる場合ちゃうんやろ? 血霧の病の治療方法なんか女王しか知らんで? それに、いずれこの子らがニンゲンってバレる日が来る。国の方針を変えへん限り、ここに長居は出来ひんよ?】
【あぁ、わかってる。でも……出来ないんだ】
【――】
頑ななノートンの姿勢に、少し怪訝そうな顔になるハナマル。メイユイや、メイユイの通訳を受けたシャロとノエルも同様だ。一方、南西語も独自でわかるらしいフィオネは不自然なくらい澄ました顔をしていた。
【――ハナマルは、俺がシグレミヤを離れた理由を知らなかったな】
【……! せやな。アンタ、突然居なくなったし】
うちにも理由を言わないで、とハナマルは口を尖らせる。
時間が経った今だからこそそれくらいの反応で済んでいるが、当時はかなりのショックがあったのだろう――ということが何となく伺えた。
沈黙する全員からの視線を受け、ノートンは視線から隠れようとするように眼鏡の縁と縁に指を当てて、片手全体で眼鏡を押し上げた。
【――俺は数年前、漂流してきたニンゲンを内密に保護していた。それが前国王陛下に知れて、国外追放を命じられたのがきっかけで、ニンゲンの世界に出たんだ】




