第149話『飴のちからも舐められない』
午前の買い出しをしていた、または商品を売り捌いていた町人達と、見回り中だったらしい宝蘭組の隊士に囲まれて、少女を捕らえた男衆の1人が叫んだ。
【近づくな、女王に言いなりの腰抜け共! そして聞け! 民衆よ! これより我々はマツリ第3王女を使い、シグレミヤへ謀反する! 従う者はついて来い!】
「な……なんなの? なんて言ってるの? あの人達」
南西語が理解できないシャロは、張り詰めた空気と異様な光景に異常事態であることだけは察しながら、隣のジュリオット(ノートン)に説明を求める。と、
「あー……どうやらアイツらは、この国で蜂起を起こそうとしてるみたいだ。シグレミヤの第3王女を盾にして、町の人達が持つ国への逆心を演説で煽り始めた」
「お、王女様!?」
「あぁ。無論、このままにするわけにはいかないんだが……」
そう言って、苦い顔をするジュリオット(ノートン)。
振る舞いや身体の作りから、彼らの実力は剣術を多少かじった程度――つまりノートンの相手ではないと見て取れたのだが、少女が人質に取られているためか、流石の彼も手詰まりのようだった。
しかし、
「……」
先に到着していたメイユイは、彼らの要求を無視して距離を詰めていった。
その行動にシャロや男達は動揺するが、男達に羽交い締めにされた王女は助けを乞うでも非難するでもなく、じっとメイユイを見守っていた。
「メ、メイユイちゃん……!?」
【な、なんだこいつ! 紫色の制服……宝蘭組の幹部か!? おい、女! 近づくな! 近づいたらこの王女様のキレーな指が落ちるぞ! 聞こえてんのか!】
動揺しながら刀を構え直し、王女の指に刃を添える男。研ぎ澄まされた鋼に細い指が反射で映ったのを見て、ようやくメイユイは立ち止まった。
サイドテールにした灰銀の髪と、花の刺繍を入れた紫の振袖が風になびく。
【――1つ、お聞きしたいのでありますが……貴方がたは一体何のために、王女殿下を捕らえているのでありますか?】
【そんなん決まってンだろ、シグレミヤの解放をあのアマに要求するためだ! 冷酷で有名な女王サマも、唯一残った肉親の第3王女には甘ぇって話だ! 王女を人質にされちゃあ、アイツも俺らの要求を呑まざるを得ねえだろ!】
メイユイに問われ、腹立たしそうに吐露する男。その声は乱暴なようでいて、今にも泣き出してしまいそうに震えていた。当の被害者であるマツリ王女も、男の発言にはどこか思うところがあるような表情だった。
それから男は悲しげに目を伏せると、乱雑に目元を拭って、
【頼むよ、見逃してくれ……わかるだろ。上手くいけば、俺達ぁみんなこの狭っ苦しい国から出られるんだ。暗黒の時代が終わるんだよ……!】
【――なるほど】
男の訴えを受けて、メイユイは考え込むように目を瞑った。
【……仰る通り、気持ちは痛いほどわかります。ですから、出来ることならこの宝蘭組・第1番隊隊長『補佐』である私も協力したかったのですが……残念ながら、選ぶ手段が悪かったですね。――国家反逆罪で全員、現行犯逮捕しますッ!】
かっ、と目を見開いたメイユイ。彼女が男3人に向かって両手をかざした瞬間、その手の内側が淡い紫色に光り、光の中から謎の物体がシュッと現れ出る。
宝石のような光沢と透明感があり、液体のような柔軟さも持ったその物体は、虹色に輝きながら蛇のように男達に絡みついていった。
【なっ、なんだこれ……っ! 甘ッ! しかもベタベタしやがる……!】
【そう、飴であります! 私の妖力、『虹鋼変舞』の力ッ!】
【飴だぁ!?】
まさかの正体に声をひっくり返す男。そうしている間にも、男衆の身体のほとんどが虹色の水飴に覆われていく。
彼らの中では最も被害の少ない、王女を羽交い締めにしている男も、肩や肘といった関節が固められ、王女には手を上げられないようになっていた。
ところが、
【はん、甘いな! 妖力使いはテメーだけじゃねえんだ! かかれ!】
メイユイとやりとりをしていた男がそう言い、自身の周囲に青い陣を生み出す。すると陣から青く輝く狼達が現れ、次々とメイユイに襲いかかった。
【――ッ!】
メイユイは息を呑み、地面に向かって片手をかざす。次の瞬間、地面に飴で出来た虹色の柱が生え、メイユイを下から突き飛ばした。
上空に投げ出されるメイユイの身体。だが、体勢は安定している。彼女はある程度の高さまで飛ばされると、地上に顔を向け、人差し指と親指で丸を作った。
そして、
【フーッ!】
シャボン玉でも作るかのように、丸の中に息を吹き込むメイユイ。
直後、丸から何かが連射される。――飴玉だ。機関銃の弾丸のように高速で放たれる虹色の飴玉は、男の使役する狼達を的確に穿っていった。
【なっ……】
【とどめの、かかと落としーーッ!!】
メイユイは高らかに叫び、落下しながら車輪のように回転。同時に、突き出した脚の先端が描いた軌跡から、七色の輝きを内包する水飴が生まれ、それが回転の風圧で地上へと叩きつけられた。
その衝撃で弾けた水飴は周囲に広がり、狼達は上から水飴に覆い被さられ、青く光る塵となって消滅した。
遅れて落下してきたメイユイは、先程自身を跳ね飛ばさせた柱に着地してから、飴まみれの地上にひょいと降り立った。
【王女殿下! こちらへ来れますか!】
【えぇ、メイユイ!】
ぱぁっと顔を輝かせた王女は、自由の利かなくなった男の腕からもがいて抜け出す。そしてメイユイに飛びつき、促されるまま彼女の背後に回った。
【く……クソッ……!】
憎々しげにメイユイを睨みつける男衆。そんな彼らには目もくれず、メイユイは周辺に居た宝蘭組の隊士を集めると【牢屋に入れておいてください】と命令。
隊士達は揃って敬礼し、水飴だらけの橋に乗り込んでいった。
「どうやら解決したみたいね」
「けど、これ……散らかった液体? はどうするんでしょうね……」
男衆が連行された後、わらわらと集まってきた民衆に称えられ、鼻下を擦るメイユイを遠巻きに見ながら話し合うフィオネとノエル。一方、メイユイがやんややんやと称えられる光景に、シャロは何か既視感があるなと首を捻る。
その既視感の正体が、アンラヴェルの遠征の時に酒場で見た青年――フロイデであることに気づいたのと、メイユイが民衆から解放されたのはほぼ同時だった。
周囲に散らかった飴を魔法のように一消しした彼女は、マツリ王女を引き連れながら『すみません!』とシャロ達の元に戻って来ようとして、
【王女殿下ー】
不意に空から降ってきた、何者かの声に邪魔をされた。
*
やる気がなく腑抜けた、少年と青年の中間くらいの声だった。
声が聞こえた方向を見上げると、そこにあったのは2階建ての木造建築物だ。そしてその建物の屋根の上に1人、背の高い少年が座っていた。
綺麗な少年だった。その肌は雪のように白く透き通り、顎や鼻のラインは細く、精巧に作られた人形のように思えた。肩まで伸ばされ、ハーフアップにされた黒髪は絹糸のようにさらりとしており、服装と同じ瑠璃色の目は知性を感じさせた。
ただしそれらを全て台無しにするほど、彼は無気力の塊だった。目は眠たげに落ちかけており、背は僅かに前傾している。美しいが覇気のない人物だった。
それでいてまとった衣服――袖や裾が広がった装束の上に青色のベストを重ね、腹から同色の布を垂らしている――の上質さから、それなりに身分の高い人物であることが伺えたのだが、それに気づいたのはフィオネだけだった。
少年は屋根から飛び降りると、高さなど関係ないかのように身軽に着地。
【ユンファ先輩!】と嬉しそうに声を上げるメイユイと、何故か怯えた様子でメイユイの後ろに隠れる王女に近づいて、大きめの溜息をついた。
【殿下……また賊に捕まったんですか。……勝手に外出るなって何回……あー……めんどくさい。とりあえず、帰ったら反省文……書いといてください……】
【ひーっ……もうしないのですわ、ごめんなさいですわっ。だからユンファ、反省文10枚の刑はおやめになってっ】
ユンファに首根っこを持ち上げられ、未熟な手足をバタつかせる王女。華奢さも相まって猫のような愛嬌があり、つい可愛がってしまいそうになる。
しかしユンファと呼ばれた少年は冷淡に、ハァと2度目の溜息をつき、
【その、もうしないっていうの……20回くらい言ってるんですよ……。大人しく授業を受けていれば……反省文を書く必要もなかったのに……はぁ。全く……外に出るたび賊に捕まって……外に出るの……怖くならないんですか……?】
【怖くありませんわ! メイユイがいつも助けてくれるもの!】
【…………はぁ。いつも悪いな、メイユイ……】
無邪気なマツリ王女に額を押さえ、苦笑いのメイユイを労るユンファ。
彼は、欠片も反省していない少女をどう叱るべきか考えながらふと、メイユイが駆け寄っていたことを思い出し、戦争屋一同の居る方向を振り返る。
【そういえば、そちらの御仁……は……】
と、そこで言葉が途切れた。どうやら彼らの纏った囚人服やスーツ、つまりシグレミヤではあり得ない服装に嫌な予感がしたらしい。綺麗な顔を露骨に歪めて、
【……手短に説明してもらえるか】
【あぁ、紹介します! まずはこちら、なんとトンツィ先輩であります! 今はこんなガリガリの姿になっておられますが、正真正銘の本物でありますよ!】
【……は? は? トンツィ先輩って……あのトンツィさんのことか……?】
【はい! それでこちらが左からシャロさん、フィオネさん、ノエルさん。ここだけの話ですが、この御三方は……ふふ、あの『ニンゲンさん』なんでありますよ】
【は……!?】
最後の部分だけ耳打ちされ、気怠げだった目を見開いて、思わず掴んでいた王女の首根っこを手放すユンファ。彼は、4人の顔を順繰りと見ながら後ずさる。
なお、落とされてぺたんと地べたに座り込んだ王女は、彼の無礼を咎めることもなく【貴方が驚くなんて珍しいですわねっ】と2人のやりとりに興味深々だった。
【ど……どうして……ニンゲンなんかを連れてきたんだ……。なんで、わざわざそんな面倒臭いことを……戒厳令のことは……お前も知ってるよな……?】
【はい、もちろんであります】
【じゃあ、どうして……こんなことをしてる】
【……実は、『血霧』が発生する直前に海域に入ってしまったため、この方達はあと20日近くシグレミヤから出られないんであります。そのうえ、既に『血霧』に触れて倒れてしまった方もいて……ですから、助けて差し上げたくて】
【は……? 助ける……? 鬼がニンゲンを……?】
正気を疑うような目をして、メイユイと戦争屋一同を見るユンファ。その紺碧の双眸には1度強い怒りが灯ったが、面倒臭さが勝ったのかすぐに鎮火する。
そんな一瞬を見逃していたメイユイは、思い出したように『あっ』と声を上げ、
「皆さんに紹介します、こちらはユンファ先輩。すごく頭が良いです。そしてこちらは花都シグレミヤの第3王女、【カンナギ・マツリ】殿下にあらせられます! ユンファ先輩はなんと、王女殿下の専属教師なんでありますよ! 凄いでしょう」
「へぇ……」
ぺらぺらと全員の素性を白日の下に晒すメイユイの説明に、フィオネが口元に手を添えて怪しい思案顔。それを見てジュリオット(ノートン)が頭を抱え、
【ユンファ! わたしにも状況を説明してくださいましっ!】
体勢がなんとなく落ち着くのか、ユンファに落とされて以降地べたに座り込んだままのマツリ王女が、くいくいと少年の腕を引いた。
しかし、自分がインプットした情報の整理さえついていないユンファは、【ちょっと待ってください……】と断ってジュリオット(ノートン)に近づく。
【……あの。本当に、トンツィさんなんですか?】
【あぁ。今は他人の姿を借りてるが……信じられないと思うなら変身を解こう。人目につくと困るから、そこの小道に入る必要があるが】
【いえ……面倒臭いんで、そこまでしなくていいです……けど、そうですか……】
そう言ってうつむいた彼は恐らく、これ以上深入りすれば面倒事に巻き込まれると思ったのだろう。再び怠そうな表情に戻って、マツリ王女の二の腕を引いた。
【城に戻りますよ殿下……経済学の続きです……】
【えっ、待ってちょうだい、結局この方達はどなたなのかしら、ねぇ、ねぇってば!】
結局話に加われないまま、連行されていくマツリ王女。彼女が小さい身体でどたばたと暴れ回る姿は微笑ましさがあるが、王女様という身分を思うとユンファの不遜な接し方は罪に問われないのか疑問でならない。
そう思っていると、彼らを見送っていたメイユイが不意に笑みを溢した。
「うん?」
「あぁ、いえ。ちょっとした思い出し笑いでありますよ、ふふ。……昔のユンファ先輩は年下の、しかも女の子を見るなんて死んでもやらないような面倒臭がりでありましたから。相手が王女殿下とはいえ、変わったんだなぁと思いまして」
「今でも十分面倒そうだったけどね……でも、そうするとなぁに? 2人は幼馴染なの?」
「はい。幼少期からの付き合いであります。最近はお互い忙しくて、中々会えていなかったんですけどね。でも、居場所がわかっているだけ良いものであります」
そう言ったメイユイの表情は、言葉の内容とは裏腹にどこか憂いを持っていた。そのことに本人も気づいたようで、彼女はハッと我に返ると手を叩き、
「――さて! 想定外の事件が起こりましたが、気を取り直して! 宝蘭組に向かいましょう!」
と笑った。
*
そうして彼らは再び、宝蘭組の屯所に向かって歩き始めた。
逃げ出したマツリ王女を追って逆走してきたため、曰くあと少しだった距離が何倍にもなって到着に時間がかかったので、その間戦争屋一同は、メイユイに先程の男衆に関する説明をしてもらっていた。
「最近多いんでありますよ。あぁいった花都シグレミヤの体制に不満を持ってて、あの手この手で解放させようとする集団。幸い1つ1つは小さいんですが、全体の数が尋常でなく……彼らの対処に追われる日々であります」
「つまり、それだけ不満を持ってる人が多いってことですね……」
相槌を打つノエルの瞳は、在りし日を映していた。
彼女もかつては特殊能力『操り人形』の持つ恐ろしさが故、生まれてからすぐに外の世界との関わりを絶たれた人間だ。そのため、今のシグレミヤの国民にも共感できてしまうところがあったのだろう。
「でも、女王の考えは変わらないみたいね。どうしてそんなに頑ななのかしら」
「……実際にどうかは分かりません。ただ、ユンファ先輩やマツリ王女の考えでは、女王はどうも過去に……あっ、見えました!」
かなり気になるところで話を中断し、進行方向を指さすメイユイ。それに従って目を向けると、木造の家屋が並ぶここ一帯で一際目立った塀が見えてきた。
そして門の前までやってくると、メイユイは門に背中を向けて片膝立ちをし、
「――ようこそ! 我が宝蘭組の屯所へ!」
バッ! と開いた両手を門に向けた。シャロとノエルは、ぱちぱちと拍手で応える。
「それで、今更なんだケド屯所って?」
「隊士達のお家みたいなものであります。本来は駐屯する場所の1つとして建てられたのでありますが、今の隊士はほとんどが訳ありで帰る家を持たないので、自然とそういう扱いになっていますね」
丁寧に説明しながら、メイユイは門を押し開けた。
中に広がっていたのは庭園だった。定期的に手入れをしているのだろう、青さの違う複数の種類の木々が、低木や岩で整えられた石畳の道に影を落としていた。
庭園の中央には、年季によるものか重厚感のある1階建ての広い屋敷があった。
「多分、今頃であればあそこに居ると思うのでありますが……あ、やっぱり居たでありますね」
「え、どこどこ?」
「あそこであります。小屋っぽい建物が見えるでしょう?」
ほら、とメイユイに指をさされ、示された方向に目を向けるシャロ達。そこには彼女の言う通り、小屋風の小さな建物があった。
全体的には円柱に近い形状で壁がなく、柱だけでその傘状の屋根を支えており、屋根の下にはベンチや丸いテーブルが置かれている。いわゆる東屋だ。
そこで、1人の女性がふんぞり返っていた。
【ハナマルさーん! ただいま帰りましたー!】
東屋に近づいていったメイユイが、中の女性に手を振りながら大声を上げる。すると女性はこちらに気づいたようで、ふらふらと立ち上がり、
【お〜!】
「……ん?」
様子がおかしい、と訝しむシャロ。
その手前、女性は何かを持って東屋から出てくる。手にしているのは、瓶だ。
【お疲れさーん! なぁメイユイ、アンタも喉乾いとうやろ? 今から2本目開けるとこやってん、あ、後ろのお客さんも一緒にどや〜?】
「ちょ、ちょっと待って、いま朝の7時とかだよね!?」
「ですね」
あることに気づいて顔を見合わせるシャロとノエル。そんな2人の困惑などお構いなしに、その人物はふらふらと千鳥足で寄ってきた。
170センチはゆうにある、これまた背の高い女性だった。目が覚めるような鮮やかな薄紅色の髪を、メイユイと同じサイドテールにしている。が、長さは毛先が肩に触れる程度で、またメイユイとは反対に猛々しく跳ね散らかしていた。
着物の色もメイユイと同じ紫色だったが、デザインが彼女とは大きく違った。
ジャケットやプリーツスカートなど、どこか北東の文化を感じるメイユイの制服とは違い、着物がベースになっているのだが、特筆すべきはその露出度の高さだ。
ここまで来るともうわざとなのだろう。襟が大きくはだけており、両肩や豊満な胸の上側が大きく露出している。着物の裾は大きくカットされており、腰回りの布が尻を覆い隠す程度の役割しか果たしていなかった。
そのお陰で露出している、着物の裾と鉄製の膝当てとの間――真っ白で柔らかい領域は、神々しいまでの光を放っていた。
一言に色気のある女だった。ただ、妙にムンムンとしているのはきっと、格好や凹凸に富んだ肉体のせいだけではないのだろう。
【あ? その格好……なんや、もしかして外のお客さんかぁ〜?】
そう言って、顔を赤らめた彼女は酒瓶を片手にヒック、としゃっくりをした。




