第14話『悪夢の始まり』
その頃、付近の偵察のため宿屋を出ていたペレットは、緩い傾斜をした青緑色の屋根に乗って、国都を見下ろしていた。
「1時間じゃ終わらないか……これは時間かかりそーっスねぇ」
自分に言い聞かせるように呟き、彼は国都の地理を把握しようと周囲を見回す。
まず大雑把な街の形だが、宮殿を中心に円状に広がっており、推定高さ10メートルの壁に囲まれている。この壁から内側を『国都』と呼ぶようだ。国都の道路も同じく宮殿を中心に四方八方へ伸びており、蜘蛛の糸というような印象を受けた。
建物は基本的に壁は白、屋根は青緑で統一されている。
3〜4階建てが多く、それらの建物のほとんどは2階から上が住宅地で、1階は何らかの店という造りになっているようだった。
「とりあえず、宮殿の近くから回るか……」
屋根に積もった雪を踏み、滑らないよう慎重に歩くペレット。
傍目から見ると、(一応今日の積雪量は少なかった。とはいえ)こんな雪の日に屋根の上を歩いているペレットは、さぞや頭のおかしなやつに見えることだろう。
だが、もちろん何も考えずに歩いているわけではない。高さのある建物が多く、地上からでは周囲が見渡せないという問題を考慮した上での行動だった。
そうしてペレットはしばらくの間、アンラヴェル国都を探索していた。
しかし、これといった情報は手に入らなかった。そも、国都の住民はこの時間帯に外に出る習慣がないらしく、国都中を探しても、人の影1つ存在しなかった。
――何も、ない。
というとつまらなく聞こえるが、面倒なものがなくてよかったと考えるべきか。ペレットはぼんやり思いながら、パーカーのフードを目深に被った。
もし何者かと戦闘になった場合を考えて、動きやすいようあえて厚めの防寒着は着て来なかったのだが、要らぬ心配だったようだ。何なら今は、この気候のせいで風邪を引かないかどうかの方が心配である。と、
「……?」
不意に視線を受けた気がして、ペレットは背後を振り返った。
その時だった。
「――ッ!?」
突然、ペレットは腹に重い衝撃を受けた。
「がッ……!」
傾斜の緩い屋根の上を、勢いよく転がるペレット。
勢いのままその身体は屋根の端まで転がり落ちるが、少年は身体の前側を屋根にべったりとつけることで回転を殺した。
しかし運の悪いことに、その屋根は凍っていた。ペレットの身体は、ズルズルと情けない摩擦力を披露しながら落ちていって、下半身を屋根から落としてしまう。そして胸まで落ちかかったところで、重心が一気に下半身にかかり落下。
――すんでのところで、ペレットは屋根の軒を掴んでいた。
だらんと垂れた身体が、揺れる。
「あっぶな……」
そう呟いて、真上を向いたその時。ふと、ペレットは人と目が合った。
純白のローブを身に纏い、仮面で顔を隠した奇妙な人物だった。
それを視界に認め、ペレットからエッと間抜けな声が出ると同時。白装束は、手のひらをペレットへ向けた。
瞬間、伸ばされたその手が救いの手ではないと確信したペレットは、自身の特殊能力『空間操作』を発動。軒先から姿を消し、白装束の背後へと回る。
直後。白装束の手のひらから、銀色の光を帯びた風の塊が発射。が、風は射程圏内からペレットを失って、ただ真っ直ぐに弾けた。
――刹那、空間を揺るがしたバゴゴゴッ! という音は、発射された銀の風が道路を叩き割る音だった。道路を形成していた煉瓦の欠片や、コンクリートの粒が全方位に飛ばされ、軒から片腕で垂れ下がるペレットにも針のような痛みを与える。
「――!」
なんて攻撃なのだろう。ペレットは息を飲んだ。心臓が強く脈を打っている。あと数瞬遅れていたら、自分もあの道路のように破裂していたのか。
とにかく、
「近接はこっちの不利か……」
白装束の人物の危険性を、明確に理解したペレットは、後方へ瞬間移動。ある程度の距離を取ったところで、即座に片腕を広げた。
その瞬間、ペレットの背後に20はあろうかというナイフの群れが顕現、それらの刃先は揃って同じ方向――白装束の方へと向けられ、
「ふっ!」
短く息を吐き出すと共に、ペレットはナイフを飛ばす。
するとナイフの群れは風を切り、仮面の白装束へ真っ直ぐに疾走した。
そのうちのいくつかが胴体に刺さったが、白装束はたじろぐことをしなかった。衝撃波でナイフを吹き飛ばして被弾数を減らし、凍った屋根の上を軽快に走行。
手を伸ばせば届く距離まで、ペレットに近づいた。
「――!」
あまりの近さにペレットは鼻白んだが、咄嗟に仮面の白装束を掴む。が、同時にガラ空きの鳩尾、そこに白装束の腕がねじ込まれ、風の塊が打ち出されて、
「ぐっ!?」
まずい、と思ったその瞬間には、吹き飛ばされていた。
宙に浮くペレット。そのままぐるぐると視界に映るものが変わり、腹への衝撃と眩暈とで生温かく、酸っぱい何かが胃から込み上げてくるのを理解。
それを懸命に抑えながら、ペレットは再度『空間操作』を発動した。
移動した先は、寸前までいた屋根の上だった。
重力を理解した途端、胃の中で暴れ回っていた酸っぱいものが一塊になって、食道を駆け上がろうとしてくる。
「お……」
おぇ、と吐き出したくなるのを、ペレットは我慢した。食前でよかった。これがもし食後だったら、我慢は出来ていなかっただろう。
ちかちかする目を抑え、首を振って平常を取り戻す。
ひとまず態勢は立て直した。
ペレットは周囲を睨みつけ、消えた白装束の姿を探した。動き回る紫の視線は、まるでやじりのように鋭く研がれ、
「――そこか」
およそ30メートル先、衝撃波を小刻みに放出しながら、屋根を飛び移って逃げる白装束の背を見つけ、ペレットは手品のように利き手に銃を召喚。
次に白装束が屋根に着地した瞬間、ペレットは引き金を引いた。
放たれた弾丸が、吸い込まれるように白い背中に刺さった。
白装束が転倒して、屋根の向こう側へ消える。地面に落下したようだ。ペレットは再び『空間操作』を使い、白装束が消えたポイントまで移動した。
――だが。
「ちっ」
白装束の姿は、そこにはなかった。
数滴分の血痕だけが、そこに残っていた。血の跡がどこにも続いていないのを見るに、どうやらこの状況を見ていた誰かが白装束を連れていったようだ。
「ハーッくそッ……共犯か」
獲物を逃してしまった事実に込み上げる苛立ち。彼は強くこめかみを掻く。
あの白装束は一体、何者だったのだろう。
わからなかったが、少なくとも『こちら側』の人間には違いない。身のこなしも軽やかでかなり戦闘に慣れているようだったし、何より、命を奪い慣れている者の動きをしていた。衛兵や、少し腕に覚えのある一般人ではないのは明らかだった。
となると恐らくは、過去にペレット達が殺害した奴らの関係者、あるいはその関係者に差し向けられた殺し屋の類か。だとしたら、少し厄介なことになる。
「ギルさん達に報告するべきか……」
まだ偵察を続けていたいが、これは非常事態。
至急、宿屋に戻ってギル達と情報を共有するべきだろう。そう判断したペレットは苛立ちを無理やり溜息に変え、その場から姿を消すのであった。
*
特殊能力を長い時間使う、または短い時間の中で何度も使うと、能力者は心身どちらかにひどく負担をかける――というのは、この世界では有名な話だ。否、有名というよりもはや、『走ると疲れる』と同じような基本概念レベルの話である。
(何故か『神の寵愛』のギルは例外だが。)
しかし、『走ると疲れる』とは違い、その現象の原因は判明していない。
能力を使用する際に、生命力を犠牲にするだとか。
能力が引き起こす超常に身体がついていけず、負荷を抱えるからだとか。
専門家や医学者・能力者本人たちの間でも噂や説しか挙げられず、未だに真実は判明していないのだという。
「……っく」
ペレットも能力者の人間。
短時間に瞬間移動を連発すれば、当然のようにその現象は起きた。
長距離を走り切った後のような、酷い疲労感が彼の全身を襲う。
体力は微塵も残っておらず、まるで自身がゴム製の人形になったのかと錯覚するほど肉体を重く、遠く感じ、ずっと寝ていたい――そんな気持ちが大きくなる。
ペレットはその怠惰な気持ちに従って、宿屋のベッドで伏せて寝ていた。
こうなることを予測して、自らベッドの上を移動地点に選び、余力を振り絞って最後に能力を使ったのだ。
「……すげぇ脱力感。これは起きる気なくしますわ」
「おい、一体何があってそーなってんだよ」
――つい先程、突然ベッドの上に現れたペレットに、幽霊と遭遇したかのような反応を見せたギルが尋ねる。なおその手は、菓子を乗せた皿と自身の口の間をひっきりなしに動いていた。それを一瞥し、ペレットは枕に顔を埋めかけながら、
「能力を使いまくったんスよ。あ、俺にもそれください。あーんで良いっスよ」
「ふざけんな。なんで俺がお前に食わせなきゃなんねェんだよ」
「いやぁ、ちょっと糖分に飢えてて。何か食べたいんですけど、ご覧の通り身体が動かないんです。だからアンタが俺に食わせるしかない。わかります?」
「全くわかんねェ。なんで人のものを当然のように食えると思ってんだお前」
「え、食えないんスか? 偵察してきてやったんスよ?」
「おっまえ……まァいいわ、仕方ねェな。けど、欲しいんだったら上向け上。てめーはケツの穴でモノ食ってんのか? だったらケツに入れてやるけど」
「うわなんスかケツとか急に気持ち悪。近づかないでください、この変態」
「ホントなんなんだお前」
『やる気なくしたわ』と吐き捨てて、クッキーを口に放るギル。
すると、ペレットは溜息を吐きながら身を起こし、
「しゃーない、そろそろ起きますか。あ、シャロさんとマオラオくんを呼んできてもらっていいですか? 全員に共有しときたい話があるんスよ」
「うーん、めんどくせェ。運んでやるから行くぞ、隣の部屋」
「えっ、ちょ」
血相を変えるペレットの手前、立ち上がって皿を机に置いたギルは、残りのクッキーを全てペレットの口に押し込み、うつ伏せる少年の片足を掴んだ。
そしてそれを引っ張って、ペレットをベッドから引きずり下ろし、
「もごっ」
呻くペレット。落ちる寸前身を捻ったため、顔面を打ち付けるのは回避するも、代わりに頭がダメージを受ける。だが、痛がっている余裕はなかった。彼はそのままギルに引っ張られていき、シャロとマオラオが居る隣の部屋に辿り着いた。
ギルは部屋の扉に向き直ると、ペレットの足を持つ手とは逆の手でノックをし、
「……何してんねやあんさんら」
出てきたマオラオに、白い目で見られた。
*
そうして遠征組4人は、宿屋に来て初めて全員での対面を果たした。
「んで、なぁに? 重要な話って」
事前に軽い説明を受け、話を聞く態勢に入ったシャロが、部屋に2つあるベッドの内の1つに座ってそう尋ねる。
それを受けてペレットは、話の始め方を少し悩むと、
「先程、国都の偵察中に刺客……と思しき人物に襲われました」
「え!?」
「風を撃つ能力を持った奴でした。目元には仮面、服は白いローブ。体格的に目立ったところはなく年齢や性別は不明です。俺に不意打ちが出来て、動きが俊敏で、被弾しても耐えられる胆力がありました。相当慣れています」
「おい、ちょっと待て。刺客って、このタイミングでか?」
怪訝そうな顔をして、割り込んでくるギル。彼の疑問はもっともだった。
自分たちの拠点は港町オルレオの住人に割れている以上、外部にもその情報が行き渡る可能性が十分にあるので、もし『拠点で狙われた』のなら納得が行く。
しかし今は遠征中。遠征先がどこであるかを町民に教えることはまずないため、遠征先での強襲はかなり不可能に近いのだ。刺客などあるはずがない。
そんな意味の込められたギルの問いを、理解していたペレットは、『まぁ』と言って首をすくめ、
「遠征中を狙ってくること自体は、不思議なことでもないでしょう。遠征中の方が人数も割れて戦力が手薄になりますし。ただ、どうして遠征のタイミングとその行き先が割れてるのか……そこに関しては、最悪身内を疑う必要がありますね」
「えぇ……流石にそれはないでしょ……ウチらそこそこ戦争屋してるし、今更裏切る理由なんてないじゃん。単にダブルブッキングしちゃったんじゃない? ほら、どこか別のグループも、神子さんを狙ってたんだよ多分」
「それはそれでめんどー臭いんで嫌っスね……とにかく、最悪の場合の話っスよ。俺だってその可能性は考えたくありません。ただ、こういう世界で生きていれば、裏切りの可能性なんて常について回りますから」
そう言って肩を下げつつ、ペレットはこの中に居るかもしれない『内通者』に圧をかけるように『ねぇ?』と語気を強める。と、全員が硬い表情で黙り込んだ。
特に怪しい様子の者も居ないので、少なくとも、ギル・シャロ・マオラオの内の誰かではないと思いたいが――そうなると、拠点に残っているメンバーまで疑わなければならないのか。もっとも、あの3人はもっと『ない』気がするが。
「――あの、それで……ソイツは、刺客は仕留められたんか?」
「……いえ。残念ながら逃してしまいました、すみません」
「そうか。まぁ、まずはペレットが無事で何よりやな。でも、このままソイツを放置するのも危険やろし……今から俺が探してこよか? その刺客」
いま先程、ペレットに威圧されたのを引きずっているのか、やけに緊張したような口調で尋ねるマオラオ。だが、ペレットは首を横に振って、
「いえ、明日からの為にも体力は残しておきたいですし、潜まれやすいですから、夜間の野外での戦闘は危険っス。なので捜索はせず、外出も控えてください」
「……わかった」
珍しく真剣なペレットの言葉に、マオラオを始めとする全員が頷いた。




