第114話『愛の名を冠した呪い』
旧スプトーラ学院・3階、科学準備室。
謎の液体が入った小瓶や空のビーカー、フラスコ、数百万ペスカはしそうな精密機械が収納された棚が並ぶ、薬品臭い小部屋の中。ペレットとセレーネの2人は、黒く無機質な物体を戸棚の中にしまっていた。
先日から、拠点中に隠して回っているこの物体の正体は――爆弾である。
「これで85個目……と。……やっと、全部仕掛け終わりましたね。付き合ってくださって、ありがとうございます、セレーネさん」
「うふ、こちらこそ手伝わせてくれてありがとう。あとは起爆スイッチを押して、校舎丸ごと吹っ飛ばすだけなのよね?」
「はい。ただ、1つだけ……問題がありまして」
まず、今回ペレットが立てた計画の最終目標は、『戦争屋に戻る』だ。
もちろん、そんな都合のいい願いが簡単に叶うとは思っていないし、おおよそ不可能だと思っているので別ルート――セレーネと逃避行する場合のシミュレーションも念入りにしているくらいだが、ひとまず1番の目標はそれである。
ただ、ペレットは今まで散々彼らを裏切り、敵対し、容赦なく攻撃をしてきた。
自分自身の評価としても、それらは容赦のないものであったため、それによってダメージを受けた者のほとんどは、ペレットに恨みや殺意を抱いたことだろう。
そんな中で再帰して、『また仲間にしてくれ』などとほざき始めるペレットを、彼らは再び仲間として受け入れられるか――否。断じて、否だ。
それで受け入れられたら、逆にペレットの方から彼らの正気を疑ってしまう。
まぁ、つまるところ、今の戦争屋からのペレットに対する評価は、受け入れるに値するものではないだろう、という話である。
そして、ここからが本題なのだが。
「俺は散々、戦争屋の人たちを裏切ってきました。拠点は燃やしましたし、殺人未遂だってした。だからきっと、彼らの中での俺に対する評価は『最悪』でしょう」
「あら、ペレットくんを『最悪』だなんて。見る目のない奴らだわ……と言いたいところだけど、私の死んでいた間にけっこう手酷いことをしたのね」
複雑そうな表情をするセレーネ。ペレットに甘い彼女でも、こればかりは擁護しきれないと判断したのだろう。気まずそうに目を逸らしながら、口元に手を添える少女の姿に『う』と詰まりつつ、ペレットは首肯することで己の蛮行を認める。
でも、あの時はあの時のペレットなりの覚悟があった。だから今でも、あれは間違った行いではなかった、と思っている。無論、正しくもなかったが。
「けど、その評価をひっくり返すためにヘヴンズゲートの拠点を爆破しよう、って思ったんでしょう? それに何か問題が?」
「はい、その……爆破の予定を、変更しなきゃいけなくなりまして」
「変更って、爆破はしないってこと?」
「いや、爆破までの順序を入れ替えるんスよ――ッつーのも、」
まさか今日、戦争屋がヘヴンズゲートに宣戦布告をする、なんてことは全く想定していなかったペレットは、拠点中に爆弾をしかけ、セレーネと共に安全圏から起爆スイッチを押せばいい、などと楽観的にことを構えていた。
しかし、こうして戦争が始まり、戦争屋をはじめとするオルレアス王国の戦力がスプトーラ学院に侵攻を始め、
「1階で乱戦を繰り広げているこの今。起爆スイッチを押してしまえば、連鎖した爆発は戦争屋陣営にも甚大な被害を与えることになります」
その場合の人的被害は、両陣営それぞれ数百、数千でも足りるかどうか。
場合によっては戦争屋の戦力を大きく削り、彼らに喧嘩を売るのと同然の行いをすることになり、いよいよ本格的に再加入の希望が潰えてしまう。
「だから、本来は爆破の後に戦争屋と会う予定だったんスけど……変更して、先にフィオネさんという人に会いに行きます。それで、この学院内にいる戦争屋陣営に退却命令を出してもらって、学院内から彼らがいなくなったら起爆しようかと」
「……あぁ、そういうことね。……気まずい?」
顔を覗き込むように小首を傾げるセレーネ。さらりと流れる、太陽の輝きを閉じ込めた少女の横髪を認めつつ、ペレットは吐息をしながら肩を落とし、
「気まずいか気まずくないかで言えば、超気まずいっスよ。本来の順番だったら手柄ぶら下げて帰れるんで、そこまで気まずくなかったはずなんスけどね」
「じゃあ、代わりに私が会ってあげましょうか? そのフィオネ? さんと」
「あんた、俺をなんだと思ってんスか一体……俺がちゃんと、直接会いますよ。子供じゃないんですから。それに、いつまでも貴方に頼るわけにはいかな――」
と、そこまで言いかけて、ペレットは口を止める。
そうだ、ここで言わなければ。このタイミングを逃せば、自分もセレーネもきっと、踏みとどまる場所を見失ってしまう。ここが、分岐点だ。
「あの、セレーネさん」
ふと、深妙な面持ちで、静かに少女の名を呼ぶペレット。
彼は少しのあいだ言葉選びに迷った後、被っていた純白のフードを外した。そして、『何かしら?』と真っ直ぐに向けられた翡翠の瞳に視線を合わせ、
「……本当に、俺に同行するつもりですか」
「……え?」
瞬間、彼女の顔がきょとん、と間抜けな表情に上書きされる。
当然の反応だった。今まで2人で離反の準備をしてきたのに、ここに来てそんな質問を投げかけられたのだ。ペレットと生涯を共にする覚悟など、とっくのとうに出来ていたセレーネにとってその問いは『今更』というほか言葉はなく、
「えぇ、そのつもりだけ……ん、ゔゔん。声が」
驚いたせいか開口一番、発音が間抜けになってしまった。
「……急にどうしたの? ペレットくん。今さら私の覚悟を疑う気かしら? 愛の証明が足りないというのなら、今からだっていくらでも――」
「――違うんです。俺……改めて、考えたんです。それで」
ひったくるようにセレーネの手首を掴み、彼女が纏っていた白装束の袖をたくし上げるペレット。露わになったのは、少女らしい線の柔らかさを持った腕だ。
そこには手首から二の腕までを、蛇が1匹這っているような白い刺繍がある。
いつ見ても、本当に忌々しい糸だ。
年頃の少女の全身に、それも本人の許可なく縫い付けられたものなのに、これがなければ少女の身体は朽ちてしまうなんて――そう苛立つ気持ちを抑えつつ、ペレットはその刺繍に関して発言を続けるつもりだった。
しかし、
「きゃ!?」
急に二の腕まで開けっ広げにされたセレーネは、掌で少年の頬を強打。横っ面に紅葉を貼り付けられ、ペレットはひっくり返って棚に衝突する。
その衝撃でかんからと、棚の中のガラス容器がぶつかり合い、
「あっあっ、あれ?」
その音を聞きながら、セレーネは払った手を空中で彷徨わせて目を白黒。
「ご、ごめんなさい、びっくりしちゃって、つ、続けて?」
「いえ、あの……すみませんでした。それで……」
じんじんと痛む頭を押さえながら、ペレットは立ち上がる。そして、今の衝撃で馬鹿になってはいないだろうか、と左右に首を振って、
「セレーネさんの身体は現在、ハクラウルさんの呪力を込めた糸を、全身に通されて擬似的に生かされている状態にあります」
「え、えぇ……そうらしいわね。『生かされている』なんて実感は全くないんだけれど……でも、この感情すらも偽物、なのよね……」
小さな手を胸元に添え、自分の中に『心』を求めるかのように、痛ましげに目を瞑るセレーネ。その姿には、どこかちくりと痛むものがある。
今の彼女は、呪術と特殊能力の掛け合わせによってただ、『セレーネらしい振る舞い』をしているわけだが、果たして今の彼女は『偽物』なのだろうか。自分が本物でないと嘆く姿はあまりにも人間的で、じっと見ていると混乱してくる。
「――今の貴方を本物というのか、偽物というのかはわかりません」
「――」
「ですが、何にせよハクラウルさんに呪力の供給を止められてしまえば、セレーネさんはまた死体に戻ってしまう、ということに変わりはない」
「そう、ね」
「そして、ここからが問題なんですが」
ハクラウルは、今でこそペレットとの約束――というか、彼にとってはアドから下された命令でしかないのだろうが――により、呪力を少女に流してくれている。
だが、もしハクラウルにセレーネが離反したことを知られた場合、それ以降も呪力の供給が続けられる、という可能性は期待薄だ。
何せ離反し、戦争屋陣営につこうとするセレーネを生かし続けるということは、敵への援助と同意義なのである。敵をわざわざ生かしてやる義理はない、と供給を打ち止めにし、セレーネを死なせに来る可能性の方が圧倒的に高いだろう。
だから、
「貴方は……まだ、ここに残るべきだと思うんです」
「……え?」
「そして、貴方に呪力の供給が続けられている間――俺は、貴方を救う方法を探します。貴方を連れ出すのは、その方法が見つかった時」
そう告げるとセレーネは、裏切られた幼児のような、ひどく悲しみに打ちひしがれた顔をして、薄い唇を震わせた。
「そんな」
ペレットに尽くすことが生き甲斐、といっても過言ではない彼女にとって、この宣告はセレーネ=アズネラという人間の全ての否定に等しかった。
しかも、ハクラウルの呪術に代わり、セレーネの生命を維持できるものがあるとするなら、それもまた高度な技術を必要とするものなのだ。そう簡単に見つかりはしないだろうし、下手すれば2、3年は余裕でかけることになる。
そして、新しい方法を見つけに行くということは、それだけの長い間ペレットを1人で戦わせるということだ。
今後、少年がうまく戦争屋と和解して、戦争屋が味方になってくれればいいが、本人から話を聞いている限りその望みもかなり薄い。
更に、それらが全てセレーネにとって都合の良いように進んだとして――。
「私……貴方が戻ってくるまで、ここでずっと待ってなきゃいけないの? 何年かかるのかも、貴方がその時どこにいるのかも、わからないまま……」
ペレットに1人で行動をさせる恐怖心と、終わりの見えない孤独感。それらにまた、精神をすり減らさなければいけないのか、と。
独り言のように、か細い声が唇から零れ落ちる。
「……どうして?」
その問いに、ペレットは答えなかった。でも、その沈黙こそが答えになっていたし、セレーネ自身、何故ペレットがこんな選択をしたかはもうわかっていた。
「私……呪力の供給のことに気づかれたら、貴方に置いてかれるかもしれないって思って。ずっと、わざわざ黙っていたのに」
「……もし出発が1日早ければ、そのまま脱走していたかもしれませんね」
離反の準備や、それを悟られないように立ち回るので精一杯で、ペレットは昨日まで、供給のことには全然気づいていなかった。
しかし今朝、気づいてしまったのだ。
「……ごめんなさい。でも、どうか少しだけ待っていてください。どうしても、貴方が死んでしまう可能性を払拭したいんです。……セレーネさん、これを」
そう言ってペレットが握らせたのは、小さな無線機であった。
豆粒ほどのサイズのものであり、現在は電源が入っていることを示すように、ライトグリーンに点滅している。
「これと繋がっている無線機を1つ、俺が所持しているので、お互いの状況はいつでも確認できます」
「……」
彼なりにセレーネのことを考えて作ったものなのだろうが、そうじゃない。
そうじゃないんだと、あまりにも鈍すぎる少年につい突っ込みを入れてしまいたくなるが、今はその元気すらもからっけつだった。
「だからどうか、俺だけで外に向かうことを許してください」
嘆願。真摯に乞うペレットの声が、科学準備室に吸い込まれていく。最中、窓の外、急に暗くなり始めた空から雨が降り出し、部屋の窓を数粒の雫が叩いた。
静寂が降りた小部屋の中、雨の音だけが響く。
長い長い、息が詰まるような沈黙の時間。2人だけのこの空間で、セレーネは目を瞑って思考を巡らせ、ペレットはその帰結を待っていた。
「――いいわよ」
ふと、絞り出すようにセレーネが呟く。
すると何故か、願いをした側のはずであるペレットが、『本当に良いのか』と言いたげな表情で顔を上げた。
「でも、ただで引き受けるわけにはいかないわね。これは、ほんの交換条件」
歩み寄ったセレーネの手が、体温の低いペレットの頬に触れる。少年はぴくりと眉を上げたが、特に抵抗はしなかった。されるがまま、少年の、黒い前髪が細指にかき上げられる。普段、猫っ毛に隠れている白い額が空気に触れた。
少女が背伸びをする。それほど身長に差はなかった上、少女は底の厚いパンプスを履いていたため、背伸びをした少女は少年の背丈を僅かに超えた。
「なに、を……」
流石に少女の挙動が怪しく思えたのだろう。
尋ねようとした少年の動きが直後、止まった。
――額に、キスをされたのだ。
「……え」
少年は一瞬、何が起きたのか理解が出来なかった。だが、少女が距離をとってもなお額に残る感覚に、顔を真っ赤にしてぱくぱくと口を開閉。
「なん、なな、なに、を」
壊れたロボットのように再び問うペレットの手前、セレーネはその顔に年相応の悪戯な笑みを咲かせ、
「――しばらく女を待たせるのよ。これくらいはさせて貰わないと、ね?」
良いものが見れた、と言わんばかりに、指でペレットの鼻をつつくのであった。




