番外編『ペレット=イェットマン生存録』④
殺戮を繰り返す日々から解放され、幸せになりたい。
そんなささやかなペレットの夢は、合同任務の事件が終わって任務の継続命令が下され、処罰を逃れた後も、彼が自身を見失わないための強い芯となっていた。
どんなに苦しいことがあっても、その願いだけが自分を、狂いそうな日々の中で理性と繋ぎ止めてくれていた。
しかしその日、ペレットは、夢という概念があまりに脆いことを知った。
「……なに、が」
震えた自分の小さな声が、渇いた唇を滑り落ちる。
ペレットの目には、あらゆる感情が渦を巻いて浮かんでいた。
――ぱちぱちと、弾けるような音を立てながら、灼熱が全体を飲み込んでいる。木製の建物ゆえ、非常に燃えやすいのだろう。崩れ落ち、新たに上から降り注いできた燃料に、ゆらめく橙の光が体積を広げた。
目の前でこうして燃え盛っているのは、スプトーラ旧学院だ。どちらかといえば、だったもの、と言った方が似合うくらいには焼け崩れているが。
肺を侵食する苦い煙と、温度を増す熱に顔を炙られ、生理的に浮かんだ涙を溜め込みながら、ペレットは目を細めた。
「ベラー、モン……ユーゴフ……。レイア……!」
煙を吸い込んで以来、じくじくとした痛みを訴える喉を無視して呼んだのは、同期生たちの名前だった。彼らは皆、人生のほぼ全てをこの学校で共にしてきた、ペレットが心を許せる数少ない仲間達だ。
ぱっと3人の顔が脳裏に浮かび、ペレットは反射的に学校の方へ走り出そうとする。ここで助けなければ、一生後悔すると思った。
だが、
「――ペレットくん。もう、無理よ……」
感情を押し殺したような、セレーネの声に引き止められ、横を見る。そこには、眩しく肌を焦がされながらも、どこか恍惚と頬を緩ませる金髪の少女がいた。
「……ッ」
唇を噛む。このまま、ここで見ていることしか出来ないのだろうか。
いいや、それよりも――そもそも何故、こんなことになったのだ。
夜間は皆就寝しているはずで、火事の原因になるようなことは起きないはず。それにもし何らかの偶然でボヤ騒ぎがあったとしても、真っ先に教師陣が動き出して消火をするはずだ。
何せこの学校の生徒は、今やスプトン王国の戦力の大半を担っているのだ。
それらがまとめて焼死すれば、スプトン王国は敗北したも同然。特殊暗殺者の力なしではスプトン王国はディエツ連合国に対抗できないので、何が何でも生徒を死守をしようとするだろう。
しかし予想とは裏腹に、教師陣の姿は一向に見つからなかった。
まさか。嫌な予感がして、ペレットの全身が粟立ったその時。
「――やぁ、無事だったか、ペレット=イェットマン」
不意に、静かな威圧感を持った低音が、ペレットの名前を呼んだ。
瞬間、心臓を素手で鷲掴みされたかのような錯覚に陥り、ペレットは凍りつく。
息が止まって、自然と目を見開いた。何者かが発した声に空間を支配され、指先から唇まであらゆる部位が時を止める。
その中で唯一、力強く動いていたのは心臓だ。心臓は何度も強く脈を打って血液を循環させ、凍りついた世界の中で辛うじて、ペレットに己の生を自覚させていた。
「……すまない。怖がらせてしまったかな。でも、あまり私を恐れないで欲しい。私は君に敵意はないんだ。どうか、こっちを向いてくれないか」
腹の奥底まで響く声は、どうやらペレットの背後から発されているようだった。
声だけでこちらを萎縮させる人物。確実に只者ではないとわかっていたが、その人物の機嫌を損ねてしまえば、それこそ命の保証はない。そう考えたペレットは、恐る恐る振り向き、そして――
血と煤に塗れた白い装束の集団と、それを率いる軍服姿の男と対面した。
「あぁ、私を見てくれてありがとう。いやなに、私はどこにでもいる普通の男だ。名前は……まぁ、基本的に伏せているんだが、話しにくいと不便だろう。現状は神様と名乗っておこうか」
「――神、様?」
途端、威圧感よりも胡散臭さが勝ち、ペレットの眉根がわずかに寄る。
そんな反応を見て、神様と名乗った男は思い出したように慌てて『あ、いや!』と手を振って否定を示し、
「決して自称とかではないからな! 勝手に周りからそう呼ばれるんだ、そう、だからそんな目で見ないでくれ、私は別に自分を神格化するような痛々しい人間じゃあない! 信じて欲しい!」
「いや、別に、痛々しいなんて思ってな――」
思ってない。そう言いかけて、口が止まる。
隣でへたり込むセレーネが、ペレットの気持ちを代弁するかのようなタイミングで呟いた。
「……いつのまに、後ろに……」
――そう。ペレットもセレーネも成長途中とはいえ、特殊暗殺者としてそれなりに鍛えられてきた身だ。一般人はもちろんのこと、精神を研ぎ澄ませた剣士が相手であろうと、多少は気配を察知できるようになってきている。
だというのに、彼は突然背後から声をかけて、2人を驚かせたのだ。
この状況で現れる時点で、一般人ではないのは明らかだったが――今、それが確定した。こいつは只者ではない。こいつの滑稽な言動も、恐らくはこちらを欺くための芝居だ。油断してはならない。
一体、こいつは何を持ちかけてくるのだろうか。ペレットは頬を引き締め、目の前の男と白装束たちを睨みつける。
すると、
「……うむ。やはり不信感は拭えないか。こんな時だ、当然といえば当然なんだろうが……まぁ、いい。とりあえず、お話をしようじゃないか」
「……話?」
「あぁ――率直に言おう。この学校を燃やしたのは、私だ」
*
それから男は、スプトーラ学院を燃やした理由をとうとうと語り始めた。
「私達は、天国のように満たされた世界を作ることを目標としていてね。その活動の地盤となる大陸を欲していたんだ。そして、今1番簡単に手に入りそうなのが、君たち中央の人間だったんだよ」
というのも男曰く、中央大陸に属するディエツ連合国・スプトン王国・デルガ王国、3つの国が『不信戦争』を始めたのは約10年前。
この間、人材的にも資材的にも激しい消耗を繰り返した3つの国は、お互いかなり弱ってきており、外部から攻撃をされれば、なすすべもなく潰されるような状況にあったらしい。
「正直、何故今まで他の国から狙われて来なかったのか、不思議でならなかった。もしや介入するデメリットがあるのか? 手を出さないことこそが利口なのか? と考えて、一時期は様子見をしていたんだが……」
結局デメリットが思い浮かばなかった男は、漁夫の利よろしく、争いあっている3カ国をまとめて手に入れるために、活動を開始したのだという。
「この数日間、3カ国の色んな場所を壊して回ってきた。ディエツの城砦施設やデルガの王城……主に、戦力が集中している場所を」
「……そうして、色んな人達を殺してきたんですか」
「あぁ、争うための力――この国で言うところの、特殊暗殺者。君たちのような存在を生かしておくと、何をされるか分からなくて怖いからね」
そう語る男曰く。戦力となっている人間達を虐殺された両国は、呆気なく男の率いる組織に降参し、持ちかけられた取引に応じたらしい。
「全く、愉快な話だとは思わないか? 1つの組織が介入しただけで終わるような戦争を、君たちは10年も続けてきたんだ。その間に、どれだけ無駄に使われた命と時間があったか。……もはや、計り知れないな」
「……」
「いい加減、戦争は神聖なるものだとわかって貰いたいものだよ。命、そして時間という名の、この世でもっとも高価なチップでやる賭け事なんだからな」
「――それなら」
多くの兵士や暗殺者を殺して回ったお前も、同じ罪に問われるんじゃないのか?
皮肉を言おうとしたペレットだったが、発しようとした言葉は吐息となって、火に炙られた夜の空気に溶けていく。
そうか、この男は等価交換だと思っているのだ。
戦力を殺せば中央大陸が手に入り、天国だかなんだかを作る活動の範囲を広げることに繋がる。そしてそれを良いことだと思っているから、自分のことはすっかり棚に上げているのだ。
こんな男に皮肉を言ったとして、イカれた答えが返ってくるだけだろう。
「……やめておきます。それより。この学校を燃やして、大勢の特殊暗殺者を殺したということは、スプトン王国も他の2つの国みたいに手に入れようとしてるんでしょう? ……俺らのことも、見逃すつもりはないんですか?」
「ん? あぁ、君たちを……特に君を殺すつもりはそれほどないよ。君の持つ特殊能力は、極めて稀有で素晴らしいものだ。殺してしまっては勿体ない」
「……! どうして、俺の能力のことを……」
「まぁ、君には遥か昔から興味があってね。なんだったら、私の組織に引き入れたいという気でいるんだよ。だからそうだな、私の下につけば生かす、そうでなければ殺す……という風にしようか?」
黄金色を宿した目を細め、ゆったりと口角を持ち上げる男。彼がふと吐いた言葉に、ペレットの思考が止まる。この男は今、なんと言った?
『君には遥か昔から興味があって』?
『私の組織に引き入れたいという気でいる』?
それが本当ならば、ペレットが校舎外へ脱出できたのは奇跡でも、必死に逃げたおかげでもなく。ただ意図的に逃がされていたから、ということになるのか?
ペレットの居場所を事前に知っていて、彼が逃げるためのルートだけは後回しにして校舎を燃やしていた――?
おぼつかない頭で思考を巡らせ、少年はある1つの疑問に辿り着く。
仮にその場合、もしセレーネがペレットに同行していなかったら、もしペレットとは別の道を通って逃げていたとしたら、彼女は今頃――。
ぞっと背筋を凍りつかせるペレットの手前、男はウェーブがかった金髪を撫で、少年の思考を見透かしたかのように呟く。
「あぁ、ちなみに隣の彼女には本来用はなくてね。別に君が居れば事足りるし、死んでしまっても構わないと思っていた」
だが、と言葉を紡ぎ、
「彼女は非常に運が良いな。彼女の寝室からは遠かったはずなのに、真っ先に正解のルート――君を生かすために残した、まだ全焼していないルートまでやってきた」
「――」
違う、彼女の運が良いのではない。
自分で言うのは気が引けるが、彼女はペレットの身を案じて、わざわざペレットの寝室までやってきたが故に、正解のルートを辿れたのだ。
もしも彼女が、自身の安全を1番に考えるような人物であれば。より外への脱出口が近い通路を通っていただろうし、その結果彼女は死んでいただろう。
「私は居なくてもいい……って、じゃあここで私を殺すの?」
「いいや。私はそこまで非人道的な人間ではない。それに奇跡というものは、それが起こった時、起こるに値する理由がつくものでね。彼女がここで生き延びたのにも、何か理由があるんだろう。せっかくだ、彼女にも選択肢は与えるさ」
言い切られ、ペレットの唇から安堵の息が溢れる。
決して安心できる状況ではない。共に生き延びてきた同期はほぼ全滅し、訳の分からない集団に囲まれて、まだ緊張の糸は緩まない。
だが、セレーネの命がここで終わらないとわかっただけで、救われたような気持ちになった。
ただし、セレーネ本人は未だに気を緩めない。頬を強張らせ、次に男の口から飛び出す言葉を警戒していた。
「どうも、浮かない顔だね」
目つきを鋭くするセレーネに、肩を竦める自称神様。彼はそれからペレットとセレーネ、2人の顔を交互に見やると、
「さて、どうする? 私に服従するか、それともスプトン王国の腐りかけの名誉と共にここで散るか。未来は自由に決めていい。より幸せだと思う方を選びたまえ」
今日で生存録完結する予定でしたが、諸事情で来週も投稿予定です。
そのため、第111話の更新日は4月中旬に移行します。すみません!




