幕間4『Episode of Heaven's Gate』
何百歳も年下の小娘に、この自分がしてやられた。その事実が余程腹立たしかったのだろう。イツメは客観的にそんなことを思いつつ、首のない少女の身体を小脇に抱えながらスプトーラ学院の廊下を歩く。
別に生かしたままでも良いはずだった。しかし気づいていた時には殺していた。最近はこんなことばかりである。
「……」
自分がカッとなりやすいのは嫌というほど理解している。でも、いつでも弱者を見下ろす存在でありたいという意識から、力関係が少しでも覆されそうになると慌ててしまうのだ。昔からずっと――。
「……?」
道中、見慣れた人間が転がっていた。イツメは足を止め、気晴らしに遊んでやろうと思い、なるべく加減をしながら横っ腹を蹴りつける。
「おい、芥」
「ブォェッ!?」
とんでもない奇声を上げて、倒れていた男が軽く吹っ飛んだ。5メートルほど奥へと飛んで、ころんと転がり落ちると今度は激しく咽せる。あんなに加減したのにまだダメージを喰らうのか。ニンゲンとは全く厄介な種族である。
「ウヌは何故ここで伏しておったのじゃ。答えよ」
「げっほえっほ……あの、イツメちゃん、明らかにボクが体調悪くてここに倒れてたのわかってたよネ!? 蹴り起こすのはちょっと酷くないかな!? いや、加減してくれたんだろーしその事実だけで萌え死ねるけどさぁ!」
「煩い。はよ答えんか」
やたらと急かすイツメを前に、男はよろめきながら立ち上がる。片目を覆う紺の髪がさらりとなびき、一瞬奥にある目が覗いた気がした。
「ぐふっ、げふ……Dr.ロミュルダーの薬、イツメちゃんも聞いてるでしょ。それ飲んでひと暴れしたら、薬切れた途端に体力全部持ってかれた……」
「たわけが。訳のわからんものに手を出すからそうなる。しばらく、己の無謀を恥じているが良い」
「残念ながら、恥じる暇すらないんだよ……頭もガンガンするんだ。トンツィ=シェイチェンが救援に来てるってわかって、慌てて逃げた後だから尚更ね……心拍数とか酷いよ? イツメちゃんに抱きしめられた時とおんなじくらい」
「わらわはウヌを抱きしめたことなど1度もない。……して、トンツィ=シェイチェンと今、そう言ったな。そうか……あの男もこの国に来ているのか……」
興味深そうに呟くイツメ。そんな彼女の顔をバーシーは膝に手をついてどうにか立った状態で見上げ、不服そうに口を尖らせた。
「えーちょっと、あの人ってボクの恋敵な感じ? 鬼族が相手は厄介だなぁ」
「いいや、わらわはあの男は好いておらぬ。当然、ウヌのこともな。ただ、あやつには因縁があってな……よし。あの男がもし戦争に参加した場合は、わらわがあれの相手をしよう。今決めた」
「えぇ、鬼族同士でバトって大丈夫なの……? 中央大陸丸ごとぶち壊れたりしないかな……って、あ? その子って……」
ふと、イツメが小脇に抱えていた首無し少女の遺体に気づくバーシー。少し見開かれた糸目に気づいたイツメは『あぁ、』と溢し、
「何か情報を聞き出すついでに人質にしようと思ったんじゃがの。つい殺してしまったから、適当にあの陰気くさい男のところに放り込んでおこうかとな」
というのも最近の彼――ハクラウルは、呪術を使った、死んだ白装束から非能力者の天使への『特殊能力の移植』というものをしているらしく、彼ならばミレーユの死体も有効活用してくれるのでは、と考えたのだ。
半分、ゴミになったから手放したいという気持ちもあるが。
「はぁ、なるほど……あ、イツメちゃんが珍しく影移動してないと思ったら、頭を冷やすために歩数を稼ごうとしてたんだね」
「うるさいぞ、口を縫われたいのか」
「イツメちゃんになら縫われても構わないけど、これからはちょっとキスしにくくなるのは流石に困っ……」
「さも今までにしたことがあるかのような口をきくな。……とにかく、この小娘を殺すのにウヌの部屋を使った。わらわは後始末はせん、ウヌがどうにかしろ」
そう言い捨てて、イツメは早々とその場を後にする。残されたバーシーは一瞬ぽかんとした後、遠ざかるイツメの背中を見ながら『え?』と漏らし、
「……は!? え、ちょっと待ってイツメちゃん!? 嘘でしょ!? ボクこんなに疲れてんのに自分の部屋血塗れにされてんの!? え、まって、イツメちゃーーーーーん!??」
*
――知識とは財産だ。金銀財宝にも変えがたい唯一無二の財産。
だから、それを得続けるためにアドと交換条件を取り決めたのである。
呪力から生まれる人間――『呪い人』を作る代わりに、先に自分をヴァスティハス収容監獄から出せ、と。そして解放された自分は、約束通りノロイビトを作り、
「そ・れ・が、まさか……こないち〜さな女の子になるとはなあ……。娘を持つっちゅうんは、こないな気分なんかぁ……?」
金髪褐色肌の青年――アバシィナは、自身の膝で眠る少女・エラーの頭を大きな手で撫でながら呟いた。
ここはスプトン共和国、スプトーラ大森林のど真ん中である。オルレアス王国からの偵察隊が侵入したと聞いて、呪術の研究をしていた自分はエラーを1人で向かわせたのだが、中々帰ってこなかったため探しに来たのだ。
そして呪力枯渇で気絶しているのを見つけ、今に至る。こうして今アバシィナの呪力を彼女の身体に供給しているので、もうじき目覚めることだろう。
しかし、
「……髪ぃ……ぐっちゃぐちゃになってもうたなぁ……」
恐らくその辺で転がり回ったせいなのだろうが、枯れ草が絡まりヘアゴムが緩んでいるエラーの髪を見て、結び直してやろうかと浮かせた手を、アバシィナは一瞬ぴたりと止めてから空中で彷徨わせる。
アバシィナの意図とは無関係に、地面につくほど長い水色の髪の毛を持って生まれてきたエラーなのだが、髪を切ろうとしたらアドに『結ってあげればいいじゃないか』と言われ、何度かチャレンジするも全て失敗。
結果『得意そうだから』という理由で、その辺をほっつき歩っていたバーシーを脅して髪をツインテールにしてもらった、という逸話が実はあるのだが、
「ワシも、そろそろ覚えなあかんのかなぁ……?」
などとぼんやり呟きながらエラーの髪の毛をいじっていると、供給が足りたのか少女の口から『うぅん』という可愛らしい声が漏れ出した。少しして、膝の上で眠っていた少女は眠たげに目を開けて、
「パ……パ……?」
「お〜、せやで〜! あんさんのおとんでありおかんやで〜。……あぇ、そう考えると単体生殖になるんか……? えぇどないしよ、ワシミジンコやん!? フフ、ヘッ、ミ、ジ、ン、コ……ッ。ブッ、ハーーーッハッハッハッハ!!」
くだらないツボにハマってしまい高笑いをするアバシィナの真上、中央大陸の広大な空は燃えるような赤色に染まっていた。
*
旧美術室、今では完全に医務室となっている部屋を出て、アドとハクラウルはそれぞれの目的地までの道を歩く。偶然、進行方向がほぼ一緒で、長いこと同じ通路を辿っており、無言でいるのも気まずくなったハクラウルが声を上げた。
「……しかし、あれで良かったのか?」
「何がだ?」
「あの蘇生法は望んでいなかったことくらい、わかっていただろう。何故わざわざ不興を買うような真似をしたんだ……お陰で僕まで殺されるところだった」
「まぁ、嘘をつくよりはいいじゃないか。……全く、1800体もの殺戮兵器を製造した少年が、あんなに純真なんだからびっくりするよ」
はは、と渇いたように笑い、金色に煌めく前髪をさらりと直すアド。
鉄のような仮面をつけ、感情を殺しているペレットだが、まだまだ子供らしい部分もあるようで、セレーネが生き返ったと知った時の瞳に宿った輝きや、反対にセレーネの身体に糸が通されていると知った時の濁った色――。
隠しきれない感情の漏洩が、目を見るだけでそれはよくわかって、傍から見ているこちら側はとても面白かった。
だが、彼の技術力だけは侮れない。やはり、旧スプトーラ学院で育成されていた機械科のアサシンなだけある。
完成した殺戮兵器を収納したという倉庫をこれから見に行くつもりだが、夢に見ていた殺戮兵器がこの実眼で見れると思うとアドは興奮が止まらなかった。
「殺戮兵器を用意して……勝算は、あるのか?」
「……いや。正直五分五分だ。かつてより懸念していたジャック=リップハートと戦争屋の邂逅が果たされ、彼が私達と敵対してしまった以上、どこまで兵器の力が通用するか。……なるべく、出来る限りの指示は下したんだがな」
「……出会わないように、工作していたのか」
「あぁ。――本当に、彼への対処に関しては嫌になるほど思考を巡らせたよ」
まずは当時『天国の番人』に所属していた少女を利用し、同時期ドゥラマ王国の兵士だったギル=クラインと交際させたあと彼に強姦の罪を着せ、王国側に逮捕をさせることで同僚だったジャックとギルを隔離。
「その上、セレーネを向かわせてシャロ=リップハートの記憶をジャックから抜きとらせ、限りなく戦争屋と敵対できるよう仕組んでいる最中だったんだが……」
当時、ヘヴンズゲートの傘下でなかったロイデンハーツ帝国を弱らせるため、ヘロライカのウイルスをぶち撒けた結果、その3年後にミレーユ=ヴァレンタインと接触した戦争屋が帝国に来訪。
想定していたよりも戦争屋とジャックが近づくのが早く、当時ヘヴンズゲートに忠誠心のなかったジャックを戦争屋に会わせるのは危険だと判断し、邂逅を回避するため、戦争屋を〈全滅しない程度に〉始末するようイツメに命じたのだが、
「彼女……イツメが、『ジャックとの出会いを回避するため』という重要な部分をすっぽりと抜かして、同時期帝国で活動していたジャックを戦争屋にけしかけ……その結果、全てがパァになってしまった」
はぁ、と苦笑しながら肩を落とすアド。それに対し、ハクラウルはじとりとした目を向けて小さく溜息を吐き、
「君も知っていただろう、彼女は根っからの愉悦主義だ……面白いと思ったことは全て実行する。……彼女ではなく、他の人間にそれを頼むべきだったよ。君は」
「いやだって、君に連絡しても応答してくれないじゃないか。責任を負うのはどうのこうのって、仕事も呪術関連以外は引き受けてくれないし」
アドは幼い子供のようにつん、と口を尖らせた。すると、思いがけないカウンターを食らったハクラウルは一瞬『うっ』と怯んで立ち止まる。しかし、
「し、仕方ないだろう! 前触れもなく自分への連絡が来たら、誰だって恐怖するに決まってる……そ、それに、得意分野じゃない仕事を快く引き受けるのは馬鹿だけだ……! ぼ、僕は人間として当たり前の行動をしたまでで……」
「――まぁ、ともかくだ。あの時はイツメに頼むしかなかったんだよ」
『しかし、』とアドは言葉を継ぎ、流し目をすることで、まだまだ言い訳を早口で語ろうとしていたハクラウルを沈黙させ、
「そうしてイツメがジャック=リップハートを『グラン・ノアール』のイベントに呼んだ挙句、私が想定していなかったセレーネ=アズネラの移動・参戦・死亡がそこに重なって、ジャックは戦争屋の仲間入りを果たしてしまった」
「……そう、だな。でも、まだ……」
「――いいや。ハクラウル。実は正直もう、この世界は捨てようかと考えているんだ」
縋るような言葉がアドにやんわりと拒絶され、白髪の青年は一瞬だけ言葉を失った。
「……そんなに、ジャックってやつが脅威なのか?」
「まぁ、それはそうなんだが……それだけじゃあないんだ」
確かにジャックが敵に回ったこともかなり痛いが、この世界を諦める1番の原因となったのはそれではない。思い返すのは、つい先日のことだった。
「シスター・アズノアを連れて行かれそうだと通信が入り……私は至急、アズノアを殺害するようヨハンに命令を下した。結果、彼女の力はどこにも行かずに済んだわけだが……それが、相当な痛手だった」
「……痛手?」
「アズノアの結界がなくなったことにより、この世界の『情報』に晒されたエリア『サード』の囚人達は消えかかっている。……前の世界の人間は、次の世界に干渉すると消える……わかってはいたことだが、やはりきついな」
優秀な人間をエリア・サードに集めて『保存』し、次の世界でも持ち越せるようにしていたわけだが、アズノアを殺してしまった以上今回はそれができない。また必要な人材を今度は、時間をかけて1から集める必要がある。
アズノアの能力が戦争屋に渡らなかっただけ、まだ幸いだが……それでも、やはり彼女の死は大打撃だった。
「……また、僕のことを見捨てるのか」
「そうなるな。また、1からやり直しというのも骨が折れそうだが……これまで世界を繰り返して、わかったこともある。次の君とも、友達になるつもりさ」
「だから、友達じゃないって何度言わせるんだ」
「嘘つけ、私と君は友達だろ〜?」
酔っ払いの中年親父よろしく、寄りかかって肩を抱きだる絡みするアド。
当然ハクラウルははっきりと顔をしかめ、身体に触れてきたアドを振るった長い腕で払い飛ばす。もろに攻撃を食らったアドは『あべるがっ!?』と奇声を発してひっくり返り、尻を突き出すような体勢でうつ伏せた。
「ねぇ痛い」
「知るか。僕に不用意に触れてくる君が悪いだろう……」
ぷるぷると生まれたての子鹿のように手足を震わせながら、どうにか立ち上がろうとするアドを手を貸すこともなく冷めた目で見やり、ハクラウルは乱された白髪を指で梳きながらつっけんどんに吐き捨てる。
「……改めて聞くが」
ようやく立ち上がり、身体の節々が正常に動作するかを確かめる男を前に、ハクラウルは怪訝そうな表情で口を開いた。
「君は、どうしてそんな苦労をしてまで世界創造をしたがるんだ?」
「……はは。それ、3周前か8周前の君にも聞かれたな。――どうして世界の創造をしたがるのか。それはただ、私が考え事をするのが好きだからさ」
「考え事……?」
「私は昔から、考えることが好きでね」
ネクタイのずれを直し、髪についた埃をぱぱっと落とし、マントのしわを払って伸ばしながら、アドはとうとうと答える。
「遠い昔には大学を出たこともあるんだが……それでも常に何かを学び、考える人間でいたかった。だから、天国のような世界を創る、という途方もない夢の達成を目標に頑張ることにしたんだ」
「……」
「私は毎回、次の世界に行くたびに効率の良い方法を選ぼうとしている。それは、君も知っていることだろう?」
「……あぁ。君がこの世界で効率の良い方法を選べなかったせいで、この世界ごと僕が捨てられるってことも、知ってる」
「いや、それはまぁ……事実だし否定は出来ないが」
とにかく、とアドは語気を強調して言葉を繋ぎ、
「何をしたら、何が起こる。何がしたいから、どんな人材を入れる――。これからの未来を構成する因果関係について、この世界に居る何万人という人間達の行動を予測し考えることほど、頭が思考でいっぱいになることもないだろう?」
「……」
――そんな気の狂った理由で、僕らは何度も付き合わされているのか。
そう言いかけて、ハクラウルは口をつぐんだ。
きっとこの愚痴も、いくつか前の世界の自分がしていたのだろう。また昔を懐かしまれるのも腹が立つので、今回の自分は言ってやらないことにした。
しかし、それにしたって気が狂っている。
どうしてこんな男に救済を求めてしまったのか、自分でもよくわからないが――それでも、確かに1つだけわかることがある。この男の言葉には、魔力のような不思議な力があるのだ。人を惹きつけ、納得させる力が。
その力があるからこそ今、こうして世界中の人間が彼に魅了され、信心し、彼の言葉に従って動いているのだろう。
「……本当に、嫌な男だ。――【アードルフ=ワルツェネグ】」
ひっそりと悪態をつくと、アドは何も言わずゆったりと口角を持ち上げた。




