幕間1『糸で繋がれた命』
本当にこれで良かったのだろうか。わからないまま、時間は過ぎていく。
でも、セレーネを生き返らせて彼女に謝りたいのは本心だった。
だから夜通し、ペレットは殺戮兵器の設計をし続けた。幸い基本のパーツの組み立てはヴァスティハス収容監獄の刑務作業として、何も知らない囚人たちがしてくれていたから、ペレットの負担は想定よりも少なかった。
細かいパーツの組み立てや回路の確認、そういった専門的な作業を繰り返して、ようやく兵器は完成した。
倉庫にずらりと納入された、マネキン人形のような兵器たちを見て、ペレットの肩に疲労がのしかかる。今まで張り詰めていた気がようやく緩んだようだ。
強烈な眠気に襲われ、ペレットは旧スプトーラ学院の2階に与えられた質素な作りの私室に戻って、ベッドに転がり込んだ。
そして、夢を見た。セレーネが泣いている夢だ。
この光景には覚えがあった。昔、教官から初めて渡された任務の計画が、当時ペアだったセレーネの些細なミスによって総崩れしてしまった時と同じ光景だ。
――帰ったら殺される、私とペアになった貴方も殺されるかもしれない。
セレーネはそう言って泣いていた。
結局そのあと、どうなったのかペレットはもう覚えていない。
でも、自分は今生きているし、セレーネも『天国の番人』に加入するまで生き延びていたわけだから、恐らくその任務は完了できたのだろう。
《――そういえば、この前の火傷の跡って消えたんですか?》
《……いいえ、多分一生消えないわ。腰だったからまだ服で隠せてよかったけど、いつ見ても酷い。きっと、私がお嫁に貰われることは永遠にないわね。たとえ……ここから逃げ出して、外の世界に出たとしても》
《そうですかね? 貰ってくれる男は案外、いると思いますけど》
《あら、もしかして貴方が? 私は一向に構わないわよ、ペレット君が相手なら》
《いや、俺は無理ですよ。戦うことしか能がないんですから。だから、もっと別の男を探してください。外の世界には何十億人もの人間がいる……って、この前聞きました。それだけいれば、火傷なんて気にしない人もいるはずです》
《ふぅん……私は、ペレット君に貰って欲しかったんだけど》
《馬鹿なこと言ってないで、セレーネさんは早く報告書を仕上げてください》
いつかしたやりとりが、頭の中に蘇る。
ペレットは夢の中を揺蕩って、やがて深い眠りの海に沈み込んだ。
*
「生産、完了しました」
場所は総統室。又の名を、『神様の部屋』。
後者は白装束の間での呼び名であって、公式的な名称ではないのだが、とにかくそのまま神様の使っている部屋だ。いつも世界中をふらふらとしているので居ない場合がほとんどなのだが、今日の彼は珍しくそこに居た。
ペレットは憎々しいほど真っ白な羽織を纏い、無表情を貼り付けて立つ。すると向かいのデスクに座る軍服の人物は、報告書を片手に『ウン』と呟いた。
「素晴らしい、この期間で1800体もの殺戮兵器を仕上げるとは……しかも設計図にはないオリジナル要素として足の裏にジェットをセットすることで空中戦を可能にしただと! それでいて消費エネルギーは少なく、充電1時間で約70時間の飛行が可能……ほほう……ふふふふ……」
「お気に召しましたでしょうか」
「いやあ! 勿論だとも! 予想以上の成果に頭が下がる思いだ、強いて言うならデザインが少し簡素だが……まぁ、装飾を増やして重量のせいで空中飛行に問題が出るのは困るからな……そこは受け入れよう」
神様らしくもなくニマニマと書類を眺める男――アド。髪と同じ金色の目に愉悦の色が浮かんでいる。本当に満足しているようだ。
しかし彼の心情とは裏腹に、ペレットの胸中は不安に苛まれていた。
ペレットが殺戮兵器を完成させたのは、セレーネを生き返らせてもらうためだ。こうして完成品を納入した以上は、今すぐにでも生き返らせてもらわねば困る。
だが、この男は何かと油断できないところがある。これで『生き返らせるというのは嘘だ』と言われでもしたら、ペレットは恐らく突発的な怒りに身を任せて彼を殺してしまうだろう。
いっそ、殺してしまった方がペレットは楽になれるのかもしれないが、殺したところでペレットの心に残るのは虚無だ。
出来れば、そんな未来は回避したいものである。
ペレットがじっ、とアドの目を見つめ続けていれば、その射抜くような視線に気づいた彼は『あぁ』と笑った。
「もちろん忘れてなどいないさ。年はもう沢山取ってしまったが、衰えない記憶力は私の自慢なんだ。じゃあ、約束通り【セレーネ=アズネラ】を生き返らせよう。といっても、もうハクラウルに頼んで彼女の蘇生は済んでいるんだが」
「――!」
目を見開くペレット。本気で生き返らせるつもりでいたのか。否、本当に――生き返らせることが、可能だったのか?
動揺するペレットを前に、アドは笑いながらデスクチェアから立ち上がり、
「どうして驚くんだ? 蘇生を望んだのは君だろう。それともまさか、私が嘘をついているとでも思っていたのか?」
「……正直、可能性は半分くらいに思っていました。死者の蘇生が成功したなんて話、聞いたことがありませんでしたから」
「まぁ、死者蘇生は禁術の1つだからな。世界の摂理を壊す呪いとして、使用が禁止されているんだ。だから前例を聞くことがない。それにそもそも、相当に優秀な呪術師でなければ使うことすら不可能な呪術だ」
――つまり、恐らくは……彼女が世界初の蘇生体になるだろう。
アドはデスクチェアにかけていたコートを羽織ると、棒立ちするペレットの横を通り過ぎて総統室のドアノブに手をかけた。
「さぁ、来ないのか? 私も忙しい身だ、生憎とのんびり案内をしている暇はないのだが……」
「……っ、行きます」
――あぁ、セレーネにようやく会える。
お互いに記憶のある状態で対面するのは、およそ2年ぶりになる。自分の一存で生き返らせてしまったことを、彼女はどう思っているのだろうか。怒られてしまうだろうか。顔を合わせた時に、最初にかける言葉は何にしようか。
喉を震わせ、息を呑み、アドの背を追いかけて総統室から出る。緊張に跳ねる心臓の音すら自覚できないほど、ペレットの気は急いていた。
*
アドに案内されたのは、今ではすっかり医務室として器具が置かれ、使用されている部屋――旧『美術室』だった。
先に入るように言われて扉を開けると、そこには医師用のデスクにうつ伏せている長身痩躯の男が居た。呪術師のハクラウルだ。先日の全体招集によりカジノ『グラン・ノアール』から呼び出され、ここ数日はこの旧スプトーラ学院にいる。
「ほら、起きたまえ。君が説明しなければ、誰が説明をするというんだ」
眠るハクラウルが座っている椅子をげしげしと蹴るアド。
すると、大きく震えたハクラウルが椅子を蹴って跳ね上がり、ぐるりとこちらを向いてアドの喉元に爪を立てようとした。
しかし爪が刺さる寸前、椅子を蹴ったのがアドだと理解したようで、
「……あぁ、君か……やめてくれないか、心臓に悪い」
ぴたりと止まって、彼は突き立てようとした手を引っ込めた。きっとあのまま触れられていたら、なんらかの呪いがアドに掛けられていたのだろう。
「知ってるかい、僕の心臓は弱いんだ。3連続徹夜の僕を蹴り起こし、奴隷を相手しているかのように仕事を上乗せするのは100歩譲って許すとして、起こすならそっと起こしてくれないか? それともなんだ、君は僕の心臓を止めて殺そうとしていたのかい? あぁ、そうだよね、こんな陰気なやつのことなんか……」
「わ、わかった、一旦落ち着け、私が悪かった! ――ところで、君にセレーネ君の説明を頼みたいのだが……」
「今、僕のこと面倒臭いって思っただろ」
「……な、なぁにを言ってるんだ君は! 聖人の澄んだ心を持ったこの、私が! そんなことを! 思うわけが! ないだろう! それに君はほっ、ほら、私の大切な仲間であり気の置けない友人なんだし……」
「君と友達になった覚えはないけど。友達になりたくもない」
「エッ?? ソウナノ??」
「まぁいいよ、案内しよう。セレーネ=アズネラは奥だ。僕の呪力を注いでる最中だからまだ目覚めてない。でも、もう数分もしたら勝手に起き上がるだろう」
そう言って青年は白い長髪を泳がせ、医務室の奥の部屋へと姿を消した。そしてその場にはハクラウルのものであろう香水の香りが残り、嗅覚が過敏らしいアドは顔をしかめて『キツいな……』と一言呟く。
しかし、隣に立つペレットには匂いを気にする余裕はなかった。彼の中ではどうにも、先程のハクラウルの発言が引っかかっていた。
「……勝手に、起き上がる?」
「――こっちに来るといい、君の求めていたものはここにある」
奥の部屋から招かれて、ペレットは嫌な予感を覚えながらゆっくりと歩みを進める。部屋に入るとそこには、手術台に仰向けになって眠っている少女がいた。
煌めきの失われない金色の髪が目に入り、ペレットは漠然と押し寄せた悦びに胸を詰まらせる。が、
「……え?」
ペレットは彼女の身体に近づくまで、『それ』に気付くことができなかった。手術用のライトに眩しく照らされていて、遠目には見えなかったのである。
恐らく、カジノ『グラン・ノアール』でのイベント時の――死んだ時の格好のままなのだろう、彼女の纏ったモスグリーンのパーティードレス。その緑の布地に覆われていない、セレーネの肩や胸といった露出部分には、
無数の『糸』が通されていた。
――白い、糸だった。
セレーネの身体の真上に設置された、手術用ライトの光でわかりにくかったが、タトゥーなどではなく確かに糸だ。腕も、足も、頬さえも縫われている。傷口を閉じるわけでなく、ただ無為に縫い付けられているように見えた。
しかし縫い目は乱れなく丁寧で、縫った人間の几帳面さが窺える。
一本線を描くように肩から手首まで、または太ももから足首の側面などをきっちりと縫われたその様は、綿を詰めて布地を閉じた人形のような印象を与えた。
「――どういうことですか、これ」
ペレットの口から溢れたのは、本人の想定以上に低い声だった。
確かに動揺はしていたが、前から嫌な予感はしていた。だから目を見開くでもなく、喉を震わせるでもなく、ペレットは冷たい声でハクラウルに説明を求めた。
すると、白髪の青年は手術台に歩み寄ってライトのスイッチに手を伸ばし、
「僕の呪力を込めた糸を彼女の全身に通すことによって、肉体の保存状態を新鮮なまま保たせたんだ。ついでに呪力を身体中に循環させることによって、魂の抜けた彼女の身体は魂の代わりに『呪力』をエネルギーとして動く」
「……」
カチ、と無機質な音を立てて、手術台のライトが消えた。
「ただし、人が人である証拠はその魂にしかない。故に……残念だが、魂の存在しないこの蘇生体は、セレーネ=アズネラとしては不完全だ」
「……」
「つまり蘇生体はセレーネ=アズネラの肉体を持ち、彼女の記憶と才能をそのまま覚えた人形でしかないんだ。身体に刻まれた情報に従い、状況に応じて生前の彼女がしそうな行動を取るだけ。まぁ、傍目には本人そのものに見えるだろうけど」
「……あの。どうして記憶を再現する、なんてことが出来るんですか」
言いたいことは沢山あったが、ひとまずは冷静に質問をする。自分でもどうしてこんなに落ち着けているのか不思議だったが、とにかく今は胸の奥で増幅し、たぎる激情を自覚しながら静かに右手の指を少し内側に曲げた。
「それはヨハン=バシェロランテの『残留思念を読み取る能力』のエネルギーを糸に組み込んだためさ。つまりヨハンを殺せば呪力は非完全となり、この蘇生体は生きているだけ――つまり、植物人間と化す」
「そう、ですか。じゃあ」
ペレットの双眸が一瞬淡く光る。右手には拳銃が呼び出され、背後には付き従うように無数のナイフが展開。それらの殺意は全てハクラウルへと差し向けられ、
「――こうなるくらいなら、生き返らせなければ良かった」




