第99話『夕暮れどき、水面下に沈む影』
戦闘不能2名、死亡者2名。
その結果、今回の模擬戦闘は『引き分け』という形で終わり、4人は元の世界にて合流を果たした。マオラオ・ジャックの怪我やギル・シャロの死亡は『架空の世界での出来事』として処理されたので、戻ってきてからはピンピンしている。
ただし模擬戦闘の終わり方に納得がいかない者も数名おり、少々喧嘩、もとい延長戦が城の中庭で行われたりもしたが、全員ノートンに強制連行されて城内の私用部屋に帰らされていた。
一方それまでのノエルはというと、自信満々に『自分に攻撃をしてみろ』と言い放ったお嬢様剣士・シーアコットに長いこと攻撃を繰り返している。
一応『ノエルがどんな攻撃をするのか見たい』ということで、シーアコットからは攻撃が出されず延々とノエルのターンだ。しかし、
「ほら! 動きが遅いですわよノエルさん! 姿勢が悪い!」
「ぐっ……」
わかってはいたことだが彼女に一切攻撃できない上、余裕綽々のシーアコットに事細かに指摘をされ、ノエルの精神には限界が来ていた。
「はぁっ、はぁっ……」
一旦後ろへ引いて、剣を構え直し、心を落ち着かせてから再び突進する。
自分がアンラヴェル聖騎士団で習ったのは、圧倒的なスピードと細やかな動きを特徴とする大北流剣術だ。暇を与えずに攻撃を繰り出すという流派なので、動きが速ければ速いほど良いとされている。
右から、左から、下から、上から。ノエルは立て続けに剣を走らせるが、全てシーアコットの豪奢な装飾が散りばめられた剣に塞がれてしまった。
(この人、こんなにふざけた見た目なのに……!)
『人は見た目によらず』を体現したような女性だ。
最初は事故でシーアコットを殺してしまうかも、なんて危惧していたノエルだったが、剣が全く当たらないとわかってからはもう必死だった。
だが、
「――わかりましたわ」
突然、スイッチが切れたように静かに告げるシーアコットに、今まで焦燥と苛立ちが浮かんでいたノエルの顔に初めて悲壮の色が浮かんだ。
「な……何が、ですか」
まさか素質なしと思われたのではなかろうか。不安になるノエルを前に、シーアコットはツンとお澄まし顔で腕を組む。
「貴方、今まで足を使う生活をしてこなかったでしょう」
「……え?」
「踏み込みが弱い。ステップが遅い。次の一手を繰り出すときに、腕はそこそこ機敏に動いているのに足の動きが鈍いから結果として姿勢が悪くなるんですわ。というか普通に姿勢が良くないですわね」
散々な言われようではあるが、確かに今まで足を動かした機会がほとんどない。
物心ついた時から軟禁部屋で過ごしていたし、ある時期は運動不足を気にして自己流でヨガをやってみたこともあるが、所詮その程度だ。走ることは全くないし、歩くことすら少なかった。
姿勢は――全く自覚していないが、執拗に言われるので普通に悪いのだろう。
「基礎訓練に加えて、反復横跳び・階段往復・平均台の4つでセットを組んで、明日から少しずつ訓練しますわよ。このシーアコットが見るんですもの、見違えるくらいの成長を貴方に差し上げますわ!!」
『オーッホッホッホ!!』と高笑いを夕暮れの空に打ち上げるシーアコット。周囲は全く気に留めることなく、運動用具を片付けたり訓練を続けたりしている。今日も平和だとでも言わんばかりだ。
頭はおかしいようだが、悪い人ではないのだろう。
「わかりました。よろしくお願いします、シーアコットさん」
ノエルがぺこりと頭を下げると、黒髪の女性は『えぇ、こちらこそ……』と豊かな胸を張りかけて、
「今なんて仰ったの、『さん』!? ノエルさん貴方っ、そこは『シーア様』と崇め奉り尊敬するところでしょう! あっ、ちょっとお待ちなさい! シーア様って呼ぶまで貴方のことは帰しませんわよーーッ!!」
*
その後、道中で出会ったノートンを盾にシーアコットから逃亡したノエル。
彼女はシーアコットとの訓練で得た発見や考え、愚痴を話しながらノートンと城内の回廊を歩いていると、ふと騒がしい集団と出会った。
処理班の制服、つまり黒スーツに身を包んだ少年たちだ。
しかし何やら様子がおかしい。少年たちは何かを囲むように壁際にいて、彼らの口から飛び出しているのは全て罵倒の言葉だった。
『――お前さぁ、最近調子乗ってんじゃねーの?』
『ノートンさんにも媚び売ってさ、出世狙ってんのか知らねーけど、楽しい? 真面目に強くなって昇進しようって頑張ってる俺らのこと馬鹿にして』
『その目隠しもナニ? おしゃれってヤツ? マジきめぇ〜!』
傍から聞いている限り、愛ゆえのじゃれあいという風でもなさそうだ。被害者はここからは見えないが、何かしらを囲って罵倒している少年たちの言葉から推測するにこの状況は――いじめ、だろうか。
物語のおかげで『ある』ことは知っていたが、現実では初めて目にする出来事にノエルは動揺と不安混じりの目で隣の青年を見上げる。しかしノートンはいち早く状況を理解すると、躊躇いもせず少年たちに近づいて、
「お前たち、イヴに何をしているんだ」
「なっ、ノートンさん……!」
「全員イヴから離れろ。聞きたいことは沢山あるがひとまず自室待機。俺が許可を出すまで全員、1歩も部屋から出るんじゃない」
そう言って少年たちを掻き分けていくと、『大丈夫か』と壁にもたれかかって座っていた人物――イヴというらしき少年に駆け寄っていくノートン。
その様子にいじめの主犯らしき人物が歯噛みするが、隣の仲間に『行こう』と小さく囁かれたことで身を翻して、彼らはどこかへ逃げるように消えていった。
ノエルはそれを、ただ静かに視線で追いかける。
「酷い腫れだな……医務室に急ごう。歩けそうか?」
「……いえ、あの……助けてくださり、ありがとうございました。1人で歩けるので大丈夫です」
藤色の髪の少年はよろよろと立ち上がり、お礼を言って立ち去ろうとする。しかし、その腕をノートンが掴んだことでイヴはその場に拘束され、
「駄目だ、お前は1人にすると医務室に行かないだろう。それに……お前からも事情聴取をする必要がある。どうしてあんな状況になった。お前は何か心当たりがあるのか? 今日より前にも同じことがあったのか」
「それは……」
「――ノートンさん」
イヴが沈黙していたその時間に、ノエルの声が凛と響く。澄み渡った鈴の音に、意図せず尋問のように質問を繰り返していたノートンも、はっと目が覚めたように震えて銀髪の少女に目を向けた。
「……1人で考える時間が、必要だと思います」
「……そう、だな。すまない、無遠慮に質問をしすぎてしまった。俺はこういうことは得意ではないし、後日リリアに向かわせよう。とにかく、医務室には行く事」
「わか、りました」
イヴは申し訳なさそうに腰を降り、今度こそ立ち去った。
そうして回廊にはノエルとノートンが残される。しばらくの沈黙の後、話を切り出したのはノエルの方だった。
「あの人がいじめられてる理由って……」
「――わからない。イヴがそういう目に遭ってるって知ったこと自体初めてで、俺自身も正直動揺してる。あいつらも、一生懸命のいい奴だと思ってたんだがな……班長なんて大層な立場に居るのに、我ながら何も知らない自分が情けないよ」
自嘲げに渇いた笑みを溢して頬を掻くノートン。堅物そうな印象があったが、それなりに複雑な表情も出来るらしい、なんて関係のないことを思いながら、
「『媚び売ってる』とか『目隠しがどうの』って」
「あぁ……最近イヴに構うことが多くてな。あいつの知識をよく借りてるんだが、何故かあいつは頑なに『戦闘課』を志望するから情報の共有は私的な場所でのやりとりになっていて……それを、イヴが媚びてるように思われたのかもしれない」
「私的な場所で……?」
首を傾げながら問うと、ノートンは頷き、ゆっくりと歩き出す。
いじめの現場に遭遇する前から通る予定だった道を辿り、ノエルはそれを後ろからゆったりと追いかけた。
「情報課や監視課なら情報共有に相応しい場所があるんだが、生憎と戦闘課のイヴにはそこに立ち入る権利がないんだ。でも、公衆の面前では聞き出せないこともあるから、こっそりと俺の部屋に呼んでるんだよ」
「絶対にそれのせいじゃないですか……」
ノエルが独り言にも似た突っ込みを入れると、先を行くノートンは『うっ』と小さく息を漏らした。
「それで、目隠しっていうのは?」
「あぁ、あいつの家系は代々、常時発動している呪いがあってな。イヴの目を見た人間は少しずつ身体を蝕まれるらしいんだ。だから呪いがかからないよう目隠しをしてるんだと。……本人から聞いた話じゃあないが」
青紫と橙色がグラデーション状に滲む空の下、最後の言葉が空気中へ溶け出す。
意味深な口ぶりにノエルは追及しようとするが、先程見た打撲痕だらけの少年の姿を思い浮かべると、出かかった言葉はすっと戻ってしまった。
知られたくないこともあるだろう。それが部外者になら尚更。
「……あ、ここまで来れば帰り方はわかるか?」
「はい。ありがとうございます」
分かれ道にてノートンと別れると、ノエルは自室へと戻っていった。
*
それから場所は変わって城内、兵士寮。処理班や王国兵のための私用エリアであり、拠点を燃やされた戦争屋もその一部を借りているとある建物の内部。
「ふぅ……」
今更訓練の疲労を自覚しながら、自分の部屋に続く廊下を渡る。
しかしその道中、ルームメイトのミレーユと何故かシャロ、そして『リリア』というらしきぱっと見12歳くらいの女性が部屋の前に立っており、
「あの……?」
ノエルがおずおずと声をかけると、全員同時にこちらを見た。
以下、順番にミレーユ・シャロ・リリアである。
「あっ、ノエルちゃん! 訓練お疲れ様です!」
「あんねあんね、ウチらお風呂の時間まで暇だからさー」
「今からプチ女子会やろーぜって考えてんだけど、もちろんやるよな?」
「――は?」
どういうことだ、と尋ねる前に、主にシャロとリリアによってわっせわっせと部屋の中に詰められていく。
そしてミレーユがどこから持ってきたのか、圧倒的な手捌きの良さで折り畳み式丸テーブルとスイーツ類・クッションをセット。リリアがピシャーッとカーテンを閉めて灯りをつけ、シャロが部屋の内鍵を閉める。
ノエルが呆然としている間に、舞台は――整えられてしまった。
「えっえっ、え……?」
ひたすらに動揺するノエル。
ノエル=アンラヴェルという人間は生まれてこのかた、『女子会』というものに参加したことがなかった。
同年代はおろか同性の知人すらろくにおらず、強いて言えば金髪の召使い・セレーネ=アズネラ1人くらい。しかしノエルは過去にも述べたように、かねてより彼女には嫌悪感を抱いていたのでノーカウントだ。
だから同性同士の仲睦まじいお喋り自体、今日が初めてになるのだが、
「んじゃー初手ノエルちゃん、ずばり好きな人って居るわけ? ん?」
初対面のはずのリリアにぐいぐいと詰められ、ノエルは白目を剥く。
女子会という言葉は聞いたことはあったが、まさか恋愛話をするための集まりだとは思ってもいなかった。ただ女子で集まってワイワイと遊ぶものだと思っていたのだが――というか1人女子か怪しい人間が居るが良いんだろうか。
シャロの方をちらりと見ると、彼は自分がこの場にいることが当たり前のような面持ちでいた。どうやら彼も女子としてカウントするらしい。
「好きな……人ぉ……ですか?」
「そそ。ちーっと最近ごたごたあったけど、処理班にも戦争屋にも関わり始めて気になる男子の1人や2人くらい見つけたんじゃあねーかと思ってな」
「もちろん、シャロちゃんが好きならそう言うんだよ」
後ろからノエルに腕を回しつつ助言(?)するシャロ。
何故この人達はいちいち距離が近いんだろうか。背中に人の体温を感じながら、ノエルは呆れ混じりの吐息をして『それはないですね』と告げる。
「第一、シャロさんはどこ視点でモノを言ってるんですか、男性? 女性?」
「んー? もっちろん女の子目線で言ってるケド。でもシャロちゃんやっぱり罪な存在だからさ、禁断の恋をしてしまう女の子は絶対居ると思うんだヨネ」
「はあ……じゃ、ミレーユさんですかね?」
「へぇっ!?」
唐突に指名をされて、間抜けな声を上げるミレーユ。呆けていた彼女は今までのやりとりを脳内で再生し直すと、次第に頬を紅潮させた。
「わ、私ですか!? ノエルちゃんの好きな人!?」




