第01話『戦争屋のウワサ』
「――なあ」
太陽も地平線に隠れ始める夕方。煉瓦街の薄暗い路地で、太った中年の男が口を開いた。
「ギル、お前……戦争屋『インフェルノ』って知ってるか」
「……戦争屋ァ?」
首を傾げたのは18、9歳くらいの青年だった。青年は、中年男の暗い茶髪に茶色の瞳という容姿に対して、いささか不釣り合いな風貌をしていた。
肩まで伸ばされ、ひとつ結びにされた緑色の髪。血のような緋色の瞳と、それを宿した三白眼。緑のパーカーと黒のズボンに包まれた、やや筋肉質な身長約180センチの体躯。整った目鼻立ちも相まって、とても人の目を引く青年だった。
片や冴えない中年男性、片や派手な色男。一風変わった組み合わせである彼らの関係は、『ピザ屋の主人とアルバイト』であった。
2人が出会ってからまだ日は浅く、今日で半月が経過したかどうかという具合。しかし店の常連客たちが、揃って『まるで血の繋がった親子のようだ』と頬を緩めるくらいには、仲がいいと言われた2人だった。
「物騒な名前だな、それがどうかしたのか」
「いやあ、今朝店に来た客が言ってたんだ」
上を向く中年男。彼らの頭上では、真っ赤に燃えた空が藤色の雲に飲み込まれ、濃紺の夜に移り変わろうとしていた。
街の建物や街灯は、その移ろいに比例するようにポツポツと温かい光を灯し始めている。みな、そろそろ夕食を食べる頃合いのようだった。
今日は帰ったら、慰労にステーキでも食べたい。そんなことを考えながら、ギルはずっと知らない場所に向かっていく中年男の背中を追いかけた。
「曰く『戦争屋』ってのは、世界中の――反社組織から1つの国まで、いろんなところに喧嘩を売ってるっていう、馬鹿げた男連中らしくてな。人数こそ10人にも満たないが、そこらの小国じゃ歯が立たないほど強えって話だ」
「へぇ、そりゃまた恐ろしい」
ギルは他人事のように耳たぶをかいた。
「で、旦那はなんだってこんなところに?」
――店じまいの時間になり、中年男こと旦那と店を掃除して、さっさと宿屋に帰ろうとしていたギル。それを呼び止めてまでして、旦那はこんな人気のないところに連れてきたのだ。愛の告白、あるいは重要な話があると思っていたのだが。
「とっとと話しちまえよ、本題」
ギルがそう急かすと、旦那は切なげに笑った。
「今日でうちをやめるってのに、薄情なもんだなお前は。……まぁ、なんだかんだお前とゆっくり話すのもこれが始めてだ。最後まで聞いちゃあくれねえか? こんな薄汚え路地に連れてきたのにも、ちゃんとわけがあるからよ」
「……ま、早めに終わらせてくれんなら」
特に何の説明もなく、けれど確かに食い下がってくる旦那を訝しみつつ、渋々といった面持ちで了承するギル。
幸いまだ『待ち合わせ』の時間までは余裕がある。多少時間を潰しても問題はないだろう。ギルは胸中でつぶやいて、引き続き旦那の背を追った。
「それで、その客はこうも言ってたんだ。今のこの国は、『戦争屋』から城に届いたって手紙の話で持ち切ってるんだと」
「手紙……?」
「ああ。国王に宛てられた、今夜城を襲撃するって予告状らしい。みんな半信半疑だがな。……俺ぁ、万が一のときにゃあ女房と娘連れて、実家に帰国するつもりでいる。だが、お前がこれからどうするつもりなのか、最後に聞いときたくてな」
路地に入ってから10分弱。ようやく旦那は足を止めて振り返る。その手前、ギルも歩くのをやめて煉瓦の壁に背中を預けた。
「心配してんのか? たった半月、あんたの店で雇われてたってだけの男を。いくら客連中に持て囃されてたって、俺はあんたの本当の息子じゃないんだぜ」
「……お前は、ずっとそう思ってたのか?」
「ああ」
ギルはなんでもないように返して、今までの生活に思いを馳せた。
広大な煉瓦街で有名なこの国、ウェーデン王国に来てから半月が経ったある日。
持ち前の愛想の悪さゆえに解雇が続き、5度目の仕事探しのためにほっつき歩いていたギルを拾ったのが、いま目の前に立っている旦那であった。
旦那はギルを自分の店に連れていき、腹をすかせていたからとピザを振る舞い、安価だが清潔で食事の美味い宿を紹介してくれた。
更には『資金がまとまるまで雇ってやる』とレシピやオーダーの取り方を教え、それらが上達すると実際にキッチンを任せてくれた。
ギルがいま何の不足もなく生きているのは、間違いなく旦那のおかげだった。それは揺るがなかった。だから、最後まで信じてみようと思ったのだが――。
「じゃ、殺しても後腐れはないな。殺人鬼、【ギル=クライン】」
旦那が銃を構える。ミリサイズの虚空に見つめられ、ギルはあざけるようにハッと笑った。
「結局こうなるとはなァ……はあ。旦那、もう後には引けねェぜ。素人なりに調べてわかってんだろ。戦争屋がどういう組織か」
「――」
「邪魔なモン全部ブッ潰して、自分たちに都合のいい世界を作ろうって奴ら……それに手を出した人間がどうなるのかも、全部」
ギルは預けていた上半身を起こして、未練と一緒に息を吐き出す。代わりに吸い込んだ路地の空気は、やけに冷たくて苦い味がした。
*
「けど、銃なんて初めて握ったんじゃないっすか? 旦那。どこで手に入れたのか知りませんけど……そんな持ち方すると、腕痛めちまうと思いますよ〜」
「……ッ」
ギルの挑発に呑まれそうになり、しかし理性で自分を抑えつける旦那。彼は慣れない手つきで拳銃のセーフティを外した。
すると双眸を輝かせ、殺人鬼は深く踏み込む。直後、長い脚で旦那との間合いを詰め、恰幅のいい旦那の身体をひと蹴りで蹴り飛ばした。
「ッ!?」
衝撃で拳銃を手放し、路地を転がる旦那。その姿を見下ろすと、ギルは1つ鼻を鳴らして、
「いやぁ、残念だなぁ! 2人の娘を持つお父さん、地元に愛されるピザ屋さんが、人に銃を向けるだなんて! 旦那のそんなところ、見たくなかったな〜!」
演技がかった口調で喋りながら、旦那の落とした拳銃を拾うギル。残弾を確認する素早いその手捌きは、彼が戦争屋であることを証明するかのようだった。おそらく何度も扱ってきたのだろう。そしてきっと、その回数だけ人も――。
「旦那、ボク全部知ってたんですよ。旦那が金に困ってたこと。旦那が俺の正体を知ってたこと。俺の暗殺を計画してたこと」
ギルはゆったりと発砲の姿勢をとった。
「ピザの材料が高騰化して、長いこと赤字出してたらしいっすね。でも、もうじき生まれる2人目のためにも店は潰せない。かといって価格を上げれば常連に嫌われるかもしれない――そんなとき、指名手配に載ってる男が現れた」
「――」
「5000万ペスカ。質素に生きりゃあ一生安泰の金懸けられた男が、仕事探してほっつき歩いてたんだ。2度とないチャンスだった。あんたはそれに飛びついて、昼間は気のいい雇い主のふりをしながら、夜な夜な計画を進めてた――だろ?」
「ッ、いつ……!」
「さぁな。でも、意外とそういうのってバレるんだぜ。本人はこそこそやってるつもりでも。ふふ、気づいてなかったろ。旦那ってばァ、お・茶・目っ」
まるで愛玩するように、猫撫で声を作るギル。
しかし彼が見ていたのは、猫でも旦那でもなかった。ただ両の目に絶望を映して怯える、非力で弱々しい抹殺対象であった。
「まぁ、どんな下心があったとしても、実際世話にはなってたし。途中で計画を諦めてくれれば、このまじゃ楽しい思い出で終わろうと思ったんすけどねー」
「……っ」
「あんたは計画を止められなかった。行動に移しちまった。じゃあ、殺されても仕方がないよねーっていうのが、あんたが手を出した世界のルールだ。なんにも知らねェ嫁さんとチビには悪いけどな。まぁ、こっちでなんとかするよ」
旦那の額に照準を合わせるギル。すると旦那は、小動物のように震えながら後ずさり、辞世の句をわめき始めた。
だが悲しきかな、ギルの耳が旦那の言葉を聞くことはもう2度とない。
「じゃあ、来世は金の話にゃ気をつけろよ? ――バァイ、旦那」
生血色の瞳を哀しそうに細める。ギルの微笑は、旦那の濡れた目が見た最後の光景であった。




